魔族、亜人種
結局、昨夜は寝ることがなかった。体調にも問題はない。ホールに下りると、昨日とは少し空気が異なっていた。カウンターへ向かう。
「……? マスター、何かあったの?」
「おお、おはようございます。アナスタシア様、ユーリア様。なんでも西の街道で変死体が発見されたとの噂なんですが……聞いたところ、血痕が一切なく遺体の中にも血液が一滴たりとも残っていなかったとか。身なりや近くにあった荷馬車の中から察するに野盗の類だろうとのことなので、そこは因果応報、と言ったところなんです。しかしこれといって抵抗した様子もなく、死に方が不気味ということもあって街中で噂になっているようですな」
「西の街道……そう」
犯人はもちろん私だ。野盗の死体もちゃんと処分しておくべきだったか。
「昨日お二方が通った場所です。巻き込まれなくてよかったですね」
「本当にそうですね。気を引き締めていかないと……」
ユーリアが話しを合わせていると、背後に気配を感じた。
「ようお嬢さん方! 護衛はいらんかね!」
ナナホシだ。
「いらないわ」
「いりません」
鬱陶しいのも確かにあるが、本当に要らない。いざという時に、正体がバレるから魔法が使えない、では困る。特に戦い慣れしていそうな傭兵なら尚更だ。傭兵が倒れたとき、私達が生き残っているのも不自然。それにおそらくこのナナホシは素人とは違ってこちらの様子もしっかり見て動ける腕の立つニンゲンだろう。完全に魔法が使えない状況だ。
「それはそうと、今日もなにか仕事を紹介してくれるかしら。開店準備だけじゃあ申し訳ないわ」
「そういう事でしたら街の中でできる仕事をご紹介しましょう。街の外は警備を強めるそうですが、暫くは様子見も兼ねて、ですね」
差し出された紙をユーリアが読み上げる。
「花屋の売り子……ですか。それほど人手のいるものとは思えませんが……」
「この街ではこれから結婚式の立て込む季節なのです。花を仕立てる必要があるため、普通の店頭の商売に手が回らないといったところでしょうか。契約期間も長いのでいいかもしれませんね」
「そういうものなんですか。やってみましょう! アナスタシア様」
「ええ、わかったわ」
ユーリアが言うならきっと大丈夫だ。
花屋の仕事は順調だ。何より老夫婦の経営する店だったので大変ありがたがられた。ユーリアは接客から会計までなんでもそつなくこなすし、接客は私も段々と慣れてきている、と思う。しかしそういう時期とは聞いていたが、花屋がこれほど盛況している物とは思っていなかった。
一つだけ、私の身体で分かったことがある。やはり徐々にニンゲンになっていっているようだ。テスタに来た初日、私は魔法を無意識に使っていた。そして睡魔が訪れた。しかし、意識的に魔法を使うと、その日は睡魔も空腹も感じられない。本来のアンデッドとしての在り方を意識しなければ、このまま完全にニンゲンになってしまうのだろうか。恐ろしい。怖い。お父様を恨めしく思うが、それでもニンゲンの姿あっての現状だ。アンデッドのままでは、城へのゲートが使えない今、城にたどり着けるかも怪しいものだ。
夜、扉をノックする音が部屋に響く。日課となった魔法の使用、ゲートを閉じ魔剣をしまい答えると、マスターだった。
「起きてらっしゃるようだったので、お夜食をと思いまして」
手に持つトレイにはワインボトルと紅茶と三つのグラス、そしてクッキーの盛られた皿が乗っている。
ありがとう、と言い部屋に招き入れた。
「ここに来てもう一週間になりますか。どうです、慣れてきましたか?」
そうだ、ここに来てまだ一週間しか経っていないのだ。改めて気づく。
「少し大変ですね。私もアナスタシア様もこのような状況は初めてですので、戸惑うことが多いです」
「……そうでしょうな。過去の詮索はしませんが、ここ、テスタには様々な者が集まります。それこそ貴族の方から落ち延びた兵士まで。この店を経営するうえで様々な方を拝見してきました」
ワインはいかがですかな? ボトルを持ち上げたマスターにユーリアは笑顔でグラスを差し出す。私には紅茶を入れてくれた。
「魔族について……でしたな。大まかには以前セブン・スター様がおっしゃっていた通りなのですが、魔族は非常に容赦なき存在と聞いております。敵対したら最後、皆殺しにされるぞ、と。ただ誇り高き存在というのもまた事実。戦えない女子供には一切手出しをしなかったという話を聞いたこともありますな」
「魔族は……滅びたのでしょうか」
私やユーリア、そしてお父様、その直属の部下達。全員魔族だ。
「全て噂どまりですが、滅んではいないようですね。あまり考えたくはありませんが、以前の野盗の件、あれは魔族がやったのではないかと言われています。十年の時を経てもまだ民衆は魔族に怯えているのです」
「亜人種はどうなっているのですか?」
「テスタ付近にはあまりいません。ただ森に住むエルフのように、各々の環境で今まで通りの暮らしをしています。我々ヒトと敵対していたため、滅ぼしてしまえ。そういう声も大きいですが私はそうは思えません。外見こそ大きく異なりますが、彼らは動物なんかではない。知性のある存在です。和平を結ぶことも不可能ではないと思うのですが……」
クッキーを齧る、仄かなバターの香りが口に広がり、美味しい。
「おっと、遅くまで失礼しました。クッキーとワインと紅茶はおいておきますのでお好きにしてください。……そういえば街中でもう一つ噂になっていることがあるのですが」
「? なんでしょうか?」
「花屋で見目麗しい女性と少女が働いているとのことですよ。それ目当てで花を買いに行く者もいるとか。それでは失礼いたします」
マスターは深く頭を下げると部屋から出ていった。
それにしても結局大した情報は得られなかった。魔族の生き残りがいるかも分からず仕舞いだ。これからどうしたものだろう。
「ユーリア、私達はどうすればいいのかしら」
「テスタを離れることも考えなければいけませんね。ここは城から遠く離れた地。城を目指し北上するべきではないでしょうか。そのために今しばらく資金を集めるのが得策かと」
「ここは居心地がいいけど、仕方ないかしら」
「ですが、今はまだ決断の時ではないと思われます。先延ばししても大丈夫と思いますよ」
決断の時、ユーリアはそういうが、決断の時とはいつだろう。夜は更けていくが、私は眠らない。考える時間はいくらでもあった。
夜以外は忙しい日々だ。時間は矢のように過ぎていく。花屋で働いては、酒場へ帰り、ナナホシをあしらう日々だ。
今日で花屋との契約も終わる。老夫婦に客入りがいいからと引き留められたが、ここを離れることも考えると短期間の仕事の方がいいだろう。
酒場で一休みしていると、またナナホシが声をかけてきた。
「ようお二方、この街を離れるんだって?」
「どうして知っているの?」
このことは私とユーリアしか知らないはずだ。
「この俺に知らねぇことなんてねぇぜ! ……まあ、カマかけただけさ。長い仕事辞める時はだいたい出ていく時だ。そんな奴も何人だっている。珍しい話じゃあねぇさ。俺もそろそろ、ここ離れるかなぁ」
「ねえナナホシ、あなたいつもここにいるけど仕事はしているの?」
「あん? 休憩中だよ。休憩中。ここは居心地がいいからな」
そういうものなのか。傭兵の財布事情は知らないが、なにかまとまったお金が入るようなことがあったのだろう。
「不思議そうな顔してんな。とっくべつに教えてやんよ。結構前に東の海のマーフォークとちょっとデカい戦いがあったのさ。魚の取りすぎとか、人間側の被害とかだな。んで傭兵の中で生き残ったのは俺だけ、がっぽり頂いたわけさ」
やはりこのナナホシという男、腕は立つようだ。聞いた話でしかないが。
「必要ならついてくぜ。まあ必要なくてもついてくつもりだが」
「どうしてですか? 貴方の手を借りずとも問題はありませんよ」
ユーリアが何度も言ってきた事だが、ナナホシがそれを聞き入れた事は無い。
「だーかーらー、女の子二人放っとけるかって。ここいらの治安も怪しくなってきたしよ、また外に出るような仕事すんだろ? 特別に一回は無料で護衛してやるよ」
「もう、わかったわ。明日はまた薬草摘みに行く予定だからその時にでも好きにしなさい」
「よっしゃ!」
「アナスタシア様!」
「いいわよ、一回くらい。今日はもう寝ましょう」
マスターにお金を渡し、二階に上がる。
「いいのですか。アナスタシア様!」
「一回付き合って満足してもらえばそっちの方が話は早いわ」
「いよいよ邪魔になるようでしたら私が後ろから殺してしまいましょう」
ニンゲン一人にそこまでしなくていいわよ、そういうとユーリアは不服そうではあるが納得してくれたようだ。
翌日、いつものように一階に下りると既にナナホシが待っていた。腰には刃に紅く厚い布を荒く巻いただけの大振りの刀、それ以外に荷物は見受けられない。
「おはよーございますお嬢さん方! 準備は万端ですぜ!」
思わずため息がでる。
「そこまで張り切らなくても大丈夫よ……。薬草を取りに行くだけだわ」
ふと気が付いた。酒場の男達の目線がこちらに集まっている。ナナホシがそちらを振り返りガッツポーズするとため息をつく者、親指を下に向ける者、中指を立てる物、様々だ。何かあったのだろうか。
カウンターに座り、マスターに飲み物を頼む。いつものようにジュースを飲んでいると、後ろでは乱闘が始まっていた。
「マスター、この近くにはどんな街があるのかしら」
するとマスターは机の下から大きな紙を取り出した。付近の地図のようだ。
「そうですねえ。すぐ近く、とはいきませんが東に行けば海に面した街があります。しかしそこはマーフォークとの対立が強いので御勧めは出来ません。西の森を進んでいくとそこにはエルフ族の集落があります。つまり危険ですね。となると南か北になるのですが、北には王国傘下の街が多くあり、南にはまた異なる国があります。ここテスタはちょうどその境に位置している自治区というわけですな」
ナナホシが地図を覗き込む、乱闘は終わったようだ。
「北はオーク、南もゴブリン。どっちもどっちだな。まあ今安全なのはそのどっちかだろ」
エルフ、マーフォーク、オーク、ゴブリン。どれも魔族の傘下に入っていた種族だ。それぞれがこの十年の間に、魔族の元から離散し各々の地域に生活域を見出したのだろう。無事に生き残っていることを喜ぶべきか、魔族の元をあっさり離れたことに怒りを覚えるべきか。もやもやとした感情を抱えていると、ナナホシは気楽に言う。
「まあ、急ぐ訳じゃねぇんだろ? 薬草取りに行こうぜ」
「……そうね」
内心、焦りはあった。テスタにたどり着いてひと月以上経っている。しかし、状況も今後の方針も、何も決まっていない。ここを離れるというのもその焦りからだ。進んだことと言えば当面の資金が確保できたことくらいか。
「ねえナナホシ、私は魔族について知りたいのだけれど、どうしたらいいかしら」
思わず聞いてしまった。ナナホシに深入りするのは避けたいところだが。
「おっ、初めて頼ってくれたねぇ。まあ、魔王がいたっていう北を目指すか人の出入りが多いテスタに留まるかだろうな。亜人種に聴くのが手っ取り早いがニンゲンは眼の仇、当然だな。何らかのコネがないと不可能ってぇもんだ。早く行こうぜ、依頼は確実にこなす! 信頼ってのを得るのは難しいもんだぜ」
「それはまあ、そうですね。行きましょうアナスタシア様」
西の街道を進み、薬草を摘み、西の街道を戻る。驚くほど何も起きなかった。とにかくナナホシとの契約もこれで終わりだ。酒場でリンゴジュースを飲むとしよう。
「かーっ、こうもなにも起きないとは思わなかったぜ。熊の一匹や二匹出てきてもいいだろうがよ」
「そもそも安全が売りの依頼です。さあ、無料は終わりなのでしょう? 契約を続けるつもりはありませんわ」
ユーリアがナナホシを手で追いやる。
「いーやまだだね! 護衛する以上はそれらしいことしないとこっちも引けねぇ!」
とんだ屁理屈だ。護衛は本来、ほんの一時の繋がりだと思っていたが。
引っ込んでろナナホシー!
次は俺が護衛してやるよ!
周囲から謎の野次が飛ぶ。
そういえば以前ナナホシはここを離れると言っていた。ならばとりあえずだがこれからの方針も見えてくる。
「……もうしばらくここに残ろうかしら」
歓声が沸き起こった。様々な料理や飲み物が目の前のカウンターに並ぶ。
「こんなには払えないわ! 注文もしてないわよ!」
マスターは肩をすくめる。
「全て他のお客様からの奢りです。……苦労が絶えませんな」
やっぱりここを離れた方が良かったかもしれない。少し後悔しながら目の前の料理を眺める。鶏肉を油で揚げたものやドレッシングのかかったサラダ、ニンニクの香りが、たぶん食欲をそそるパスタ。様々な料理が並んでいる。普通食事をしない私には一皿でも食べられるか怪しい。
しかしこう見えてユーリアは大飯喰らいだ。食事に慣れない私の代わりに次々料理を食べていく。
「やはりここの料理は美味しいですアナスタシア様!」
「そういうものなの? 私にはわからないわね。ああ、確かに以前食べたクッキーは美味しかったわ」
結局ユーリアは殆ど一人で食べきってしまった。あの細い体のどこにそんな空間があるんだろう。ひょっとしたら胸に入っていっているのかもしれない。
馬鹿な事を考えていると、次第に眠たくなってきた。そういえば今日は魔法を使ってなかったな。
「マスター、そろそろ上がるわ。今日はありがとう。ナナホシも、一応ありがとう」
「一応、どういたしましてな」
一応、というのが少し引っかかったが。とにかく頭が重い。
生まれて二回目の睡眠だ。やはり不安が残る。
「ユーリア……その……」
「アナスタシア様、もちろん大丈夫です」
服を脱ぐと、ユーリアと共にベッドに横になる。ユーリアに抱きしめられるとやはり安心感が沸いてきた。無事眠ることができそうだ。