何やら事件の匂い
いつもと同じように就寝して、いつもと同じ時間に起きる。
眠い目をこすりながら今日のお弁当の中身はどうしようかと考える。
それがあたしの日課だ。
けれど、今朝はちょっといつもと違った。
「あら、おはよう。真由。」
「……。」
テーブルに並ぶ美味しそうな朝食に、メーカーの中で着々と作られていくコーヒー。
トースターのパンが飛びだす小気味いい音に、目の前で笑っている人物。
その全てがあまりにも現実味を帯びていなくて、あたしはドアの前で固まることしかできなかった。
「あら、なぁにー? その反応は。わたしがいるのがそんなに不満?」
「いや…ちょっとびっくりしただけ。
おはよう、お母さん。」
ぱちぱちと目を瞬きながら言うと、お母さんはにっこりと花が咲くように笑った。
立花 知世子。
それがあたしのお母さんだ。
結構大手のカフェ系の飲食チェーン店を経営する会社の社長なんてやっている、いわばバリバリのキャリアウーマン。
そのくせ基本は朗らかで優しくとても高校生の娘がいるとは思えない、そんな美しさを今も持っている女性だ。
それは未だ、お父さんに恋をしているからじゃないかとあたしは思っているけれど。
お父さんは、あたしが生まれた時からこの世にはいない。
お母さんの妊娠が発覚する前に重い病気で亡くなってしまったと聞いた。
お母さんは周囲の反対を無理やり押し切ってあたしを生んだんだよ、とも。
そう、内緒話をするように微笑みながら小さなあたしに教えてくれたお祖母ちゃんの顔は今でも忘れられない。
「珍しいね、朝からお母さんがいるなんて。しかも朝食っていうオプション付き。」
「ふふ、昨日やっと大きな仕事が終わってねー、今日一日はお休み貰っちゃったの。」
にこにこと笑いながらあたしのカップにコーヒーを注ぐお母さんは…なるほど、こりゃあ結婚願望のある男が群がってくるはずだ。
若くて綺麗で資産もあってその上料理上手な女なんて、狙われない方がおかしい。
まぁお母さんは本気だとは思っていないみたいだけれど。幹部の人たちの苦労が目に浮かぶ。
しばらく久しぶりの二人での朝食を楽しんでいると、ふいにお母さんがカップをおろしたと思ったら、まっすぐにこちらを見据えてきた。
「……ねぇ、真由。」
「ん、何よ。そんな改まって。」
「ちょっと…相談があるんだけれどね。」
お母さんの神妙な雰囲気に押されてつられてあたしもカップをおろすと、お母さんは整えるように一つ息を吐き出す。
「あのね…………」
――――……
「ね、真由。今からどっか遊びに行こうよ。」
一足先に帰る準備を終えた月奈がこちらに来たと思ったらそんな提案をしてきて、教科書を鞄にしまう作業をしていた手が止まった。
「何、珍しいじゃん。木曜日は男バス休みだから成嶋君と放課後デートが日課だったじゃない。」
「それが、今日は部活のことで一緒に帰れない、なんて言われちゃって。」
試合もないのに、変だよね。という呟きを聞きながらあたしははてと首を傾げる。
そういえば沖口も六限が終わった瞬間慌ただしそうに教室を出て行ったのを見た気がする。
沖口だけじゃない。成嶋君も水無瀬君も同じような感じだった。
メンツ的には男バスの三柱だし、不自然じゃないといえば不自然じゃないけれど…なんだろう、何かが引っかかる。
頭の中で引っかかる何かに眉を寄せていると、急に教室内がざわざわと騒がしくなった。
何だろうと思って周囲を見回すと、クラスメイト達は一様に窓の外を見ていた。
校門が見えるその窓につられるようにしてあたし達もそこを見ると、その光景に息を呑んだ。
「ねぇ、あれって林山の…。」
「あぁ…でもなんであいつらが……。」
クラスメイト達の会話にあたしと月奈は顔を見合わせる。
「見た目、体育系だよね。部活の練習試合か何かかな。」
「あいっかわらずガラ悪そうなのは直す気、ないみたいだけどね。
こんな平日に練習試合、ねぇ……。」
林山高校。
頭はあんまり良くないけれど体育会系の部に関してはそこそこの実力のある高校で、この辺りでは有名校だ。
実力的にも、評判的にも。
さっきも言ったけれど、林山は結構ガラが悪い。
ケンカやナンパ、カツアゲなんて日常茶飯事で、現にあたしや月奈も町を歩いていて絡まれたことはよくある。
加えて、ヤツらはうちの高校を毛嫌いしている。
厳密には男バスが。
今まで林山の男バスっていったら地区優勝常連は当たり前だったんだけれど、あたし達の年代が入学した途端、優勝が出来なくなってしまったのだ。
理由は至極簡単、例の三柱のおかげだ。
下手したら化け物なんじゃないかってくらい強い成嶋君達に嫉妬しているという幼稚な理由で、特に三人は群を抜いて林山に嫌われていると言ってもいい。
実際、良くケンカ吹っかけてくるのはほとんど林山の連中だよ、とあいつらは笑いながら話していたけど、…それっていつか後ろから刺されるんじゃ、と密かに思ったのは内緒だ。
とにかく、そんな危険な存在の林山(それも体育系部の人)がひょいひょいとうちの高校に来た。
暴動か、とも思ったけれど奴らの様子を見るかぎりそうでもなさそうだ。
と、いうことは……。
「…そういえば季、放課後は絶対体育館に来ちゃダメとか言ってたっけ。」
「奇遇ね、あたしも沖口から牽制されてたところだよ。」
もう一度顔を見合わせて、あたし達はにたぁ、と笑いあった。
「なーる、そういうことか。」
「危険なのは良く分かるけどー…興味は湧き上がってくるよねぇ、真由?」
「さすが親友、以心伝心してるじゃん。」
「てことは…?」
言うが早いか、あたしは机に戻ると鞄を肩にかける。
「勿論、行くっきゃないでしょ!」
「お供いたしまーす!」
面白そうなことはとことん追いかける、それがあたし達のポリシーだ。
だってあの三人を毛嫌いしている林山との試合よ? ものすごく面白そうじゃないか。
勢いよく教室をと飛び出していったあたし達を、きっとクラスメイト達は不思議そうな顔で見ていただろうと、思う。
.




