012 悪魔に残った祈り
シリウス・キテラは呪殺師だ。
金のため、欲のため、とにかく最低な理由で人を殺す。
男も女も子供も老人も殺した。
犬も猫もコカトリスも、亜人も獣人も、手抜かりなく容赦なく殺した。
キテラは追い詰められるのが好きだ。
王都の兵士、復讐に燃えるゴブリンやオークの群れ、自分以上に魔法を使い追跡してくるエルフ……。
自分が殺されかけながらも、すんでのところで相手を殺すのが好きだ。
あと一歩で勝てる、その表情が後悔で歪み、苦悶に歪みながら死んでいくのが好きだ。
ああ、でも、自分が何をされたのかわからず、死とはいったい何なのかが解らないまま呪殺されるのも……善い。とても善い。
とにかく人を殺めた。
亜人を殺めた。
モンスターも天使も悪魔も等しく殺めた。
夏でも冬でも真っ黒なローブを頭からかぶり、そのローブが血でどす黒く染まるのを好んだ。
自分が魔女になれたんだと、とても満足した。
胸のつかえが取れて、心晴れやかな気持ちになった。
気がつくとキテラは、自分が最強の呪殺師になってしまったのに気づいた。
キテラの姿を見るなり、人は逃げた。
関わり合いになりたくないと、彼女の前ですべての人間が善人になった。
彼女が近づいただけで、恐怖から自ら命を絶つものもいる。
先に死なれたのでは、殺せない。
途端に彼女は……つまらなくなった。
どうして? どうしてだ?
私は人を殺せる。
ドラゴンだって、天使だって、悪魔だって殺せる。
復讐しようと私に刃を向ける輩には、より残忍に冷酷に殺せる。
どうして誰も、私と戦おうとしない? 殺し合おうとしない?
この世にはもう……私が殺さなきゃいけないヤツが……いない。
人はどれだけ邪悪になれるのだろうか?
私はどれだけ邪悪になってしまったのだろうか?
これで限界なんて、私の人生はとてもつまらないじゃないか。
この世界は間違っている。
おかしい。
おかしい。
おかしい。
殺す相手が欲しい。
頭のオカシイパワーでもって、常人から外れた絶大なエネルギーで私に向かってきて欲しい。
それこそ、魔獣のような……そんなバケモノを私は求めているのだ。
ああ、恋しい。
1000年に一度の邪神の来訪。
そのときが訪れれば、私は……報われるのだろうか?
全力でもって邪神と殺し合いたい。
そして雑草を狩るみたいに、邪神の首をはねてみたい。
今の私は虚無だ。
おい、神よ、聞いているか。
私と互角に戦える相手を、寄越せ。
シリウス・キテラの望みは、すぐに叶った。
彼女の想像する最悪の、もっと上でもってだった。
…………。
……。
「さよなら、レンリ様――」
キテラが重石を蹴り飛ばすと、ロープが巻き上げられる。
すぐさまレンリの首に巻き付き、締め上げた。
「ぐ……ぁ……っ」
ロープが皮膚に食い込んだ。
腕を動かそうともがく。
指を首とロープの間に差し込もうとするも、身体の自由は奪われていて動かない。
白く美しいレンリの首が、縄で絞められていく。
「絞首刑のようにつるし上げるのは、好かないな」
キテラは巻き上げられるロープを片手で調節していた。
「こうして這いつくばったままでも、首を吊って死ねるんだよ。貴族の最期としては、ふさわしいと思いません? 犬みたいにね」
気道が閉まるか閉まらないかの所で、キテラはロープを止める。
「ぁ……ん……んんっ……ぁ――」
深い喘ぎと、艶めかしい喉の動き。
レンリは苦痛に顔を歪めて、唇から舌を差しだし空気を求める。
苦しい呼吸、上気する頬。
ふるふると、レンリの腰が、背中が、ビクビクと小刻みに震えた。
悦ばすように、キテラは彼女の細い腰に指を這わす。
「ふふ、いい気味」
キテラは嬲っていた。
純粋無垢な貴族令嬢が、四つん這いになって悶えている。
彼女の嗜虐心が満たされていくのを感じた。
「悪……魔……。貴方は、悪魔よ……」
喉を振り絞って、レンリが言った。
「そう、悪魔……ですか」
ここまで首を絞められたら、普通のお嬢様なら失禁して気絶してしまうというのに。
キテラはロープを緩めた。
レンリの気丈さに、興味がわいたようだ。
「悪魔はあなた達の方なんじゃない? 何? 自分の仲間にアンズーなんてバケモノを引き入れて。邪神討伐のため? 笑っちゃうわ、貴方が邪神と手を組んで、この世界を支配するんでしょ?」
「アンズちゃんは……違……う……」
「悪名高いレーゼイン家。人から魔法を奪い、奪った魔法の力で人を支配している。自分達が唯一魔法を使える人間だと、騙しながら。エルフ族の裏切り者ね」
キテラはフードを下ろした。
つんと尖ったエルフ耳を、レンリに見せつける。
「あなた達は迫害されているエルフ族を裏切った。今こそその罰を受けるべきよ」
「私が罰を受けるのは……貴方に……じゃないわ……。邪神を滅ぼして、そしたら……いくらでも……」
「あなたがアンデッドを召喚した時から、何かあると考えてたわ。だから暴走させて、どの程度の実力なのか試したかった。あんなもので邪神と戦えば、この世界は滅びる。まあ、私には……どうでもいいけどね」
「アンズちゃんは……関係ない……。アンズちゃんは……滅ぼさない……から……」
キテラの中に、いらつきが芽生えた。
この女はどうして……自分の命より、アンデッドの方を庇うのだろうかと。
なら、いいだろう。
キテラにある考えが浮かんだ。
舌なめずりしながら、レンリの耳元で囁く。
「人を打ちのめして、絶望させて、涙すら温く、生きていることを恥ずかしく思わせる」
キテラの吐息が鼓膜にかかるくらいに、近づき、言った。
「次はあのアンデッドを完全に暴走させて、王都ごと焼き払ってやるわ。地獄の底で、見ていることね」
「ねえ、教えて……」
「…………」
「貴方のそばに、誰がいるの?」
「…………」
「貴方の殺し方は手慣れてる。きっとたくさん殺してきたのね。でもそれで、誰の笑顔が見れたの? 貴方も人を殺して、笑ったことがある?」
「…………」
「貴方にあるのは、自分の影だけ。他に何もないのよ、可哀想にね」
「私は――私は――ッッ、可哀想なんかじゃないッッッ!!」
もうお遊びは終わりだ。
完全に手からロープを離して、レンリを宙に吊った。
本来なら土下座させたまま殺したかったが、頭に血の上ったキテラには自制ができなかったのだ。
「さっき……誰もいないと言ったわよね」
巻き上げられるレンリを見ながら、キテラは呟く。
「影だけは、私を裏切らないわ」
『――それはどうかな…………』
不思議な声が裏路地に響くと、世界の影が歪んだ。
――ヒュン!
一閃。
レンリのロープに光の線が重なると、巻き上げられた身体が崩れる。
落下した身体は、少年の手によって受け止められた。
「間一髪って、ところだな」
退悪の剣を手にした、コハルだった。
「どう……して……」
数歩後ずさりながら、キテラは頭を振る。
ありえないと、心で今の状況を否定した。
この裏路地は彼女の結界の中。
侵入なんてできるはずがない。
エルフが数十人がかりでないとこの結界は破れないのだから。
シリウス・キテラは呪殺師だ。
しかも並の呪殺師ではない。
それがすんでのところまで彼女に気づかれずに、結界内に入り込むなんて……そんなことはあり得ない。
『あはぁ♪ ビックリさせちゃいました~』
揺れ動く波が、空間を歪めた。
さざめきと揺らぎの中で、少女の形が形成されていく。
(これは……影渡り……)
超上級魔法だ。
エルフ数十人どころか、マザーツリーの力を使わなければ発動できない。
それを……こんな小娘が……。
詠唱も触媒も生け贄もなしに……そんな――あり得ない!
キテラは酷く混乱していた。
コポコポ。
世界の影が沸き立つと、その中から三本の尾が出現する。
先ほど王都を死の世界に変えた、あの尾だった。
「アンズ、加減してくれよ」
『今度は大丈夫だよ、お兄さん』
形成される尾に向かって、キテラはありったけの魔法を打ち込んだ。
どす黒い殺意の塊が、剣となって叩きつけられる。
――無駄だな――
左眼が、嗤った。
――屍魔獣はこの世に存在する呪いそのもの、呪殺魔法ではかえって増長させるだけだぞ――
魔法は吸収された。
コポコポコポ……。
不気味な泡音を響かせて、尾が増殖する。
闇に対して闇の属性を打ち込んだからだ。
「――だったらッ!」
殺意の弾丸を、コハルに向かって打ち込んだ。
アンデッドを倒せないのなら、隣の少年だ!
――ヒュン!
一閃。
退悪の剣が振られると、魔法が消失した。
『お兄さんに魔法を向けたな。お兄さんを……よくも……』
地獄の底から沸くアンズの呪い。
キテラの両足は、尾によって囚われた。
(なんだ……何が起こったんだ?)
シリウス・キテラは恐怖した。
生まれて初めて、本気の後悔と絶望を味わった。
それは本来、生き物が供えていなければならない当然の感情。
迷い、戸惑い、後悔、そして恐怖。
それでいいのだ。生き物として、当然の感情だ。
アンズという規格外のアンデッドに出会えて、ようやく……シリウス・キテラは悟った。
ようやく、人間になれたのだ。
(落ち着け……横の剣士はどうだっていい。問題は……あのアンデッドだ)
(ヒールだ。ヒールを……)
そこで、シリウス・キテラは気づいてしまう。
彼女が呪殺師として生きてきて、彼女が最強だったからこそ、必要なかった魔法……。
人を傷つけ、殺すためだけに生きてきた彼女に、必要なかったもの。
(――私……ヒール……覚えてない――)
シリウス・キテラの眼から、涙がこぼれた。
アンズの三本の尾がシリウス・キテラを捉えた。
呪殺師の動きは止まる。
「ひ――……人の皮を被った――悪魔め!」
数多の罪なき人を葬った呪殺師の、最後の叫び。
『抑えたよ。お兄さん……コイツ……殺して……』
アンズの冷たい、見下すような言葉。
コハルはレンリを地面に下ろすと、退悪の剣を握りしめる。
そして、その刃を首筋に向けた。
(ああ、終わった)
キテラは涙を流していた。
(こんなに簡単に、最強の自分が打ち破られるなんて)
冷たいキテラの頬の上を、温かい涙が伝っていく。
(どうか神様、苦しまずに終わらせてください)
(それが悪魔になり果てた私の、哀しい祈りです)
……ぽちゃん。
涙が頬を伝って、コハルの刃の上に落ちた。
「アンズ……。離してやれ」
『何を……何言ってるの、お兄さん……。コイツはお兄ちゃんを、レンリちゃんを――』
「離してやれ」
『わかった』
アンズの尾は消失した。
影が解かれて、キテラは地面に落下する。
「ねえ、少年。どうして……私を助けたの……?」
「……」
コハルは退悪の剣を解放させると、レンリの肩を担ぐ。
「死にたくなさそうだったから――」
コハルとアンズが、裏路地を離れる。
キテラは三人の姿を、涙を流しながら見守っていた。
彼女の胸の中に、不思議な、じれったいようなポカポカしたものが現れた。
シリウス・キテラは、生まれて初めて恋をした。
もう呪殺師は、続けられない。




