なくしもの
ランドセルがない。
夏の終わり、夕暮れの広い公園をぼくは走る。
確かにベンチのところに置いたはずなのに。きっと、ゆうくんやあきらくんだ。押し付けられたかくれんぼの鬼。ゆうくんもあきらくんも見つからない。ふと気がついたらぼくのランドセルもない。どうしてだろう。みんな、どこに行っちゃったんだろう。もうじき夕方のチャイムが鳴る。チャイムが鳴るまでに見つけなきゃ。家に帰るまでに、見つけなきゃ。そうしないと――……。
「わっ!」
どん、と何かにぶつかって、ぼくはそのまま転んでしまった。見上げると、おんなのひとが立っている。
「大丈夫ですか?」
そう言って、おんなのひとは手を差し出した。ぼくはその手を握って立ち上がる。
「あの、ごめんなさい、ぼく……」
「いえいえ。あ、血が出てますね。膝のところ」
自分の膝を見る。確かに、すりむけて血が滲んでいた。
「絆創膏持ってますよ。洗って貼りましょう」
「え、でも」
平気です、と言いかけた僕の手を握って、おんなのひとはぐいぐいと水飲み場の方へ歩き出す。
「あ、あの、おねえさん、」
「立川早由です。気軽にさゆちゃんと呼んで頂けると助かります」
「おねえさ」
「さゆちゃんです」
「…………さゆちゃん」
「はい。君のお名前は何ですか?」
「み、三隅、大介です……」
「だいすけくんですね。よろしくお願いします」
さゆちゃんは、ぼくを見てにこっと笑った。
*
さゆちゃんはぼくの膝を洗って、自分のハンカチでふいてから、ばんそうこうを貼ってくれた。
「ところで、何かお探しでしたか? 大変慌てていたようでしたが」
「え、えっと……」
「一緒に探しましょうか。そこそこ暇なので、お手伝いできますよ」
さゆちゃんの声はていねいで、とっても優しかった。
どうしよう。「ランドセルがない」なんて、はずかしくて言えない。でも、夕方のチャイムが鳴るまでに見つけないと帰れない。それに、ゆうくんとあきらくんも見つけないといけない。ぼくは自分の手をぎゅっと握った。
「……その、……ランドセルが……」
声を振り絞る。
「かくれんぼしてたら、ランドセルが、……ベンチのところに、なくて……」
「ランドセルが?」
こくん、と頷くと、じわっと涙がにじむ。
「ぼく、…………と、ともだちも見つけなきゃいけなくて、でも、ランドセルも、なくて、夕方のチャイムが鳴ったら、家に帰らないといけなくて……」
さゆちゃんは何度か頷くと、「そういう事情でしたか」と言った。
「ではこうしましょう。だいすけくんはお友達さんを捜してください。私はだいすけくんのランドセルを探します。何か目印になるようなものはありますか? 色とか、キーホルダーとか」
「えっ……?」
「分担すれば両方見つかるかもしれないじゃないですか」
なんてことはないように、さゆちゃんは言う。
「え、えと……黒の、中に名前が書いてあって……青いふでばこが入ってるやつ……」
「他に特徴はありますか?」
「…………ちょっと、きずがいっぱい。その、ぼく、よく、転んだりする、から」
「分かりました。夕方のチャイムが鳴る前に、ここでもう一度会いましょう」
さゆちゃんはぼくの頭をぽんぽんと撫でて、それから背中を軽く押した。振り返ると、さゆちゃんは「行ってらっしゃい」と小さく手を振ってくれた。
さっき会ったばっかりなのに、へんなの。
だけど、ぼくはなんだかとっても嬉しくて、またちょっとだけ泣きそうになった。
*
茂みの中。森の中。噴水のまわり。
あちこち探したけれど、ゆうくんもあきらくんも見つからない。走って走って、たくさん名前を呼んで、それでもゆうくんもあきらくんもどこにもいない。ひぐらしが鳴いている。何度も息が上がった。暑くて、汗まみれになったTシャツで額の汗をぬぐった。どうしよう。日が暮れちゃう。もうすぐ、夕方のチャイムが鳴る時間だ。
ぼくが水飲み場に戻ると、そこにさゆちゃんが立っていた。さゆちゃんはぼくに気がつくと、そっと手をあげた。
「どうでした? お友達さん、見つかりました?」
さゆちゃんの言葉に、ぼくは首を振る。そのときのさゆちゃんがあんまりさみしそうに笑うから、ぼくはとうとう声を上げて泣き出してしまった。さゆちゃんはそんなぼくの肩を優しく包むようにして背中をさすってくれた。
「三隅大介君。君は本当によく頑張りました。君は優しく勇敢だった。だからずっと、あの日の記憶を封印して、見つけられなかったものを探し続けていたんですね。誰も恨まず、誰も憎まずにいるために」
しゃくりあげながら、ぼくはさゆちゃんの言葉を聞く。
「私には君の何万分の一の勇気もない。優しさもないでしょう。もしも君が“生きているうち”に出会っていても、私は君を助けられなかった。今もそうです。私に君を助ける力はない。……それでも、君の報われなかった想いの小さなひとかけらでも、私は受け取りたいと感じます。私は、君の勇気と優しさを忘れません」
……遠くから、「ゆうやけこやけ」の音楽が聞こえてくる。夕方のチャイムだ。
ああ、そうだ。ぼくはあの日――……。
「さゆちゃん」
「はい」
「思い出させてくれて、ありがとう。ぼく、さゆちゃんの言葉、わすれないよ」
さゆちゃんは何も答えなかった。それでもぼくは満足だった。
短かったいのちの中で、一番、満足だった。
*
だいすけくんが消えていった空を、私はぼんやりと見つめる。正直、これで良かったのかどうかも分からない。ただやるせない想いとやりきれない想いが胸を満たす。
三隅大介君が死んだのは、ちょうど三年前の夏だ。事件が大々的に報道されたのでよく覚えている。
小学校の四年生だった彼はいじめられっ子だった。夏休みの終わり、「友達」に呼び出された彼は、ランドセルを奪ってもはや公園にはいないかくれんぼの相手を探し続けた。消えたランドセルと見つからない友達に途方に暮れながら夕方のチャイムを聞いたかどうかは分からないが、とにかく双方が見つからないまま家に帰ったのは事実で、ランドセルをなくしたことに腹を立てた両親にしつけという名の暴力を受け、命を落としたのもまた事実だった。ちなみに消えたランドセルは後日、小学校のゴミ箱の中から見つかっている。
身も蓋もない話である。
アパートに帰ってからまゆちゃんにその話をかいつまんで話すと、まゆちゃんは酷く怒って「そいつら祟り殺して来ますか!?」と言うので、ひらひらと手を振って「やめてやめてー」と返した。
「だいすけくん本人の選択です。彼は誰も恨まないことを選んだんですから、私達も尊重しましょう」
まゆちゃんは半分ほどちぎれた首で渋々頷いてから、あれ? とやはり転がり落ちそうな首を傾げた。
「さゆちゃん、どうしてだいすけくんに触れたんですか?」
そう言われ、ああ、と返す。
「死んだことに自覚がない方だと触れることもあるんですよ。あとは……そうですね。多分、だいすけくんが望んでくれたから、でしょうか」
「望んでくれたから、ですか」
「ほんの少しでも、誰かにすくいとってほしい想いというのは、誰にでもあるものだと思いますよ。生きていても、死んでいても」
ぽつりと言うと、まゆちゃんも「そうですね」といってそっと微笑んだ。




