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聖女の夜に望まぬ別れ  作者: 打方花情
第1章 聖女の夜に消える

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1-7.フレジエ・デ・ボワの余韻

 頭を殴られるような衝撃とはこのことかと妙に納得する。首を縦に振って遅れ気味にヴィヴィアンへ返答し、全然噂を認知できなかった理由を(おもいみ)る。


「てっきり知っていると思っていたけど、そうね。よく考えてみればモントフォート家とウォード家の確執があからさまで、社交界には超然と口にできる猛者がいなかったのかも。よほどウェストンヒル侯の機嫌を損ねるのが怖いのね」

「お兄様は寛容な人よ。仕事に魂を囚われているみたいだけど」

「だ、か、ら、よ。常に貴族の動向に目を光らせているってことでしょ? 気を抜いた瞬間に刺されるわ、きっと」


 ヴィヴィアンは銀のフォークで脅すようにフレジエ・デ・ボワを切断した。形を崩した野イチゴのケーキがこちら側に倒れ掛かる。


「ペネビシウス公もおっかない人だけど、ウェストンヒル侯もいい手腕しているじゃない。他家にとっては厄介極まりないわよ! でもエルフィーにとっては自慢のお兄さんだからよかったわね」


 茶化すように微笑むヴィヴィアンに心が温かくなるのを感じる。考えるよりも早く、ヴィヴィアンと友達でよかったと心底思う。


「ええ。そうよ」


 肯定すると同時に平常心が戻っていくのを手の先に実感した。血の通った指先をカップの取っ手から皿にあるフォークへ移す。生クリームの柔らかな感触が舌の上で消えた。

 ヴィヴィアンは熟したリンゴのような目を輝かせて口端を上げる。


「どうせだから人様の恋バナをしましょう。エルフィーはどこまで知っているの?」

「えっと、王女殿下とアネモス魔法伯が幼馴染だというのは聞いたことがあるわ。……それ以外は、ない」


 憐れむような視線が向けられている。野イチゴが美味しそうに赤く艶めいていると別方向に思考を逸らす。


「まるで女装姿に惚れた母を知らない子どものようね。貴女がこの手に関してだいぶ疎いのがわかったわ」

「例えが難解よ、ヴィヴィ」


 平常運転といえば平常運転ではある。だが突っ込まずにはいられない。


「メリル家流比喩だから仕方ないわ。さあ、本題に戻りましょう」


 ヴィヴィアンはフレジエ・デ・ボワを食べて一旦紅茶を喉に通す。


「元々王家とモントフォート家はよくも悪くも私情を挟まない関係だった。でもアネモス魔法伯と王女殿下は気が合うようであっという間に親睦を深められたそうよ」

「へぇ、そんな経緯があるのね」

「何か聞きたいことはある?」


 ヴィヴィアンの問いかけに唸って思案を巡らせていると、天啓が舞い降りるように質問が浮かんだ。


「えっと、いつから王女殿下とアネモス魔法伯は恋仲になったの?」

「う~ん。約二年前の、アネモス魔法伯が〈大魔法師〉に選任された時ぐらいかしら」

「私、かなり長期間その噂を知らなかったのね……」


 正直、社交の場を苦手としているのは否めない。だが決して短くない年月を無知でいたのは愕然とする。お兄様やシャーロットは存じ上げていたのだろうか。

 追加でもう一つヴィヴィアンに質問する。


「ねぇ、どうして恋仲だと噂されるようになったの?」

「ああ、それはアネモス魔法伯がいつもダンスを誘うのは王女殿下だけだし、王女殿下は恋心全開でアネモス魔法伯を見つめているもの。誰だってそうゆう関係だって思うでしょ」


 具体的な回答にすぐさまおとぎ話のような一場面が目に浮かぶ。そして痛烈に思う。

 シャーロット、なんて相手を好きになったのよ……。

 心の内で淀むようなため息をつき、表面上は黙々とヴィヴィアンの言葉を咀嚼する。

 王女殿下は社交界の華と謳われているお方だ。先週デビュタントを迎えた17歳で、優美な佇まいと教養を滲ませる言葉遣いが人を魅了してやまない。

 シャーロットはとても愛らしい義妹だが、王女殿下を差し置いてアネモス魔法伯と親密な関係になろうとするのは危険、かつ自ら苦労を買って出るようなものではないだろうか。姉としてはとても気が重い。

 ヴィヴィアンは真っ直ぐな眼差しをして小首を傾げた。


「エルフィーはアネモス魔法伯に気があるの?」

「ないわ」


 反射的に声に出た。

 ドラゴンの危機から救ってくれたことに感謝こそすれ、恋愛感情は全くもち合わせていない。まして義妹の恋う相手なら尚更そのような対象にはならない。今までアネモス魔法伯と親しくする機会などなかった上に、義兄からはモントフォート家との接触を避けるよう指示されている。私の中では他者から耳にすることの多い他人という認識だ。

 ヴィヴィアンは眉を開いてフレジエ・デ・ボワを完食した。


「ならよかった。友人が愚かな恋に身を投じなくて」

「私が理性的なものの見方を失っているように見えたのなら心外だわ」

「あら、ごめんなさい。恋愛話にこんな興味があるなんて思わなかったから、つい」


 義妹の恋路を暴露するわけにもいかない。困っている実情は伏せ、ヴィヴィアンの飄々とした微笑に神妙な面持ちを作る。


「お二方はとてもお似合いよね。地位も十分でお互いに家の利益も見込める。ウェストンヒルの肩身が狭くなってしまうわ」

「ウォード家は王家の忠臣じゃない。信頼を失墜させる愚行はしないでしょ」


 力みのない口調だが、ヴィヴィアンの分析において王家はウォード家に危害は加えてこないらしい。


「なら安心ね」


 フレジエ・デ・ボワはどの部分にも甘みが溶け、芳醇な香りとほどよい渋みを持つ紅茶には美しい味わいだった。混乱が緩やかに静まっていく。

 その後、ヴィヴィアンとは夕暮れ前までたわいない話をしていた。時間の流れはあっという間で、別れ際には名残惜しい気持ちが胸に充満する。

 去り際、ヴィヴィアンはいたずらじみた微笑を湛えてこう言った。


「エルフィーは鈍いから気づかないでしょうから言っておくわ。私、貴女のお兄様を狙っているのよ」

「ええ⁉ そうなの、ヴィヴィ⁉」


 驚きのあまり立ち尽くす私に、ヴィヴィアンは堪え切れなかったような笑い声をあげた。空が夕日に染まる下、馬車の中へとヴィヴィアンは乗り込む。


「じゃあね、エルフィー」


 一足先に蜂蜜髪の少女は去っていく。私は衝撃の反動で茫然として馬車の後ろ姿を見届けた。じわじわと意識が鮮明になっていき、未だ動揺が尾を引きながらもウォード家の馬車に乗車する。

 ヴィヴィアンの告白は意外だった。しかし何度も反芻していくうちに呆気なく事実として受け入れられていく。

 確かにカーティスお兄様は仕事人間でヴィヴィアンにとっては好都合の相手だ。そろそろお兄様は婚約者を見繕っておかないといけない時期でもあるし、シャーロットの恋愛より遥かに応援がしやすい組で安心感もある。

 ――変な殿方でなくてよかった。

 そう胸中で感想をこぼしながら、帰宅して早々にするべきことを思い浮かぶ。

 侍女たちを下がらせて二人きりになった王都の侯爵邸一室。


「少し、いいかしら?」

「どうしたの、お姉さま?」


 椅子に腰掛けたシャーロットは扉の近くから一歩も動かない私を凝視している。


「恋する相手に別の、想う方がいたらどうする?」


 直球で聞いた私にシャーロットは目を瞬かせて小さな口を開く。


「――王女殿下のことを言っているのよね。知ってるわ。でも、噂は噂よ」


 剣吞な黄金の瞳が射抜く。植物模様の壁紙に日没寸前の日差しが照らし映されている。


「シャル、家の利益が見込めないのであれば茨の道を歩む羽目になるわ」

「……わたしはただ、仲よくなりたいだけ。心配しないで、お姉さま。わたしは馬鹿じゃないわ」


 無理して笑ったような顔をして、シャーロットは日が沈む外に視線を変えた。


「あのね。明日、慈善活動家のノアさんが来るの。お姉さまも会ってみない?」

「慈善活動家? その、わかったわ……」


 義妹がどんな表情をしているかは見えない。空は星々が光を放つ時間になっている。

 頬が強張るのはシャーロットの本心が見えないからだ。けれど私には脆そうな後ろ姿に言葉を投げかけることができなかった。

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