016 若返りの魔女
ミレルル・プロシュカは国で一番の魔女だ。
人間から魔法が失われたこの世界での、唯一の魔法使い。
年齢は200歳を超えて、エルフに匹敵するだけの長寿を得ている。
それもこれも、魔法のおかげだ。
彼女は1000年に一度の邪神復活が迫っていることを予言した。
そしてまた、この世界とは別の場所から勇者が訪れることも予言した。
だが、やって来たのは勇者というより、魔獣の方だった。
「本当におぬしは勇者なのかのぅ」
ミレルル・プロシュカは勇者の能力に懐疑的だった。
彼がこの地上に現れてからの行動は、すべて水晶球で見通していた。
だが、彼が魔法で戦った形跡は今のところない。
「紹介しよう」
こほんと咳払いをする国王。
「魔法使いを目指し、日夜半身浴で身体を鍛えた剛の者。一日三食きっちり欠かさず、睡眠学習法で九九を学んだ。人間でありながら魔法を扱える貴重な魔女、ミレルル・プロシュカだ」
?マークの描かれたマントを羽織ったババアがコハル達の前に現れる。
魔女じゃなかったら、ただの変態だ。
「もっとマシなのいねーのかよ、この国」
「ちょっとコハル君、漏れてるわよ。心の声」
「おやおやおや。レンリもいるのかのぅ、ちょうど良いちょうど良い」
ミレルル・プロシュカはコハル達を見回した。
「王から説明を受けたと思うが、魔法は清童でなければ扱えん。まあこのババは特殊じゃから、例外というものもあるがの」
鋭い視線を向けられながら、レンリは答えた。
「ミレルル・プロシュカ。貴方に隠し立てしても無駄だから言うけど、コハル君は……前の世界で彼女いなそうだったわ。きっと30を過ぎて童貞だったのよ」
(深刻そうな表情で言わないでくれませんか、レンリさん。深夜教育テレビでやってる貧困ドキュメンタリーみたいになってるじゃないですか)
「でもそれだとのぅ、勇者はただの童貞ということになるのぅ」
「うるせーよ、ババア。ほっとけよ」
「重要なのは勇者に魔法適正があるかどうかじゃ。わしが占ってしんぜよう」
ミレルル・プロシュカは懐から水晶を取り出し、宙にかざした。
ふわふわと、水晶球はババアに操られながら空中に浮かんでいる。
まるでジャグリングパフォーマーみたいな動きだった。
「水晶球よ、勇者の魔法適正を示すがよい!」
――ぴかぁ。
空間に光が走った。
ディスプレイのように水晶球に映像が映し出される。
水晶球に映るのは、艶めかしい肢体と、水をはじく初々しい肌、そしてぷるんとした二の腕、水気を帯びた銀髪……。
「――って!? これ私―――――ッッッッ!!??」
レンリが慌ててババアを止めに入った。
「おっと、これは昨晩のレンリの入浴シーンでしたじゃ、失敬失敬」
このババア……やるな!
「すぴー……」
長い話が続いているせいか、アンズは居眠りモードに入っている。
「気になるのは勇者の左手についている、”眼”じゃな」
「そういえば、眼持ちがどうのとか言われたぞ」
「ほぅ、勇者は眼持ちであったか。これは珍しい」
ブンッとノイズのような音が響くと、ババアの水晶球と左眼の瞳が同期した。
眼から浮かぶ映像と、水晶の映像が同一だ。
不思議な術を使うなと、コハルは唸った。
ふむ、とババアは面差しをこわばらせる。
「ここに記載されているのは、最強の魔術ロールじゃな」
左眼と水晶に、文字羅列が流れた。
この世界で使われているくさび形文字ではない、日本語だ。
しかし……この文字列は……。
「あの……ババ様……」
「どうした勇者」
「その……えーっと……魔術ロールの内容なんだが……」
たじろぐオレの動揺が伝わったのか、兵士達に戦慄が走っていく。
「「「どうした!?」」」
「「「やはり、内容がとても危険なのでは……」」」
「「「発動すれば、邪神はおろかこの世をも滅ぼすのかもしれん」」」
「「「ああ、なんと恐ろしい」」」
言えない!
こんなの言えない!
(ああ、この魔術ロールは……オレのせいだ……)
コハルはなんて恐ろしいものをこの世に呼び寄せたのかと、後悔した。
「ほう、これは勇者の唱える魔法ではないな。勇者に認められし乙女のみが発動できる魔法じゃ。では、詠唱するぞ」
どうやらババアは日本語が読めるらしい。
やめろ! やめてくれ!!
とコハルが心の中で叫んでも、もう遅い。
『んほ~~~♪ ケツア●メくりゅ~~~♪ 来やゃう~~~♪ らめぇ~~~こわれひゅうううう~~~~♪』
やめろーーーーーー!!
オレが悪いんだ!!
ネットのえっちなマンガ買いあさってたから、それが魔術ロールに反映されちまったんだ!
特にチート能力は授けられてないなと踏んでいた、コハルが愚かだった。
『おほぉっ、いっきゅ~~~~♪』
てゆーか声荒げんなこのババア!
あえ声出すな! おぞましい!
『おふぉおおおおおお♪』
ひときわ甲高くババアが叫び、水晶を高く掲げる。
次の瞬間――。
――――パリン!!
水晶、割れた。
「わ、割れて……しもうた……魔術は失敗……じゃ」
ババアがあえ声上げたら、魔術じゃなくても水晶割れるだろ。
てゆーか水晶の立場だったらこの国巻き込んで自爆してるわ。
来年どころか今この瞬間滅してるわ!
「このスクロールはババには制御できんようじゃ。レンリよ、適正があるのはそなただけのようじゃ」
「ええ!? 私っ!?」
いきなり無茶ぶりかまされたレンリが慌て始める。
ケツア●メ、読むのか……レンリ……。
「最強の魔術スクロールじゃ。最強の魔法使いと神の巫女とが手を合わさねば、呪文の発動は期待できんのじゃ」
ババアの発言を聞き、王は慎重にうなずく。
「国家の一大事だ。レンリよ、やってく――」
次の瞬間、レンリの回し蹴りが王に決まっていた。
「誰が言うと思ってんの! バカじゃないの!!」
「そ、そんな……。で、では冒頭のケツア●メだけでも――」
二発目が決まる!
JKからの蹴り、正直うらやま……王に対して、失敬な!
「無理無理無理、絶対無理! そんなのセクハラよセークーハーラ!」
「善しわかった! 世も偉大なる王である。特別に、んほぉ~♪ だけで……って、んごっ!?」
レンリの蹴りが次々と国王の顔面に決まっていく。
彼女の暴走が収まる頃、国王は血染めのリングに沈んでいた。
「で、どうすんだよババア。オレは魔法使えなくていいのか?」
「見たところ勇者自体が魔術ロールなのじゃ。詠唱はレンリに任せるほかないのぅ」
「やんないわよ! 私」
「でもこのスクロール、200行あるぞ」
「勇者殿、200行とは、何だ?」
……?
「2の次に、ゼロが二つだ」
「ゼロ? なんじゃそりゃ?」
「コハル君、いい? 十進数の位取り記数法が生まれたのは西暦400年くらいのインドよ。この世界では、まだ発明されてないの」
会話の齟齬を見かねたレンリが、たまらず割って入る。
「えーっと、まあつまり、山のようにあるってことだ」
オレは王様に歯切れの悪ーい回答を返す。
不便すぎるだろ、この世界。
車輪も馬車も風車もあるのに、ゼロの概念がないというのが意外だった。
レンリの補足によると、大きな数字の記数法はあるみたいで、数千から数万単位の数も扱えるらしい……のだが、ここでは割愛する。
「レンリ、オマエの頭の懐中時計はどういうことだ? 元の世界から持ってきたのか?」
「いいえ、エルフ族に伝わる懐中時計で、こっちの世界のものよ。60進法はシュメール人が発明して、4000年前からあるんですもの」
なんか、納得いかねー。
ゼンマイも歯車も使わず、動力は魔力らしいが、納得いかねー。
「レンリよ、このままでは邪神には勝てぬ。そなたが真に勇者のパートナーとしてふさわしいか、見極めねばならぬ」
ミレルル・プロシュカは居眠りするアンズに近づくと、スリープの魔法をかけた。
そのままアンズは、地面に倒れる。
「始めるぞ」
新しい水晶球が取り出される。
まばゆい輝きと同時に、ミレルル・プロシュカの身体は変化した。
「ああん! 若返るわぁ!」
さっきまでのしわがれたババアとは打って変わって、ミレルル・プロシュカは大人の色気むんむんの魔女になってしまった。
際どいレオタード姿に魔女マント、これは青少年の教育に悪い。
おっぱいもばバインバインである。
しかし、何故急に……。
「ミレルル・プロシュカ! アンズちゃんの魔力を吸ったのね!?」
「ご明察。アンデッドには同族のモンスターの魔法は通りづらい。でもね、人間のは別なのよん♪ 今だったらこの子、私のグレータヒール一発で沈むわ♪」
先ほどアルネ・ソニアのヒールがアンズに通じなかったのは、そういうことらしい。
水晶球が光ると、暴風が城内に吹き荒れる。
なんという魔力だ。
『あ……ぐぅ……』
ミレルル・プロシュカが魔力を使う度に、アンズが呻く。
魔力供給源がアンズだからだ。
「どうしよう!? アンズちゃんが苦しんでるわ!?」
だが、一瞬にしてレンリの表情は崩れた。恍惚の方向に。
「ああ……苦しんでる顔も……可愛い……♪」
ダメだなこの貴族令嬢エルフ。
「これでわかったでしょ! レンリ! 勇者を魔力供給源として、詠唱なさい!」
「じょ、冗談じゃないわ!」
「私は一通りスクロールを読んでみたわん♪ レンリ、あなたが言わなきゃいけないことが、最初に書いてあるはずよ♪ それを詠唱なさい♪」
ミレルル・プロシュカは水晶を差し出す。
そこに書かれた文字を見て、レンリは赤面した。
「い、言えるわけないじゃない!」
「なら此処で死ぬことね!」
水晶が輝くと、壮大な炎と衝撃波が吹き荒れた。
石柱は次々と崩れ、天井は崩落していく。
対峙するミレルル・プロシュカとレンリ。
国王は動じず、二人の魔女の対決を楽しそうに眺めている。
「ほらほらほら! どうしたのレンリ? トドメにと行きましょうか!?」
熱風に晒されながらレンリの銀髪がはためく。
これ以上魔法を使われると、アンズが危ない。
レンリはついに決意する!
コハルの左手を取り、瞳に映った文字を見つめた。
究極の魔術スクロール、単語一つでも絶大な威力を発揮するもの。
「――コハル君――」
世界のきしみがいっそう、激しくなる。
スクロールがレンリの瞳に映るだけで、発動の気配を感じた。
『――大好き――』
レンリの魔法が発動された。
青白い風が、噴火する火山のように高々と吹き上げられる。
魔術スクロールのたった一単語。
レンリが転生する前から募らせていた想いの、火山。
それはすさまじい威力だった。
轟音に晒されながら、ミレルル・プロシュカが風に引きずられる。
熱風、轟音、人智を越えた魔力、そして……それを生み出す純粋な想い。
すべてが、ミレルル・プロシュカの切望して、届かなかったもの。
ミレルル・プロシュカは生まれたときから魔法使いを目指していた。
いつか世界を救うため、寿命を延ばし、魔法を獲得し、人から外れた努力を重ねてきた。
だが、自分が世界を救える器でないと気づいたのは、残念ながら100歳を越えた頃だった。
彼女は努力できてしまった。
努力とはつまり、自分の限界を曇らせる残酷な魔法だ。
自分には無理だと、ミレルル・プロシュカは100歳を過ぎて気づいた。
だから彼女は願ったのだ、自分の意志を継いで世界を救ってくれる魔女の到来を――。
(ああ、レンリ。貴方に私の願いを、託したわ)
ミレルル・プロシュカは満足そうに微笑みながら、空の彼方に吹き飛ばされていった。
もし気に入って頂けたのでしたら『お気に入り』、『評価』、『感想』など頂けますと大変嬉しいです!




