1-10.神殿での測定
神殿の入り口には巨大な円柱が立ち並び、神々の壮麗なレリーフが上部を飾る。神殿内は広々とした空間となっており、奥側に水瓶を携えた美しき女性の像が鎮座していた。それが女神エリス像なのは一目でわかる。
人通りはそれなりにあった。私たち兄妹は足早に廊下を進んでいく。
「ちょっと君」
カーティスお兄様は通り過ぎた青年を呼び止めた。青年は不意を突かれて硬直していた。が、お兄様は人目も気にせず詰め寄っていく。
「すまない、司祭を呼んでくれないか? 急いで魔力測定を行ってもらいたい」
青年は清廉な白の衣に身を包み、緑の細長い帯であるストラを首から斜めに掛けていた。神殿の聖職者であるのは明らかだ。彼は戸惑ったように眉を下げてカーティスお兄様を見返す。
「申し訳ございません。魔力測定には事前に連絡が必要でして……」
「それは知っている。だが緊急の用だ。ウォード家の名を出してもいい」
青年の聖職者はお兄様の勢いに押されて後ずさる。しかしお兄様は逃がさない。
「頼む! 妹の魔力を今すぐ調べたいんだ!」
カーティスお兄様が青年の肩を掴んで懇願する。止めようか迷ったが、ここで引いては魔力測定まで長い期間が空いてしまう。口をつぐんで耐えるしかなかった。
お兄様の訴えが効いたのか、青年は観念したように肩を落とし、髪を掻いて姿勢を正した。
「わかりました。司祭をお呼びします。女神エリス像の前でお待ちください」
「ありがとう」
青年聖職者が駆け足で立ち去る姿に、シャーロットは腕を組んでお兄様を見上げた。
「お兄さま、怖~~い! そんなに慌てなくてもいいのに」
「誰のためだと思って……! 頭の出来が悪い妹を持つと兄は大変なんだよ」
「なんですって⁉ わたしは淑女よ!」
この兄妹、喧嘩すると長引くから困る。周囲に人がいるというのに気にならないのだろうか。
睨み合う二人の間に割り込み、一気に疲れる心地がしながら女神像へ誘導する。
「とりあえず大人しく待ちましょう。今できることはそれだけです」
カーティスお兄様とシャーロットは互いに顔を背けて苛立たしそうな面差しをしていた。
しばらくすると司祭が現れ、お兄様が懇切丁寧に説明を尽くすと、垂れ眉の司教は急遽魔力測定器の用意を指示してくれた。その手際は焦っている私とお兄様でも文句のつけようがないものだった。
女神像の前に精巧な植物の意匠を凝らした台が設置される。台上には金箔をまぶした三脚の台座に水晶玉のようなものが置かれていた。
測定結果の透明性を示すため、公衆の前で魔力測定は実施される。信徒や聖職者などが集まり始める中、司祭は神々に祈りを捧げ、魔力測定の舞台は完全に整えられた。
「シャーロット・イヴ=ウォード様。こちらの水晶玉に手で触れてください」
「はい、司祭さま」
私とお兄様はシャーロットの背後で粛然として見守っていた。心臓が激しく鼓動を打ち、寒くもないのに手先が強張っている。当事者でもない私が緊張するのはおかしな話だけれど制止できなかった。
自分の呼気がまるで大きな音のように聞こえた。
シャーロットの白い滑らかな手が水晶玉に吸い寄せられる。すると水晶玉から太陽のような黄金の光が溢れ、司祭の様相は瞬く間に驚きに満ち満ちた。
「これは、そんなまさか……⁉」
ざわめきが木の葉を揺らすように広がっていく。私の心は次第に不安が支配していき、両手を握ってシャーロットの小さな背中を見つめていた。
「司祭、数値は⁉」
カーティスお兄様はシャーロットの横に並び、小麦色の目を司祭に真っ直ぐ突き刺す。司祭は水晶玉を視界に捉えながら、台に手を突いて震える唇を緩慢に動かした。
「測定できる数値の上限を超えています……! ですが500はくだらないかと……‼」
司祭の発言に騒ぎが一際大きくなる。だがこの反応は当然だった。
健康に暮らすのに最低限必要な魔力値は約50。魔法師になれる規定値は120。〈大魔法師〉の選任を許可される値は400以上。500以上など、本来なら魔力過多で死に至る数値だ。
「司祭、数値を見せてくれ‼ この目で見るまでは信じられない‼」
カーティスお兄様は司祭側に回り、少し間を置いてから肩を震わせて膝から崩れ落ちてしまった。喧騒が遠のきながら、私は雲の上を歩くような感覚でお兄様に近寄る。
台座の数字が刻まれた円盤。はかりのように数字が割り振られ、金の長針が一周回ってなお前へ進もうとしている。一向に消える気のない光が眩暈のような現象を引き起こした。
「どうしてこんなことが……」
無意識にこぼれた感想はざわめきの中に消えた。
なぜ、シャーロットは平気なのだろう?
普通こんなに魔力があるなら、幼少期に体調不良が慢性化したり、意図せず感情の高ぶりで魔法を使ってしまったりしてしまうものなのに。
「お姉さま、顔色が悪いわよ」
「……大丈夫よ。それよりシャル、貴女の具合は?」
二度、黄金の瞳を瞬き、シャーロットは亜麻色の髪を軽やかに横へ振った。
「いつも通りよ。ぜ~んぜん問題ないわ!」
シャーロットは無邪気な笑顔を浮かべて水晶玉から手を離した。見物人の視線に畏敬の念が孕むのを肌で感じる。もちろん私やお兄様にではなくシャーロットへ向けられたものだ。
司祭は唐突に言い出した。
「もしや、予言の聖女様なのかもしれません……! 一刻も早く神殿で保護しなければ……‼」
「予言の聖女とは一体なんのことですか?」
お兄様がただちに質問すれば、司祭は声を潜めて見物人たちには聞こえぬように話した。
「建国時代に約束されたガラニス王国に平和をもたらすとされる聖女のことです。人間を超越した魔力に恵まれ、特別神々の祝福を授かった女性だと伝わっています」
「まさか、妹がそうだというのか……?」
お兄様が目を白黒させるのであれば、私は青白い顔をして司祭から目を離せないでいるのだろう。悪い内容ではないはずなのに、予期せぬ離別の予感に胸が苦しくなる。
シャーロットがもし予言の聖女なるものだったら、私たち家族はどうなってしまうの? 司祭は保護と口にしていたけれど、離れ離れになるという意味ではない……わよね?
力が抜けそうになるのをぐっと堪えて義妹を見る。シャーロットの瞳は不安定に揺れ、口元にはぎこちない笑みを湛えていた。
「お姉さま、さすがにわたしでも、何か……普通じゃないことが起きているとわかるわ。これからどうなってしまうの?」
「シャル、ごめんなさい。わからないわ」
唇を噛み締めて微かに目線を落とす。義妹が心細い状況にいるのに、私は無闇に励ます言葉一つ思い浮かばなかった。
横にいる司祭とお兄様の会話が聞こえる。
「侯爵閣下。桁違いの魔力を身に宿していながら健康を維持できるのは奇跡以外の何物でもありません。貴方の妹君は魔法の訓練を受け、正式に聖女として認められるべきです」
「整理する時間をくれ。理解が追いつかない」
「では、3日後に返事をいただきます。それでよろしいですか、侯爵閣下?」
「わかった。その条件を飲もう」
気分は靄がかかったように暗澹としていた。
私も、シャーロットも、カーティスお兄様も、帰りの馬車では誰一人声を発さない。皆おそらく、普通の日々が壊れ始めていると気づいていた。




