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雨の階段

 朝の光は、毎日少しずつ形を変えます。

 屋根の穴から差し込む光は、きのうよりも少しだけ右にずれていました。

 光の柱は古い机の端をなめるように伸び、床の上にやわらかな輪を作っています。


 ハルはその光の中で、ふわりと浮かんでいました。

 生まれてから、まだそんなに時間はたっていません。

 けれどハルは、もう光の来る場所を覚えていました。

 朝になると、ここに来ます。

 光の中にいると、体が少し軽くなるような気がするからです。

「今日も光、来たね」

 机のすみから声がしました。

 ツユです。

 ツユはいつも、机の小さなくぼみの近くにいます。

 そこにはほんのわずかな湿り気があり、ツユはその場所が好きでした。

「うん」

 ハルは小さく答えました。

 光の粒が、ふわりと揺れます。

「今日は少し暗いね」

 ツユが言いました。

 ハルも外を見上げます。

 割れた窓の向こうの空は、灰色でした。

 雲が低く広がっています。

 風も、きのうより少し重たい感じがしました。


 しばらくして。

 ぽつ。

 小さな音が聞こえました。

 ぽつ。

 ぽつ。

 やがてそれは、たくさんの音になりました。

 雨です。

 屋根の上で、雨粒がはじけています。

 壊れた瓦のすきまから、細い水の筋が落ちてきました。

 ぽたん。

 床に水滴が落ちます。

 ぽたん。

 ぽたん。


 ハルはその音を聞いて、目を丸くしました。

「これ、なに?」

「雨だよ」

 ツユは落ち着いた声で答えました。

「雨が降るとね、この家の中に水が入ってくるの」

 ハルは床の方を見ました。

 落ちた水滴は、床の板の上をゆっくり広がっています。

 やがて細い流れになり、板の溝をつたって進んでいきました。

 まるで小さな川のようでした。

「すごい……」

 ハルは思わず言いました。

 水の流れは、きらきら光りながら進みます。

 床の段差にぶつかると、流れは二つに分かれました。

 その様子は、まるで小さな階段を降りていくようです。

「わたし、あれ好き」

 ツユが言いました。

「水が動くのを見るの」

 ハルは机の端まで近づきました。

 下を見ると、水の流れがゆっくり広がっています。

 そのときです。

 ひゅう。

 窓から風が吹き込みました。

 机の上のほこりが舞い上がります。

「わっ」

 ハルの体も、ふわりと浮きました。

 そして。

 ころん。

 机の端から落ちてしまいました。

「ハル!」

 ツユの声が遠くなります。

 ハルは、空中をくるくる回りながら落ちていきました。

 下には、水の流れがあります。

 ぽちゃん。

 ハルは水の中に落ちました。

「……!」

 冷たい感触が体を包みます。

 そして。

 すうっと、流れがハルを運び始めました。

 水は床の溝を進みます。

 ゆっくり。

 でも、止まりません。

「ま、待って」

 ハルは慌てました。

 でも体は、水といっしょに流れていきます。

 床の小さな段差にぶつかりました。

 すると水は、さらさら。

 階段のように落ちていきます。

 ハルも一緒に落ちました。

「わああ……」

 ハルはくるくる回ります。

 世界がぐるぐる動きます。

 古い椅子の足。

 暗い床の影。

 遠くの壁。

 全部が流れていきました。

(ぼく、どこへ行くんだろう)

 胸の奥が、少しだけ怖くなりました。


 そのとき。

 ぽと。

 水の流れが、何かにぶつかりました。

 そこには小さなくぼみがありました。

 水はそこにたまり、ゆっくり動きを止めます。

 ハルも、その水たまりの中で止まりました。

 しばらく、静かな時間が流れます。

 雨の音だけが、屋根の上で続いていました。

 ぽつ。

 ぽつ。

 ハルはゆっくり周りを見ました。

 ここは机の下でした。

 暗くて、少しひんやりしています。

(助かったのかな……)

 そのとき。

「流されちゃったのね」

 聞き覚えのある声がしました。

 ハルは振り向きました。

 そこにはツユがいました。

「ツユ!」

 ツユは少し息を切らしていました。

「風で、わたしも飛ばされたの」

 ツユは水たまりのふちに降りました。

「びっくりしたね」

 ハルはうなずきました。

「うん……」

 少しだけ、まだ怖さが残っています。

 ツユは水の流れを見ました。

「でもね」

「雨の日は、こうやって家の中を旅できるんだよ」

 ハルは目を丸くしました。

「旅?」

「うん」

 ツユは静かに笑いました。

「この家、思ってるよりずっと広いから」

 ハルは机の下の暗い空間を見上げました。

 天井の向こうに、光の柱が少しだけ見えます。

 遠い場所のようでした。

 ハルは、胸の奥で小さな気持ちが動くのを感じました。

 怖かったはずなのに。

 今は少しだけ、わくわくしていました。

 雨の音はまだ続いています。

 床の上には、たくさんの小さな川ができていました。


 廃屋の中で、静かな雨の旅が始まろうとしていました。


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