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010 アンズ、殺戮の結果


「しっかし、まったく進展がねぇ!」


 退悪の剣(エゾロディネガル)を受け取ったコハルが、物陰から飛び出す。


 ――尾の一本はこちらでなんとかしてやる。主、残りは貴様でなんとかしろ――


 尾の残りは二本。

 一本は左眼が、もう一本は退悪の剣(エゾロディネガル)で片付ければ良い。

 状況は好転している……はず。

 これなら、やれる!

 だが……。


「早くなんとかしてよぉっ! こっちもう持たないのに~っ!」


 レンリは完全に追い詰められていた。

 宝玉を握りしめたまま、風の魔法を使い続けていた。

 彼女の魔法が停止したなら、この区画の人間は全員アンズの放つ瘴気で死ぬだろう。


 尾が大きく波打ち、レンリに向かった。

 レンリが光弾の魔法を尾に打ち込む。

 だが、小石をぶつけるほどの効果もない。

 家屋が爆ぜ、火閃を撒きながら尾は進んだ。


「左眼っ!!」


 ――承知した!――


 左眼が閉じた。

 地響きと共に空間がよじれる。


 ズズン!!


 尾の一本がちぎれた。

 きしみよじれ、空間が潰れた。

 煙が舞うように影が散り、尾は消える。


 尾は残り一本。

 あと10メートル近づけば、退悪の剣(エゾロディネガル)が届く。


 ――駄目だ主! 間に合わん! 二発目を打つ!――


 残り一本の尾が、レンリを射程に捉えていた。

 こちらの足よりも、アンズが振り下ろす方が早い。


 左眼が攻撃を仕掛ければアンズが死ぬ。

 アンズを助ければ、レンリが死ぬ。


 どうする?

 どうすればいい!?

 コハルは選択を迫られていた。


 視界が緩く動いた。

 破壊された街。

 朱色に染まった空。

 熱風に晒された世界。


 ――ドクン。


 心臓が高鳴ると、目の前が歪む。


 ――ドクン。


 尾の動きが遅い。

 いや……コハルの動きが加速しているのだ。

 壮大な炎が目の前に広がっている。

 炎が揺らぎ、視界がかすむ。

 幻影が、目の前を掠めた。


 ――ドクン。

 ――ドクン。

 ――ドクン。


 ……なんだこれ?

 コハルの思考の中に、何かが流れ込んでくる。


 冷たい風。

 舞い散る雪。

 吹雪。

 寒い――。


 深い雪に覆われた常緑樹の森。


 腰まで雪に埋もれながら、少女が一人歩いている。

 震えた顔の少女。


(あれは……アンズ……? どうして……?)


 血濡れの足。

 寒さで身を凍えさせながら、少女が歩いている。

 身体中に槍が、剣が、矢が……突き刺さっていた。


「私には、なんの価値もないの……?」


 少女が喉を鳴らした。


「お兄さんは、どうして私を見捨てたの……?」


 血の涙が一筋、流れた。


「私はもう誰も信じない」


 雪路に血の足跡が続いている。


「ああ、もう」


 時間の環に閉ざされた少女。


「お兄さん……。どうして、迎えに来てくれないの――?」


 寂しそうな横顔。


「だって、お兄さんは……私を……守ってくれるんだから――」


 心象風景の中に、コハルは少女の悲しみを見た。

 これはアンズの記憶?

 いったい、どういうことだ?


 …………。


 ……。


 吹雪の底から、意識が戻った。


 アンズはただの女の子なんだ。

 それが、いったい……どうして……。

 どうして屍魔獣アンデッドなんかに……。


 アンズの尾は残り一本。

 剣は届かない。

 今ここでアンズを殺さなければ、レンリが死ぬ。


 だが……。


 ――手向たむけを放て! 主!――


 コハルは、左手を押さえた。


「レンリ! オレに向かって魔法を使え!」


「……えーっと、はい?」


 レンリの頭に、大きなハテナが浮かんでいた。


「いいから使え! 全力で撃て!」


 膂力りょりょくのすべてを使い、コハルは跳躍んだ。


「ああもうっ! バカッ!!」


 コハルの覚悟を察したのか、レンリの中から躊躇が消えた。

 宝玉をかざし、詠唱する。


「我と契約せしめし精霊よ! カナンの地に住むブルナ・ブリアシュよ! アテンの宝玉を持ちてレーゼイン家血統のレンリが命ずる! テル=エル=アマルナ!」


 紅色の火閃が散った。

 数十メートルの火柱が上がり、爆風が周囲を灼く。

 衝撃波が走り、家屋が、露天が吹き飛んでいく。


「よくやった、レンリ!!」


 コハルは爆風に乗せて、上昇する。


 ――手伝おう、主――


 左眼が瞬く。

 空間が圧縮され、漆黒の尾との距離がゼロになる。


「――目を覚ましてくれ! アンズッ!!」


 コハルは退悪の剣(エゾロディネガル)を構えた。


「オマエは……バケモノなんかじゃないっっっ!!」


 白刃を煌めかせ、尾の一つに一閃を加える。


「――アンズ!! 元にっ、戻れぇえええええ!!」


 左手の邪眼が光ると同時に、漆黒の尾に刃が刻まれる。

 光の列が煌めき、尾の中に吸い込まれた。


 ――ズン!


 直撃を受けた魔獣は尾をなびかせ、沈んだ。

 砂煙が上がるのと同時に、最後の一本が収縮していく。


「――ひゃん♪」


 間抜けな悲鳴が上がったあと、尾は消え少女に戻った。

 ずべーっと、両手を突っ伏して倒れる。

 すさまじい街の破壊を行った魔獣にしては、あっけない戻り方だった。


「はあはあ……。やったか?」


 レンリがアンズに駆け寄り、身体を抱き起こす。

 震えを帯びた声で、アンズが喋る。


「なんかすっごい全身痛い……ぐふ……」


 頭がこてんと落ちた。

 気絶したみたいだ。


「大丈夫、息はあるわ。よかった」


 ほっと、レンリが胸をなで下ろした。


 だが、まだ終わっていない。


 鐘楼を見上げる。

 正義の味方の少女が、黒衣の魔女に一撃を加えていた。


 バサッ。


 魔女のローブが地面に落ちる。

 中身は空だ。

 分が悪いと解って、とっくに逃げ出していたのだろう。

 結局誰がこの事件を起こしたか、解らずじまいか。


「…………」


 少女が鐘楼からこちらを見下ろす。

 両手を狐にすると軽くウィンクして、物陰に消えた。


「というわけで、これで一件落ちゃ……ぐふ……」


 コハルも、膝から崩れた。

 ラジオ体操第一すら、完走すると息の上がる人間である。

 伝説の武器を与えられ、人間離れした挙動で魔獣アンズと戦えば、身体中バラバラになったとしてもおかしくはない。

 体力を使い果たして倒れるだけで済んだのは、奇跡だ。


 パキパキパキ……パリン。


 コハルが倒れるのと同時に退悪の剣(エゾロディネガル)は崩れ落ち、消えた。


「ねえ、コハル君。まだ終わってないみたいよ」


 顔を上げたコハルの前に、フル武装の兵士達が立ち塞がっていた。

 フルフェイスの兜越しでも、青筋が浮かんでいるのがわかる。


「貴様らが街で大暴れした魔獣の持ち主か!?」


「我らは近衛師団! 王宮までご同行願おう!」


 兵士様達はガチギレでございました。

 コハルは辺りを見回す。

 全壊商店家屋30、半壊家屋5。けが人……多数。

 死者……かなり。

 これで通って良し、になるわけがない。


 黒衣の魔女に操られてたと言い訳しても……。

 って、あの正義の味方消えてるし。

 これじゃ証人いねーじゃねーか、使えねー。


 コハルは、もうどうにでもなれと投げた。

 ニート気質の抜けきれない男だ。


「待ちなさい」


 だが、そうは思わない人物が一人だけいた。

 レンリである。


「私はレーゼイン家血統であり、次期当主レンリである! 近衛師団とはいえ、私に手を触れるなど無礼千万! 道を空けなさい! 今すぐ!」


 凜とした声が響き、思わず兵士達がたじろぐ。

 まったくレンリのヤツ、一週間しか早く転生してないのになんだこの気迫。

 転生する前もあともゴクツブシでしかないコハルは、そう思った。


「平民の命など、このレーゼイン家血統の尊さに比べれば微々たるもの。損害の保証はレーゼイン家が行います。何か、問題でも?」


 人の命が軽い世界だった。

 貴族一人の命のためなら、平民は何百人と犠牲になっても構わない。

 だから恨まれ、命を狙われる。


「彼女は邪神と戦うための召喚獣です! 兵士1000人の命よりも重い! どきなさい!」


 隊長とおぼしき男が、ちょっと下手に出ながら話し始める。


「い、いくらレーゼイン家次期当主様とはいえ、この惨状で素通り……というわけには。王に謁見してくださるだけで構いませんので、その……形だけでも……」


 手をすりすりしながら、隊長がぺこぺこ謝ってる。

 すいません、すいません。

 と、中間管理職の板挟みと悲哀が、頭の下げ方に宿っていた。

 レンリ……オマエ……どんな転生の仕方したらこんな優遇受けられるんだよ……?

 さっきまでゴロツキに殺されかけてたくせに。


「……わかったわ」


 レンリがうなずくと、兵士達が道を空けた。


「ちょっと厄介な展開になっちゃったけど、すぐ終わらせてしまいましょう」


 と、レンリが耳打ちする。


 アンズが担架に乗せられ、兵士達に運ばれていった。


「次からは容赦なくアンズちゃんを殺すことね」


「……レンリ。やめてくれ、そういうの」


「まだ何が起こったのかは正確にわからない。不審な魔女がいたのも事実。でも、それでアンズちゃんが暴走していい理由にはならない」


「……」


「何か言ったら? コハル君」


「レンリ。君の言うことは……正しい」


 でも、違う。

 どれだけ罪を背負おうとも……。

 アンデッドだとしても……。

 アンズは……泣いてたんだ……。


「でもね………」


 レンリは頬を染めながら、コハルを見つめ。


「ちょっと見直したわ」


 と言った。



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