事件
悠がいじめられている。その事実が白日の下に晒されたのは冬の寒さがいよいよ本格的になる十一月半ばのことだった。
正確に言えば悠がいじめられているということを晃一が認識したのがその頃ということであり、後になってわかったことではあるが、実際のところ晃一と悠が些細なすれ違いから口を利かないようになって少しした頃からいじめは起こっていた。
男子からみた女子のいじめは陰湿というイメージそのものである、目に見えない水面下で進行していた事実に悠と距離をとってしまっていた晃一は彼女が辛い目にあっていることに愚かにも気がつけないでいた。
「いい加減にしやがれ! 毎度、毎度陰に隠れてコソコソと。こちとら我慢の限界だ!」
一日の授業の終わりの六時限目。男女別で行われる体育の授業を終え、残る僅かなHRを過ごして各自部活や帰宅を始めるというなんてことはない毎日が過ぎていくと思われたある日、それは起こった。
冬のマラソン大会に備えての長距離走を終えて運動場から男子生徒たちが教室へ戻ると、他のクラスに響くほどの大きな声と共に教室に怒声と机が倒れる音が聞こえた。
何事かと思い、すぐさま先頭を歩く男子生徒が教室の扉を開ける。先頭の生徒のすぐ後ろを歩いていた晃一は教室の扉を開いた先にあった光景を見て驚愕の表情を浮かべた。
そこには怒りに顔を真っ赤にした悠と、倒れた机と同じように地面に伏し、涙を瞳に滲ませながら鼻血を流す一人の女子生徒の姿があった。
戸惑う男子達は事態の成り行きを静観して見つめていた女子生徒たちに近づき、一体何があったのかを問いかける。だが、女子一同はまるで何が起こったかを語ることが罪だとでも言うように、俯き口を重く閉ざしていた。
響いた声から教室の状況の異変に気がつき、隣のクラスで授業を終えて職員室に戻ろうとしていた教師がクラスに入ってくる。だが、教師が教室に入ると同時にそれまで倒れた女生徒を怒りの眼で見下ろしていた悠が追い討ちをかけるように殴りかかろうとした。
(まずい!)
そのことに気がついた晃一が咄嗟にその場から飛び出し、悠と女生徒の間に割り込む。ガツッと左目に強い衝撃と、鈍い痛みが走る。
「あっ……」
怒りに任せて振るった拳が狙いの相手ではなく晃一に当たったということに気がついた悠は驚き、後悔の表情を見せた。そして、そのまま呆然としてこのまま彼女の行動がエスカレートしないように彼女の手を取った教師によって教室から連れ出されていくことになる。
「……大丈夫か?」
一体何があったかは晃一にはわからなかったが、それでも一応倒れる女子生徒にそう声をかけて手を差し伸べる。だが、目の前の少女は苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべて晃一が差し出した手を掴むことはなかった。
結局、この日のHRはお通夜のような雰囲気で終わった。晃一と暴行を受けた女子生徒はすぐに保健室へ連れられ、応急処置を受けた。晃一は処置を受けた後教室へと戻され、女子生徒は事情を聞くために保健室を訪れた担任にどこかへと連れられていった。
本来ならば部外者である晃一はいつものように部活に出るべきであったのだろう。
だが、晃一は悠が一体何故こんなことを起こしたのか? そして、理由があるのならば彼女からそれが聞きたい。そう思い、部活の先輩に今日は休みたいということだけを伝え、職員室の前で悠が出てくるのを待つことにした。
「……」
悠を待つこと一時間。取調べを受けた被疑者のように疲れきった表情を浮かべて職員室から出てきた悠は憔悴した様子だった。今まで数えるくらいしか見たことがない彼女の赤く腫れた目元を見た晃一は、胸を掻き毟られるほど心が荒れるのを感じた。
「晃一……」
「悠……。その、なんだ。よかったらさ、久しぶりに一緒に帰らないか?」
久しぶりに交わす言葉はぎこちなく、精一杯の勇気を振り絞って晃一は悠に声をかける。晃一の言葉を聞いた悠は感情が定まらないほど顔をくしゃくしゃにして
「ああ……。一緒に、帰ろうぜ」
そう返事をするのだった。




