1-8.ノア=コーラムの慈善事業計画
実のところ、シャーロットは一度もアネモス魔法伯を諦めるなどと明言していない。さすがにモントフォート家の嫡子と交流する機会はないようだが、彼に沼って引き返せなくなる前に手を引いてほしいとは思っている。
しかし私の願いとは裏腹に、シャーロットは頑なに説得に応じなかった。いくら言葉を重ねても必ず徒労に終わる。
こうなるとカーティスお兄様に全てが露呈する絵図が末恐ろしい。兄妹の仲違いは最も忌避すべき事象だ。沈黙を貫く私は、人の心の不合理に解決策を見出せないままでいる。
「お姉さま、ボーっとしているけど大丈夫?」
亜麻色の髪を揺らしてシャーロットは私を見つめた。昨日とは真逆の構図で扉の前の義妹に返事をする。
「ええ、平気。それよりお兄様がノアさんと話しているのに私たちがお邪魔していいの?」
「大丈夫大丈夫! さっき入室の許可が下りたわ。行きましょう!」
過ごしやすい春の陽気。日光が窓から差し込み、私とシャーロットは階段を下りて応接室に向かった。
中には、お互いに顔を見合わせる男性二人。体格がいいピンクアッシュの髪をした、働き盛りの三十代後半ぐらいに見える男性は、私たちに灰色の目を投げて人の好い笑顔を浮かべた。
「どうも、ノア=コーラムです。本日はお時間を設けてくださりありがとうございます」
よく通る声で自己紹介をしたノアさんは、席を立ちあがり深々と頭を下げた。上等な服がよく似合い、親しみやすい雰囲気が漂っている。お兄様の促す視線もあり、一歩前へ出てこちらの自己紹介を始める。
「初めまして、コーラムさん。私はエルフィオネ・イヴ=ウォードです。本日はよろしくお願いします」
「ええ。こちらこそ」
ノアさんは目尻にしわを刻んで微笑む。続いてシャーロットが黄色いスカートの裾をつまんで挨拶した。
「シャーロット・ジョアン=ウォードです。本日を心待ちにしていました」
「それはどうもありがとうございます。事前にわたくしの慈善事業に興味があるとお聞きしましたよ」
「……そうだったの?」
小声でシャーロットに問うと、わずかに頷いて黄金の瞳がこちらに向いた。
「友人宅でたまたまお会いしたの。少しだけお話ししたことがあるわ」
私とシャーロットはお兄様側の四人掛けソファに座り、ノアさんは足元のトランクケースを蹴らないように座り直した。
「コーラムさんは孤児院の経営者だ。事業計画の提案をしにこちらまで赴いたと聞いている。お前たちも彼の活動に関心があるのだろう?」
「ええそうよ、お兄さま!」
「……そうです」
私はシャーロットに誘われたからついてきたのであって、別に格段の興味があるわけではない。しかしコーラムさんと対面している以上、不躾な発言は慎むべきだと理解している。
そして事業計画に特別な好奇心が疼かなくても、慈善活動家だというコーラムさんがどんな人物かは気になっていた。
シャーロットは彼とは以前から知り合いであり、お兄様はきっちりと正装を着用した上、焦げ茶の髪は来客用にほつれなく整えられている。コーラムさんはシャーロット個人の客人なのかと思っていたが、どうやらお兄様にも要件のある人物であるようだ。
「妹たちにも事業の提案を説明してくれ」
お兄様が毅然とした態度で頼むと、コーラムさんは怖気づく様子もなく顔を輝かせた。
「はい、侯爵閣下。わたくしノア=コーラムが提案させていただきたいのは、孤児院での魔法教育の導入です。現在〈大魔法師〉の一人、ハイドレシア魔法伯をご存知ですよね?」
「もちろん! 珍しい女性の魔法師よね。属性は水だったかしら?」
「そうです、シャーロットお嬢様! そして彼女は平民出身であることも有名です」
我が国、ガラニス王国は貴族に魔法の使用者が偏っている。要因はいくつか挙げられるが、主に唱えられている理由は二つだ。
魔法使用時に必要な魔力という素質。魔力を操作するための訓練。貴族はこの二つに恵まれている傾向がある。
加えて一般的に魔法は魔物を葬る力であるため、魔法師という職業は肉体労働に分類される。それゆえ圧倒的に男性優位な世界だ。その中でハイドレシア魔法伯は平民、かつ女性で魔法師の頂点に君臨したのだから、形容し難いほど素晴らしい偉業を成し遂げたお方に違いない。
コーラムさんは身振り手振りで言葉を続ける。
「皆さまはお生まれになっていませんからご存知ないかもしれませんが、〈大魔法師〉の中でもさらに別格、史上最年少で最強の称号を手に入れたザカリー様も元は平民だったのです!」
一段と声量を大きくしてコーラムさんの口振りには熱がこもっていた。若々しい表情が人の視線を惹きつけるよう。
私は知っているようで知らない名前に頭をひねった。
「……ザカリー様?」
灰色の目を輝かせてコーラムさんは私を見つめ返した。隣のお兄様が腕を組んで小さく息を呑む。
「あまり表舞台に立たなかったため彼の資料は少ない。だが彼を知る者は口を揃えて〝歴代最高の魔法師〟だと賞賛しますね。コーラムさんもお会いしたことが?」
「いいえ、残念ながら遠目でお姿を拝見したぐらいです。いやはや、魔物の大群相手に一人で突っ込むものですから。怖くて近づけなかったのですよ」
「大変勇敢な方なのですね!」
シャーロットが感心したように呟く。コーラムさんは微笑んで灰色の目元を和らげた。
「その通りですとも。わたしくしノアは平民にも魔法師の逸材がいると明瞭に悟りました。孤児院で暮らす子どもたちにも魔法に触れる機会を設け、次世代の魔法師、あわよくば〈大魔法師〉を生み出したいと思っているのです!」
なんて壮大な計画だろう。
野心にしては少年じみた様相をしているが、本気でそれを実現しようとする行動力がある。
私は目を見開いて思わず呼吸を忘れていた。
「コーラムさん。その熱意は伝わりました。しかしいくつかの課題点が挙げられます。たとえば教師の確保と魔力測定はどうするつもりですか?」
お兄様の冷静な指摘は一気に現実を引き寄せられていった。
魔法の使い手はほとんど貴族、ということは魔法を教える教師も当然貴族が担っている。彼らは大変忙しく、孤児たちに教育を施す暇などない。また、次世代の〈大魔法師〉を目指すなら実践的な魔法を学習する必要があるが、それには神殿で行う魔力測定が必須となっており、適性のある属性を調べ、規定値以上の魔力量が確認できなければいけない。
双方の問題点は金で解決できるが、孤児院経営は儲かる仕事ではないはず。
しかしコーラムさんは上機嫌でお兄様の指摘を首肯する。
「さすが侯爵閣下! 先見の明を持っていらっしゃる! ですが心配には及びません。引退した魔法師の方に声をかけさせてもらい、すでに何人かの了承を得ております。父の支援もありますので不足はないはずです。それに魔力測定に関しては朗報がございます」
革製のトランクケースを膝の上に置き、コーラムさんは手のひらサイズの石を取り出した。




