些細なすれ違い
晃一が親友である悠へ初恋を抱いてからというものの、彼が見る世界は再び変革を見せた。悠と一緒にいるだけで世界は輝き、それまで特に気にしたこともなかった部活後の待ち合わせで彼女を待つ時間がやけに長く感じるようになった。
もちろん、周囲の人間の一部はいつも一緒に帰る晃一と悠をカップルと認識しているものも少なくなく「お? 今日も一緒に帰りか? お熱いね~」とからかいの言葉を投げかけられることも珍しくなかった。
それまでは何度も同じような言葉を聞かされうんざりとした気持ちであった晃一であったが、恋を自覚してからはそのような言葉を投げかけられることにどこか優越感を感じもした。
(せいぜい嫉妬してろ。俺だけが悠のすぐ傍にいられるんだ)
幼い頃から共に長い時間を過ごしていたという確かな実績とただ一人彼女の傍にいることを許されているかのような親しい関係性が恋に盲目となった晃一を狂わせる。
以前は気にならなかった距離を感じさせず男子と接する悠の姿をみてムッとしたり、自分と一緒にいないことを不満に感じたり、彼女に対する独占欲は日に日に増していた。
(それにしても悠のやつ今日はやけに遅いな……。部活、長引いてるのかな?)
いつもならとっくに合流している時間にも関わらず、いつまで経っても待ち合わせ場所にこない悠。一度様子を見に行こうか。そう思い、その場から離れようとした時校舎の影から悠が姿を現した。
「ったく、おっせーよ……」
文句の一言でも言ってやろうと悠に向かって声を上げた晃一だったが、その後に続くはずだった言葉が不意に喉元でせきとめられる。
その原因は姿を見せた悠の隣に見慣れぬ上級生の男子の姿があったからだった。
(誰だ?)
親しげな様子で話をしながらこちらに向かってくる悠。そんな彼女の姿を見て晃一は訳もわからず苛立った。
(誰だよ、そいつ……。そこは、お前の場所じゃない)
いつもなら自分がその場所にいるはずなのに……。まるで、自分の居場所を突然奪われたかのような喪失感が晃一を襲った。そして、その場所を現在進行形で奪い取った相手に対しての晃一の第一印象はよくないものだった。
「お! 晃一。悪い、悪い。先輩にアドバイスもらってたら遅くなっちまった」
晃一の姿を見つけた悠はそう口にして彼の元に駆け寄ってくる。だが、そんな彼女の態度も晃一を苛立たせた。まるで自分の存在など今の今まで意識の外に追いやられていたのだとそう感じたのだ。
もっとも、それは晃一の被害妄想であり、恋という感情が彼の心に荒波を起こしているためそう感じるのであったが、大人びているとはいえまだ子供の彼はこの時己の感情を冷静に処理できないのは仕方のないことでもあった。
苛立ちが表情に出ていたのか、待ち合わせに遅れたことを起こっていると感じた悠は晃一に対して謝る。
「なんだよ、怒ってんのか?」
「別に……」
「悪かったって。あ、そういや紹介していなかったな。この人、杉本先輩。同じ陸上部の二年生でオレと同じ走り高跳びの男子レギュラー。
最近記録伸びなくてさ~。ちょっとアドバイスもらいながら色々と教えてもらってたんだよ」
楽しそうに笑顔を浮かべて隣に立つ杉本と呼んだ先輩を晃一に紹介する悠。深い意味などないただの同じ部に所属する先輩の紹介。
そのはずなのに、晃一はその先輩を嬉しそうに紹介する悠を見て、先ほどよりも更に苛立ちが強いものとなるのを感じた。
「……帰る」
このままこの場にいれば普段の自分からは感じられないような暴言を吐いてしまう。かろうじて残った理性を振り絞り、そう口にして晃一は二人に背を向け歩き出した。
「は? お、おい、ちょっと待てよ晃一。あ! 先輩。今日はありがとうございました!」
訳もわからずその場に置いていかれた悠は自分に付き合ってくれた杉本にお礼の言葉を伝えると、先を歩き出した晃一の後を追った。
早歩きをして帰路を進む晃一にすぐに追いついた悠であったが、いったい彼がなにをそんなに怒っているのかがわからずしばらく無言で隣を歩いていた。
「なあ、さっきからホント何をそんなに怒ってんだよ」
さすがに痺れを切らしたのか晃一の怒りの原因を問いかける悠。歩いているうちに少しは頭が冷えた晃一だったが、自身がこれほど自分が怒りを感じている理由がまさか自分が居場所が取られたかのように感じたなどと子供みたいな理由を口にできるはずもなく、つい冷たい口調で返事をしてしまう。
「別に……怒ってないって言ってるだろ」
「んなわけねーだろ。なんだよ、遅れたことは謝っただろうが」
素直にならない晃一の態度に彼が先ほどまで漂わせていた苛立ちの感情が感染したのか悠の語気も荒いものになる。
「じゃあ、言わせてもらうけどな! 最初から遅れるんなら連絡の一言でも入れるとかできただろ」
「はぁ!? しょうがねえだろ、先輩にアドバイスもらって練習見てもらってたの部活終わるちょっと前からっだったし。
アドバイスもらってから記録伸びる感覚が掴めそうだったんだから」
「そうかよ。先輩との練習はよっぽど楽しかったんだろうな。俺のこと忘れるくらいには」
「なんだよ、その言い方。あ~あ~。なるほど、そういうことね。
……アホくせえ。なにそんな怒ってるかと思ったらお前オレが先輩との練習が楽しくて放っておかれたのが寂しかっただけかよ。
馬鹿じゃねえの? だったら、さっさと一人で帰ればよかっただろうが。誰も待っててくれなんて頼んでねえよ!」
売り言葉に買い言葉。普段は冗談や軽口を叩いて嫌な気持ちになることはあってもすぐに仲直りする二人だったが、この時は違った。言い争いは徐々に加熱し、普段は言わないような言葉が次から次へと口から飛び出す。
「なんだと! お前が待っててくれって言ってたから今まで待ってやってたのに。このアホ!」
「そう言ったのは最初の頃だけだろうが! 誰もいつも待っててくれなんて言ってねえよ!」
「ああそうかよ! だったらこれからは勝手に帰らせてもらうわ」
「ハッ! そうしろ。こっちも遅くまで練習できて助かるわ。ちょうど先輩から他にもアドバイスもらいたかったところだったしな」
先輩という言葉が悠の口から再び出たのが晃一の限界だった。それまでの晃一であったなら絶対にしなかった思っても見ない言葉が言い争いの熱にあてられて口からこぼれ出る。
「勝手にしろ! もうお前とは口も聞いてやらねえ。せいぜい楽しく部活やってろよ」
「お前に言われなくてもそうするつもりだよ! この馬鹿晃一! こっちこそ願い下げだ!」
決別の言葉を吐き捨て悠は晃一の元から走り去る。怒りで頭がいっぱいだった晃一は顔を背けて走り去る悠の背を見ることすらなかった。
だが、一人で帰路を進むにつれ怒りに支配されていた頭が冷え、冷静になった彼は自分がしでかしたことの大きさにようやく気がつき絶望する。
(なにやってんだよ、俺。あんなこというつもりじゃなかったのに……)
後悔してももう遅いとわかってはいるものの、悠に対してどう謝ればいいかその時の晃一はわからなかった。
落ち込んだ気持ちのまま自宅へ戻り、いつかとは対照的に力なくベッドに倒れこみジワリと目元に滲む涙で枕を濡らす。
(明日。明日、学校であいつにあったら謝ろう……。むきになって悪かったって。傷つけてごめんって)
そう心に決意して晃一は静かに眠りに着いた。翌日、昨晩の気持ちを引きずったまま憂鬱な面持ちで晃一は学校に向かった。
学校の門を抜け、下駄箱に向かう。周りからは朝練をする他の生徒たちの掛け声が響いていた。
「あっ」
「あっ」
下駄箱についたとき、片手に水筒を持った悠と鉢合った。意図せぬ遭遇に頭が真っ白になった晃一は昨晩考えていた悠にあったら昨日のことを謝ろうという気持ちがすぐに湧き出てこなかった。
「……ふんっ」
気持ちを固め、謝罪の言葉を口にする前に悠は目の前に立つ晃一の姿など視界に入れたくもないといった態度ですぐにその場を去ってしまった。
一人取り残された晃一は、昨日よりも更に気持ちが沈んだ。
(次、次に会ったときに謝ろう)
そう決意した晃一であったが、その日は中々悠と二人きりになれずそうこうしているうちに一日が過ぎ去り、気がつけばすっかり謝る機会を逃してしまった。
そうして、いつの間にか今まで何をするにも常に一緒にいたかのことが嘘のように晃一と悠の距離は離れ、次第に言葉を交わすこともなくなった。
悠は晃一以外のクラスメイトの男子たちと話すようになり、晃一もまた仲のいい友人たちと過ごす日々が当たり前になっていった。
そんな日々が過ぎ去り、分かれた二人の道はもう重ならないのかと晃一は密かに思っていた。
変化が訪れたのは二人が喧嘩別れをしてから三ヵ月後。夏が過ぎ、秋も終わり、冬の寒さが肌を突き刺し始めた頃。再び二人が言葉を交わすことになる出来事が起こる。
――悠がクラスの女子生徒からいじめられ始めたのだった。




