頭痛の種は彼女との距離感
シトシトと雨が降り、肌にまとわり付く湿気に誰もが顔をしかめる雨季。梅雨の季節が訪れた。
真新しい制服に身を包み、新たな心持ちで高校生活を向かえた新入生たち。そんな新鮮さと輝く希望を持って三山高校の門をくぐったことが遠い昔のように思えるほど、教室の中にいる生徒たちはすっかりと新しい環境に慣れ親しんでいる。
つまり、〝だらけ〟きっていた。
男子はズボンの外にしわの付いたカッターシャツをだらしなく脱ぎ散らかし、女子は入学時の気合の入ったメイクや清楚な身だしなみはどこへやらといった様子でスカートの下にジャージを履き、すぐにでも次の体育の授業に備えれるようにしていた。
その姿には欠片も女子らしさは感じられず、中には既に全身紺の通称〝芋ジャー〟に着替えを終えて男子の輪に混じり会話をするものもいる。
もちろん、誰もがそのような人物ではない。例外はきちんと存在する。
周りのクラスメイトの様子に流されることなく、襟のボタンを閉め、シャツをきちんとズボンへとしまう一人の少年。春日晃一の姿がそこにあった。
「おーい、晃一。頼まれてたジュース買ってきてやったぞ!」
自分の席にて考え事をしながらスマホをいじっていた晃一に声と共に投げられた物体。
ジワリと嫌な汗が肌にべたつくこの時期には嬉しい爽快感のある喉越しを感じさせる炭酸飲料の入ったペットボトルだった。
「おい、真吾。炭酸が抜けるから投げつけるなってこの間から言ってるだろ。炭酸のない炭酸飲料とか買う意味マジでないだろーが!」
少し反応が遅れていたら、投げられたペットボトルを取り損ねるとこだったため、若干不満気に口を尖らせる晃一。
「はいはい。悪かったって。ったく、んな文句ばっかり口にしてるとただでさえ悪いその目つきが余計に悪くなっちまうぞ?」
軽口のつもりで投げかけた言葉が予想外に心を抉る一言となって帰ってきたため、晃一は思わず顔をしかめた。
指摘された言葉を確かめるかのように、晃一は自分の席のすぐ横にある窓に映る己の姿を確認する。
生まれてこの方染髪などしたことなどないにもかかわらず、遺伝によって変わっている茶色の髪。幼いころの僅かな記憶しかなく、できれば遺伝してほしくなかった周りへ多大な誤解を生む鋭い釣り目。
姿勢を正せば威圧しているように捉えられ、背筋を丸めればヤンキーと間違われる。
実際、入学して早々の服装検査ではさっそく服装検査を主導している学年主任に目を付けられる始末。もっとも、そのことがキッカケで彼の外面と内面のギャップにクラスメイトが気がつき、思っていたよりも早く誤解は解けてクラスに打ち解けることができたのだが……。
「てか、漫画とかアニメだとさ。俺みたいなやつってかなりの間クラスメイトから誤解され続けるよな」
「ん? ああ、まあな。お前見た目だけならどうみてもその辺のコンビニで夜中に見かけるヤンキーと変わらないからな」
何を今更とでも言うように、晃一の隣の空いている座席に座りながら真吾はそう口にする。
そんな彼の姿を改めて晃一は見る。
彼の名前は風間真吾。爽やかさが服を着て歩いているような清清しいまでに整った顔立ち。
所属している部活動の関係もあるだろうが、本人曰く小学生時代より続けているサッカーのおかげか細身ながら引き締まった体躯をしている。
幼いころから続けていることもあり、当然部活はサッカー部。既に一部の練習だけとはいえ二、三年の練習に参加し早ければ三年の引退する夏の大会が終わり次第レギュラー組に合流し、本格的にレギュラー争いに参加するほどの技術の持ち主でもある。
もっとも、スポーツに力を入れすぎたためか勉強のほうは苦手意識が強いらしく、つい先日返却されたばかりの中間試験の順位は300人ほどの学年で下から数えたほうが早いくらいだったらしい。
だが、世の女子生徒たちから見れば顔が整い、スポーツができ、頭もいい三拍子であれば完璧だが、それよりもちょっとお馬鹿で間の抜けているくらいのほうが隙があって親しみを感じられて好ポイントらしい。実際、晃一はそう聞いた。
そんな世の男性の大半から恨みを買うほど女性にモテる要素を兼ね備えた真吾ではあるが、意外にも口は悪かった。
「そうズバッと人の心が抉られること口にするなよ。これでも結構気にしてるんだぞ?」
「んなこと言われてもなぁ……。まあ、別に今更いいだろ? 第一お前がホントは見た目だけで中身は全然怖くもなんともないってことはもうみんな知っているんだからさ」
そう、実際入学当初はその見た目から晃一はクラスメイトから若干距離を置かれていた。そのため、新入生にとって一番肝心な友達作りの機会を危うく逃しかけたのだ。
最も、それに関しては目の前にいる真吾ともう一人の友人のお陰で回避できたのだったが……。
「お~い、真吾くん。ちょ、ちょっと待ってよ……。あんなに早く階段を走られても、ぼく……追いつけないよ」
と、その人物のことをちょうど晃一が思い返していたところ、件の人物が教室の扉の前で息を切らしている姿が見えた。
「ヤス、めちゃくちゃ息切れてるけど大丈夫か?」
「い、いや……大丈夫。ちょっと、急いだだけだから……」
ヤスと呼ばれた少年は教室の中に入り、晃一たちの元へと歩いていくと、購買で購入したであろう量だけは無駄にある紙パックの安っぽいりんご水の口を開き、ストローを挿し込み勢いよく渇いた喉を潤した。
「ふぅ……。はあ、生き返った~」
気の抜けた声を出し、一息ついたといった様子を見せるヤス。本名、原康則。低身長、童顔。見るものを虜にするかわいらしい見た目は道で出会えば誰もが一度は足を止める人懐こい野良猫を思わせる。くるくると癖の付いた天然パーマもそんな彼のかわいらしさをひときわ輝かせ、場合によってはマスコットのような扱いもされる。
というよりも、現在進行形でマスコット化は進行しておりクラスの女生徒からは餌付けとばかりに休みの時間のたびにお菓子のおすそ分けをいただいている姿を見かける。
前述した入学時の服装検査の際、ちょっとしたやり取りがありこの二人と話をするキッカケを掴んだ晃一は彼ら二人の存在のおかげもあり、早々に己の外見に関する誤解を解くことに成功したのだ。
見た目の怖さに最初は怖がっていた一部の女子生徒たちも、実際に晃一と話をすることで思ったよりも親しみやすい人物と気がついたのか、今となっては彼の所属している部活動の関係もありちょこちょこ弄られたりしてもいる。
(実際、こんなもんだよな……。漫画とか、アニメにありがちな誤解ってよくあれだけ長続きするよな)
中学のときも最初は誤解されこそしたが、あるがままの自分を見せて誠意を持って相手に接すればすぐに誤解は解けたものだった。
物語と現実は違うものだ。実際のところ漫画などの物語で起こる出来事は読者の興味をより引くために誇張された表現やストーリーが展開されることが多い。
だが、現実なんてものはそう都合よく行かない。だからこそ、晃一が懸念していた誤解もすぐさま解けて、皆の興味からすぐに消えた。
そう、これが現実。物語のような展開は起こらない。
だからこそ……。
「ちょっと、そこどいてもらえる?」
少し険のある声音と共に雑談をしていた晃一たちに声をかけた、一人の女生徒。次の授業の準備のため、真吾が座る自分の座席から着替えの入った鞄を取るために彼らの間に割って入る。
「ありがと。会話の邪魔してごめんなさい」
用を済ませた彼女は澄ました表情を浮かべてその場を後にする。最も、生来の人のよさが抜けないのか、最後にきちんとその場の空気を乱したことに対する謝罪も残して。
その場を離れようとした際、少女と晃一は意図せず視線を交わらせた。
だが、それも一瞬。少女はすぐさま重なった視線を逸らしてそのまま教室の外へと歩いていく。
(はぁ……。この問題こそ、漫画とかアニメみたいに簡単に解決できないものか)
目下、晃一の頭痛の種となっている一つの問題。それは、三ヶ月前に突然家族となった現クラスメイトの春日千沙都の存在であった。