④ 研修医時代の医療ミス
出版社の記者という仕事を通じて、過去の自分を探し求める物語です。
番吾先生は藤田クリニックでの取り違いの話を聞いた時、驚きよりも安堵した気持ちになり、自分の息子はやっぱり自分の息子ではないことを確信したらしい。
検査結果を送信したメールに返信する形で話してくれたが、依頼者側の息子とも親子関係が0%だったこと、自分との子供ではなく浮気相手との子供だったということも想定していたようだ。
彼は開業医の家に養子に入った瞬間からずっと、自分に対する周りの目を気にするようになり自分の周りに気を使いすぎる性格になり、必ず医者にならなければというプレッシャーと戦っていた。
そんな少年時代を経験したため、家庭より病院を優先していても常に周りにアンテナを張って妻の行動を把握することができた。
食事会と称して高級ブランド品を身にまとい外出することや学生時代の友達に会うといって外泊することもおおよそ把握しておりすべてが想定の範囲内だった。
医者という職業が目当てで結婚した妻との間に子供ができても嬉しさはなく、逆に本当に自分の子供なんだろうかという不安ばかりが大きくなったと書いてあった。
メールの最後には、明日弁護士同席の下、妻とこの件について話し合いの場を設けますので、私にも参加してほしいと書いてあった。
記者としてすべてを見届けるつもりですので参加しますと返信をした。
翌日、山陽自動車道を赤穂に向けて走らせる。これから起こる現実に向き合う覚悟を決めようと少し大きめの音量で音楽を流した。
どういう状況になるのだろうか、考える内容が多すぎて想像ができない。すべてを見届けるってかっこつけてしまった、今まさに後悔しています。
場所は病院に向かう緩やかな長い坂を途中で右折したところにある、ゴルフ場に併設しているクラブハウスの1階にある、喫茶店だ。
私は約束の時間の15分前に到着し、店内に入って周りを見渡してみると、店の奥の一角に番吾先生の姿が見えた。隣にはスーツ姿の弁護士らしき人が座っている。
先生の斜め前には高級ブランド品で身を固めている奥さんらしき人がおり、先生の正面は空いていた。そこは私の座る場所に見えた。
私は名刺を右手に準備して、愛用のメモ帳を左手に握りしめて、その一角に突入した。
その一角は静寂に包まれていた。
平日の午前中ということを考えると駐車場には5台くらい車が止まっていたが皆ゴルフのプレイ中なのだろう、この喫茶店は我々の貸し切り状態だった。
奥さんと弁護士の方に名刺を渡し自己紹介をした私はゆっくりと席に座った。慌ててやってきた店員さんにアイスコーヒーを注文した。
この張り詰めた空気の中、先生が話の口火を切り、この話し合いの場を設けた理由を説明した。その説明は完璧だった。電子タバコを吸い始めた奥さんは苛ついている表情を隠そうとはしなかった。
「これは僕と玲子と順平の親子関係を調査したDNA検査の結果だ。順平は私たちの子供ではないと結果が示している。どういうことなのか説明をしてほしい、玲子?」
「順平は私が産んだ子よ、それは私たちの子供ってことでしょ、その検査が間違っているんじゃないの」
「彼は僕との間にできた子供なのかい? それとも浮気相手との間にできた子供なんじゃないのか」
「私が浮気をしたといってるの? だったらその証拠を出してちょうだい」
この手の話はこの内容の繰り返しで終わりがない。私にとってこの場所は地獄に感じた。私はメモを取るのを止めて愛用のメモ帳をテーブルの上に置いた。
このあとは同席していた弁護士の方が中心になって話をまとめていった。すでに調査済みだった浮気の証拠を出されても全く動揺しない奥さんに同じ女性として恐怖を感じてしまった。
この場を逃げ切れないと判断した奥さんは、すべてを自供した。その話し方や振る舞いに同じ女性として力強さを感じてしまった。私は何もできなかった、記者としてはまだまだ未熟だ。
弁護士の方が奥さんに事実関係を問いただすと、彼女は藤田クリニックでの赤ちゃんの取り違いの指示を出したことを認めた。
理由はおなかの中にいる子供の血液型が合わず浮気相手との間にできてしまった子供と思ったことで、そうなった場合に備えて事前に藤田クリニックに潜入させた看護師に取り違いの指示を出したとのこと。
藤田クリニックの院内には妊婦さんがいつどこで体調を崩して倒れるかもしれないと思い、そうなった場合の対策としていくつかの監視カメラが備えられている。
そのような状況の院内でたった1人の看護師が赤ちゃんを交換することが可能なんだろうか? 私はそんな疑問が浮かんだが、弁護士の方の追及で新たな事実が判明した。
「院内には監視カメラもあり、出産は時間を選べないので常駐の看護師がいる状況で、看護師1人で赤ちゃんの取り違えは可能なんですか?」
「院長にはそれをすべて見過ごすように話をしていたの。実際彼女はそれに従ったわ」
「お金を払って見て見ぬふりを強要させたのですか?」
「そんなことはしてないわ、お金は1円も払っていない。私は彼女の過去の過ちを利用しただけよ」
彼女は里帰り出産を藤田クリニックですることを仲の良かった病院の看護婦長に話したとき、藤田クリニックの現院長は研修医時代をここ番吾総合病院で過ごして、当時看護師をしていた自分とは年も近く仲良くしていたこと。
その研修医時代に起きた自動車事故での救急搬送の時、助かる見込みのない患者に自己の判断で生命維持装置をOFFにしてその患者を死亡させた「医療ミス」をした可能性があるらしいことを聞いた。
この事実は番吾先生の祖父である前院長が亡くなって、病院に残されていた部屋の片づけを看護婦長が任されたとき、自動車事故の時の処置室の映像が残っていてそこに生命維持装置をOFFにする姿が写っていたとのこと。
その映像は前院長が管理しており、病院の医師や職員は誰もその事実を知らず、その患者は救急搬送されたときから生存する可能性が低かったので、その後に問題にはならなかったようだ。
それを発見した看護婦長も昔のもう誰も覚えていない出来事と判断し誰にも言ってはなかったが、番吾先生の奥さんから里帰り出産の話を聞いた時、次期院長夫人の機嫌を取るために口を滑らしてしまったらしい。
彼女はこの「医療ミス」を藤田クリニックの院長に話し、おなかの子は浮気相手の子供かもしれないので、警察沙汰にしない代わりに赤ちゃんの取り違いを見て見ぬふりをしろと脅した。
クリニックの院長をうまく取り込んだ彼女はクリニックに潜入させた看護師に計画を実行させ、何事もないように退院し今に至るというわけだ。交換を実行した看護師もその後すぐに退職して行方は分からない状況だ。
私は何が何だかわからず、状況を把握するのに少し時間を要した。これは相手の弱みを突いて脅し、自己の幸せのみを求めた結果に起きた立派な犯罪である。
私はこのことを記事にして少しでも多くの人達に、これは犯罪である、と伝える義務があると思い緊張していた。ものすごいのどの渇きを覚えアイスコーヒーを一気に飲み干した。
お互いの子供を元に戻して、こっちが正解です、なんてことが通用するならばそういう解決の方法でもよかったのかもしれない。でもそんなことが通用するはずはないと私は十分感じていた。
この赤ちゃんの取り違えの件は依頼者との約束で警察を絡める場合には前もって連絡をすると約束していたので、弁護士の方には警察に連絡をするのは少し待ってくださいと告げ、私はその場を後にした。
駐車場に出て私は空を見た。今の私の気持ちとは正反対のとてもいい天気だ。境目のない真っ青な空を眺めて、私は立派な記事を書くことを決意した。
私はそのまま車に乗り込み山陽自動車道を神戸に向けて走らせた。
まだお昼過ぎである。このまま会社に戻って依頼者に報告を入れてもいいだろうが、少し寄り道をすることに決めた。
やはり今日の出来事は、会いに行って面と向かって言わないと駄目な気がした。
全10話構成を予定しています。
3000~3500文字程度で10分くらいで読める量にしています。
次回第5話は、9/12(金)21:00頃になります。
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