似たもの同士のポンコツと世話焼き
晃一と千沙都の約束が密かに交わされた後、他の家族が全員外出しているため夕食を二人で食べながら、現在の千沙都の成績が実際にどの程度のものなのかを晃一は確認した。
だが、千沙都の成績は順位から晃一が想像していたよりも遥かに悪かった。
それは意識せず自然とテーブルを囲んで二人で食事をしているということに気づくことができないほどの衝撃であった。
千沙都からは現代文と現代社会の成績が特に悪いと聞いていたが、試しに他の教科の成績も聞いたところ、半数近くの教科が50点台という少し学習をサボれば即赤点行きになりかねないという状況だったのだ。
これで千沙都よりも更に80人近く成績が悪い人間が言うというのだから始末に終えない。しかも学年最底辺の成績者の一人には晃一の友人の真吾もいるのだ。晃一はまだ一学期にも関わらず、来年度に同じ学年に真吾がいるのかが既に不安になった。
だが、現在最も優先すべきは千沙都の成績向上兼赤点回避。ひとまず友人の心配は頭の隅に追いやり、そそくさと夕食を食べ終えて、洗い物を片付けた晃一は自室へと向かった。
机の上に置かれたいくつかの学習ノート、それから授業で配布されたプリントをまとめたファイル、筆記用具を手に取り晃一はリビングへと戻った。
「……おい」
だが、戻った先で晃一を待っていたのはお腹が満たされて幸せな表情を浮かべながらソファに寝そべる千沙都の姿であった。
わずか数時間前の宣言はどこへやら、既にくつろぎモードを漂わせて無防備な姿を見せる千沙都。これまで、一度だってそんな姿を晃一の前で見せたことなどなかったため、晃一は驚きを感じたがそれ以上に呆れの感情が勝った。
それは思わず持ってきた学習ノートのひとつを丸めてくつろぐ千沙都の頭を叩くほどに。
「痛っ! ちょっと、急になにするのよ!」
「うるせえ! 自分の胸に聞いて見やがれ! お前実は俺のことからかってるだけだろ!
そうじゃないなら、その態度で赤点取らないなんてよく言えたものだな!」
「うっ……。それはあんたの作った夕飯が思っていたよりも美味しくてつい食べ過ぎちゃって。
ほら、練習もあって疲れてるし眠気もきたから」
「素直な感想ありがとよ! でも、それとこれとは話が別。
俺はさっき言ったよな。お前が俺の提案を引き受けたらお前が嫌だって言っても無理やりにでも成績をあげてやるってな」
「そういえば、そんなことも言ってたような」
「覚えていない振りしても無駄だからな……。
とりあえず、まずはこの間の中間試験の前にもらった小テストのプリントが各教科あるから、それをやってみろ。
国語、英語、数学、生物、物理、現社。そうだな、小テストだから各20分で二時間。
ひとまず今日はそれで今のお前の学習状況の進展度を詳しく把握して、明日からの対策を考える」
自己学習用に各教科担任からもらっていた中間試験前の小テストプリントを晃一は自室から持ってきたファイルから取り出し、テーブルの前に積んでいく。その光景を見て心底嫌そうな顔をしながら千沙都は晃一に問いかける。
「20分×6科目って……二時間も家で勉強しないといけないの?」
「二時間もってお前よくそんな考えで受験受かったな? 一応三山高校って進学校のはずだろ」
「いや、受験のときは美咲姉が付きっ切りで勉強見てくれてたから……」
その言葉を聞いてなるほどと晃一は納得した。たしかに面倒見のいい雰囲気は日頃の生活を見ていて美咲から常々感じていた。美咲は晃一たちと違い、三山高校ではなくこの地域でも有名な女学院に通っている。
そこは生活態度だけでなく成績も高水準を維持しなければならないため、そんな学院に通っている美咲が受験の時期に付きっ切りで教えていたのであれば、一時的に成績の上昇が見られても不思議ではなかった。
「なるほど。つまり今の千沙都は受験まで必死に詰め込んだ付け焼刃の知識がどんどん抜け落ちて要ってるってことだな?」
「まあ、そういうことになるかも……」
思ったよりも事態は深刻なのかもしれないと晃一は思わず頭を抱えた。しかし、嘆いていても状況が好転するわけではない。ひとまず、不満を口にする千沙都をソファからテーブルに移動させ、小テストを始めさせる。。
「とりあえず、最初は国語から始めるぞ。ほら、シャープペンと消しゴム。一科目が終わるごとに五分は休憩時間とるから、そこでちょっと息抜きしろ」
携帯のアラーム機能を使用して各科目の制限時間を設置する。
「試験、開始!」
実際の試験の試験官のように始まりの合図を告げると、それまで不満そうにしていた千沙都もいい加減に観念したのか小テストに取り組み始めた。
それから二時間。各科目の小テストを千沙都が取り組んでいる間に一つ前に終了した科目の採点をしながら、各科目で千沙都が苦手にしている分野を晃一は分析をし、メモを取っていった。
最終科目である現代社会が終わると同時に千沙都はぐったりとした姿でテーブルからソファへと移動してそのまま死体のように倒れこんだ。
そんな千沙都を一瞥し、溜息を吐く晃一。最後の科目の採点と分析を終えた晃一は一度自室へと戻り、新品の学習ノートを一つ持ってきた。そして、その表紙に『千沙都成績向上ノート』と記載する。
(ひとまず、今日はこれくらいにしておくか。今の小テストである程度今後の対策傾向も見えてきたし)
まさか二時間程度の勉強で千沙都が限界を迎えると思っていなかった晃一ではあったが、部活終わりということを考えれば確かに疲れてる状況から勉強するのも当然かと納得する。
身動きもとらずうつ伏せのままピクリとも動かない千沙都の姿に本日何度目かになるかわからない溜息を吐き出しながら晃一は席を立ち、冷蔵庫に向かい中からある物を手に取る。
「お疲れ。今の小テストでお前の現状の実力と苦手にしている箇所のおおよその目安はついたから今日はここまでにしておく。
ほら、これでも食え。頭使ってるからきっと旨いぞ」
そう言って晃一が手渡したのは2本一セットのパピコの片割れだった。先日、学校帰りにコンビニで買ってきたものだ。
「……ありがと」
意気消沈し、僅かに顔を上げて晃一から手渡されたアイスを千沙都は受け取る。チューチューと赤子のようにまだ凍っているアイスを吸い上げて食べていく。
ソファの前に座り、晃一もまた手に持ったアイスを食べ始めた。そして、今後の千沙都の勉強方法について考え出す。
(まだ、千沙都の性格をよく知っているわけじゃないけれど、こいつは多分自分に必要であれば嫌だと思っていても最後まで頑張る性格だ。
ただ、どうしても嫌なことをやるっていうのは抵抗あるだろうし、頑張っていることに結果がついてこないと嫌になって投げ出したくなる。
おそらく受験の際の勉強に関しては美咲さんがついていたから、姉に時間を割いて勉強を見てもらっているっていう状況があったから嫌でも頑張れたんだろ)
チラリと横目でゴロゴロとソファを転がりながら少しずつ元気を取り戻し、機嫌のよくなり始めた千沙都を盗み見る。
「……スカート。気をつけろよ、あんまり動き回ると見えるぞ」
「はぁ!? ちょっとやめてよ。どこ見てんのよ! このスケベ!」
忠告してすぐに視線を逸らした晃一に、顔を赤くしながら千沙都は寝転がった姿勢は崩さずにそのまま足のつま先で晃一の背中を小突く。
(頑張れるってことはそれだけですごいことだ。つまり、頑張れる状況と環境さえ用意してやればこいつはしっかりと勉強に向き合える。最初はすぐに結果がついてこないかもしれないけれど、弱点を少しずつ潰していけばちょっとずつでも成績が上がるはずだ。
あと、今渡したアイスですぐに機嫌がよくなったってところを見ると褒美があったり気分転換ができれば、集中力はある程度すぐに戻せそう……か)
そう考えるものの、問題は次の期末試験までの期間があまり残されていないということ。
いつの間にか、今後の千沙都の勉強についても知らずに考えていることに気づかないまま晃一は今回の期末試験の千沙都の勉強方法について、ある程度の方針を固めた。
「っていうかいつまで俺の背中蹴ってるんだよ! いい加減にしろこの野郎!」
「うっさい! あんたが私のパンツ見ようとするのが悪いんでしょうが!」
「誰がお前のパンツなんか見るか! 大体、そんなこと言ってたらおちおち洗濯物も干せねえわ!」
「ちょっ、嘘でしょ! あんたもしかして私の下着を干したりしてないでしょうね!」
「むしろこの三ヶ月誰が家事手伝ってきたと思ってるんだ! さっきから結構感じてたけどお前って結構ポンコツだろ! 変なところで抜けてんだよ!」
「誰がポンコツよ誰が! あ~もう頭きた! ちょっと成績がいいからって調子に乗って! 絶対に許さない!」
「ほ~そうか、そうか。ひとに勉強を教わっておきながらその態度。上等! お前には一度殊勝な態度ってやつを学ばせてやる!」
一日前には想像もつかないほど多くの言葉を交わし、くだらない言い争いを繰り広げる晃一と千沙都。そんなやりとりはこの後しばらくの間続き、二人が気づかない間に帰宅していた礼次郎、亮子はその光景を見て僅かに笑みを浮かべ、陽菜は不思議そうにその光景を眺めるのであった。