⑤ 銅賞ならず
出版社の記者という仕事を通じて、過去の自分を探し求める物語です。
会社に戻る前に寄り道をすることにした。山陽自動車道の三木小野ICで降りてバイパスを走り一路実家へと向かった。
先ほどまで話していた内容をどのように伝えればよいのか、何度も頭の中で繰り返し自問自答をした。私は実家に到着して車を止め、隣にある藤田クリニックに向かった。
クリニックの建物は敷地内の東側寄りに立っていて、南側が患者さんの駐車場になっていて、建物の西側にあたる私の実家の正面は職員専用の駐車場になっている。
私は早苗さんの車がそこにあるのを確認してそこで待つことにした。私の記憶だと今日は午前中のみの診療の日ですでに診療時間は終わっている。まだ仕事中かもしれないし、それよりなんとなく外で話をしたいと思った。
職員専用の駐車場の横にある緑のフェンスに寄りかかり待っていると、早苗さんの旦那さんがやってきた。旦那さんと会うのは久しぶりである。
お互いにあいさつを交わして、お互いに少しぎこちない話をしていると唐突に旦那さんの方から本題に切り込んできた。
「実は2年前、早苗から相談があったんだ」
「えっ、2年前って…」
「そう、いま美幸ちゃんが調べている赤ちゃんの取り違えの件」
「私の方は一通り調べ終わったので、今日は早苗さんと話がしたくてここで待っているところです」
「そうなんだ、じゃあ全部わかったんだね。実は僕もすべてを知っているんだ」
「どうして、どうして知っていて止めなかったんですか?」
「もちろん止めたよ、でも最後は彼女が決断をして、僕はその決断を支持した」
「早苗さんの決断なんですね」
「僕は彼女にあなたのその決断を応援しますと伝えた。でも辛くなったらいつでも言ってきて、僕をもっと頼ってほしい、僕はいつでもあなたの味方だよと言ったんだ」
そう言った旦那さんの表情は笑っているかのように見えた。一通り話し終えると彼は車に乗りこみ家路についた。
決して美化してはいけない夫婦の会話のやり取りとわかってはいるが、そのときの早苗さんの決断と旦那さんの決意、どちらも同じくらい大きくて重いものに感じられた。
それから15分くらいが経過した。東向きの実家の入り口は太陽の傾きとともに少し薄暗くなってきた。早苗さんがやってきた。
途中立ち止まり、携帯を見て、再びゆっくりと歩き始めた。きっと旦那さんからのチャットを見たのだろう、自分の車とは少し方向の違う私のほうに歩いてきた。
お互いにあいさつを交わした。私はどう切り出してよいかがわからず、カバンに手を入れて愛用のメモ帳を取り出し、早苗さんからのきっかけを待っていた。
「無事調査は終了しましたか?」
「はい、今日は番吾総合病院に行って依頼者と同じ日に出産した女性に会って話を聞いてきました」
「そうかー、全部わかっちゃったんだね、なんか気まずいな」
「私のイメージする早苗さんは、何事も完ぺきにこなし善悪の判断がつく人でした。どうして、赤ちゃんの取り違えの肩を持ってしまったんですか?」
「んー、ちょうどあのときは、クリニックの事業拡大を検討していたときで、妊婦さん1人1人の気持ちまで考えられなかったのかもしれない、勝手な言い訳だよね」
「依頼者の気持ち… 頑張って育てた子供が… ある日突然他人と分かったときの気持ち、どうすればいいのか私にはわからない」
「いまは、いまは妊婦さんの気持ちを考えられる、主人が、まわりの人達が私を軌道修正してくれた」
「どうするんですか? これからいろんなところから厳しいことを言われますよ」
「大丈夫、美幸ちゃん、ありがとう」
そう言った早苗さんの顔には涙が流れていた。それを拭くこともなく精一杯の笑みを私に向けて、いや自分に向けていたのだろう。
私は番吾秀平さんの奥さんとの話し合いには弁護士も同席していたので、近いうちにこの取り違えの件は警察が動き世間に公表されることを告げた。
それでも彼女は笑みを崩さず、最後は私に深々と頭を下げて、車に向かって歩き始めた。その後ろ姿に私は無意識で一礼をした。
その日は会社に戻らず実家に泊まった。夕食が終わると祖母はリビングに移動してお茶を飲みながらテレビを見る。私と母はビールを飲みながら雑談をする。これがここの日常だ。私はその日起こった出来事を母に話した。
話を一通り聞き終えた母は数年前に町内会の会合で、早苗さんと隣り合わせに座った時にいろいろ話したことを思い出したという。
彼女が研修医として番吾総合病院に勤務していた時期が、父が亡くなった自動車事故が起こった時期と重なっているという。
その時藤田クリニックはまだ神戸市西区にあったためお互いに面識はないが、父は高速道路上で死亡が確認され、その後近くにある番吾総合病院に運ばれたという。
病院ではアルコールや薬物の摂取がないかどうかの確認などをしたらしい。父の遺体は父方の親戚が引き取り、父の葬儀には母と私の2人で参列し、まだ小さい妹は家で留守番だった。
今回の赤ちゃんの取り違えの調査中に出てきた早苗さんの研修医時代の医療ミス、その研修医時代を過ごしていた病院に運ばれた父、私はこのあいまいな関係性に変な違和感を感じた。
早苗さんは明日の午後、取り違えの被害者である夫婦に会いに行くと言っていた。すべてを受け入れた彼女はもう逃げも隠れもしないだろう、私はそう確信していた。
しかし2年間育てた息子が息子じゃないと知った夫婦は今後どうすればよいのだろうか? 私にはよい解決策は思い浮かばない。
翌日私は会社に戻る前に今回の依頼者を訪ねた。前回と同じ喫茶店で待ち合わせをしたが、今日は会社が休みの旦那さんに子供を見てもらっているとのことで自転車で現れた。
私が調査結果を話しているとき、彼女は表情を変えることもなくずっと1点を見つめ、時々握りしめたハンカチを右手から左手へ、左手から右手へと持ち替えていた。
永遠とも思える静寂な雰囲気の中、私が話し終えたとき彼女は言葉を発した。
「あの子は私たちの子じゃないんですね、でもあの子は私をママと呼び、主人をパパと呼びます」
そう言って握りしめていたハンカチで涙をぬぐった。
私は預かっていた弁護士の名刺を渡し、この件は今後警察が介入してくることを告げた。
依頼者の夫婦には全く別の環境で2年間育った血のつながった子供がいて、2年間生活を共にした血のつながっていない子供がいる。
私は家族で話し合ってくださいと言った。そんなちっぽけな言葉しか出てこなかった。
彼女は調査のお礼を私に言って、自転車に乗り来た道を帰っていった。私は車に乗り彼女の後姿を見送った。これ以上は何もできない自分が悔しかった。
その後私は会社に戻った。一通り調査が終了したことを班長に告げ、調査の内容をすべて話し、原稿の作成に移った。
その作業には丸3日を要した。自分で取材した内容を自分で文章にする作業はあまり経験がないが、自分でもびっくりするくらいスラスラと作業は進んだ。
自分でも納得の第1稿を班長に提出したとき、すでに状況が一変していた。番吾総合病院の担当の弁護士からの通報で警察が捜査を開始していた。
通常はこの後に何度か修正が入って出稿となるが、今回は状況を周りに合わせて翌日にはインターネットの記事として掲載をされることになった。
残念なことにその記事の最終行には、<記事:内田美幸>、<編集:山田宮次>と記載され、悔しい結果ではあるが班長の名前と連名になった。
私はこの記事の反響でと考えたいが、記事が掲載された週のインターネットの定期会員の登録者数が400人も増加した。このサイトの会員料は月300円なので12万円の増収となる。
しかし残念ながら狙っていた銅賞にはかすりもせず、すでに考えていた賞金5万円の使い道は泡と消えた。
全10話構成を予定しています。
3000~3500文字程度で10分くらいで読める量にしています。
次回第6話は、9/16(火)21:00頃になります。
ダメ出し、感想、何でもよいのでリアクションしてもらえると励みになります。
皆さん、よろしくど~ぞ♪