密かな決意
晃一にとって衝撃であった春日家の三姉妹との初顔合わせを行った三ヶ月前に話は遡る。
あの後、受験の結果が彼の元に届くよりも早く、晃一たち逸見親子は慌しく現在住んでいるアパートの荷物を纏めて、これから新しい家族となる春日家の住む一軒家へと引越しを行った。
「やあ、よく来たね。ここが今日から君の新しい家だ。すぐに慣れて……というのはかなり無理があるだろうが、少しずつでもいいから家族として馴染んでもらえるように、僕も協力したいと思っている。
もちろん、娘たちとも仲良くしてもらえるとありがたい。最も、陽菜に関してはお願いするまでもないみたいだが……」
引越し初日。苦笑と共に礼次郎からそんな言葉を投げかけられた。その言葉には心からの彼の願いもあっただろうが、彼の想像以上にこれまで他人だった男に懐く実の娘の姿に抱く男親の嫉妬が僅かに感じられた。
「お兄さん? お兄さんが来たんですか!?」
噂をすれば、影。晃一の気配を感じ取った陽菜がリビングの扉を開き、晃一の元へと駆け寄ってくる。
「お帰りなさい、お兄さん。今日からホントにお兄さんが陽菜のお兄さんになるんだよね!」
心からの喜びを全身で表現しながら晃一に問いかける陽菜。ここまで喜ばれてしまっては晃一の答えは一つしかなかった。
「ああ、そうだよ。これからよろしくな陽菜」
「……ハイッ!」
ニコニコと笑顔を浮かべる陽菜の姿を見て、ついこれまでのようにそっと優しくその頭を撫でていた晃一であったが、この場にいるのは彼と陽菜の二人だけではないということをすぐさま思い出す。
だが、時既に遅し。彼の後ろでニヤニヤと意地の悪い表情を浮かべながら二人の様子を見ていた母、亮子は
「ほっほ~。あんた私の知らないところでこ~んないたいけな少女に手を出していたなんて。
あ~怖い、怖い。まさか実の息子が小学生に手を出すような性癖を持っていたなんてね~」
「ハァッ!? ちょ、馬鹿! 違うわ! 何いきなり再婚相手の旦那とその娘に誤解されるような話をしてくれてんだ!」
「いやいや、まさかそっちだったとは。あんたが寝落ちしていた時に開きっぱなしになっていたスマホにあった『ドキドキ、家庭教師のお姉さんとのいけない禁断授業』、『オヂサンと幼馴染』のエロ本の履歴から年下趣味はないと思っていたんだけどね……。
まさか、それすらもカモフラージュだったとは」
「おい!おいッ!! テメーふざけんな! マジで勘弁しろ! なにまだ二回しかあっていない相手と娘の目の前で息子の性癖バラしてくれてやがる!
表出ろ! 一回痛い目に合わせてやる!」
「おっと、そんな態度でいいのかな? そんなことをすればあんたの昔の恥ずかしい出来事が赤裸々に私の口からついうっかりこぼれ出ちゃうかもしれないのに」
「~~~ッ! もう知らん! すみません、礼次郎さん。お邪魔します!」
口では母親である亮子に敵わないことを悟った晃一は、その場から逃げるようにして春日家のリビングに足を踏み入れた。
そこには彼の見たことがない光景が広がっていた。広々とした空間。冬なのに暖かい暖房の効いた床板。
映像の迫力をこれでもかと伝える大きなテレビ。そして何より、一番彼の目を引いたのはリビングに置かれたテーブルの横にあるダイニングキッチンであった。
「あら? もうそんな時間だったのね。いらっしゃい、晃一君。
……あっ! 違った、いらっしゃいじゃないね。お帰りなさい、晃一君」
時刻は十二時。昼食の準備をしているのか、エプロンを身に付け包丁片手にキッチンからリビングの入り口にて立ちつくす晃一に微笑みかける美咲。
そんな彼女の姿に思わず目を奪われていると、後ろからグイグイと彼の背を押す感触があった。
「お、に、い、さ、ん! 早く進んでください!」
顔を真っ赤にしながら晃一の背を押す陽菜。そんな彼女に促されるままリビングに置かれたソファに陽菜と共に座る。
ほとんどはじめて座るソファは想像以上に柔らかく、このまま横になってしまえば眠ってしまえるんではないかと思えるほどであった。
そんな彼の隣にまるでそこにいるのが当然と主張するように陽菜がピタリと寄り添った。
「えへへ~」
デレデレとして緩みきった表情。彼女がここまで晃一に心を許しているのは新しい家族として紹介されるよりも前、この一年の間の交流が原因であろう。
(そういえば、初めて会ったときの陽菜は今じゃ想像もできないくらい無愛想で、生意気だったっけ)
初対面の時はその年齢に似合わない冷めた態度と触れれば傷つけてしまうような脆い雰囲気が妙に気になったものだ。
それが今ではこれだけ満面の笑みを浮かべてくれている。そう考えれば、彼女の変化に少しでも自分が力になれたのならよかったとも晃一は思った。
(――ッ!?)
そんなことを考えていた時、彼は背筋から身も凍るような冷たい視線を感じ咄嗟に振り向く。
そこにいたのはドン引きといった様子で晃一にベッタリと張り付く陽菜、またそんな彼女の態度に満更でもない表情を浮かべる彼を眺める千沙都の姿だった。
「うわぁ……」
そこに晃一に対する好印象は既に欠片もなく、受験時に起こったハプニングを助けた際に得られた好感度は既にゴミ箱行きと化したようであった。
「あ、いや。これは……」
なにかいい言い訳がないもなかと脳内で思考を巡らせるも、咄嗟のことにうまい言葉が出てこない。
思案しているうちに、興味をなくしたのか千沙都はキッチンにて料理をしている二言三言、言葉を交わしてその場を後にしようとする。
だが、最後に何かを思い出したかのように再び晃一の方に視線を向けると、
「……はぁ」
と、ため息一つを吐き出しその場を後にした。それは、何か罵倒を受けたり嫌味を言われるよりもよっぽどダメージを受ける羽目になった。
始まりはそこそこ好印象な出会いだったはずなのに、その後すぐに再会してからドンドン悪い方向へ印象が転がっていっていた。
(不味い……少なくともせっかく再婚した母さんに気を使わせるわけにはいかない。どうにかして、この三姉妹と仲良くやっていけるところを見せないと)
長女の美咲とはまだほとんど話していないが、料理をしているところや改めて挨拶をした際の対応や今の陽菜とのやり取りを見ていても変に誤解せずにいてくれていると思われる。
妙にジッと見られているような気もするがそれは今まで男の片親だけだった空間に同年代の見知らぬ他人、しかも男が急に生活を共にするとなったのなら、気になってもしかたないだろうと晃一は考えた。
そう考えて次に隣でいつの間にか晃一の膝に頭を乗せてスマホを弄りだした自由気ままな三女に視線を動かす。
(まあ、陽菜は考える必要もないか)
これだけ向こうから懐いてくれているのだ。嬉しく思いこそすれ、邪険にする理由はない。へんな誤解を生むのは勘弁ではあるが、三姉妹と仲良くやっていくためのとっかかりになりそうだと考えて、余計な心配は頭の片隅に追いやった。
結局、問題となっているのはほとんど接点のない次女、千沙都。
根は悪くない子ではあると晃一は思うが、いきなり年頃の少女のプライベート空間に見ず知らずの男が放り込まれればそりゃ嫌になるものだろう。
(仕方ない。しばらく様子を見て、少しずつ仲良くなれるように頑張るとするか……)
焦っても仕方ないと今後の方針を決めた晃一はさっそく、キッチンで料理の準備を続ける美咲の元に向かい、手伝いを申し出た。
その後、美咲の料理の手伝いをしながら今後の生活について色々と話をし、家庭内のルールや今後自分が春日家で暮らしていく上で起こりうる問題について話し合いを行い、いくつか追加のルールを決めることにした。
料理当番、ゴミ出し、食材の買出し、自宅の清掃、洗濯。
元々母子家庭で育った晃一にとってそのどれもが苦になるようなものではなく、むしろ半ば趣味と化してきていたため、喜んで美咲と話し合いを進めた。
その後、空き部屋の一室を自室として与えられ、春日家での新しい生活は始まった。
おいしい食事、広い空間、ぎこちないながらも互いの間の距離を少しずつ埋めようとする雰囲気が感じられる毎日。
そんな毎日を過ごし、あっという間に三ヶ月が経過した。三女の陽菜は言うまでもなく、長女の美咲、義父の礼次郎との仲も少しは距離が縮まったと感じられる。
だが、これだけの時間が経過しても次女である千沙都との距離だけは一向に縮まらず、彼女もまた晃一と亮子の存在を拒絶こそしていないものの、これが妥協できる最大限だと言わんばかりに当初の態度と距離を崩すことはなかった。
これに頭を悩ませたのは亮子であった。やっぱり、再婚はもう少し時期を見るべきだったのかと晃一の姿が見えないところでこっそりと愚痴を零しているところを偶然、彼は見かけてしまった。
そんな母の姿を見て晃一は一人奮起する。これまで、女手ひとつで自分を育ててくれた母に報いるために。
(心配するな、母さん。俺がどうにか、頑張ってみるよ。それで、母さんが再婚してよかったって安心できるようにみんなで仲良く過ごせるようにしてみるさ)
そんな決意を胸に晃一は千沙都との距離を埋めるために行動を開始するのであった。