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「ヴィイ」  「肖像画」   ゴーゴリ原作 ホラー小説 試論

作者: 舜風人

ゴーゴリはロシア民衆の哀歓をペーソスあふれる語り口で描いた庶民作家として知られている。


「外套」がその代表作だろう。


しかし、、実はゴーゴリは


多くの怪奇小説も書いているのだ。


その一つがこれ、、


「ヴィイ」である。


魔女に取り付かれて狂死する神学生を描いた「ヴィイ」


これはロシアで映画にもなっていて私は見た覚えがある。その映画も秀作ですね。




「ヴィイ」あらすじ


中世ロシア。古都キエフのブラッキー修道院の庭に神学生たちの荘重な讃美歌が流れる。


まもなく、クリスマス休暇がはじまろうとしている。


神学生で寄宿生の一人、ホマ・ブルートは、故郷へと向かった。


仲間二人と共に、ステップでやっと見つけた小屋に宿を求めたその夜、


老婆が彼に寄って来て彼の背に飛び乗った。老婆はホマをつかんだまま、


空に舞い上がり、しばらく飛んで、再び大地に足が着いた


ホマは恐怖におののき老婆を打ちのめした。


と、、、、、。


打ちのめした筈の老婆は、死んでしまい、、、美しい娘に変わっていた。


驚いたホマは命からがらそこから逃げ出すのでした。


それから、、、


ほどなくたって、ホマは、コサック部落の地主に呼ばれ、若くしてあえなく死んだ娘のために


古い教会で三晩祈とうをあげるように命ぜられる。


黒い棺の傍で、ただひとり、夜、祈とう書を読み上げるホマ。


やがて、棺のふたが開き、娘の目に涙が浮かんだ。起き上がったその娘は、


なんとあの老婆が変身した美しい娘であった。


必死になってホマをさがす妖女、逃げ回るホマ、

教会の扉は固く錠が射してあって出られないのだ。


やがて、、鶏が鳴くと妖女は、、元の棺に戻って動かなくなる。


しかし二日目の夜が来ると再び妖女はむっくりと起き上がりホマを探す。



祈り続けて三日目の夜を迎えた日、教会を風が吹き抜け、壁にある聖像画の陰から、


次々に姿を現わす怪物。踊り出す骸骨、異様な眼光を放つ娘。


さながら怪物たちが集う宴のような教会に、やがて魔女の呪いが満ち満ちるのだった。


と、妖女が叫ぶ


「ヴィイを呼んでおいで」




そして、、3日目の朝、、地主が教会堂の扉を開けると、、


無残にむくろとなっているホマを発見するのであった。



1967年に映画化されています。これはカルト的な人気?の映画ですね。


ВИЙ(邦題は「妖婆死棺の呪い」というなんともオドロドロしいものです


が、ロシア(ソ連)最初のホラー映画という名誉?を与えられれてます。


http://www.youtube.com/watch?v=zyg0WUsY9HI









さて次は「肖像画」である。


これは芸術と才能の相克を扱った芸術家小説である。


絵から人物が抜け出すというのはよくある設定で、怪奇小説の定番でもありますね?


「ドリアングレイの肖像」もそうですが絵というのは一種不思議な雰囲気をかもしますね。


絵から抜け出すとか、、、


絵の美女に恋するとか、、、、そんな話は昔から物語に書かれています





「肖像画」あらすじ


「肖像画」は、ゴーゴリが1835年に発表した論文・小説集『アラベスキ』に収録された同名の短編小説です。


いわゆる「ペテルブルグもの」の1作で、眼光するどく形相すさまじい老人を描いた肖像画にまつわる物語です。



とある、、才能もない、貧乏画家が、、


露店市で、、異様な眼光を放つ老人を描いた古い絵を見つけます。


貧乏画家がこの絵を手に入れて持ち帰ると、夜、絵から老人が抜け出し懐から金袋を取り出すという夢を見ます。


ところが、貧乏画家が、目ざめて絵の額縁を外してみると、、、


絵の額縁から本当に金袋が出てきて、貧乏画家は金持ちになり、その金を元手に、、


一躍、流行作家となります。


しかし、美術学校時代の友人がイタリアから帰国して開いた展覧会の絵を見た主人公は、


自分の画力のなさを恥じ、自信を喪失して、自分の絵を並べてみているうちに


老人の幽霊に憑かれ狂死してしまいます。


その後、その肖像画は競売にかけられることになりますが、この絵はもともと例のイタリアから帰国した画家の父親のものでした。


父親からこの絵は不浄なもので、見つけたら破棄せよと厳命されていたものだったことなどを画家は語りはじめます。


画家の話が終ったとき、肖像画は跡形もなく消え失せ、その場にいた一同は唖然とするのでした…。






売れない画家、はっきり言って才能がない画家ほど哀れなものはない。


だが、モジリアニもゴッホも生前全く売れなかった。


そう考えると売れなくても何でも自分を信じて突き進むしかないのかなとも思う。


自分が本当に満足できるのか。それでいいのか、


そこのところが、判断基準だろうか?


しかし、では、もしこの売れない貧乏画家がひょんなことから


この妖しい絵を手に入れることがなかったら、この貧乏画家はどうなっていたのか?


私はふとそんな、、もう一つの結末を考えるのである。


恐らく一生売れないで、平凡に終わっただろう。


あるいは画家を放棄して1庶民に帰一してうずもれて死んだろう。


一時的とは言え、、いい夢を見させてもらって流行画家になって、、揚句、、狂死する人生か。


全く売れないで、画業も放棄してうずもれて一生終わるか。


どっちの人生がよかったのか?


究極の選択でしょうね?。





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