悪魔族、エルフ族
カチャカチャと音がする。うっすらと目を開くと、窓から月が見えた。急に部屋が暗くなる、窓の外に何者かが立っていた。
「動かないでください」
ユーリアの声だ、既にその眼は何者かを捉えている。窓が開きそいつは部屋に入ってきた。男だ。手にはナイフが握られている。ユーリアが動いた。
布団を跳ね除け、男にぶつける。そのまま男の胴を布団ごと蹴り飛ばした。血が舞い散り、遊んでいた窓ガラスにぶつかり派手に割れる。男はそのまま窓の外、通りに落ちていった。
ユーリアも窓から飛び降りる。その背中からは三対の黒い翼が生えていた。紅く輝く瞳で男をにらみ胸倉を掴むと、問い詰める。
「何が目的だ! 言え!」
「ひっ……。で、出来心だったんだ! あんまり綺麗なもんだから……」
「自分の者にしたかった? 下賎の者が……。アナスタシア様には触れさせない! 死ね!」
男に拳を振り下ろすと、トマトを地面にぶつけるかの如く、その頭は容易く潰れた。魔法でも何でもない、魔族の純粋な力だ。
「大天使が対の存在……、地獄の使いたる【獄使】の私の力を使うまでもなかったか……」
翼をはためかせ窓から部屋に戻る。翼を隠すと、瞳の色も黒く染まった。
「何事ですか! 大丈夫ですか!」
マスターの声だ。部屋の扉には鍵がかかっている。鍵を開けると、扉が激しく開けられた。
「ぞ、賊が窓から……突き飛ばしたら落ちて行きました!」
ユーリアの演技だ。私の身体は恐怖で動かない。何故だろう。ナイフで斬られた程度で死ぬ身体ではないはずだ。今がニンゲンに近づいてる状態だから?
マスターが窓から通りを見下ろす。
「これは……決して見ないでくださいね。衛兵を呼んできます」
そういうとマスターは部屋を飛び出す。
「アナスタシア様、御怪我はありませんか?」
「え、ええ、怪我はないわ」
声が震える。ユーリアは察したのか、私の身体を抱き寄せた。
「大丈夫ですよアナスタシア様。アナスタシア様は睡眠には不慣れな御身体、不意を打たれることに慣れていなかった、それだけの事です。大丈夫です、私が必ずお傍におります」
朝、衛兵から詳しく話を聞かれる。とはいっても、ユーリアと話を合わせた通り、窓から侵入してきた賊をユーリアが突飛ばしたと言うしかない。衛兵が不信がっていたのは賊の死体だった。果たして二階から落ちてこのように頭が割れるものなのか、腹部の打撲痕は何なのか。
しかしその場に居合わせたのは私達だけだ。落ち方が悪かっただけだろう、程度で済んだ。仮にもっと踏み入られたとしても、ただの女性と少女に頭を砕くことも腹部に深い傷を負わせることも不可能だ。魔族に繋がる要素はない。
今日は到底仕事に行くような気分ではない。酒場のカウンターでユーリアとオレンジジュースを飲んでいると、後ろのテーブルについた傭兵らしき一団の会話が耳に入る。
ここは俺達みたいな大人数に合う仕事は少ねえな。
次の街に行くかー。
この前の魔族は大変だったよなー。結局報酬も貰えず終いだしよ。
身体が先に動いていた。その机に向かうと、思っていたよりも大きな声が出てしまう。
「その魔族について教えて!」
男達は戸惑っていたが語りだす。テスタに来て最初の仕事だったそうだ。依頼主は魔族との戦いで子を失った老人。どこから得た情報か、西の森に傷ついた魔族の生き残りがいるとのことで、討伐を依頼された。
「実際に戦ったの? 外見は?」
その力は凄まじく、外見も不気味そのものだったそうだ。形こそニンゲンの女性に近いが、漆黒の肌、黄金色の眼以外何もない顔、頭部の左右に生えた捻じれた角、悪魔そのものの翼と尾。その腕から放たれる黒い光線に幾つもの仲間を失ったそうだ。戦闘が続くと、黒い穴を創り出し、その中へ消えていった。命を奪えなかったことから、多額の報酬も手に入らなかったと。私はそれが何者か知っている。
「……デビィだわ」
小さく口から零れる。
「アナスタシア様」
「ええ、向かいましょう」
マスターにお金を渡し、酒場を出る。西の森を目指そう。
西の街道、もう通い慣れた道だ。しかし何度も行った森だが、魔族に遭遇したことなど当然一度もない。
普段薬草を摘む辺りのさらに奥を目指す。次第に木の数も増え、日差しの届かない鬱蒼とした様子になってきた。
視線を感じる。
「出てきなさい、デビル・デモニック。あなたなのでしょう?」
樹の上から黒い影が舞い降りた。傭兵に聞いた通り、金色の眼以外何もない黒い顔でこちらを伺っている。
「(……何故その名を知っているニンゲン)」
声が直接頭に響き渡る。
「知ってて当然よ。……久しぶりねデビィ。ゲート」
魔法を使い、私の本来の姿に戻る。デビィはその眼を見開いた。
「(……アナスタシア様! その御姿は一体……ユーリア! そっちはユーリアじゃないか!)」
デビル・デモニック。魔族の幹部の一人で、十年前のあの日は、エルフの里の指揮に行っていた。悪魔そのものの名を冠する、悪魔族のトップだ。
魔族と一言で言ってもその中に様々な種類がある。単にそれぞれの個体数があまりにも少なく、魔法を使えるという共通点から【魔族】と一つにまとめられているだけだ。私は不死、ユーリアは獄使、デビィは悪魔。私やお父様は不死と名がつくものの、全く死なないわけではないが。
デビィは私の前に跪く。
「(本当に良かった……、魔王様が倒れたと知りアナスタシア様もユーリアも命を落としたとばかり。他の魔族はどうされたのですか?)」
「わからないわ。私も探しているところなの」
「アナスタシア様は魔王様の御力で仮のニンゲンの姿となりました。今は魔族を探しながら今後の方針を考えてる状態です」
「(しっ……! 気配がします……!)」
デビィが藪に顔を向ける。
「(出てこい、ニンゲン!)」
ナナホシだった。こんなところまで付きまとわれているとは。私もユーリアもニンゲンの姿だったので気づくことができなかった。不覚としか言いようがない。
その腰の刀の布は解かれ、既に刃が顕になっている。
「魔族に手ぇ出しちゃマズいと思って来てみれば。あー……そうか、魔族だったのか。なんか、残念だな」
「……ナイトソード」
魔剣を取り出す。右腕は隠しようもない、アンデッドだ。ユーリアも翼を開き、眼は紅く輝いている。
「ナナホシ、和解の道はないかしら? 鬱陶しいとは思っていたけど、あなたとの時間はそれなりに楽しかったわ」
「……意外だな。問答無用で殺されるかと思ったぜ」
ナナホシの顔には汗が浮かんでいる。
「まあ、和解するしか俺の生きる道はねぇわな。降参だ降参」
刀に布を巻くと、煙草を取り出した。
「それに見たところ、どうやら魔族ってぇのも亜人種と大差ねぇらしい。コミュニケーションが取れればオーケーよ」
「(我々魔族を亜人種と同列に扱うか!)」
「いいのよデビィ、魔族と亜人種は協力関係、主従とも上下とも違う。間違ってるかしら?」
「(……しかし)」
「……ナナホシ、あなたは亜人種も斬ってきたんじゃない?」
「俺は傭兵だぜ? 仕事は仕事さ。亜人種どころか人間だって斬るぜ」
「このことは……」
「ああ、わかってる。他人に漏らした日には俺のクビが飛んじまう」
変な話かもしれないがナナホシの命を奪うことにならなくて少し安堵した。いや、それなりに顔を合わせた者を斬るのはそれなりの覚悟というものが必要だったのだろう。今の私にそれは、ない。
デビィがここにいるという事はエルフ族は健在なのだろう。彼らは元々戦いを好まず、森の中で静かに暮らしていた。しかし、ニンゲンの勢力拡大の煽りを受け、自衛のためにお父様の元へやってきた。お父様はエルフの元へ戦力としてデビィと安住の地を送り、エルフは近隣の叛乱因子を潰す。エルフは生活区域をテスタ近郊に移したようだが、デビィもそれに付いてきたようだ。
「デビィ……、十年間も一人で本当にお疲れ様」
「(亜人種に手を焼くのは不服でしたが、魔王様の命令とあらば。私も身を隠す必要があるため付いてきた次第でございます。それに十年如き、我ら魔族には大した時間ではございません)」
彼女は魔族である自分を特に誇りに思っている。ニンゲンはおろか、亜人種をも見下す傾向にあるのが彼女の悪い癖だ。
「アナスタシア様、これからいかがいたしましょうか」
どうしたものか。このままエルフの里へ向かい、魔族は健在だと証明するのがいいかもしれない。
「デビィ、エルフ達はどのような状態なの?」
「(はっ。テスタともある程度の距離があるため、生活自体は穏やかなもの。しかし、二年前にエルフの長が崩御したため、現在の長は若者。故に、治めきれず好戦的な者が少し目立ち始めているというのが現状です)」
放っておくわけにはいかないという事か。お父様が倒れ、完全に独立してしまった亜人種達も自らの領土を守るために必死なのだろう。
「ナナホシ、あなたはテスタに戻っていてちょうだい。エルフはニンゲンに好意的ではないわ」
「へいへい」
「行きましょう。ユーリア、デビィ」
森のさらに深部へ向かう。姿こそ見えないが、多くの視線、気配を感じる。
「止まれ! 止まらねば射貫く。デビィ、その二人は何者だ」
長耳の布で顔を覆った男が木の上から現れる。同時に矢を弓につがえる音が四方八方からした。
「(魔王様が倒れた今、我ら魔族が女王、アナスタシア様とその側近、ユーリアだ。矢を向けるなど無礼千万。放とうものなら私はこの村をも滅ぼす覚悟でいる)」
「どう見てもニンゲンだ。証明してみろ」
私とユーリアが本来の姿を現すと、森中が騒めいた。
「……皆、弓を下せ。姿を見せろ」
周囲から何人ものエルフが現れる。男も顔の布を解く。金色の髪に切れ長の眼、翠の瞳、そしてエルフ族の象徴である横に伸びた長い耳。
「……失礼しました。お初にお目にかかります。俺が今のエルフの長、ハルカゼです」
「初めまして、私は前魔王の娘。名はアナスタシア」
立ち話をするわけにもいきません。ハルカゼはそう言うと、里に案内する。エルフの里、実際に見るのは初めてだ。森に棲む獣や敵意を向ける者から身を隠す為に、その家は樹上にあった。木に杭を打ち込んだだけの螺旋状の階段を上っていくと、幾つもの家があった。木に打ち付けられた板の上、木に寄り添うように並び、それぞれが吊り橋で繋がっている。
その中の一つに入る。
「ここは客人のための家です。ごゆっくりどうぞ」
ハルカゼが椅子に座るよう促す。ユーリアとデビィは座らず私の後ろに立ち、ハルカゼは対面に座った。
「俺達エルフの近況はご存知でしょうか?」
「ええ、デビィから粗方聞いたわ」
「ここに拠点を移したのには理由があるんです。魔王様の統治の元暮らしていた北の森では、北の王国に聊か近い。なので国同士が仕掛け辛い、国境付近のこの森へ移り住みました。他の亜人種はどうなっているでしょうか?」
「……ユーリア」
「はい、アナスタシア様。……アナスタシア様は前魔王様が倒れた日、魔王様自身の魔法で長い眠りについておられました。十年間鳴りを潜めていたのはそのことがあってのことです」
ハルカゼは少し驚いた様子だった。
「十年間も? やはり魔族は我々とは感覚が異なりますね」
エルフ族もニンゲンに比べれば寿命は長い方だ。しかしそれでも、魔族、特にアンデッドには遠く及ばない。
「……そういう事で、私も近況はあまり理解できていないの。テスタを越えた東の街でマーフォークとの争いがあったらしいとかくらいね」
「その話なら聞いたことがあります。マーフォークが敗れ、生活域を沖にある島に移さざるを得なくなったとか。主食が肉とは不便なものですね。小魚で飢えを凌いでるそうですが」
ニンゲン如きに後れを取る我々ではありませんが、雑食は羨ましい物です。ハルカゼはそういうと立ち上がる。
「今日はここで泊っていってください。召使を付けましょうか?」
「いいえ、結構よ。今日はありがとう。もう一つ、エルフ内で仲違いが起きつつあるというのは本当かしら?」
「……本当です。魔族を失い我々はニンゲンに能動的に対抗しなければならなくなった。彼らニンゲンは何事もやりすぎてしまう。森にも悪影響を与える前に、先に潰してしまおうというものが出ています」
俺が何とかします。今日は魔族の健在が確認できてよかったです。そういうとハルカゼは部屋を後にする。
「ねえ、デビィ。私を現在の長と紹介したけど、やっぱりお父様の席、魔王の座の奪い合いは起きるのかしら」
「(……確かに前魔王は戦闘力に秀でており、その力で魔王の座に就かれました。しかし政策にも長け、何より優しきお方でした。皆それに応じた忠誠心を持っております。楽観視は出来ませんが、おそらく大丈夫かと)」
一つ気がかりがあった。六本の手足を持つ戦虫族。その生命力と武力で上下関係を成り立たせている北に棲む種族だ。お父様も手を焼き、長と城の中で何度も戦闘になっていた。
あの日の直前、勇者に長が倒されたと聞いたが、野蛮ともいえる彼らがおとなしくしているとは思えない。城に近い北の王国についての情報が必要だ。
エルフに好戦的な者が増えているというのも気になる。ハルカゼは何とかするとは言っていたが、何らかの形で釘を打っておかなければならないだろう。
「ねえユーリア……、統治なんてどうしたらいいのかわからないわ。戦虫族の様子が気になるし、エルフの仲違いもどうにかしたいし」
「エルフの事はエルフに任せましょう、アナスタシア様。戦虫族のことは確かに気になりますが、それには北の情報を得るべきでしょう」
「でも、もう十年経っているのよ……。戦虫族のことだからどうなっているか想像もつかないわ。ユーリアとデビィは北の国には行ったことあるの?」
二人は首を振る。
「(申し訳ございません。直接エルフ領に行っての任務だったもので)」
「私も外に出る任を受け持ったことはあまりなかったので……」
「じゃあゲートも駄目ね……そもそも人気のある場所では使用は避けたいし」