014 レーゼイン家貴族の誇り
レーゼイン・レンリは貴族の娘だ。
生まれた時から貴族だったわけではない。
彼女は一週間前、この異世界に転生してきた。
それはとても気軽な気持ちで。
プレイしていたゲームで、新規サーバーをタッチしただけで呼び込まれた。
だから彼女は、この世界をゲームとして捉えている。
貴族として転生したからには、貴族としての生き方を全うしなければならない。
レンリは責任感の強い娘だ。
彼女は今日も、貴族である自分と普通の少女である自分の狭間で、揺れていた。
しょりしょりと、アンズがリンゴをかじっていた。
コハルから新しく買って貰ったものだ。
「この世界にリンゴがあったことが驚きよ。熱帯地域では栽培が不可能なのに、本当に異世界だって実感するわ」
「レンリ。ツッコミがいちいち面倒くせーぞ」
コハル、レンリ、そしてリンゴ囓ってるアンズ。
三人仲良く歩いていた。
馬車は先ほどの戦闘でダメージを受けたため、放棄した。
街は王宮に近づくにつれ、人がまばらになった。
建物は大きく、敷地もでかくなっていく。
「高級官僚や神官の邸宅って感じだな」
立派な身なりの住人が、通りを歩いている。
中でもとりわけ高貴な人々の移動なのだろう、馬車が頻繁に往来していた。
その従者達はレンリの存在に気づくと、うやうやしく頭を下げた。
(本当に、貴族の娘なんだな)
本来だったらレンリは、何人もの従者を連れて、馬車で移動しなければいけない身分だった。
それをコハル達と一緒に通りを歩き、外でヤモリンやリンゴを買い食いする。
見るからに重そうなトランクを抱えて、日差しを浴びながら、庶民と肩を並べていた。
身分差の厳しいこの世界では、考えられないことだ。
でもレンリはそんなことおくびにも出さず、コハルやアンズとの冒険を楽しんでいる。
それは今まで見たどの少女の笑顔より、眩しいものだった。
「もうすぐ王宮よ。城門をくぐれば、すぐに――」
「お待ちなさい♪」
遮られたレンリの言葉。
城門を目の前にして、三人は足止めを喰らう。
扉が固く閉ざされていたからだ。
城門の上には、幾人もの兵士を従えた小太りの男が立っていた。
「うしょしょしょしょ♪」
気色の悪い、小悪党の笑いが響く。
明らかにこちらを見下しているような、嘲りだった。
「また……めんどくさいヤツが来たわね」
その人物を視界に収めるやいなや、レンリは顔をしかめた。
知り合いだろうか?
「政敵ってヤツよ」
「我が名はヘガイオス・ガイクオン! この国の宰相である!」
名乗りを上げた瞬間、兵士達が騒ぎ始めた。
「頭が高い! この方をどなたと心得る!」
「平伏せよ! 平伏せよ!」
「何故跪かん! 平民の分際で!」
三人とも突っ立ったままだった。
だってここの国民じゃないし、の顔である。
兵士達に向かって、コハルが言った。
「いや偉いかどうか知んねーけど、別に部下でも国民でもねーし。ただのおっさんなんだけどー」
「そうよ。宰相程度の分際で、貴族が頭を下げるわけないでしょ! 宰相といっても平民の出のくせに! 身の程をわきまえなさい!」
うわー……と、コハルはレンリをちょい引きの顔で見ていた。
(こういう火に油注ぐこと言うから、命狙われるんだろうなー)
自分も宰相をおっさん呼ばわりしていたのに、この認識である。
だが、宰相ガイクオンは余裕そうに嗤う。
「うしょしょしょしょ♪ 善い善い。若者は元気が一番よ♪ 許す許す♪」
「おおそうか、物わかりがいいな、おっさん。じゃあさっさと通して――」
「うしょしょしょ♪ それはいかんよ♪ 貴様らにはここで死んで貰うのよ♪」
「…………は?」
勝手に呼び出しておいてこの仕打ちである。
コハルは、レンリを見つめた。
オマエ……敵作りすぎ……の目である。
「わ、私のせいじゃないわよ!」
ガイクオンが急に真面目になって、演説を始める。
その声はよどみなく、眼下の街に広がっていった。
「我が国王をたばかり、支配する企みだろう! その邪悪な企て、宰相ヘガイオス・ガイクオンが許さぬ!」
「あー!? てめえ! 何キャラ変わってんだよ!」
「先ほど魔獣アンズーを呼び寄せ、城下で暴れさせたな! 信じられぬ醜態狼藉! 邪神討伐を名目としておるが、ガイクオンの目は誤魔化せぬ! 我が国王を暗殺し、邪神にこの国を差し出す腹積もりであろう!」
「あー……そうやって私達を嵌めるのね」
「はわぁ♪ リンゴおいしー♪」
「者ども、かかれー! 三名の首を討ち取ったあかつきには、金貨3000枚を与えるぞ!」
言い訳も聞かずに、城門から兵士が飛び降りてきた。
手に手に槍を握りながら、コハル達目がけて斬りかかる。
――シュン!
アンズから闇の尾が伸びると、兵士達の身体が蒸発した。
トストストス!
あとには主のいなくなった槍だけが、地面に刺さる。
その一本も、コハル達には当たらない。
「うしょ…………」
ガイクオンは困惑した。
目の前で起こったことが、頭で理解できない。
(何故兵士は消えたのだ? どこにいったのだ?)
邪神との戦争はここ数年続き、国内は乱れていた。
国が乱れるということは、下克上のチャンスである。
レーゼイン・レンリはが魔獣アンズーを呼び寄せ、城下町で大暴れさせた。
チャンスだ。
ガイクオンは、この件を政治的に利用することを思いついた。
今ここでレーゼイン家の勢力を削げれば、自分の権力基盤を盤石にできる。
平民の出であるガイクオンは、権力の座から転がるのを恐れていた。
「それで終わり? 今日私を狙ってきた、ゴロツキの方が迫力あったわよ」
「おいやめろレンリ! 挑発するな!」
コハルがレンリを下がらせ、退悪の剣を出現させる。
ぷちぷちと、ガイクオンのこめかみの血管がちぎれる音が響いた。
国中の槍の使い手を集めた、完璧な作戦のはずだった。
相手は子供3人。
こちらは近衛師団えり抜きの兵士……。
なのに、リンゴ囓った小娘に瞬殺された。
「ゆるしましぇんよ♪ うしょしょしょ……」
不気味な笑いを響かせ、ガイクオンが身体を震わせる。
メキ……メキメキメキ……。
ガイクオンの体躯が膨らみ、巨大化する。
メチ……メチメチ……ムキムキムキ。
筋肉が腕を、足を走って行く。
みっちりとした筋肉タンクが出現すると、巨大な棍棒を構えた。
「我が名はガイクオン! 宰相の地位を得るため、オークとなった者なり!」
ズシン!
巨大化したガイクオンに耐えられず、城門は崩壊した。
激しい噴煙の向こうから、筋肉ダルマと化したガイクオンが現れる。
「うしょしょ。子僧、レンリを離しなさい。そうすれば命だけは助けてあげましゅよ♪」
「はっきり言ってやるよ。ふざけんじゃねぇ」
「ならば死ね!」
――ズガン!
コハルはレンリを掴んだまま、左に跳んだ。
衝撃波だけで、脳震盪が起きそうだ。
砂煙が立ち昇る向こうに、棍棒を舐めるガイクオンが見える。
次の攻撃は避けられそうにない。
『よくも、お兄さんを――』
コハルとガイクオンとの間に、アンズが割って入る。
棍棒が振られた。
――ズガン!
アンズは勢いよく吹っ飛ばされていた。
軽自動車くらいの太さはあろうかという棍棒。
その一撃を食らったのだ。
ズザザザザ。
だが、アンズのしぶとさもかなりのもの。
上手く身体を回転させながら勢いを殺すと、両手を地面に滑らせながら停止する。
「おしょしょしょ♪ 邪魔するとぶっ殺しますよゴミ♪」
「ゴミは、貴方の方よ」
レンリが冷たく言った。
控えめに言って、キレている。
「国王の鞄持ちから始まり、サビ残毎日10時間でも弱音を吐かず! 裏金! 女! 接待! 経費水増し! この地位に就くまで、どれ程の努力が必要だったか――」
ガイクオンは猛りながら、棍棒を振り回す。
――ズガン!
――ズガン!
――ズガン!
「レンリ! 貴族にわかるか! 魔物と血を交し、悪魔に魂を売ってまでも……権力を求めた男の悲哀など――!」
レンリに向かって棍棒を振り下ろそうとするも、暗黒の尾がそれを防いだ。
――ズガン!
――ズガン!
「宰相まで上り詰めたのだぞ! 考えられるすべての汚い手を使って! 魔物になり果ててまで!」
――ズガン!
――ズガン!
「なのに! どうして! 国王は私を認めてくれないのだ! どうして宰相である私に、貴様のような小娘を迎えに行けと命じられたのか!」
――ズガン!
――ズガン!
「解せぬ! 解せぬ! 解せぬ! 解せぬ!」
――ズガン!
――ズガン!
――ズガン!
「バカな……」
気がつけば、ガイクオンの棍棒は跡形もなく砕けていた。
打撃はアンズの尾によって防がれ、一発もレンリに当たっていない。
アンズが、一歩距離を詰めた。
『レンリちゃんはお友達……。悪口なんて、許さない――』
――シュン!
尾の一本が突き出される。
ガイクオンの腕がそれを防いだ。
巨木の幹のような腕。
「くしゅしゅしゅ♪ 小娘の尾っぽなど……ぐ……え……ふぐえええええ!!」
腕が跡形もなく消失した。
ガイクオンは身体のバランスを崩して、よろめき始める。
「バケ……モノ……」
ガイクオンは恐怖していた。
レンリを抹殺し、政治家としての地位を盤石にする夢は、露と消えた。
「アンズ、もうよせ」
コハルがアンズを制止する。
『……だって……』
「よく見ろ、相手」
宰相ガイクオンは土下座していた。
勝てないと解れば、即座に命乞い。
それがガイクオンの処世術であり、出世の秘訣だった。
「教えなさいガイクオン! 私の命を狙うよう命令しているのは、誰?」
レンリが叫んだ。
気品溢れる貴族の命令だ。
凜とした気高さからは、誰も逃れられない。
「そ……それは……」
「教えなさい!」
逡巡するガイクオン。
数秒間の沈黙の後、口を開く。
「解った。教えましょう……」
ガイクオンがしゃべり出そうとしたそのとき、異変は起こった。
「――――ッッッ!!??」
がくり。
ゼンマイが切れてみたいに、ガイクオンの身体が停止する。
血走った目を天に向けて、絶叫した。
「お――お許しください! パズズ様! 私は決して――うぎょ……うぎょぎょ!」
身体がねじれる。
噴水のような血しぶきを上げながら、ガイクオンの身体はバラバラになった。
悪魔に魂を売って宰相まで駆け上がった平民の、儚い最後。
その無残な姿を、レンリは硬い表情で見つめていた。
「行きましょう。国王陛下が待ってるわ」
トランクを掴むと、レンリが歩き始める。
「なあ、レンリ」
「軽蔑した? 私は毎日命を狙われてるの。プライドだけで一週間生きてきたわ。でも、時折……負けそうになるの」
ぽんと、コハルはレンリの肩を叩く。
「オマエは負けねーよ。オレとアンズがついてる」
レンリは顔を上げた。
目の前にはコハルとアンズがいた。
「……わかった。負けない!」
レンリの笑顔は、気高さに包まれていた。




