アイドルからの依頼
「ライブに行かない?」
土曜の朝、事務所に上がり込んできた林檎がニコニコと話し出した。彼女以外にいるのはオレと、華音、咲、秀一の4人だ。すっかりこの事務所は子供達のたまり場になっていた。
「らいぶ?」
華音が何それ、といった感じで返答する。咲はテレビの前のソファで本を読んでいるが、一応話は聞いているようだ。男二人は飯を食うテーブルの椅子に座り、ココアと烏龍茶を飲んでいた。
「明日の日曜日、アイドルのライブの席が取れたの。どう?」
咲は何かを察したような感じだが、オレと華音は頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
「林檎、いったい誰のライブか言わないと、分からないだろ?」
「あ、ごめんなさ~い。」
そう言って林檎はテレビの電源を入れる。映し出された番組はアイドルについてのニュースだった。
その番組は、とある一人のアイドルの特集をやっていた。
そのアイドルの名前は、卯月天音。
「こいつ有名なのか?」
ポツリと言ったオレの言葉に、林檎が食って掛かってきた。
「有名なんてもんじゃないよ! 私達と同じ年齢で注目されてるアイドル、皆の憧れ!」
あ、こいつ絶対ファンだな。このままこの卯月ってやつのことを語らせたら終わらなさそうだ。今回のコンサートだって楽しみにしてたに違いない。
「でも、よく5人分の席取れたな。人気のアイドルなんだろ?」
人気のアイドルの席とか満席のイメージがあるし、抽選とかもある感じがすんだが。
すると秀一が話し出した。
「父さんがこのライブの運営に関わっててね、お礼に僕たちの席を用意してくれたらしいよ。」
……そういやこいつらの親父さん、金持ちだったな。
そんな会話をしていると、ピンポーンと音が鳴る。どうやら来客が来たようだ。咲や神崎兄妹が邪魔にならないように移動を始め、華音が玄関に向かった。
ドアを開ける音の後、華音が驚嘆の声を上げた。何かあったのかと、オレも玄関に向かった。
「華音! どうした!? 大丈……ぶ!?」
外でオレ達を待っていた人物に驚く。
さっきテレビに映ったアイドル、卯月天音だった。
応接室。来客用のテーブルに、華音が淹れてくれたお茶とココアが置かれる。卯月天音は来客が座る用のソファに座っている。オレはテーブルを挟んだ向かい側のチープな椅子に座って、早速ココアを飲んでいた。他は応接室の扉の隙間から様子をうかがっていた。
「それで、この事務所の所長はどこ?」
「いや、オレだけど。」
知らないで来たのかよこいつ。まあ探偵やってる小学生なんて小さくなっても頭脳は同じな奴ぐらいだけど。
卯月はやれやれ、といった感じで、
「騙されないよ~。外にバイクがあるの知ってるもん。嘘つかずに、所長さん呼んで来てよ。」
と言った。
口で分からないのなら、見せたほうが早いか。財布の中から免許証を取り出した。卯月は目を丸にして固まっている。
「…で、今人気のアイドルがなんでこんなところに?」
これ以上この話をしても埒が明かないので、さっさと本題に移ることにした。卯月は動揺していたが、お茶を飲んで落ち着きを取り戻し、話し出した。
「……最近、ストーカーがいるの。」
「ストーカー?」
ストーカーとは、ストーキング、つまり特定の人につきまとう行為をする人のことである。そんなことをする奴の大体は碌な奴じゃない。
だが、そういう奴は刺激すると何するか分からない。何らかの対策をすると、さらに過激な行動に出る可能性がある。実に面倒くさい。
「何処にいても人の視線を感じるし、変なメールや荷物が届いていたりして、お風呂も覗かれてる気がするの。」
本格的にヤバくないかそれ。こいつのプロデューサーとかは何やってんだ。
「警察には?」
卯月は首を振る。
「ファンの皆に、心配はかけたくないから…」
だからオレのところに来た、と。見上げたプロ精神だな。
オレが依頼内容を理解すると、オレの後ろから激しい怒気を感じた。
「許さない…絶対許さない!」
怒気を発していたのは、林檎だった。どこぞのオレンジの鎧を纏う人みたいなことを言っている。その目は怒りに燃えていた。
林檎は卯月の右手を両手で包み込み、ぎゅっと握りしめ、
「皆の卯月ちゃんをストーキングする奴は、私達がぜぇっっったいに捕まえるから!」
その剣幕に押されてタジタジになっている卯月。決意が固そうな林檎。
…これ、引き受けないと殺されるやつだ。
卯月さんの依頼を受けた皆さんは、とりあえず今後どうするか話し合っていた。なにしろアイドルだから、スケジュールに合わせて動かないといけないらしい。
話に入れない私は、卯月さんに話しかけた。
「あの、卯月さん。」
「『卯月』でいいよ、華音ちゃん。」
ニコッと笑う卯月さん。でも、アイドルを呼び捨てで呼ぶわけにもいかないし…
「え、えっと…卯月、ちゃん。」
さらにニコッとなる卯月ちゃん。すごく自然なその笑顔は、とても可愛らしかった。
「なんで卯月ちゃんは、アイドルになったの?」
その言葉に、卯月ちゃんは上を向いて考え出した。
「そうだなぁ…皆に、笑顔を見て欲しかった、からかな。」
「皆を?」
「うん。誰かが笑えば、いずれ皆が笑う。私の笑顔で、誰かを笑顔にしたいなって、思ったから。」
自分の夢を語る卯月ちゃんを、私はじっと見つめていた。こんなにも近くにいるのに、卯月ちゃんが遠く感じる。
「華音ちゃんの夢は、なに?」
私は、返事ができなかった。
拓也さんと卯月ちゃんが遠く感じる理由が、分かった気がする。
私には、目的や目標、夢がないんだ──
方針が決定した。オレはノートパソコンを起動させて、秀一に操作を頼んだ。卯月からメールアドレスを教えてもらい、メールボックスをチェックする。ストーカーからのメールはすぐにわかった。
そのメールの差出人のアドレスから、相手のパソコンにハッキングを仕掛けるのだ。
「いけるか? 秀一。」
「僕を誰だと思ってるんだい? まあ見ててよ。」
凄まじい速さでキーボードを叩く秀一。いくつもの文字が現れては、上にスクロールされて消える。
「プロテクトが甘すぎるね。ハッキングされるとは思わなかったのかい?」
秀一が大きくエンターを押す。それが終了の合図だった。あちらのパソコンの操作権は、完全にこちらが握っている。
「そこから相手の住所とかが分かるはずだ。あとはそこに警察を送り込めば、一件落着だな。」
「よかったぁ…」
ホッと息を下ろす卯月。秀一によって相手の住所が判明し、早速おやっさんに電話した。
「…という訳なんだ。さっき伝えた住所を捜査してくれないか?」
「…いや、調べたんだが、そこは随分前から空き家だぞ?」
「え?」
不穏な空気を感じ取る一同。おやっさんは続ける。
「そこは一年前に住んでいた人が死んで、そのまま放置されてる一軒家だ。電気もガスも、水道も通ってねえぞ?」
そう言った後、おやっさんは「わりぃ。」と言って電話を切った。残されたのは、静まった空気だけ。
「…どうするの? その空き家にでも行く?」
咲が口を開く。たしかにそれもあるけれど、やっておきたいこともある。役割分担といこう。
「オレがその空き家まで行く。秀一は引き続きパソコンで情報を集めといてくれ。で、女子たちは…」
何かやらせろと言わんばかりにこちらを見る林檎。こいつを放っておいたら嫌な予感がする。だからと言って巻き込むわけにはいかないしなぁ…
「…女子は待機な。咲、こいつらを見張っといてくれ。」
「はいはい。」
咲はそう言って、本の読書に戻った。林檎はまだブーブー言っていたが。
バイクに乗って、空き家に向かった。
空き家に着く。この辺は住宅街だが、この家の周りは人気がなく、整然としている。おやっさんから許可は貰ったので、遠慮なく上がらせてもらおう。
中に入ると埃だらけで、廊下の板はミシミシと音を立てていた。
「…人がいたとは思えないな。偽の住所をパソコンに登録しておいたのか?」
各部屋をくまなく探索する。なるべく物には触らないように。だが、目ぼしい物は見つけられなかった。
「こりゃはずれだな。振り出しに戻ったか。」
ため息をつくと同時に、電話が鳴る。秀一からだった。
「もしもし、拓也? 何かあったかい?」
「何も。人がいた痕跡もなかった。」
「だろうね。今もう一度住所を割り出したら、今度は南極のど真ん中。その他のデータも無防備に見せかけて、厳重にプロテクトがある。これは骨が折れそうだ。」
「…なんか妙だな。操作権はあっさり盗られるプロテクトなのに、盗られた後のやつはしっかりしてるのか。」
「そう。まるで、僕達に見せつけるかのように、ね。」
「見せつける? 何を?」
「たった一つだけ、プロテクトがかかっていないファイルがあるんだよ。ファイル名は、『ようこそ』だってさ。」
「…ふざけやがって。」
「これは君が帰ってから開けるようにしよう。コピーを取って、と。」
「了解。さっさと帰る。なんか嫌な予感がするしな。」
通話を切って、バイクを走らせた。
秀一さんが電話をしてる。相手は多分拓也さんだ。
そんな中、卯月ちゃんと林檎ちゃんが何やらひそひそ話をしていた。
「ねえ、林檎ちゃん。すごく退屈なんだけど。」
「この近くに歩いて3分ぐらいで着く、大型デパートがあるよ。問題は咲さんという監視がいるけど。」
「それなら大丈夫。ちょっと耳栓してて。」
み、耳栓? なんでそんなの・・・
すると卯月ちゃんは急に歌い出した。その歌は、たしかテレビでも流れていたような気がする。
最初はなんともなかったけれど、サビに入った途端、
咲さんと秀一さんの意識は、途切れた。
家に帰っている途中に、電話が鳴った。横道に止まってスマホを見る。秀一からだった。
「どうした? 何か分かったのか?」
「え~とねぇ…すごく言いづらいのだけど…三人が行っちゃった。」
「はあ!?」
「いや~なんでか分からないけど、いつの間にか寝てて、机には華音ちゃんの書置きがあった。」
「華音の? 何て書いてある?」
「『初語巣デパートに卯月ちゃんと林檎ちゃんが行ったので追いかけてきます』だってさ。」
「…了解。」
自分で言うのもなんだが、その声は威圧感があったと思う。
耳栓をしていて助かった私は、二人を追いかけてデパートに来ていた。
しかし二人に見つかってしまい、今私はフードコートにいた。
「…それにしても、卯月ちゃんが能力者だったなんて、驚いた~。」
「皆には内緒ね。誰にも教えてないの。」
憧れの目線を向ける林檎ちゃんと、照れる卯月ちゃん。
「で、ここには何をしに来たの?」
私がそう問うと、二人は顔を見合わせて、こう言った。
「「別に何も?」」
…この場に拓也さんがいなくてよかった。これ聞いたら確実に怒っちゃうよ。
私はため息をついた。拓也さんの癖が移ったのかも。
「ねえねえ、それより二人とも」
唐突に卯月ちゃんは話し始めた。その話題に対し私は──
「『紅い閃光』って、知ってる?」
──懐かしさを感じていた。