意地っ張りな彼女と交わした約束
午後六時、下校のチャイムが校庭に響く。部活の疲れを早く癒すため足早に生徒たちは帰っている。
そんな生徒たちとは別に、ある一定の生徒たちが校門の前に待ち人の来訪を待っているた。そんな生徒たちの一人に晃一の姿もあった。
校門で待つほとんどの生徒たちは普段からこうしてこの場で待ち人を待っている相手をある程度把握しているのか、唐突に現れた異分子である晃一が自分たちと同類なのか、そうでないのかが気になるのかチラチラと何度も伺うように視線を向けていた。
(い、居心地が悪い。早く来てくれよ)
目的の相手が来るのを焦がれた生徒たちはようやく訪れた恋人と合流し、他の生徒たちの人目があるにも関わらず甘い空気を周囲に振りまきながら次々と校門から去っていく。
そんな甘ったるい空気に非常に居心地の悪さを感じていた晃一は、こんなことならばもう少し部室で時間を潰してこればよかったと現在進行形で後悔をしていた。
部室ならばどうせ下校時間ギリギリまで暇を潰している部長と、そんな部長の面倒を嫌そうな態度を取りながらもなんだかんだと見ている副部長が残っており、少なくともこの場に留まっているよりは有意義に時間を潰せたからだ。
「といっても、実際そんなことしてたらせっかくの機会を不意にすることになる可能性もあるんだよな。
ったく、恨むぞ千沙都……」
「なにブツブツ一人で言ってるのよ。ちょっと気持ち悪いんだけど」
いこの場の空気に耐えかね、いよいよ愚痴が口から漏れ出したところ、ようやく晃一の待ち人であった人物が訪れた。
「ハァ、ようやく来たか。勘弁してくれよ、お前が来るまで生きた心地がまるでしなかった」
「なんのこと? ああ、なるほど。確かにこの空気は勘弁してもらいたいかも」
晃一と千沙都が合流した途端、校門前に待っていた生徒たちは二人を同類だと認識したのか温かい眼差しと共に祝福した。
この場に漂う空気をすぐさま察した千沙都は呆れた表情と共にため息を吐き、
「ほら、早く行こ。こっちは練習で疲れてるんだから、ここでいつまでもこんな空気を味わってたら嫌になる」
「ああ、わかった」
そうして二人はその場を後にした。
夏が近づき、日の昇っている時間が長くなっているため夕方六時を過ぎているにも関わらず空はまだ明るい。少しずつではあるが太陽は明るい黄から夕暮れ時のオレンジへと色を変えている。
校門を出るまでは隣同士並びあっていた二人であったが、今二人の間には夕日に照らされて伸びる人一人分の影ができていた。
こうして一緒に帰り、お互いの本音を話す。そのための第一歩を踏み出した晃一ではあったが、どうしても最初の一言目が出てこない。
なにを話そうか……。晃一がそう考えていると意外にも話の切り出しは千沙都から発せられた。
「ねえ、あんたってそういえばなんの部活に入ってるの?」
晃一のもどかしさを感じたのか、お互いの間にある微妙な空気が嫌だったのかは定かではないが、予期せず訪れたチャンスに晃一はここぞとばかりに食いついた。
「俺か? 俺は調理研究会って部活に入部したぞ」
「調理研究会? 家庭科部じゃないの?」
「ああ、家庭科部は調理以外にも裁縫とかもやってるんだけど、調理研究会の方は本当に調理とか料理に関する研究をメインに活動してる部活でさ。
家庭科部と違って部員数も定員ギリギリ……というより俺と部長と副部長の三人しか活動には実際参加していなくて残りは名義だけ貸してるっていう実質廃部寸前の部活なんだけどな」
「なにそれ。なんでまたそんな部活なんて選んだのよ」
「まあ、理由としては割りと単純だぞ。笑うなよ?」
「別に笑わないってば。……で?」
「月に一度料理のレシピを発表して、実際に作って発表する。もちろんネットとか知り合いから教えてもらったレシピでも可。
それだけやっていれば部室にくる必要もないから自由が利くからな。
元々料理するのは好きだし、気が向いたときに参加していいって言うのも魅力的でさ。
部長と副部長も面白い人たちだし、部室になかなか使えないような機材とかも色々あって普段は作れない料理とかも作れそうで、結構気に入ってるんだぜ」
部の活動内容を説明しているうちに思っていた以上に熱がこもった声を上げていたことに気が付いた晃一は照れくさそうに頬を掻いた。
「……自分で言うのもなんだけど俺みたいな見た目の奴が料理が趣味って意外だろ?」
「見た目だけならあんたただのヤンキーだもんね」
「その指摘はこれまで耳にタコができるくらい聞いてきたよ。
あ、そういえば……」
ふと思い出したように晃一は鞄の中を漁り、片手に収まるアルミホイルに包まれたあるものを取り出した。
「これ、今日部活でたまたま作ったやつだけどよかったら食べるか?
簡単なものだけど味見はちゃんとしてるし、まだ作ってから時間もそう経っていないからこの時期だけど痛んでいるとかも心配しなくていいぞ」
そう口にして晃一は空いていた千沙都との距離を詰めて持っていたアルミホイルを包みを手渡した。千沙都はそれを受け取ると、包みを開き中身を見て目を輝かせた。
「これホットサンド?」
「ああ、フルーツホットサンド。中身に使ったフルーツはいちごとバナナで、カスタードクリームと砕いたブラックサンダーを混ぜてある。
本当はクレープを作ろうかとも思ったんだけど、もっと手軽に似たものが作れないかと思ってさ。
この間陽菜と一緒にテレビを見ていたときにホットサンドの特集をしてる番組を見て、ちょうど部室で機材も見つけてせっかくだし作ってみたんだ」
「ふ~ん。でもいいの? こうやって持って帰ったってことは誰かに食べさせてあげようと思ってたんじゃない?」
「まあ、元々夜小腹が空いたときの俺のおやつにするか、冷蔵庫に入れておいて明日の朝にでも陽菜に食べてもらって感想を聞くつもりではあったな。
けど、せっかくこうして千沙都と帰る機会ができたし。それに、ほら。お前の部活水泳部だろ?
運動後は疲れてるし、少し腹空いてるんじゃないか? 甘いもの食べると疲れも取れるって聞くし、ちょうどいいかと思って」
自分に気を遣ってわざわざ勧められたものを無碍にするわけにもいかず、僅かに躊躇いを覚えながら千沙都は手に持ったホットサンドを口にする。
「……美味しい」
「ホントか? そう言ってもらうと安心する。まあ、たいして手間もかかっていないしお手軽料理だから胸張れることでもないけど」
「ううん。これ本当に美味しいって。これなら陽菜に食べさせても喜ぶと思う」
余程口に合ったのか、そう言いながらあっと言う間に手渡したフルーツホットサンドを千沙都は完食してしまった。
「そうか。なら、今度また作ってやるかな。ああ、でもホットサンドメーカーがないか。
今度買い物に出かけたときに一緒に買うか」
「いいんじゃない? なんなら私からお父さんにお願いして……」
いつの間にか互いに気心知れた友達のように距離を詰めていた二人だったが、ふと口にした一言から心の内に抱えていた問題を思い出した千沙都。その一言から先ほどまでの空気はどこかに消え去り、再び二人の間に気まずい空気が流れ始める。
(クソ。せっかくいい感じに話が弾んでいたのに……。でも、今の感じからするとこいつはやっぱり根は悪いやつじゃないんだ。
今の俺たちの関係と環境がこんな状況を生んでるだけで、それを解決できるようなキッカケさえあればもしかしたらこいつと……千沙都とだってきっと仲良くなれると思うのに。
でも、そのキッカケが出てこない。何か、何かないのかよ!)
必死に今の状況を打開するためのキッカケを探す晃一だが、どうしてもそれが出てこない。この三ヶ月の間美咲や陽菜と違いろくにコミュニケーションが取れなかった千沙都に対して晃一が持っている彼女の情報があまりにも少ないことからそうなってしまうのも無理はない。
再び互いの間に言葉がなくなる。だが、今の状況をどうにかしたいという晃一の心の叫びが伝わったのかは分からないが、再び千沙都から晃一に声がかかる。
「ねえ、そういえばあんたさ。この間の中間試験の結果ってどうだった?」
「試験の結果? どうしてまた、そんなこと聞くんだよ?」
「いいから! 教えてよ!」
唐突に振られた意図の分からない質問を不思議に思いながらも晃一は先日返ってきた試験の成績を千沙都に伝える。
「学年順位47位。クラス順位だと5位だ」
「えっ!? 嘘! あんためちゃくちゃ成績いいじゃない!」
予想していたよりも遥かに晃一の成績がいいことに驚愕した千沙都。今の晃一の答えに何か思うところがあったのか、考え事を始めたのか再び千沙都は口を閉ざしながら歩いていく。
(なんなんだ一体? でも、こうして声をかけてくれるってことは何か思うところがあるのかもしれないな)
結局その後二人の間に言葉が交わされることがなかった。そうしていつの間にか二人は自宅へと辿り着く。
問題の根本的な解決には至らなかったものの、状況の改善に一歩前進できたと感じた晃一はこの後の夕飯の準備と食事の時間に、また先ほどのように千沙都とコミュニケーションが取れたらいいと思いながら、玄関に鍵を挿し込み開錠する。
そのまま扉を開き、中に入ろうとしたところで不意に背後からかけられた千沙都の言葉に動きを止めた。
「ねえ……。その、もしよかったらなんだけど、さ。今度の期末試験まで勉強……教えてくれない?」
千沙都からの突然の提案に晃一の脳は言葉の意味を理解するまで少しだけ時間がかかった。
しかし、その意味を理解すると同時にこれはチャンスだという考えが湧いて出た。
(これは……もしかしたら現状の打開にも繋げられるかもしれない)
数は少ないながらもこれまで接してきて感じてきた千沙都の性格。両親の唐突な再婚から生まれている歪な現状。自分はもちろんおそらく千沙都も心の底ではこの状況をどうにかしたいと考えてくれているという淡い希望。
それらすべての考えから、今の千沙都の言葉からある提案を晃一は思いつく。
「千沙都。お前、この間の中間試験の順位ってどうだった?」
先ほどと違い、逆に自分の試験の成績を尋ねられた千沙都は苦虫を噛み潰したような表情浮かべ、
「それ、答えないとダメ?」
「そりゃ、もし教えるんならどの科目が得意で苦手かとか今どれくらいの成績なのかを把握していた方がいいからな。それで、どうだったんだよ?」
「笑ったり、変な顔しないって約束できる?」
「しねえよ」
「……216位」
「……お、おう。……そうか」
千沙都の成績は思ったよりも悪かった。
「あんた今ちょっと私のこと馬鹿だと思ったでしょ」
正直その通りだと思ったが、さすがにそれを口にするほど晃一は空気の読めない男ではなかった。
「まあ、まだ入学して最初の試験だしそんなもんだろ。大体、受験して入学できている時点ある程度の下地はあるんだし、お前は俺と違って部活に忙しいだろ?」
「そんなの理由にならないし。部活しっかりやってても成績いい子だってたくさんいるし」
「確かに」
それがわかってるならお前ももう少し頑張れよと内心晃一はツッコミをいれた。
「それに、今日部長に言われたの。次の期末で赤点取ったら補修中は練習参加できないって。
私泳ぐの好きだし部活はちゃんとやりたいと思ってる。だから、補習で練習に参加できないのは嫌なの」
「つまり、千沙都は赤点とって補習に参加したら練習ができなくなるからそれを避けるために勉強を教えてもらいたいってことか?」
「そう。……今まであんな態度とってきて都合がいいのはわかってるとは思う。
もし、了承してもらえるならちゃんとお礼はする。だから、お願い!」
頭を下げて晃一にお願いを申し出る千沙都。そんな彼女に晃一は先ほど思いついた提案を投げかけた。
「お礼……か。それってなんでもいいのか?」
「まあ、私にできることならだけどね。その代わりあんまり無理なお願いはしないでよ」
「わかってる。そうだな……それじゃあこんなお願いはどうだ?
俺は今日からお前の勉強の面倒を見る。それで次の期末試験で全教科赤点を免れたら、さっき言ってたホットサンドメーカーをお前が買ってくれよ」
思ったよりも簡単なお願いごとに千沙都は拍子抜けしたというように安堵の表情を浮かべる。だが、次に晃一から発せられた言葉を聞いてその表情は一変する。
「それで、俺がそれを使ってホットサンドとか他にも色々料理作るからさ、それを母さんと一緒に食べてくれよ。
お前この三ヶ月わざと食事の時間ずらして母さんと一緒に飯食うの避けてただろ。
いい加減、俺もこのモヤモヤした状況に嫌気が差してたんだ。礼次郎さんと母さんはもう再婚した。この事実は今更変えられない。
だから、お前にもちょっとずつでいいからこの再婚を認めてもらいたんだ。
この提案を呑んでもらえるのなら俺はお前の勉強をしっかり見るって約束してやる。それこそ、お前がもう勉強したくないって泣き言をあげても聞かねえ。嫌だって言ったって無理やりにでも成績をあげてやる!
この提案が嫌なら俺は勉強をみない。他に宛てがあるのならそっちをあたってくれ」
お願いされている立場という状況からかなり強気に、そして強引に千沙都に提案を持ちかけた晃一。
表面上は平静を保っているが、内心は今にも張り裂けそうなほど心臓が鼓動するほど緊張していた。
言いたいことはすべて言った。後は千沙都の返事を待つのみ。
「……上等じゃない。その代わり、絶対に赤点を回避してついでに成績もあげてもらうから。
それと、これだけは先に言っておくから。
仮にきちんと結果が出たとしても……」
顔を真っ赤に染め、怒りを表情に滲ませながら千沙都は晃一に宣言する。
「私は再婚なんて絶対に認めないんだから!」
美咲、陽菜、礼次郎、亮子。四人の家族がいない二人だけの僅かな時間にこうして二人は一つの約束を交わした。
ある意味では勝負とも捉えられるこの約束。
晃一は千沙都の成績を上げて赤点を回避。そして母と礼次郎の再婚を千沙都に認めてもらう。
千沙都は赤点を回避するために晃一に勉強を見てもらう。だが、礼次郎と亮子の再婚は認めない。
一つの目的には協力する姿勢を見せつつ、もう一つの目的は対立する姿勢を見せる二人。
この約束の結末がどのような展開を見せるのかは、一ヵ月後の期末試験の後に明らかになるのであった……。