011 金のためなら人の命なんてなんとも思わない呪殺師
ランプに照らされたように、ぼやけた映像が見えた。
時折、夢だと気づく夢がある。
この映像はきっと夢だ。
そのくらい薄ぼんやりしていて、現実味がない。
『尾っぽの方は停止させました。これで良かったのですね、エンリ様……』
映写機のフィルムが回り始めるように、映像が動き出す。
喋っているのは……あれは……きっと……。
『眼持ちの少年と出会いました。融合はまだ果たしておりません。正直、私はまだ判断に迷っています……』
先ほど出会った正義の味方。
ハーフウルフの少女だ。
『ねえ、アササギ。この世で一番美しい物って、何だと思う?』
エンリ様と呼ばれる美しい女性が、話し始める。
ここからでは後ろ姿しか見えない。
だが、上質そうなローブをまとったその姿は、後ろ姿だけでも高貴な人間なのだと判断がついた。
女性が髪をなびかせながら、言った。
『この世界が滅びる瞬間よ。私は生きている間に二回目が見れるって、心底わくわくしているわ――』
『まったく。エンリ様は趣味の悪い。だから眼持ちの少年なんてものを、この世に寄越したのですか?』
こいつら一体……何の話をしてるんだ……?
先ほどのアンズの映像と一緒だ。
いきなりこんなもの見せられたって、こっちはどうすればいいかわからない。
左眼、これはオマエの見せる幻影なのか?
フィルムの回転が低下するみたいに、映像の動きがカクつく。
世界に霧がかかって、どんどん判然としなくなる。
『前回のように不完全な最後はね、嫌なの。世界をきちんと終わらせるために、眼持ちを呼んだのだから』
『私は、エンリ様の考え……理解しかねます……』
エンリ様はハーフウルフの少女の顎を指先で撫でると、耳元で囁く。
『世界は終わって欲しいわ。じゃないと”神”である私は、永遠に死ねないの――』
映像は、途切れた。
…………。
……。
ガタゴトと、馬車が揺れていた。
少しだけ眠ってしまったのか、コハルはごしごしと目元をこする。
「ああ、起きたのね。まだ寝ていて良かったのに」
コハル達は馬車に乗せられ、王宮に向かっている最中だ。
先ほどレンリが乗っていた物とは違う、幌突きの立派な馬車。
馬車を引くコカトリスはニワトリ頭ではなく鷹で、その名に恥じぬよう羽が生えている。
「戦闘用のコカトリスなのよ。私のものより、体力があるしいざとなれば飛べるわ」
レンリが馬車の幌から外を眺めると、不審な影に気づく。
「……つけられてるわね」
馬車と併走するように、怪しげな風貌の男が通りを進んでいた。
アーケードの柱や人影を縫いながら、ぴったりと馬車をマークしている。
「レンリ。オマエ、恨み買いすぎだろ」
「私は私なりに、この世界に順応しただけよ」
レンリは貴族として、横暴な振る舞いをしている。
厳しい身分制度のある世界では、それは当然の物なのだろう。
誰しも、非難することはできない。
何者にもなれずに転生してきた、コハルは……特に。
「私が貴族としての特権を行使してなきゃ、今頃コハル君はアンズちゃん諸共、牢獄行きよ。アンズちゃんは何十人も殺してしまった。貴方は、その責任を取れるの?」
「それは……」
「気にする必要ないわ。この世界は異世界ですもの。人の命よりも、身分が優先されるの。いい? 気にしちゃ絶対ダメよ?」
レンリが馬車の横を歩く兵士に、合図を送った。
即座に兵士は走り出し、不審者に向かって突進する。
兵士と不審者はそのまま、路地の裏に消えていった。
「殺される前に、殺す。私がこの一週間で学んだ、すべてよ」
「どんだけ命狙われてんだよ、オマエ……」
「貴族に生まれるというのも、大変なのよ」
近衛師団の軍用馬車だ。
これに乗っている限り襲われることはないだろう。
王宮まで連れて行って貰えれば、装備や資金などの援助も貰えるかもしれない。
今よりも状況は良くなるはず。
そうコハルは考えていた。
と、そこで。
ぐ~~~~。
とコハルのお腹が鳴った。
「ふふ、お腹空いたのね?」
「何にも食べれてないんだ。結局……」
アンズのコーヒーも飲み損ねていたなと、コハルは思い出す。
「ねえ、兵士さん」
レンリは幌を開くと、コカトリスを操る兵士に声をかける。
「少しばかりお散歩、よろしいかしら?」
レンリの持つ宝玉が光るのと同時に、兵士は眠りに就いた。
「快諾していただけてよかったわ」
「全然してねぇ! してねぇから!」
すとんと、レンリは馬車から降りる。
ちらりと後ろを振り返ると、馬車の中で眠りこけるアンズの姿が見えた。
起こさないで二人で出ましょう。
そう、レンリが身振りで合図した。
オアシスの街を、レンリと二人で歩いている。
先ほどゴロツキによって中断させられた、探索の続きだった。
「伝令が王宮に走ったでしょうから、あまり時間も使えないわ。何か食べたら、すぐに馬車に戻りましょう」
「何か食べたらと言われても……」
何を食べれば良いのかと、コハルは周囲を見渡した。
「新宿ゴールデン街のホルモン専門店みたいな店が多いな」
「ここは飲み屋街みたいなところだから、王宮に近づけばもっとおしゃれな店がたくさんあるけど……」
肉の焼ける上手そうな匂いが鼻をかすめた。
匂いをたどると、そこにはイモリのような……は虫類感あふれる何かが焼かれていた。
どうしよう、オレ……この世界でやっていけるのかな……。
「それ、ヤモリンっていうのよ。鶏のもも肉に似て美味よ」
「オマエ……まさか食ったのか?」
「私好き嫌いしない子だから」
肉の焼ける匂い。
飛び散る塩気と、野菜の出汁の匂い。
食欲をそそるそれらの匂いに混じって、お香のような、不思議な匂いが漂っていた。
「あら……不思議な……香り……」
漂う匂いに、レンリがうっとりと顔をほころばせる。
「先発でレンリが来てくれててよかったよ。助けてくれるなんて、優しいんだなオマエ。オレ一人だけだったら――」
「――ストップ。いつ私が、貴方を、助けるって言ったの?」
「そんな遠慮するなよ。そりゃ元の世界では汚ったないオッサンでもゴミクズの存在だったけど」
「ねえ、コハル君。食べたい?」
イジワルそうな眼で、レンリがコハルを見つめる。
「食べたいです。お腹が空いたんです、助けてくださいレンリ様」
もはやプライドなどないコハル。
レンリの思惑をかぎ取り、低頭平身で懇願する。
「ふふ、よろしい」
満足げにうなずくと、レンリは財布を取り出し出店に向かう。
「硬貨の誕生はリディア王国のエレクトラム硬貨が最初かと思ってたけど、この世界にだってあったわ。歴史なんて、案外不確かなものなのね」
銀色の棒のようなものを店主に差し出し、ヤモリンと交換する。
店主は金属棒を計りで計ると、パキン、必要分量だけ切り取り残りを返した。
「硬貨には切れ目が入っててね、目方を量って切り取るの。不便でしょ?」
はいっと、レンリからヤモリンを差し出される。
どうしよう……と、コハルは困惑した。
コハルはシャコはおろか、イナゴの佃煮すら食べれない男である。
は虫類はちょっと、の顔をしてると……。
「コハルく~ん。目をつぶって~。レンリお姉さんが食べさせてあげるね~、はい♪ あ~ん♪」
――ぱく。
強引に、ヤモリンが口の中に突っ込まれた。
むぐ……むぐむぐむぐ。
「あ、これ、焼き鳥の味だ!」
目を瞑って食べればイケることに気づくコハル。
「いいな~。おいしそ~。はわぁ、アンズ……お腹空きましたぁ」
目を開けると、物欲しそうに指をくわえるアンズがいた。
いつの間にという感じである。
「よかったら、アンズちゃんも食べる?」
「はわぁ~♪ いーんですかー?」
「再開の記念よ。お腹いっぱい食べていいから」
コハルは、嫌な予感がしていた。
レンリ……オマエは……アンズの胃袋の恐ろしさをしらない……。
5分後。
出店のヤモリンを片っ端から食べ尽くし、レモン、ザクロ、リンゴとフルーツに手を出している。
いくらオアシスの街とはいえ、果物は貴重品で高価だった。
「はは……アンズちゃん、よく……食べるのね……」
貴族ですら驚愕する、アンズの食費。
「そういえばアンズ、さっきから日向を避けてるけど、どうしてなんだ?」
「はわぁ。アンズ日の光が苦手なので! お日様に触ると皮膚がじゅってするんです!」
ヒキコモリが太陽の光を感じると、痛いと思うあの感じらしい。
わかるぞ、すごいわかるぞ、とコハル。
「本当にアンデッドになっちまったんだな、アンズ」
「でも、苦手なだけで日の光に触れること自体は大丈夫なのよね」
見たところ、髪の毛や肌が白くて人形っぽいところ以外は人間だった。
30メートルほど離れたところから見ればきっと人間に見える。
近づくと、この世の物ではないので、一発でアンデッドと気づかれるが。
「それ、全然大丈夫じゃないわね」
「言うなよ、レンリ」
「案外、今回王宮に呼ばれてよかったかもね。王様にアンズちゃんを認めて貰えれば、この国でガミガミ言ってくる輩は――」
「ねーねー、レンリちゃんレンリちゃん」
レンリの言葉を遮り、アンズがスカートの端を引っ張る。
「どうしたの?」
「さっきからあのオジサンが、じっとレンリちゃん見てるよ」
アンズの視線を追うと、そこには……ゴロツキの頭領が立っていた。
くそ、気づかなかった。
巧妙に人混みに隠れて追跡してきてたんだ。
でも、アンズはよく気づけたよな。
ゴロツキはこちらの視線に気づくと、慌てて手を振る。
「おいおいおい! 待て待て! 敵意はない! 本当だ!」
先刻のアンズの暴走を見て、相手は戦意を喪失していた。
「てっきりレンリを誘拐しに来たのかと思ったぞ」
「そっちにアンデッドがいる限りは無理だ。こっちの命張ってまで、依頼主に従う義理もねーしな」
思考パターンがゴロツキそのものだった。
相手が自分より弱ければ容赦なく襲いかかり、強いと解れば依頼すら守らない。
「そんなに怖いかね、コイツ」
アンズの頭をぽんぽん叩くと、ゴロツキは怯え始めた。
「こ、怖ぇぇぇぇよ! 死だぞ、死!? 怖くてたまんねーよ!!」
先ほどの魔獣化がよっぽどショックだったのだろう。
アンズは立っているだけで、ゴロツキ頭領に絶大ダメージが通るみたいだった。
「レンリ誘拐するんじゃなけりゃ、何しに来たんだよ? まさか、レンリに欲情したのか?」
「誰が欲情するか! してほしけりゃ胸元の緩い人妻風のを寄越せや!」
人妻というワードが琴線に触れたのか、コハルはゴロツキ頭領に近づくと、くるりと振り向く。
「そうだぞレンリ! 貴族の割に貧相な胸しやがって! 人妻の色気もってこい! 人妻の色気!」
「コハル君……貴方は、どっちの味方? てゆーか胸の件に触れたらコロスわよ……」
ォオオオオオオオ――!!
貧乳の件に触れたせいか、レンリの魔法攻撃力が上がった。
「よせよせよせ! だから、敵意はないって言ってんだろ!」
「じゃあなんでレンリを見てたんだよ」
ゴロツキは周囲をきょろきょろ見回しながら、コハルに耳打ちする。
このゴロツキ、先ほどから様子がおかしい。
「俺達は盗賊ギルドだ。だから、自分の命を危険に晒してまで、クエストなんて行わねぇ」
「だったらどうしてレンリを見てたんだ? もう諦めたんだろ?」
「だけどな、いるんだよ。自分の命よりも、クエスト優先する頭のブチキレたヤツが」
「そりゃ、おっかねーな」
「俺達盗賊ギルドが失敗したのを、依頼主は見てた。そして……もっとヤベーヤツに依頼を出したのさ」
ちょいちょいと、アンズに服の裾を引っ張られる。
「どうした? 今話の途中なんだ、あとにしてくれないかアンズ」
こくんと頷くアンズ。
「で、そのヤベーヤツというのは?」
「あー……えっとだな、暗殺専門の集団で。しかもタダの暗殺じゃねぇ、呪殺だ。ソイツがレーゼイン家の女を追っててな。これからどうなるものかと、見物してたのさ」
「そうかそうか。レンリも災難だな……って、レンリ?」
レンリの姿が、忽然と消えていた。
「レンリちゃん、さっきふらふらどっか歩いて行ったよ」
「どうしてそれを早く言わない! アンズ!」
「はわぁ。だって、お兄さんがあとにしてくれって!」
いや……確かにそう言ったけど。
「こりゃーもう死んだな。相手は呪殺師だ。ふらふら歩いてる段階で、相手の術の中よ。きっと変な匂い嗅いだろ。それだよ、それ」
「オマエもさっさと言えよ! 毎回毎回大ピンチだろ! レンリ!」
コハルとアンズは、はじかれたように走り始めた。
…………。
……。
(ここはどこだろう?)
(私はどうして、一人で歩いているのだろう?)
(どうして路地裏を? コハル君は? アンズちゃんの姿も見えない? どうして……)
角度の傾いた日差しが、路地裏に差し込んでいる。
壁一面に広がった紅色の色彩が、まどろむようにゆらいでいた。
ふらふらと、レンリは人気のない小道を進んでいる。
いくつかの角を曲がると、そこには少女が立っていた。
(この子は……さっき……塔の上にいた……)
「お待ちしておりました。レンリ様」
レンリは導かれるように少女の前に進むと、そのまま跪く。
不思議な香りに包まれて、レンリの思考は暗闇そのもの。
身体の自由は、完全に奪われている。
黒衣の少女は、その手にロープを握っていた。
ロープの端は輪になっており、もう片方は頭上の滑車を経由して支え木に繋がっている。
首つりにぴったりなロープだった。
「貴方は……さっきアンズちゃんをコントロールしてた女ね。こんなことをしてただで済むと思ってるの? 今すぐ衛兵を呼ぶわ!」
黒衣の少女は跪いたレンリの首に、ロープをくぐらせる。
「困りますねぇ、衛兵を呼ぶなんて。私とっても恐がりなので、ビビッて殺してしまいそうです」
ぐっぐっと、少女はロープを引っ張りテンションを確かめる。
少女の足下には重石がある。
蹴り飛ばせば、レンリは一瞬にして宙づりだ。
「目的は……何?」
「ふふ……目的……ですか。ありませんよ、そんなもの」
少女の冷たい視線が、レンリを貫く。
「あなたこのまま、首を吊って死ぬんです。私はそれを眺めて楽しむ。それだけ」
少女はロープを握ったまま、たおやかに微笑む。
見るものすべて凍らせるような、ヘビの視線。
「あ、でもそうですよね。助けを呼んでも死ぬし、呼ばなくても死ぬ。同じでしたね、ふふ――」
もったいぶるように、少女はレンリの首筋に手を這わす。
美しい皮膚をひっかき、爪痕を残した。
まるで自分の得物だと印をつけるように……。
「さよなら、レンリ様――」
言い終わると少女は、足下の重石を蹴り飛ばした。




