⑪ いざ広島
出版社の記者という仕事を通じて、過去の自分を探し求める物語です。
8月の最初の週末はとても濃密な時間を過ごした。今まで考えもしなかったたくさんの新しい情報が私の頭の中に入ってきた。
自動車事故の件は、母から聞いた父の過去の話、亡くなった後に届いた父の手紙、それらの情報で加害者側からの視点で判断した調査は充分に整ったであろう。
しかしこのことを班長に言うのはまだやめておこう。加害者家族の内側の話なのでできれば最後まで報告するのはやめておこうと思っている。
会社に出社をして新聞に目を通すと赤ちゃんの取り違えの記事が出ていた。捜査に進展があったようだ。
主犯で指示役の番吾玲子の証言で実行役の看護師が鹿児島で身柄を確保されたと書いてあった。彼女は500万円の報酬で赤ちゃんを交換するという犯行に手を染めてしまった。
藤田クリニックの院長である早苗さんは、罪を全面的に認めたことで情状酌量により執行猶予の判決が下されるようで、逃走の恐れがないと判断されたため近日中に保釈されるようだ。
取り違えの被害にあった依頼者夫婦は2年間離れて暮らした実の子供に会いに行ったようだ。残念ながら新聞にはそこまでしか書いていなかった。
自動車事故の件で私は班長のもとに行き、今日と明日は手元にある情報の整理など原稿の作成の準備をやり、水曜日に高山商店に取材に行く予定だと伝えた。
そこで班長に妹のことを話した。高山商店がスポンサーをしているバトミントンの実業団クラブ・広島ラケッツに所属していて、毎週水曜日のチーム練習に7代目が参加している情報を入手したので突撃をするつもりですと伝えた。
班長はそんな情報聞いてないぞと驚いた表情をしたが、あくまでも取材ということを忘れず行き過ぎた行動はしない約束で取材の許可が下りた。しかし新幹線ではなく社用車を使えとのことだ。
水曜日は午前中の早い時間に会社を出発した。私は山陽自動車道を赤穂ICで降りて番吾総合病院に向かった。広島に行く前に番吾秀平先生に会って確認したいことがあった。
事前にアポイントの電話を入れておいたのですんなり会うことができた。私は先生に質問をぶつけた。
「秀平さんは番吾家に養子に入る前は、自動車事故の被害にあった家族、高山平次さんの三男だったと聞きましたが本当なんですか?」
「その話ですね、はい、隠すことではないので本当です」
「子供のできなかった義行さんから養子になってほしいと提案があったのですね」
「そうです。私はいろいろと複雑な環境で育ったのですが、番吾家に来たのは養子からの養子なんです」
「えっ、どういう意味ですか?」
「私も事故後叔父から聞いたんですが、僕自身が父親の浮気相手との子供らしくて、4日前に正妻が生んだ双子と一緒に三つ子として育てられました」
秀平さんの衝撃な発言に驚いた。彼の父親は相当な女たらしで認知していない子供がたくさんいるようだ。彼を生んだ母親は養育を拒否して認知を求め、デザインの勉強に海外に行くために金を要求してきたらしい。
週刊誌にこのことをリークすると脅されたために金を払いなんとかこの状況を内密に収め、浮気相手との間にできた子供を認知して戸籍を同じにするために養子として迎え、世間には三つ子として育てていたとのこと。
「私を生んだ母親には会ったことがありません。私を育ててくれた母親には感謝しています。浮気相手との子供である自分を自分が産んだ子供たちと分け隔てなく接してくれました」
「そんな過去があったんですね」
「私自身あの事故で受けた怪我から退院するまで8か月かかりました。その期間に何度も見舞いに来てくれた叔父にも感謝しています」
「その叔父さんは高山正巳さんですか?」
「ご存じなんですか、数年前に広島の高山商店の社長になりました。あの人には入院中にたくさん励ましてもらって、とても素晴らしい方です」
「実は今日これから自動車事故の取材で会う予定です」
「そうなんですね、番吾家に正式に養子に入ってからは会ってませんが、養子縁組に尽力してもらったんです。よろしく言っといてください」
そういうと午後の手術の打ち合わせがあると言い、仕事に戻っていきました。広島に行く前にここに立ち寄ってよかった、高山商店の7代目の社長の人柄を確認することができた。
赤穂ICから再び山陽自動車道に乗り広島を目指す。およそ2時間の運転で広島東ICから広島高速1号線に乗り継ぎ、温品PAで時間調整を兼ねた休憩をとった。
妹の所属する広島ラケッツは平日の14:00~17:30の時間帯で広島市の東側に隣接する府中町にある体育館で練習をやっている。ここから体育館までナビの計算だと20分と出ている。
私は昼食として番吾総合病院のレストランでテイクアウトしたハンバーグを食べることにした。バーベキューソースをかけるタイプであるが、やっぱりハンバーグにはデミグラスソースが1番合うと思う。
父のお墓参りの帰りに立ち寄る洋食屋もきっとこの辺りだろう。来る前にもっと調べればよかったと私は後悔した。
考えてみれば私は両親が離婚をする5歳までここから近い広島市東区に住んでいた。どんな家に住んでどんな部屋で過ごしてどんな幼稚園に通っていたのか、残念ながらその時の記憶はほとんどない。
妹は1歳で両親が離婚をして、3歳で父親が交通事故で亡くなった。写真の中の動かない父しか覚えていないのも納得である。父が亡くなったとき7歳だった私の記憶もあいまいなのだから。
私は時間ちょうどに府中町にある体育館に到着した。取材の許可は妹経由でもらっており、取材内容は今年の10月に開催される”実業団クラブチーム対抗戦に向けての広島ラケッツの挑戦”ということになっている。
私は精力的に選手にインタビューをしたり、写真を撮ったりを繰り返していたが、チームメイトの内田美咲の姉ということで皆さんすべてが協力的でした。
取材に夢中になって時間を忘れていたが、いつの間にか16:30になっていた。その時である、体育館の扉が開きジャージ姿の男性が入ってきた。妹から事前に話していた合図が出たので、彼が高山商店の7代目の社長である。
私は彼の方へ歩き出した。心臓の鼓動が急に激しく大きくなった。私は名刺を差し出し自己紹介をした。
「播磨出版の内田美幸と申します。本日は実業団クラブチーム対抗戦に向けての広島ラケッツの取材をしています」
「わざわざ神戸からお越しいただいて申し訳ございません。広島ラケッツのオーナーの高山正巳です。妹さんにはいつもお世話になっております」
「バトミントンの才能しかない妹ですので、ご迷惑をおかけしていると思います」
「立派な妹さんです。お姉さんにようやくお会いすることができました。この場で話すことはできませんので、練習後に食事をしながら話をさせてください」
そう言うと持ってきた荷物を並んでいるパイプ椅子の上に置き、ゆっくりとコートの周りを走り始めた。走りながら選手たちに声をかけている。
妹からの事前情報通りの人当たりの良い、誰からも好かれるタイプの人だということは納得できた。広島の魔女と呼ばれた人からこんな真逆の人が生まれるとは驚きである。
練習の時間が終わりに近づいてきたところでチーム全員の集合写真の撮影をお願いした。体育館の壁にチームの旗を張り付けてその前で撮影をした。
私はチームのオーナーでもある高山商店の7代目の社長にこの大会での目標をうかがった。彼は満面の笑みで出場するからには優勝を目指しますと答えた。これで一通り取材は終了である。
練習が終わり帰り支度の最中の妹から食事会の場所を聞いた。焼肉食べ放題のチェーン店ではなく、妹がいきなり土下座をされた高級和食店だそうだ。
私からすると高山商店の7代目の社長から土下座をされる理由がない。私が知りたいのは6代目の広島の魔女の正体だけである。
全13話構成となります。
次回第12話は、10/7(火)21:00になります。
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