最後の逃亡
「おーおーやってるやってる。」
さすがに堂々と入口から入るのはためらわれたので、あたしと月奈は裏手に回ってギャラリー観覧席からこっそりと試合の様子を窺った。
すでに試合が始まっている体育館は、林山の殺気とウチの余裕しゃくしゃくな雰囲気でなんとも微妙な空気を醸し出していた。
「点数は……今のところは林山がリードしてるね。」
「あんの三馬鹿、完全に遊んでるとしか思えないわね。」
常に全力投球のスタンスは一体どこにいったんだ、とあたしは胸中で突っ込みを入れた。
沖口はともかく、後の二人は完全に顔が笑っているんだもの、嫌でも分かる。
そしてそれは林山にも伝わっているのか、時間が経つごとに彼らの顔が般若のようになっていくのも、良く分かる。
「ってめぇら、いい加減本気出せよ! 俺らをおちょくってんのか!?」
あぁ、ついにキレた。
「あはは、やだなぁ。林山男バス部長ともあろう人が何言ってるんですか。
俺らは至極本気ですよ?」
ひらひらと敵の攻撃をかわしながら成嶋君があっけらかんとのたまう。…こういう(適当な)人が部長だから、なんかもう色々脱力ものである。
最後にもう一度かわしきってから成嶋君がパスを出す。
林山のパスカットが追いつく前に、素早い動きでボールを取ったのは副部長の水無瀬君だ。
「そうそう、バスケに対しての情熱は凄まじいんだからー。…ただ、相手に合わせた試合スタイルを取ってるだけで。」
「……コロす、」
最後に水無瀬君が放った言葉は林山にはばっちり届いていたみたいで、分かりやすいくらい彼らの額には青筋がたった。…お前ら真面目にバスケしている全国の部員に謝れ。
まぁ林山が気に喰わないのは物凄く良く分かるので、あたしも月奈もあえて口には出さない。
素早さが持ち味の水無瀬君はあっという間にゴール近くまで距離を詰めると、選手交代とばかりにパスを出す。
ゴール近くに常駐しているのは、化け物並みのシュート成功率を誇る、沖口だ。
「……はぁ。」
ヤツはため息しか吐かなかった。
やる気もへったくれもないんだろう。それでもきちんと試合をしているあたりが律儀なヤツらしい。
敵の苛烈な妨害もなんのその、沖口は一度ステップをとって攻撃をかわした後、シュートする。
放たれたボールは綺麗に弧を描いてゴールへと吸い込まれていく。
二点差だった点数は、これで同点となった。
「さすが、いっそムカつくくらい余裕だねぇ。かわいそうに、林山の人たち。」
「ま、いいんじゃない? 傍から見たらテンションの温度差がコントみたいで面白いし、」
言いかけて、あたしは一瞬言葉が止まった。
ゴールから守りへと入る準備をしていた沖口が、こちらを見ているような気がしたから。
――気づかれた、か?
驚いているような怒っているような微妙な表情をしている沖口を見ていたら、自然と頬が緩んだ。
沖口とは、もう気まずい空気ではなくなっていた。
少し前から、あたしもヤツも何事もなかったかのように接しているから。
進展するでもなく後退するでもなく、ただただ普通を装って。
……あたし達は、いつまでも逃げてばかりだ。
そんな思いを振り払うように、あたしは伝わるか分からない口パクで沖口にメッセージを送る。
中学以来使うことのなかった言葉だ。
『行って来い、バーカ。』
ニヤニヤ笑いながら言ってやると、沖口は一瞬目を見開いて、それから微妙に笑った。ような気がした。
「…沖口君にバレたかな? こっち見てたような気がしたんだけど。」
「……さぁ? どうだろうね。」
割と聡い月奈のそんな呟きにも、あたしはニヤニヤと笑いながら答えたのだった。
――――……
それからの試合結果は、まぁ言わなくとも良く分かるだろう。
最終的にかなりの点数差をつけて勝利したうちの男バスの部員たちは笑顔も笑顔。対して林山の人たちは殺気を通り越してもはや怨念に近い念を込めてそれを睨んでいた。
一応正式な試合だから乱闘になることはなさそうではあるけれど……これから一か月は背後に気を付けた方がいいと思う。(特に三馬鹿)
そんな一部始終を見ていたあたし達は両方のチームが体育館から出て行ったことを確認するとすっかり凝り固まっていた身体をほぐすために一度大きく伸びをする。
体中の骨が鳴る。どうやら予想以上に試合に熱中していたようだった。
「いやー、楽しかったね。試合。」
「うん。林山のあの顔! 普段嫌ってくらい絡まれるからなんかスッキリしちゃった。」
「へぇ、それは良かった。」
「!? っあ、季!?」
突然会話に割って入ってきた第三者の声にびっくりして月奈が背後を見る。
そこにはたった今まで試合をしていた成嶋君の姿があった。…まぁあたしは見えていたから気づいていたけれど。
「沖口に言われて焦ったよ。あれだけ言っておいたのにまさか来るなんてねぇ…。」
「あ、あはは…ごめん……何があるのかなーってどうしても気になっちゃって。」
「林山に見つからなかったからいいものの…次に家来るとき、覚悟しておきなよ? 月奈。」
「!!」
にっこりと笑う成嶋君は、間違いなく目が本気だった。
それを察知したんだろう、月奈の顔に冷や汗が浮かんだのが目に見えて分かった。
「あらら…ご愁傷様、月奈。」
「ちょ、真由!? なんかフォローしてよ!!」
「やだ。面白そうだし。」
「反省するのはお前も同じだ、立花。」
「……げ。」
横から聞こえてきた声にそちらを向くと、いつの間にやら。
今度は沖口が呆れと怒りが混ざったなんとも複雑な表情をして立っていた。
「何、あんたもいたの。」
「誰かに説教するためにな。」
「えーいらなーい。」
「お前な…もうちょっと自覚しろ、色々と。
ただでさえその容姿のせいで他校の男どもから目付けられてるんだ、そんなことしてるといつか襲われるぞ。」
「うーわー、容姿のことあんたにだけは言われたくないわね。」
あたしよりよっぽど美人なやつが何を言う。そう言ったら俺は男だから良いんだ、とよく分からない自論を返された。…差別だ。
隣で痴話喧嘩をしている月奈達は放っておいて、あたしはギャラリーを後にする。
そんなあたしの身勝手ぶりにはもう慣れきっているのか、沖口はため息を一つ吐いただけで後は大人しくついてきた。
「おい真由。」
「何よーもー、お母さんじゃないんだから説教はそろそろいらないわよ。」
「お前はもうちょっと貞操危機をもつべきだ。見てて危なっかしいことこの上ない。」
「あたしを無理やり襲った奴が言えるセリフか。」
「それは……気持ちの問題だろう。」
気持ちの問題? 何が? どれが?
「あんたの言ってることって、たまに本当意味不明よね。」
「安心しろ、お前の頭じゃ分からんことくらい理解してる。」
この野郎。
ひくりと引きつる頬を堪えて、あたしはギャラリーの階段を下りるとそのまま校門へと向かう。
日は既にほとんど落ちていて、紺色の空に三日月と星が二つ瞬いていた。
「もう暗いな。送るからちょっと待ってろ。」
「いらないっつの。大体あんたん家反対方向でしょうよ。」
「駅は同じだろう。」
「そんなこと言って結局家まで来るくせに……そうじゃなくて、今日は本当必要ないのよ。
車呼ぶから。」
携帯を取り出しながら言うと、沖口の顔に少しだけ驚いたような表情が浮かんだ。
「…珍しいな。いつもは目立つから絶対嫌とか言うくせに。」
「それはお互い様でしょ。…ちょっと、お母さんと約束があってね。ついでにご飯一緒してくるの。
ほら、だから早く戻りなさいよ。呼んでるよ。」
体育館の方を見ると、男バスのメンバーが大きく手を振って沖口を呼んでいるのが見えた。
おそらく今日は祝杯だろう。
その光景を一瞥すると、沖口は諦めたように小さくため息を吐く。…コイツ、今日だけで一体どのくらい幸せを捨てているんだろう。
「…学校の敷地内で待ってろよ、車。」
「はいはい。じゃぁねー。」
ひらひらと手を振って見送ると、沖口は軽く手を挙げてから部員の所へと戻って行った。
慕われているのだろう、沖口を迎える部員達は皆暖かく笑っていた。
沖口に声が届かない所まで距離が開いたことを確認すると、あたしは携帯を耳に当てる。
数コール後に繋がった先は、お母さんのプライベート用の携帯だ。
「あ、お母さん? 遅くなってごめんね。…うん、もう大丈夫だから。
……それとさ、お母さん。」
校門に背を預けながら会話を続ける。
もたれかかった校門は、真冬の冷気で妙に冷え冷えとしていた。
「あれ、朝言ってた…そう、“お見合い”? いつ頃になるか決まった?」
あたし達は、いつも逃げてばかりだ。
それはお互い良く分かっていると思う。
そろそろこの馬鹿みたいな状況をどうにかしないといけないことも。
今日、最後に沖口の試合をしている姿を見られて良かった。
あたしが一番好きだった、アイツの姿。それが見られたから、なんだかもう踏ん切りがついた気がする。
だから、あたしは。
見上げた空は、何故だか無性にあたしを悲しくさせた。
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