013 ご勘弁を!? ヒールだけは!?
アンズはいつもお腹を空かせている。
異世界に召喚される前からそうだった。
バイト代はすべて食費に消え、それでも足りずにコハルを頼ってくる。
彼女がものを食べるときは本当に幸せそうで、その姿を見るだけで皆笑顔になった。
「ぼー……」
でも、食べ物がないときはいつも上の空。
空を見上げながら、
「あのクモ、おいしそーだなー」
とか言ったりする。
「雲は食べれないから我慢しなさい」
「はわぁ…………。さっきからずっと戦ってばかりだから、お腹空いちゃったよぅ」
「アンズ、さっきレンリがどん引きするほど食べたろ」
呪殺師との戦闘ののち、コハル達は馬車に乗り込み王宮に向かっていた。
ここまで連続して命を狙われたことにショックを受けたのか、レンリは放心したように馬車でうずくまっている。
(そういえば、レンリと呪殺師が何か話してたよな)
(エルフ族の裏切り者だとか)
この世界ではここまで貴族の命は狙われるのだろうか?
それとも、レーゼイン家だけが、恨まれるに足る悪事を働いたのか。
馬車の内側にはコハルとレンリ。
アンズは馬車と並走して、外の警護を行っていた。
残念だが、召喚されたアンズはすでにアンデッド。
近衛師団の兵士100人よりも強い。
だが、当のアンズはというと。
「お腹空いたなー」
人差し指を咥えながら、物売りのリンゴを物欲しそうに眺めていた。
幌の外にはリンゴ売り。
声を枯らして………。
「オジチャン………………オイシソウ」
獲物を狙う目で、アンズが物売りのおっさんを見ていた。
よっぽどお腹を空かせているのか、細く鋭い眼光がおっさんに注がれる。
「食べタイ…………ナァ…………」
冷たい風が吹いた。
周囲の気温が十度は下がっただろうか。
アンズの眼光の鋭さに威圧され、街の住人が逃げ始める。
「あはぁ………お腹、空イチャッタ」
アンズの瞳から、ハイライトが消えた。
リンゴ売りのおっさんがビクリと背中を震わせる。
即座にリンゴを籠ごと差し出すと、地面に土下座する
「もももももっ、貰ってくださぁい!」
「はわぁ! いーんですかー!」
「どうぞ! どうぞどうぞ! そそそその代わり、殺さないで! 殺さないでぇ! 家には病気の母が! 子供が! 身重の妻がぁ~!」
「はわぁ♪ リンゴ、おいしー♪」
幌の外にはリンゴを持ったアンズ。
街の住人は恐怖で顔を引きつらせ……。
「おい、あのバケモノが歩いてるぞ」
「魔獣だ。子供を家の中に隠せ!」
「ほったらかしなんて、近衛師団は何を考えてるんだ!?」
吹き荒れる罵詈雑言の吹雪。
まるきり、氷の世界。
「アーンーズーチャーンー↓」
「はわぁ、レレレレンリちゃん、怖……怖いですぅ~~~」
「すみません、ウチのアンデッドがご迷惑おかけして、すみません」
レンリがアンズを叱り付ける横で、コハルが謝っていた。
籠をおっさんに返すと、レンリに向き直る。
「なあレンリ。金貸してくれ」
「貸す……? 今日は一日助けられっぱなしだから、お金くらい――」
「貸してくれ」
「……。わかったわ」
レンリの開いた財布から、金属の棒を一つつまむコハル。
そのままおっさんに向かって投げると、籠のリンゴを一つ掴んだ。
「アンズ、これはオレからのプレゼントだ。さっきはよく、レンリを見つけてくれたな」
リンゴをアンズに渡し、ぽんぽんと頭を叩く。
「…………っ」
アンズの頬がみるみる真っ赤になる。
そのままリンゴを食べずに、持ち続けていた。
まるで宝物を貰ったように。
コハルとレンリを乗せて、馬車が出発した。
それでもアンズは、リンゴを食べない。
「今日は本当に、ごめんなさい……。アンズちゃんにも、迷惑かけちゃったわね」
「迷惑なんて思ってないよ。無事で良かった、それだけだ」
なんか良い感じになってる二人。
「でも、本当に……。こっちの世界に転生して……不安でいっぱいだったんだけど……。コハル君に出会えて……それで……。安心したの」
「オレもだレンリ。安心したっていうより、楽しくて仕方ない。オレ、これからずっとレンリと冒険したい!」
「ふふ、面と向かって言われると、恥ずかしいわ。でも、私も……コハ……ル……と……」
「――じー……」
幌の隙間から、氷点下の眼差しでアンズが見ていた。
「お兄さん……お兄さんが一番大切にしてくれる人って、アンズ……だよね?」
アンズの眼が怖い。
なんか尾っぽも4本くらい出てる。
3本で王都が破滅しかかったのに、4本目とは……。
「お、おう……。アンズは大切な妹だぞ」
「はわぁ♪ よかった♪ アンズ幸せ~♪」
元に戻った。
リンゴを握る腕を、レンリはまじまじと見つめる。
「アンズちゃん怪我してるわね。待って。今、ヒールをかけるから」
「舐めるのか?」
「傷が深くないときは、舐めないわよ」
ぽわわわわわ……じゅっ!
「今、じゅって言ったな」
「言ったわね」
「はわぁ……痛い……」
アンズは手をブンブン振って、レンリのヒールから逃れた。
傷口は火傷のようになっていて、余計ダメージを負ったように見える。
「アンデッドにヒールは禁忌ね」
「ヒールが使えないなら、何で回復させればいいんだよ?」
「怨念やカオティックの魔法なら回復できると思うわ。それこそ、さっきの呪殺魔法みたいな……」
「一人も使えるヤツがいないな。すまんアンズ。しばらくそのままでいてくれ」
腕に包帯を巻くと、そのままアンズは外の警護に戻る。
警護といっても、リンゴを握ったままぽわぽわしてるだけだが。
幌の隙間から、街並みを見る。
商店街の壁際に、粘土板が張られていた。
器用に掘られた人相書。
その顔の一つに見覚えがあった。
「レンリ、あれ……なんだ?」
「ああ、お尋ね者の手配書よ。王都のそこら中に貼られているわ」
レンリが一つずつ読み上げる。
”アルネ・ソニア 金貨3000枚”
”ディストリクト 金貨3000枚”
”シリウス・キテラ 金貨3000枚”
「シリウス・キテラって、さっきの呪殺師のヤツか」
「コハル君が逃がしてしまわなければ、今頃大金持ちだったわね」
「ああいう手合いを追い詰めるのはよくない。街ごと滅びの魔法で消し去ったりするからな」
「それでも、トドメを刺さないのはダメよ。善人ぶって油断してると、今に痛い目に遭うわ」
「軍用馬車に乗っている限り、襲ってくるヤツなんていねーよ! あははは!」
「コハル君。その、フラグを立てるようなことは……」
ズガンッ!
衝撃で馬車が止まった。
「おいおい何だよ?」
幌を開けて目の前の兵士に事情を尋ねる。
「…………」
ボト。
兵士の首は、そのまま落ちた。
「――どんだけ治安悪いんだよ!? この王都!?」
近衛師団の兵士が瞬殺である。
一体何が起こったのかと、周囲を見渡す。
「アンズ!? 何が起こった!?」
「……えへ……えへへ……お兄さんに、リンゴ……貰っちゃった……はわぁ~♪」
「ダメだ! アンズは今回役に立たない!」
後ろを振り向き、レンリと共に迎撃態勢を取ろうとするコハル。
「レンリ! 風の魔法だ! 敵がどこにいるかわからない、あぶり出して……って」
「ごめん、コハル君……アンズちゃん……。さっき魔力を吸われちゃって……。私もう、魔力切れ……」
ぼてり。
レンリの魔力計が0時を指していた。
魔力切れると倒れるのかよ、使えなー……。
「仕方ない、ふっふっふ、仕方ない」
異世界転生決めて数時間。
このセリフをついに言えることに、コハルはわくわくしていた。
「ここはっ、オレに任せろっ!」
勢いよく馬車から飛び出すコハル。
だが、現実はそんなに甘くないことにすぐに気づく。
「嘘だろ……」
コハルは、その光景に釘付けになった。
「た……助けて……」
「やめろー……いっそ、いっそ死なせてくれー……」
「誰かー……動けるヤツ……。頼む、殺して……」
街の人々が、呻いている。
糸でぐるぐる巻きになりんがら、浮遊するように宙に浮かんでいた。
「殺して……殺し――ぎゃあああああ!!」
宙に浮かんだ人々の糸が絞められた。
頭、腕、足、胴がゼンマイ仕掛けのようにバラバラの方向に回転する。
ボト。
ボトボトボト、ボト。
切断された人々の手首が、地面に落ちた。
コハルが固唾を呑んでそれを見つめていると……。
ぴく――。
地面に落ちた手首。
ぴくぴく――。
その指先が動いた。
「ひぃいいいいいい!」
情けなく悲鳴を上げるコハル。
かっこわるい。
カサカサカサカサ――。
そのまま手のひら達は地面を這い回り始めた。
挙動からして、黒い悪魔のそれである。
「ふぃやあああああああ!! 怖いぃいいいい!!」
カサ――。
カサカサカサカサ――。
「だから一度物陰に隠れてから、もう一回出てくんじゃねーよ! それGだろ! Gの動きだろ!」
這い回る無数の手首。
それ全部Gの動き。
怖すぎである。
――どうした主? 戦わぬのか?――
「あのー左眼さん……。瞬きしてジュッてやるヤツ、カマしてくれませんかねー」
――ふぬけ男に、加勢する義理はないな――
「じゃあ……剣を、剣をください……」
べっと、雑にー吐き出される退悪の剣。
コハルはへっぴり腰のまま剣を構えると、手首に近づく。
カサカサカサカサ――ぴたり。
手の動きが止まった。
「あ……急に止まるって……あの合図――」
バサバサバサバサ!
手首が羽ばたきながら、コハルめがけて殺到する。
追い詰めたGが飛翔するように、顔面めがけて。
「――――ッッッ!?」
相手はGではなく手首だった。
正確にのど仏につかみかかり、首をへし折ろうとする。
(くそっ、攻撃しようにも手首だけじゃ――)
退悪の剣を振るっても、すべて空振り。
せめて腕から先があれば、突き刺すことができるのに。
「くくくく♪ おバカさぁん♪ 簡単に私の罠にかかってくれて、最高よ♪」
建物の上から糸が垂れた。
その先端には、不気味な少女が繋がっている。
少女の背中からは毒々しい色をした、蜘蛛の足が8本生えていた。
「蜘蛛……女か……っ」
コハルが手首を剥がそうと、格闘しながら言った。
蜘蛛と呼ばれたのが不快だったのか、少女は顔をしかめる。
「私はアルネ・ソニア様よ。金貨3000枚の賞金首♪ 覚えておくことね♪ まああなた、覚えたところで死んじゃうんだけど♪」
くいっと、ソニアが合図を送る。
手首は人間離れした力を発揮しながら、コハルの首を折りにかかった。
「ぐぁ――っ」
猛烈な圧迫感で、頸椎が絞められる。
「無駄無駄♪ 私の操る手首から逃れられたヤツなんていな――」
――ズン!
ソニアの言葉を遮るように、闇の風がわたる。
木の葉のようにコハルを締め上げていた手首が舞い上がり、力なく地面に落下する。
それは驟雨のようだった。
「は……はははは……♪」
ソニアの顔から、余裕が消えた。
今まで彼女に勝てたものはいない。
王都の近衛師団だって、瞬殺できる。
賞金額はMAXの金貨3000枚。
殺せる人間は、いないという意味だ。
ソニアは強い。
強い……はずなのだ。
「ふふ、まったく♪ ひどい冗談♪」
手首に合図を送るも、ぴくりとも動かない。
アンズの影に触れたため、憑依の魔法が無効化されたのだ。
『………ねえ。そこの蜘蛛……何してるの……?』
地獄の釜が開いたような、恐ろしい声が聞こえた。
傾いた西日が一瞬にして陰り、すべてが闇の底に沈んでいく。
日没まで……まだ1時間はあるというのに……。
「うるさい! 喋るなっ!」
声の方向に向かって、ソニアは糸を吐いた。
すでに声色から余裕は失われている。
生存本能が鳴らす警告。
それに従い、体内のありったけの毒を糸に絡めた。
アラクネ毒糸だ。
触れただけでドラゴンも死ぬ。
――シュン!
糸の束がアンズを直撃した。
ぐずぐずとリンゴが腐る。
ぐしゃり、地面に落下した。
『……う……あ……っ』
腐り落ちたリンゴを見つめ、アンズが声にならない嗚咽を漏らす。
「くくく♪ アルネ・ソニアの放つアラクネ毒糸よん♪ 掠っただけで致命傷♪ 直撃なら、遺言言う間もなく昇天♪」
『ひっぐ……うっぐ……』
「…………どう……して……まだ生きてるの……?」
ソニアは恐怖した。
身体中の毒をすべてぶつけた。
リンゴと同じく、すぐにぐずぐずに溶けるはずだった。
なのに――。
『よくも――』
アンズの身体から、怒りの影が迸る。
憎悪が紅蓮の炎のように地面を伝い、世界を包んだ。
しゅるしゅると、滅びの尾が伸びる。
『よくも……お兄さんのリンゴを腐らせたな――』
光が崩れていく。
空間に綻びが走り、空が割れた。
世界の影がアンズに味方している。
この世すべての邪悪が付き従っていた。
今の彼女なら、一日中夜にできるだろう。
金貨3000枚のお尋ね者程度では、その相手は勤まらない。
『お兄さんから貰った大切なものなのに……。――殺してやる――……』
――ヒュン!
尾の一つがソニアを狙った。
即座に繭玉をぶつけ、軌道を逸らす。
「――ひっ!?」
ソニアの蜘蛛の足4本が、なくなっていた。
尾の軌道は確実に逸らされていた。
掠ってすらいない。それなのに。
2撃目が撃ち込まれる前に、ソニアは街人の一人を糸で串刺しにする。
相手はアンデッドだ。
規格外に強いが、ただのアンデッドなのだ。
そのまま街人を生け贄に捧げて、ソニアは唱えた。
「アルネ・ソニアが大地に加護を求める! グレータ・ヒール!」
温かい光が、アンズに向かって注がれた。
無敵と思われたアンズにも、致命的な弱点がある。
『……ヒール……使えるんだ……』
アンデッドは、ヒールでダメージを受ける。
でもそれは、普通のアンデッドの話だ。
『ジュッてするけど、そこまででもないね――』
アルネ・ソニアは誤解していた。
アンズという屍魔獣を、ただのモンスターだと思っていたのだ。
自分と同じ、モンスターだと。
――ヒュン!
次の一撃で、ソニアの身体の半分が吹き飛んだ。
激痛に身を焼かれながら、ソニアが叫ぶ。
「覚えておけっ! 鼓膜に叩きつけろっ!」
――ヒュン!
右足が吹き飛ぶ。
「いずれオマエ達は人間の敵になる――」
――ヒュン!
最後に左足。
ソニアは崩れた。
「その刻に――人の本性というものを知るが良い――ッッ!!」
――ヒュン!
虚無に溶けていくソニアの鼓動。
闇に吸われたアルネ・ソニアの存在は、跡形もなくこの世から消えた。
『……う、ぐ……ううう……』
あとには、子供のように泣くアンズだけが立っていた。
最強のアラクネを蒸発させたアンデッドとは思えない、か細く泣いているだけの、少女だった。
その頭を、ぽんぽん叩く少年がいる。
「なんだ、その。リンゴ……買いに行くか」
涙が止まった。
アンズは細い嗚咽を幾度か繰り返すと、顔を上向かせ、答える。
「――うんっ♪」
少女の笑顔は、明るく輝いていた。




