1-11.聖女の刻印
2週間後、王都の各地で号外が配られた。表紙の見出しには「希代の聖女降臨」と大々的に銘打っており、侯爵邸の中からでも十分に民たちの歓声が届いた。
シャーロットを聖女に選定した神殿側は極めて迅速かつ丁重な対応でかつてない意気込みを見せている。ウェストンヒル侯爵邸には多数の手紙が届いており、社交界でも絶大な注目を集めていた。
だが世間の騒がしさとは反対に、侯爵邸は物寂しい雰囲気が漂っていた。
侍女たちが鏡の前で薄紫のドレスに着替えさせてくれている。それは普段となんら変わらないのに――。
「お兄様は宮殿に赴いているのよね?」
「はい、エルフィオネお嬢様。国王陛下と会談があると伺っております」
「お兄様も大変ね。私一人だけ楽をしているようで申し訳ないわ」
腹の奥底に溜まる無力感や罪悪感は、鏡に映る自分の顔を微かに歪ませた。長年ウォード家に仕える侍女は励ますように私の肩を軽く叩く。
「そう気を落とされないでください。シャーロットお嬢様が誉れ高き聖女に選ばれても、精神的に頼れるのは限られたお方のみです。お嬢様は現段階での最善を尽くされているではありませんか」
「ありがとう、そのように言ってくれて」
侍女は温かな笑顔を浮かべ、仕上げの髪飾りをつける。
これから義妹に会うというのに、情けない表情はしていられない。
義妹は正式に聖女と認められて神殿に仮住まいしている。見知らぬ人たちに囲まれて生活しているとお兄様から伺った。
気を引き締めて深呼吸する。
「馬車の手配は済んでいます」
「今すぐ出発するわ」
雲が淡く陽光を遮り、清純な優しい芳香が鼻をかすめる。王都の住宅地には青のプリムラベリスが玄関先を彩り、道行く人たちは快活に語を交えたりしている。
ガタゴトと馬車に揺られ、シャーロットと何を話そうか思い悩む。
御者の声がするまで思案していたが一つに纏めることはできなかった。
「お嬢様、神殿に到着しました」
「ありがとう」
高台に佇む神殿は老若男女問わず大勢の人で賑わっていた。
聖女が保護されている神聖な場所だからか、少しでもご利益を授かろうとしているのだろう。馬車から降りればただちに聖職服を着た女性が手前に出てくる。
「本日はご足労いただきありがとうございます。聖女シャーロット様の世話役を務めさせております、エレノア・オブ=ホリンシェッドと申します。聖女様がお使いになっている住居は厳重な警備を敷いていますので安全上私と同行していただきます」
ホリンシェッドさんは薄桃色の髪を小奇麗に纏めていて、掛けている丸眼鏡が利発そうな顔つきをより一層際立たせていた。とても真面目そうな方で、されど物腰が柔らかく一音一音をはっきりと発音していた。
「わかりました。よろしくお願いします」
四方八方から視線が注ぐのを感じる。それらの主は民であったり神職関係者だったりする。
居心地が悪く顔を背けたくなったが、聖女を輩出したウォード家の人間なのだ。なんとなしに注意を引きつけるのかもしれない。納得してしまえば多少気分は紛れた……と思いたい。
「厳重な警備ですね」
「はい。聖女様が安心して過ごされてもらえるよう尽力しました」
ホリンシェッドさんが先導して向かった先は神殿と隣接する平屋だ。門の前に鎧を纏った騎士たちが取り囲むように配備されている。家族以外の部外者は建物内に入れないというので、ついてきた侍女たちは外で待機することとなった。
「客間へご案内します。聖女シャーロット様もそちらで心待ちにしていますわ」
「……ありがとうございます」
未だに聖女の称号と義妹が結びつかない。無愛想な響きになってしまったが、ホリンシェッドさんは気を悪くした様子もなく、朗らかに微笑んで豪奢な部屋の前で立ち止まった。ちらりと盗み見えた内装は、壁に大きな絵画が掛けられており、その全てが宗教画だった。
「こちらが客間でございます。安全のため扉は開いたままにさせていただきますが、どうか姉妹水入らずの時間をお楽しみください」
私はホリンシェッドさんの目を見て「はい」と答え、客間に足を踏み入れる。すると慌ただしい足音が聞こえて痛いほどの抱擁をされた。
「シャル⁉」
「お姉さまぁ、会いたかったよぉ……‼」
いきなり泣き出す義妹に心が揺さぶられる。シャーロットは金眼は瑞々しく潤み、亜麻色の髪は丁寧にハーフアップにされていた。
私の義妹は本物の聖女のようだった。いや、実際に聖女ではある。しかし身なりにもそれが表れていた。
――白の古風なドレスに金のレースがあしらわれ、ダイヤモンドのような雫型の宝石が胸元辺りに散りばめられている。手には白い手袋を嵌めて、華奢な首には黄色い貴石らしきもののネックレスが掛けられていた。
「遅くなってごめんなさい。私も、会いたかったわ」
私だって泣きそうな気持ちになっていた。しかし涙は出ない。
薄情だと自嘲しながらシャンデリアの下、とりあえずシャーロットの背中をさすって落ち着きを取り戻してもらおうとした。
「シャル、大変な日々が続いたわね」
「うぅ……、わたしが、どうして、こんなことに……。無理よ、わたしに聖女なんて……」
「まずは座って話しましょう」
義妹の答えは遅かった。布越しに湿った感触が伝わる。ゆっくりと顔を見上げてシャーロットは涙声で相槌を打った。
「……うん」
私はシャーロットの手を引くままに動き、二人掛けのソファに座る。
さすがは聖女に割り振られた客間というべきか、毎日手入れがされているのがわかる清潔な空間に神話の場面を描いた絵画が多方向にある。
ようやく平素の感覚が戻ってきたようで、シャーロットは濡れた頬を手で拭った。
「わたしね、エリス大神殿に行かないといけないんだって」
大神殿。そこはガラニス王国において最も神聖な場所。
大神殿周辺を〝聖域〟と呼び、聖女や高位聖職者のみが出入りを許される。頑丈な結界が張られており、たとえ王侯貴族であっても手続きなしでは踏み込めない。だからシャーロットが大神殿へ行けば、こちらから接触することは不可能に近くなる。
励ますようにシャーロットの手を包み込んだ。本当は私自身が不安を和らげたいからなのかもしれない。
「これから会うのが難しくなるのは知っているわ。手紙のやり取りはできる?」
「多分できると思うわ。俗世と隔てるためだとか言って辺鄙な場所にあるから多くやり取りはできないでしょうけど。《天上世界の門》があるとか意味わからないことばかり言うのよっ!!」
シャーロットは不貞腐れて口を尖らせる。やはり聖女というより感情豊かな令嬢という認識がしっくりくる。苦笑が漏れて少しだけ現実逃避してしまいそうになった。
「相変わらずね。いつもはどのように過ごしているの?」
「午前中にお祈りをして聖女としての礼儀作法や歴史の勉強をしているわ。とっても退屈だけど午後の魔法訓練は楽しいかも。あっ、そうだ」
シャーロットはいきなり手袋を外す。驚いて双眼を見開いていると、義妹の両手の甲には薄っすらと円環となった文字列が浮かんで見える。
「これは何……? 文字みたいだけどどこの言語かしら?」
「えっとね、古代ガラニス語で各属性の神々が祝福を施してくださっているらしいの。エレノアが予言の聖女である証だと言っていたわ」
予言の聖女? シャーロットは本当に神に愛された子なの?
頭の中に谺するがごとく一瞬大きく脈を打った。
「これが浮き出たのはいつ? 邸にいた頃にはなかったわよね?」
「そうね。だけど確か……、神殿の仮住居に移って魔法の訓練をして……訓練一日目が終わった翌朝ね。いつの間にかこの祝福があったの。ちなみにこれは〝聖女の刻印〟というのよ」
わずかに金色だと判別できる円環を眺めた。何から何まで知らないことばかりだ。
私ができるのはシャーロットの現境遇について考えることだけ。
「異例の早さで聖女認定されたのはそのためかもしれないわね」
神に勝る存在はいない。彼らの思し召しには迅速に対応をし、何人たりとも邪魔をしてはいけない、と誓約聖書が戒めている。
聖女の刻印は神の意思そのものだ。たとえ教皇聖下であっても焦って待遇を考えたのだろう。
自然とそんなことを思い浮かんだ。




