⑥ 医療ミスの全貌
出版社の記者という仕事を通じて、過去の自分を探し求める物語です。
私は部長に直訴した。引き続き医療ミスの件を調査させてほしい、この件は私が調査すべきだと思うと決意を表明した。
私の熱意に根負けした部長からは、納得がいくまで最後までやり切れと言ってもらえた。
しかし私にも不安がある、自信を持って提出した原稿が半分くらい訂正修正されてインターネットの記事として掲載されたことだ。
翌日には記事を投稿することに変更となったこともあり、私に再考の時間は与えてもらえず、班長の文章の構成力に頼ってしまったが、何とかこの医療ミスの調査で挽回しようと思っている。よし、頑張ろう。
赤ちゃんの取り違えの件が世間に明るみになり、藤田クリニックに警察の捜査が入り、当事者である早苗さんは警察に勾留されることになった。
医療ミスの件を引き続き調査することを早苗さんに告げるため、私は面会のため加古川警察署に向かった。
面会室で会った早苗さんは永く抱えていたものが取れて、スッキリした表情をしていた。12年前に稲美町に移転してきたとき、初めて会ったときの笑顔の素敵な女性に戻っていた。
早苗さんは医療ミスについても隠すつもりはないが、面会時間中にすべてを話すには時間がかかるので、当時、番吾総合病院の救急救命科をまとめていた現在の院長である番吾義行さんを訪ねるとよいと助言をしてくれた。
赤ちゃんの取り違えの件で調査に協力してくれた番吾秀平先生の父親である。医療ミスが起きた処置の時、責任者として指揮を執っていたので状況は把握しているとのことだ。
調査が終わったらまた報告に来ることを約束して、私は面会室を後にして番吾総合病院に向かった。
山陽自動車道を赤穂ICで降りて国道を左に入り、住宅街を抜けて大きな公園に向かう緩やかな長い坂を上ると番吾総合病院だ。何度見ても立派な建物だ。
事前に伺うことを電話で告げていたので、受付に行き取り次いでもらうと応接室には2人の男性が現れた。1人はアポイントを取った番吾秀平先生でもう1人は年配の初見の男性だ。私は自己紹介をするとその年配の男性は名刺を出した。
その名刺には<番吾総合病院 院長 番吾義行>と書いてあった。まさに本命の人物の登場である。
院長は赤ちゃんの取り違いの件で尽力してくれたことに対してねぎらいの言葉をかけてくださり、20年前の医療ミスの調査にも協力をしますと言ってくださった。
赤ちゃんの取り違いの件が警察により公表された後、番吾総合病院の看護婦長は一身上の都合で退職をしたらしい。彼女は直接この件に関与はしていないが、次期院長夫人という後ろ盾を失い自ら身を引いたようだ。
退職するときに前院長の部屋を片付けていた時に発見した医療ミスの映像の入ったSDカードを院長に渡していた。後日院長はその映像を確認し、医療ミスが発生した現場の状況を確認したという。
院長は映像を直接見せることはできないので、私が説明をしますと言ってくれた。聞いたうえで不明点があれば言ってくださいとのことだ。
医療ミスにつながる自動車事故は夏休み中の8月14日15:30頃に発生した。事故現場は山陽自動車道の下り車線で兵庫と岡山の県境付近である。
タイヤのパンクが原因で路肩に停車していた大型SUVに後ろから走行してきた荷物運搬中のトラックが衝突し、トラックの運転手とSUV側の3人はその場で死亡が確認され、SUV側の残る2人は救急搬送された。
番吾総合病院は2人とも救急搬送を受け入れる準備をしたが、当日の救急救命科の医師は3人(うち1人は研修医)、自動車事故の少し前に脳梗塞の患者が救急搬送され医師1人が執刀中である。
担当医師は現院長の番吾義行(当時36歳)、研修医時代の藤田クリニックの院長である藤田早苗(当時26歳)の2人。義行は万が一を考え、その日は休みであった当時の院長であり父・基樹に連絡をして病院に来て欲しいと告げた。
救急車からの情報をもとに搬送される2人の容態を確認して、意識があり助かる可能性が高い男性を義行が担当し、意識不明で助かる可能性が低い男性を基樹のサポートの元で藤田に決定した。
息子からの連絡を受けて家を車で出た基樹は、運転を家にいた娘に任せ、自分は助手席に座りタブレット端末で映像を見て、マイク付きのヘッドホンで話せる状態で準備は万全だった。
同時に処置室では看護師の1人がハンディーカメラで撮影をしていた。この看護師が後の看護婦長である。処置を担当する藤田もマイク付きのヘッドホンを付け、車で移動中の基樹とは会話のできる状況だった。
赤穂市内の海岸線にある家から病院までは普段なら30分くらいだが、当日は夏休み期間中で市の中心部で夏祭りが開催されており、車両規制が敷かれていて大渋滞を引き起こしていたため、倍以上の1時間30分くらいかかった。
院長の基樹が患者の映像を見て適切な指示を出し、研修医の藤田が処置をする。2人の連携はうまくいったが、患者は左足膝下切断、脊椎損傷という重傷で助かったとしても重い障害が残る状態だった。
適切な処置のおかげで容態は安定してきたが、基樹が病院に到着してからこの処置室に来るまでに着替えや消毒などで10分はかかる。その時に藤田は生命維持装置のスイッチをOFFにした。
数秒後生命維持装置のアラームが響き処置室にいた人の目がモニターに集中したとき、彼女はスイッチをONに戻した。患者はその後到着した基樹によって死亡が確認された。
基樹が病院に到着したときに安心感から看護師はハンディーカメラを近くのテーブルの上に置いた。電源は入ったままで無造作に置かれたハンディーカメラのレンズが生命維持装置のスイッチを変える藤田の手を映していた。
患者の死亡が基樹によって確認されたしばらく後にこんな会話が録音されていた。
助かっても車椅子生活で重い障害が残ることを不憫に思いながら、医者としてこの命を救っていいものかと自問自答をしながら処置をしていたと、藤田らしい女性の声は基樹らしい男性に語っていたという。
安定していた容態が急変したことや、最後に語った藤田の言葉に疑問を持った基樹は後に映像を見直し、藤田のこの行動に気付くが表沙汰にはせず、映像を保存したSDカードは自分の部屋に厳重に保管した。
以上がSDカードに残っていた映像の内容です。この映像を見た私の主観も少し入っていますと義行は言った。
私の父であり当時の院長である基樹は4年前に病気で亡くなっているので、自動車事故から16年間このことは闇に隠れていたことになる。
部屋の片づけで発見した看護婦長も秀平の奥さん以外には他言していないと退職時のやり取りで言っていたという。
私はいくつかの質問をした。しかし当時を知る人たち、処置の指示を出した基樹氏は他界しており、映像を撮影した看護婦長は退職しており、処置室で作業をしていた人たちはもはや知る術がない。
映像の内容を説明してくれた義行さんは、救急搬送されたもう1人の方を対応していたためこちらの状況の詳細は把握できていない。やはりこの場にいた、実際に処置をしていた本人にもう1度話を聞かねばならないだろう。
20年前と出来事とはいえ自分の病院で起きた医療ミスの全貌を話してくれた院長に感謝をして、私は病院を後にした。今日はすでに面会をしているので早苗さんに会って話を聞くのは明日になる。
翌日、私は再度面会のため加古川警察署に向かった。
早苗さんに取材した医療ミスの全貌を説明した。彼女は何も言わずずっと話に耳を傾けていた。早苗さんにとっては昔話のようなものかもしれないが、私にとってはリアルな現実である。
「研修中だからという理由ではなかったと思います。医者としてというよりは、人間としてこの患者の命を助けてもよいのだろうかという感情でした」
「私はわかりませんが、医者も人間です、時にはそういった気持になってしまうこともあるのではないでしょうか?」
「医者は医者として自分の役割にベストを尽くすことが求められます。患者さんの将来は助かった後のその後なんです。その後は患者さんと家族の問題なんです」
「患者さんのその後に医者は必要ないのですか?」
「今の私は患者さんのその後に医者として何ができるのか? それを患者さんの家族とともに考えていく医療を目指しています。でもあの時の私は医者として未熟でした」
早苗さんはそう言うと持っていたハンカチで涙を拭った。私も涙があふれそうになった。
全10話構成を予定していましたが、どうしても収まらなくなり、全13話に変更します。
3000~3500文字程度で10分くらいで読める量にしています。
次回第7話は、9/19(金)21:00頃になります。
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