② 赤ちゃんの取り違い
出版社の記者という仕事を通じて、過去の自分を探し求める物語です。
過去に何回か1人で調査をして原稿を書く作業は経験したことがある。でも今回の案件はいつもと違う感じがした。
時間が経てば経つほど不安が増していく感じがして、「はい、頑張ります」と言ったことを今更ながら後悔していた。
今回の調査対象の藤田クリニックは知っているも何も実家の隣であり、およそ12年前に神戸市西区から移転をしてきた。
私の実家は神戸市の西側に位置する稲美町にあり、南北に走る道路を挟んだ東側は少し高い塀に囲まれた工場だった。
工場が倒産して暫くは塀も建物もそのままだったが、12年前に工場の一部が取り壊され、綺麗に整地され新しい建物が立った。
それが「藤田クリニック」だった。
駐車場は広く、建物の外観も近代的なフォルムで、パッと見るととても病院とは思えない代物だった。
移転前の場所は近くに駅もあり交通の便が良かったが、それ故に近隣を巻き込んでの大型のショッピングモール建設の話が持ち上がり、立ち退き料も含めるとかなりの好条件で売却できたとのこと。
そんなこんなで敷地も移転前より広くなり、建物も前よりも大きく立派になったと話していたことを思い出した。
移転前から地元では評判の良い人気のあったクリニックで、メインは産婦人科であるが内科も併設されており、妊婦さんの体を1番に考え、産後のリカバリーにも力を入れている。
移転のタイミングで院長が娘さんに変わり、娘さんが産婦人科を担当し、娘さんの旦那が内科を担当している。娘さんの苗字は結婚後に太田に代わったがクリニックの名前はそのまま変更していない。
家の隣ということもあり内科の方には家族全員がお世話になっている。私もちょっと熱が出ただけで薬をもらいに通い、院長さんも旦那さんも、病院全体がすごく優しい雰囲気に包まれている記憶だ。
私は、選挙の取材活動の忙しさから抜け出すため… それともこの調査に何かしらの運命を感じたため… 調査を担当することに決めた。しかし、この判断は後に私の人生を変えるものとなった。
先ずは依頼者からの聞き取りから始めた。部長からもらった資料から連絡を取り、実際に会って話をすることができた。
依頼者夫婦は稲美町の北側にある三木市に住んでいる。依頼者宅の近くの喫茶店で待っているとベビーカーを押した女性が現れた。
私は依頼者に名刺を渡しあいさつを交わした後、カバンから愛用のメモ帳を取り出し取材を始めた。
依頼者の記憶ではその週に生まれた赤ちゃんは男児が2人、女児が3人、依頼者の子供は男の子なのでもう1人の男の子を出産した女性との間で取り違いがあった可能性が考えられる。
藤田クリニックはゆとりある出産を目指し、出産予定日の1週間には最大5人の妊婦さんしか受け入れないようで、出産という同じ目的のグループを作り、全員で頑張ろうという意識作りをしているらしい。
そのグループの存在で妊婦さん同士が話す機会が多くあり、自然と仲が良くなり、出産後もコミュニケーションをとっていることが多いらしい。
依頼者も出産後、グループの中の女の子を生んだ女性と数か月は連絡のやり取りをしていたが、今はもう連絡を取ってないとのことだ。
通院中に鮮明に覚えていることは、グループの1人に高価なアクセサリーをたくさん身に着け、高級外車で通院していた女性がいたことで、出産日がまったく同じ7月20日で性別は男であったこと。
その女性は実家が神戸市西区で移転前の藤田クリニックの近所に住んでいて、病院の評判を聞いていたので、親の勧めもあり将来自分が出産するときはここにしようと決めていたらしい。
医者で多忙な旦那の了解をもらい里帰り出産にしたとのこと。医者である旦那さんの関係かどうかはわからないが院長とも顔見知りなようで仲良くしていたこと。
来院してすぐに看護師の1人とも仲良く会話をしていたこと。旦那さんは岡山との県境の赤穂市にある「番吾総合病院」に勤務していて、現院長の息子で次期院長候補らしい。
たくさんの情報を提供してくれた依頼者と別れ、会社に戻って内容をまとめていると直属の上司である第1班の班長から話をかけられた。
「どうだ、内田、赤ちゃんの取り違いの件は順調か?」
「まだ始めたばかりで情報のまとめ中です。今日依頼者と会って話をしてきました」
「部長に聞いたけど、DNA検査の結果から推測すると奥さんの浮気じゃないらしいな」
「そこが大問題なんですよ。じゃあなんなんですか? 本当に取り違いじゃないですか」
「ふふふっ、面白いじゃねえか、まあ頑張れよ、第1稿は来週早々には上げてくれよ、お疲れさん」
そう言って班長は部屋から出て行った。いつものくたびれたバックを肩にかけていたので今日は帰宅するようだ。
部長もそうだったが、この会社には販売に貢献した記事に金銀銅のランクがあり、銀賞を2度取っている班長も、こんなややこしい調査を面白いという、この人たちは絶対変態だ。
私はこの案件で面白い記事が書ければ銅賞も可能かもしれないと、賞金5万円を想像してニタニタしてしまった。私も隠れ変態かもしれない。
よし明日は藤田クリニックに取材に行ってみよう。
私は実家の隣ということもあり、院長先生と何度も面識があることもあり、取材の予約はしないでいきなり訪ねてしまった。
病院の受付に行き、病院の取材をしたいことを告げると受付の女性から怪訝な表情をされた。やはり通す筋は通さないとと思い反省したが、院長先生にたまたま時間があったので、幸運にも会って話が出来た。
「いきなりすみません、早苗さん。時間作ってもらいありがとうございます」
「本当にいきなりでどうしたの、病院の取材って聞いたけど…」
病院に来たのはいいもののこの先はノープランである。昨日の夜もずっと考えていたが、どうすればうまく取材ができるかの答えは出なかった。
知っているがゆえになかなか言葉が出ない。知っているがゆえにどうにかなるだろうと思っていたのかも知れない。私は気合を入れて質問をした。
「実は私の会社にこんな投稿が来たんです。藤田クリニックで赤ちゃんの取り違えがあったかもしれないので調査をしてほしいって」
「取り違え… 赤ちゃんの… ここで…」
「そうなんです。私が調査の担当になりましたので、資料として2年前の7月20日の前後1週間の出産の記録を見せていただきたいんです」
「いきなりでびっくりだけど、出産の記録は妊婦さんのプライバシーにかかわるものなので、それは無理、見せられないです」
それはそうだろう、いきなり来て見せてもらえるものではない。それに一瞬顔の表情が変わり、それは何かを隠しているように見えた。
私は突然訪ねてきたこと、唐突に病院の資料の提供を求めたことを謝罪し、クリニックを後にした。
その日は隣の実家に泊まり今後の作戦を立てることにした。
就職してからはここに帰ってくることが少しめんどくさくなっていた。5歳の時に両親が離婚をして、母の実家であるこの家で高校卒業までを過ごした。
でもありがたいことにまだ私と妹の部屋を残しておいてもらっている。何でもすぐに捨ててしまう私の部屋は、机とベットとほとんど空の本棚くらいしか残っていない。
それでもこの部屋に入ると気分がリセットされるようでなんだかすごく落ち着ける。
「今年も夏休みは帰ってこれないって言ってたけど、いつも忙しいのね。また選挙の取材?」
「この前連絡したときは選挙の取材だったけど、その後にややこしい調査を任されて、今その情報収集中」
「今年はどうするの? 美咲は来るって言ってるわ」
「取材がうまくいけば大丈夫かもしれない。一応参加にしておいて、たぶん大丈夫かな」
「よかった、いつも帰りに立ち寄る洋食屋さんが今年の夏で店をたたむって言ってたから」
「よかったってそんな理由なの… まあ、確かにあのお店のデミグラスソースのハンバーグは私の中でNo.1だけど」
「ごめんごめん、お父さんもきっと喜ぶわ」
夏休み中の8月14日は父の命日だ。私が7歳の時、交通事故で他界した。その時以降、8月14日は家族でお墓参りに行くのが予定に入った。
離婚後も毎年お墓参りに行くなんて、両親の離婚はなんか訳ありって感じがしますが、父の故郷は広島なのでちょっとした日帰り旅行って感じです。
そう考えると時間的に余裕がない。藤田クリニックからはこれ以上新しい情報はないと判断して、ちょうど会社の車で来ているので、明日は赤穂にある番吾総合病院に行くことにした。
もちろんアポイントはとっていない。
全10話構成を予定しています。
3000~3500文字程度で10分くらいで読める量にしています。
次回第3話は、9/5(金)21:00頃になります。
皆さん、よろしくど~ぞ♪