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珍しい体調不良



一日くらい、大丈夫だと思った。

目覚めたら自分でも信じられないくらい悪寒と怠さが酷くて、こりゃ無理だ休もうと思ったのが起床してすぐ。

けれど、そういう日に限ってどうしても外せない小テストなんてものがあることに気づいて、仕方ないから頑張って行こうと自分を奮い立たせたのがそれから五分後。

お母さんはいつものように仕事で朝早くから出ていていなかったので(むしろ今はその方が好都合だ。具合悪いなんてバレたら意地でも学校を休ませられるし)、朝ご飯も食べずに家を出たのがそれから三十分後。


そして今現在、三限にテストが終わった今の状況。

とにかくあたしは意識を飛ばさないようにするのでいっぱいいっぱいだった。


「……真由。」


テストの結果でも聞きにきたのか、こちらへと近づいてきた月奈はまずピシリと効果音でもつきそうなくらい分かりやすく固まり、それから頬を引きつらせた。


「…んー?」


「なんか、具合悪そう…っていうか、具合悪いよね?」


「…んーん。」


「いやいや、明らかにおかしいよね!? そんな覇気のない真由なんて真由じゃないよ!」


なんか心配していると見せかけて言葉の端々に高等技術並みの嫌味が込められていたような気がしたんだけどあたしの思い過ごしだろうか。

けれど既に意識が朦朧としたきていたあたしはそんなところに突っ込んでいられる余裕すらなかった。


「保健室、行った方がいいんじゃない? このままじゃ絶対倒れるって。賭けてもいい。」


「行けたらいいんだけどねぇ…ちょっと、あんまり動けない……。」


額に手を当てる。まずい、ついに頭痛まできやがった…。

あたしがこんなに弱っているところを今まで見たことがなかったからだろう、月奈が狼狽えたような様子で息を呑んだのと同時にガラリと開く教室の扉。

おそらく理系講座の人たちが移動教室から戻ってきたのだ。

うちの学校は二年から大きく文系講座と理系講座に分かれて、時間割とかも全然別になってしまうから。


扉が開いた音につられて思わずそちらを見やると、ざわざわと人が入ってくる中で、片手に教科書を持っている沖口と、目が合ってしまった。

慌てて視線を逸らしたけれどもう遅い。沖口は誰にでも分かるくらい不機嫌そうに眉を寄せた後、ツカツカとこちらに歩み寄ってきた。


「…立花。」


「……何。」


「お前、なんか変じゃないか。」


仮にも女一人つかまえて”変”とは随分な言いぐさだ。

ただ今回ばかりはある意味正解ともいえるのであたしは自身の体調も手伝ってきっぱりとは否定できない。


「…何言ってんの。あたしは至極普通よ。」


「いや、顔色が悪いだろう。明らかに。」


「あんたの視力が悪くなったんじゃないの。」


「色と視力は関係ないだろう。」


「…じゃあ頭ね。頭が悪くなったんだわ。」


「悪いのはお前のその相変わらずな強情だ。」


ああいえばこう返すの押し問答であたしも沖口も譲らないこと譲らないこと。

…先に言っておくけど、妥協してあたしが強情だったとしてもそれは何もあたしだけじゃない。沖口だって十分強情だ。

昔からそう…こうと決めたり思ったことは絶対に曲げないのだ、ヤツは。


「っとにかく、あたしは別に平気。いつもと同じよ。」


元から微妙に逸らしていた視線をさらにずらしてあたしは強制的に話を終わらせようとした。

そんなあたしの様子を見てしばらく何やら考え込んでいた沖口は、あたしと同じ目線になるよう屈んだかと思ったら。


……こいつ、いきなりあたしの後頭部を引っ掴んできて、そのまま額と額をくっつけてきやがった。

突然のことにさすがにあたしも目を見開くことしかできない。

今まであたし達の変化球オンパレードの会話を微妙な面持ちで聞いていた月奈がよく分からない悲鳴をあげて真っ赤になった。

…って、それはあたしがするべき反応なんじゃ。

乙女らしい親友の反応に検討違いな感想を頭の中だけで呟いていると、この状況の元凶を作り出しやがったヤツの眉間に深いシワが刻まれたのが間近で見えた。


「…やっぱり、」


額を離した沖口はその不機嫌マックスな表情のままあたしを見る。(というか、睨む)


「お前、熱あるだろ!」


あーぁ…バレたか。

具合は悪そうでもまさか熱まであるとは予想していなかっただろう月奈がびっくりしたように瞠目したのを視界に端に映しながら。

あたしは、ついに力尽きて意識をぷつりと途絶えさせてしまった。


――――……


暗闇で、誰かが泣いている。

それは一人の少女だった。

俯いているのでその表情をうかがい知ることはできないが、自身の手で拭っても拭っても涙が止まらないことから察するに、何かをとても悲しんでいるのだろう。それも深く。


黒く艶やかな長髪が、暗闇と一体化して彼女を隠しているようだった。

――ああ、そうか。彼女は。


――――……


ふと目を覚ますと、視界は見知らぬ天井で埋め尽くされた。

ぼうっとした頭で記憶を掘り起こしてみる。

暑いんだか寒いんだか分からない感覚がものすごく不快だ。

そうだ、確か朝起きたら体調が悪くて……。


倒れたんだ、と思い出したのと同時に今まで閉め切られていた仕切りカーテンが少しだけ動いた。

顔を向けると、そこには見知った幼馴染が様子を窺うようにしてこちらを覗いていた。

あたしの意識が戻ったことを確認すると、沖口は静かに中に入ってサイドに置いてあった椅子を引っ張り出してくる。


「気が付いたか。」


「ん……どのくらい寝てた? あたし。」


「大体一時間くらいか。もう昼休みだ。」


「…そんなに寝てたんだ、あたし。」


気だるい身体に鞭を打って起き上がろうとすると、椅子に座って話をしていた沖口が即座にあたしを軽く押さえつけた。


「……何。離してよ。」


「寝てろ。39度も熱がある奴が起き上がるもんじゃない。」


「…嘘。」


予想の斜め上を行く数字にあたしは思わず動きを止めた。

あたしの抵抗が止まったのをいいことに、沖口は押さえつけていた手を離して少しだけめくれあがっていた布団をかけ直す。

完全に元の状態に逆戻りだ。


「あー…何年振りだろ、こんな重めの風邪ひくの。」


「小学5年以来か? 一回風邪をこじらせて肺炎になりかかっただろう。」


「…中学でひいてたらどうすんの、あんた。」


若干呆れながら言い返すと、沖口ははた、と気づいたように軽く硬直した後、ああそうだったかと呟くように言った。

基本鉄面皮なヤツの表情からは、今何を思っているかは読み取れなかった。


「まぁ別に、中学では風邪の一つもひかなかったから間違いじゃないけど。」


風邪特有の気だるさのせいもあって半ば投げやりに言葉を返すと、沖口はそうか、と呟いた後、ふとあたしから視線を外す。

その目がなんとなく、どこか遠くを見ているような気がして。あたしは心の中でため息を吐いた。

ヤツが何を思っているのかなんて知らないけど、とにかく、ため息が吐きたくなったのだ。


「……中学は、」


遠くを見ているような表情はそのまま、沖口は静かに口を開いた。


「楽しかったか。二年から。」


「…何いきなり。」


「いいから。答えろ。」


「……楽しかったよ、すごく。月奈っていう親友もできたし。」


思ったままを言うと、沖口は表情に少し陰りを混じらせた。…なんなんだ。というか、こいつはあたしがしんどい状況ってことをちゃんと分かっているのだろうか。


「…俺は、」


「……。」


「後悔しか、してなかった。」


沖口が紡ぎだす言葉に、あたしは黙っていることしかできなかった。


「俺のせいで、お前を傷つけた。きちんと分かっていたはずなのに、結局それは自分のエゴだったと思い知らされた。

……一つ聞いていいか、真由。」


沖口の問いかけにも、あたしは言葉を返さなかった。

…違う。

返さなかったんじゃない。のどがはりついたみたいに、声を出すことができなかったのだ。

そんなあたしの様子にもお構いなく、沖口はさらに言葉を続ける。


「いつまでたっても髪を伸ばさないのは、まだ俺を許す気がないからか?」


ふわりとごく優しい手つきで頭を撫でられて、あたしは無性に泣きたくなった。

風邪のせいだ。きっと情緒が不安定になっているからに違いない。


「…やめよ、その話するのは。」


自由がきかない身体のかわりに視線をできるだけ逸らすことで抵抗を示しても、沖口には当たり前だが効かない。


「それは肯定と取ってもいいっていう意味か。」


「知らない。」


「……なんで、直接俺を責めない。いっそ徹底的に罵ればいいだろう。…その方が、楽なのに。」


そう吐き捨てるように言った沖口は、表情こそ変わっていなくても辛そうだった。

――責めることができたのなら、どんなに楽だったか。

あたしがそう思っているなんてこと、こいつはいつまで経っても気づきはしないのだろう。


「……責めるつもりなんてないよ。

ただ、あたしが悪かっただけ。あたしが空気を読めてなかっただけ。…ただ、それだけのことよ。」


「っだがそれは、」


「でも。」


抗議の声を上げようとする沖口をさらに言葉をかぶせることで強制的に黙らせる。

ヤツの言いたいこともよく分かる。けれど、それでもあたしは。


「”起きてしまったこと”は……”事実”だから。

あたしは、まだあんたを『楓』とは呼べない。」


それだけ言うとあたしはベッドへと潜り込む。

まずった。熱のせいで自制が利かなかった。


「ま、」


「悪いけど、体調悪いから。

――しばらく、寝かせて。」


あたしの(ほとんど拒絶と言っていい)言葉に沖口の動きが止まり、そうしてヤツは、静かに保健室を出て行ったのが気配で分かった。

拒絶したのは他でもないあたし自身だ。分かっている…はずなのに。

保険医もいなくて、静かになった保健室。

一人になったあたしは、熱に浮かされながら心を蝕む苦しい思いと静かに闘っていた。



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