北へ向かおうか
翌朝、ハルカゼがやって来た。
「今後はどうされるおつもりですか?」
「テスタに戻るわ。そこから北の国を探らないといけない。デビィは引き続きここに残ってもらえるかしら?」
「(はっ。ご命令とあらば)」
テスタに帰ろう。ハルカゼに礼を言い里を後にする。
戦虫族の寿命は長い物でも十年かそこら、つまり私が眠っている間に代替わりしているはずだ。そこにお父様への忠誠心は欠片も残っていないだろう。つまり、私が力を見せなければならない。その為にはやはり戦虫族の住処、北へ向かうべきだろう。
テスタに到着した。酒場に入ると、いつもいる何をしているかわからない顔ぶれ。一日空けただけなのにどこか懐かしさを感じる。
「おや、お帰りなさいませ」
マスターにリンゴジュースを頼み、カウンターに座る。
「ねえマスター、北の情報が欲しいんだけど、何か目新しい事は無いかしら」
「……ないですな。しかし北からの商人が全く来ない。向かった商人や傭兵も帰らずです。情報がないというのが異常です。それに関する依頼をナナホシ様が受けて、昨晩に馬で北へ向かいました」
それは好都合だ。彼なら有力な情報を得て帰ってくるだろう。ならば今日は何をしようか。
「マスター、何かいい仕事は……」
その時、常に開け放たれた扉から大声がする。
「皆! 避難……いや、間に合わねぇ! 街の人をここに集めろ! 傭兵連中は外だ!」
ナナホシだ。北の国に行くにしては帰りが早すぎる。
「戦虫だ! 徒党を組んでこっちに来てやがる!」
騒めく、当然だ。
「ナナホシ、北の他の街はどうなってるの?」
「ヤツら、すぐそこまで来てる。絶望的だろうな」
酒場にいた他の傭兵たちの動きは流石、というべきか。既に動き始めていた。机を動かしスペースを作る者、街中に知らせに走る者、甲冑を着始める者。
「俺ら傭兵は街の外でヤツらの相手ぇする。ここの酒場は街ん中で一番でけぇ建物だ、入るだけ集めてくれ」
「私も……」
「……万が一の時にはな。しゃあ! お前ら行くぜ! 勝って美味い酒飲もうじゃねぇか!」
その言葉に逆らう者はいない。ナナホシの人望のなせることだろう。北へ走り出した。
続々と酒場に人が集まる。女性と子供が主だった。男たちは街を駆け巡り声をかけて回っている。
「……ユーリア、ニンゲンも馬鹿にならないわね。今、私は美しさすら感じているわ」
「そうですね、アナスタシア様。ですが……」
「ええ、ここを離れる時が来てしまったのかもね」
入口を封鎖した酒場まで剣戟の音は届いている。手練れの傭兵揃いのはずだが戦虫族はとにかく数が多い。指揮を執る長を討たねばその戦いは終わらないだろう。ニンゲンがいくら集まっても勝利することは難しい。扉の前までキチキチと虫の顎を嚙合わせる音が聞こえる。子供の泣き声、神に祈る声、様々だ。
「行きましょう、ユーリア」
「アナスタシア様がそのおつもりならば」
敷き詰められた人々をかき分け、扉の前に立つ。
「マスター、みんな、この街はとても素敵な所だったわ。……私達はお世話になった恩返しをしようと思うの。それじゃあ、さようなら」
ナイトソードは充分に血を吸った。次なる魔剣を使う時だ。
「……ナイトメアソード」
私の身長程もある漆黒の長剣が現れる。それを掴む両腕はもちろん、アンデッドだ。ユーリアも黒い翼をはためかせる。その両腕は紅く、鋭い爪の生えた大きな腕となっていた。
「魔王が娘、アナスタシア。まさかニンゲンのために戦う日が来るとはね」
封鎖された扉を切り開く。振り返らない、街の人たちの顔を見るのが怖かったからだ。前を向こう。
一メートル程の虫、戦虫族甲虫型だ。戦闘に特化したその姿は六本の脚を刃とし、甲殻はより強固なものとなっている。その顔の複眼はどこを見ているのだろう。ニンゲン相手なら驚異的なその甲殻も魔剣の前には紙切れ同然。一振りで幾つもの戦虫を切り裂く。斬りかかられると脚ごと、距離を取られてもこの剣ならば届く、一閃。粗方片付くと酒場の前はユーリアに任せ、北を目指す。ニンゲンの気配を察して酒場の前に集まっていたのだろう、道は意外なほど空いている。
迫る影、飛行虫型、一言で言えば大きな蝿だ。身体に生えた体毛は剣山のようだ。
「ナイトソード」
左手に魔剣を持つ。走りながら投擲した。戦虫とて例外ではない、その身体を巡る体液を、命を求め魔剣は飛び回る。全て撃ち落とし左手に帰る魔剣は体液でべとべとに濡れていた。
「……気持ち悪い」
それすら魔剣は貪欲に吸い尽くす。ナイトソードをゲートにしまい、北へ走り続けると街の外に出た。
ナナホシが見えた。囲まれている。付近には戦虫の遺骸が積まれていた。
「ナナホシ!」
「よう嬢ちゃん! 正直助かる!」
魔剣を振るう。ナナホシのもとを目指して道を作る。
「ナナホシ! 引きなさい、他の傭兵も巻き込んでしまう! ニンゲンの身でよくやったわ!」
ナナホシが動いた。分断された他の傭兵に声をかけ、私の作った道を駆け抜ける。
「……魔力に満ちた第零世界。溢れんばかりのその力を我が元へ、我が不死の器の元へ。死を与えよ、圧壊せよ、空蝉を抉れ。光をも喰らう暗黒の力をもって敵を殲滅せん。ダークマター」
全身がアンデッドと化した私の手から光を吸い込むような黒い球が現れる。シャボン玉のようにそれはふわりと浮かぶと、戦虫達の中央へ飛んでいった。
黒い光を放った。周囲の景色をも歪めるほどの力で、引力を生み出す。戦虫は次々と吸い込まれていった。その先がどうなっているのかは、私も知らない。大部分を喰らい尽くすと球は消滅する。地面をも抉り、球状に無の空間が広がっていた。
見上げるほど大きな戦虫が周囲をかき分け現れる。甲虫型だ。その口の脇には二本の角が生えている。
「キチキチ……。魔族は全滅したのではなかったのか?」
「残念ね、まだ健在よ。あなた達、戦虫族はちょっと増長しすぎじゃないかしら?」
「キチチ……。ここまで来て引くわけにはいかない。その命、頂く。我ら戦虫族の天下が訪れるのだ」
他の者よりも長く発達した前脚が襲い来る。しかしこの魔剣に斬れないものなど無い、はずだった。
振るった魔剣が弾かれた。予想外の衝撃に手から放してしまう。ゲート越しに魔剣を持ち直すと、次の一撃が迫る。
「キチ、我ら戦虫族、進化を集中すれば魔剣など、恐るるに足らず」
進化を集中と言った。彼らは状況に応じて身体を進化させることができる。ならば他の部位は素の状態だ。振り下ろされる脚を潜り、その付け根を狙う。やはり斬れた。次は頭を狙おう。
跳躍して、魔剣を振り下ろす。戦虫族の表情はわからないが、その複眼は嗤って見えた。二本の角が私の身体を掴む、迂闊だった。
「キチチチ……武器を隠したりしてないだろうな」
鋭い両脚で服を切り刻まれる。
「ナイトソード!」
複眼に突き刺す。しかしそれも弾かれた。
「我は戦虫族が長、その程度の弱点は克服している。キチキチ」
もはや、私を包んでいた服は襤褸切れと化していた。長い舌で腹を舐めまわされるのを感じる、羞恥はないが、屈辱的だ。
「随分仲間をやってくれたな……簡単には殺さんぞ」
前脚が腹部の表面をゆっくりと切り裂く。アンデッドは痛覚など持ち合わせていない。血も出ない。
「ユーリア!」
一声叫ぶ。ゲートの開く気配があった次の瞬間、前脚が私の首に突き刺さった。
……スタシア様! アナスタシア様!
ユーリアの声だ。眼を開くと、ユーリアの顔、その眼には涙が浮かんでいる。
「ああ、良かった。……本当に良かった」
周囲を見渡す。酒場だ。街の人たちがこちらを見ている。恐怖の表情だ。そうなるだろうと思った。
「戦虫は……どうなったの?」
「私が長を倒しました。その為、私が一時的に長となり、北の生息地に帰らせた次第です。後は彼らの中から新たに長が出てくるでしょう」
身体を起こす。毛布が掛けられていたようだ、滑り落ちる。裸だった。それはさておき、少し首の座りが悪い。だが修復が始まっているのを感じる。そうだ、今はアンデッドだ。
「……ありがとう、ユーリア。本当は私が倒さなければならなかったのに」
「いいのです、アナスタシア様。私がアナスタシア様から離れなければ同じこと」
「じゃあ、この街から出ていきましょう。私達が魔族だと知れてしまったわ。マスター、改めて今までありがとう、さようなら」
マスターは、戸惑いを隠せない。
「しかし、アナスタシア様、ユーリア様。街の者たちの殆どは感謝を……」
「いいのよ。私達が鳴りを潜めて十年しか経ってない、魔族にいい気持ちはしないでしょう?」
修復が終わったようだ、いつの間にかニンゲンの姿に戻っていた。掛けられていた毛布を羽織り、そのまま外に出ると、傭兵達が待ち受けていた。ナナホシもいる。
私達を狙っての事だろうか、ユーリアが私の前に立つ。
「おいおい、襲ったりしねぇよ。礼が言いたくて集まってんだぜ? こっちも随分数が減っちまったが、それでも生きてんのは二人のおかげだ。」
傭兵達はその言葉に頷く。全員見覚えのある、酒場の常連だ。
「ここを離れるんだろ? 俺もついてくぜ」
本当は俺達も行きたいんだがな。
大勢で行くわけにもいかねえし、やっぱりナナホシだ。
周囲から賛同の声が上がる。
「いいの? ナナホシ。魔族の味方に付くことになるのよ?」
「魔族は誇り高い存在、じゃあなかったのか? それに無料期間はまだ続いてるぜ」
思わず笑いが出る。無料期間はいつまで続くのだろうか。
「おっ! 初めて笑顔見たぜ。やっぱりカワイイじゃねぇか。なあ?」
傭兵達は頷く。やはりここは居心地のいい場所だった。
「なぁ、服くらい用意しようぜ。魔族の事情は知らねぇが、そんなかっこじゃ無駄に人目集めちまうぞ」
街中を南へ進む。北の国の様子はまるで分らないし、落ち着くのを待った方がいいだろう。それにナナホシ曰く、勇者は南の出身という噂らしい。
「じゃあ洋服屋に行きましょう。……でも私達は一か所しか知らないわ」
「取り合えず行ってみませんか? お金ならいくらかあります」
涼やかなベルの音が鳴り響く。
テスタに来て最初に入った場所。相変わらず豪奢な服ばかりだ。店員だった女性はいない。
亡くなったのだろうか。避難は急ぎ行われたが、テスタの全員が助かった訳ではない。
店を出ると声が掛けられた。
「アンタまたなんて恰好してるんだい!」
女性だ、無事だったようだ。ホッとする。ニンゲン一人の生死を案じる自分に少し驚いた。
「中に入りな! 服ならあげるから」
「アナスタシア様、今度はお金があるので大丈夫ですよ」
女性は首を振る。
「お金なんてとんでもない! この街を救ってくれたんだろ? 好きなの持っていきな!」
でもそれだったら私達の正体も知っているはずだ。その旨を伝えるが、女性は譲らない。
「いいかい? 私達の恩人であることには変わりないんだよ。それが例え魔族だろうとね」
結局代金は受け取ってもらえなかった。以前と似たようなドレス。もっと高価な物でもいいと散々言われたが、これは結構気に入っていた。
気を改めて、南へ向かおう。以前マスターが南に国があると言っていた。街道を進めばたどり着けるだろう。