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 アルベルの死から、一ヶ月の時が過ぎた。

 王城の一角に与えられた、サシャの研究室を兼ねた一室。そこに、三人の影があった。

 部屋の主であるサシャ、そして、見舞いと称して入り浸っているゴードン。そこへ、旅から戻り、ようやく少しだけ落ち着きを取り戻したハンナが訪れていた。

 テーブルの上には、ハンナが命懸けで持ち帰った、大量の古文書や地図の写しが、虚しく広がっている。


「結局、アルベル様を救うためのものは、何も見つけられませんでした……。私の旅は、全くの無駄骨でした。申し訳ありません」


 ハンナは、今にも消え入りそうな声で、そう言って深く頭を下げた。


「お前が謝ることじゃねえ」


 ゴードンが、その言葉を遮るように言った。


「誰もお前のせいだなんて思っちゃいねえよ。そうだろ、サシャ」

「ええ」


 サシャも、静かに頷いた。


「元より、論理的に考えれば可能性は限りなく零に近かったわ。それでも行動したあなたの勇気を、誰も責めることはできない」


 仲間を気遣う、三人の間の、静かで、しかし揺るぎない絆が、そこにはあった。


 


 

「もう、こんなもんは捨てちまおうぜ。見てるだけで辛気臭え」


 ゴードンが、古文書の山を指して言った。だが、サシャがそれを制止する。


「待って。せっかくハンナが命がけで持ち帰ったものよ。無下にはできないわ。……私の方で、一度すべて目を通しておく」


 サシャは、学者としての性分から、膨大な資料の整理を始めた。ほとんどは、既知の伝説や、偽書だと証明されたおとぎ話。ゴードンとハンナも、手持ち無沙汰にそれを手伝う。

 その時だった。サシャの手が、ぴたりと止まった。彼女の視線は、一枚の、非常に古い、何かの年代記の断片の写しに注がれていた。それは、歴代の魔王と勇者の記録だった。

 彼女は、ある記述に奇妙な「違和感」を覚える。それは、欄外に、以前の所有者であろう歴史家が、小さな文字で書き込んだ注釈だった。

 サシャは、眉をひそめながら、その注釈を読み上げた。


「『……第十七代魔王ガヴェルの出現。同時期、勇者カイン、先代魔王討伐の任を完了後、その消息を絶つ。公式記録では『聖なる光に還った』とされるが、その足跡は魔王領の奥深くで途絶えている。不可解なり……』」


「カイン? 誰だそりゃ。それがどうしたんだ?」


 ゴードンの問いに、サシャは顔を上げずに答えた。


「数百年前の勇者よ。魔王ガヴェルの、一つ前に君臨していた魔王を倒した、伝説の英雄……。でも、おかしいわ。歴史上、最も偉大な勇者の一人が、魔王を討伐した直後に、何の記録もなく消えるなんて。しかも、公式記録の『聖なる光に還った』という記述は、あまりにも曖昧で、何かを隠しているように聞こえる」


 さらに、彼女は地図を広げ、地理的・時間的な符合を指摘する。


「そして、彼が消息を絶った魔王領の奥深く……そこは、魔王ガヴェルの城があった場所と、ほぼ一致する」


 ハンナが、恐る恐る口を開いた。


「では……勇者カインは、先代の魔王を倒した後、そこに現れた新しい魔王ガヴェルに、殺されてしまったということでしょうか……?」

「……だとしたら、とんでもねえ話だ」


 ゴードンが、苦々しく言う。


「英雄が、てめえの親玉を倒した直後の、一番油断してるときを狙って、卑劣な不意打ちを食らわしたってことかよ、ガヴェルの野郎は」


 その仮説に、部屋は重い沈黙に包まれた。だが、サシャだけが、腑に落ちないという顔で、思考を続けていた。


「もし、その仮説が正しいなら、一つの疑問が残るわ。なぜ、魔王ガヴェルは、最強のはずの前代の勇者をそんないとも簡単に葬ることができたのかしら。いくら油断していたとはいえ、産まれたばかりの魔王よ。そこまでの力があるとは思えないわ……」


 彼女は、三人の顔を順に見回した。


「それに、魔王ガヴェルにそれだけの力があるなら……最後にアルベルに対してあんな遅効性の毒のような呪いをかけたのも、不思議だわ……。カインの時と同じように、ただ殺せばよかったはず。なのに、あえて別の手を使った。アルベルの死と、カインの失踪事件。無関係とは思えない」


 

 


 その言葉に、三人は顔を見合わせた。

 そうだ。魔王ガヴェルの、あの最後の行動は、あまりに不可解だった。アルベルを確実に殺すだけなら、もっと単純な方法があったはずだ。なぜ、あえて、緩やかな死をもたらす呪いを?

 まるで、何かから、アルベルを「遠ざける」かのように……。


「俺たちに最後にアルベルとの時間を与えてくれたとか? バカバカしい。魔王がそんな善人なわけないだろう」

「そういうことを言ってるんじゃないの……。ただ、なにか引っかかるというか……」

「そんなの単純に、魔王にはその程度の能力しかなかったってだけだろ。アルベルは強い。そんなにすぐに殺せるような魔法はねえんだろうよ」


 ゴードンはサシャの考えをそう切り捨てる。


「うーん、どうにもそう単純な問題だと思えないのよね……」


 アルベルの衰弱する姿にこれまで動揺と混乱で動かなかったサシャの頭が、今になって冷静さを取り戻し、フル回転しはじめる。

 サシャには、そこにはなにかがあるような気がしてならなかった。


「それに、なんでアルベルにだけあの呪いをかけたのかしら? 私たちはなんで無事なの?」

「そりゃあ、死ぬ寸前に放った魔法だからな。時間がなかったんだろう。だったら、確実に勇者だけを狙うのは当たり前じゃねえのか?」

「じゃあ、なんで魔王は最初からあの魔法を使わなかったの?」

「うーん、そういわれると……」

 

 するとハンナが、震える声で、しかし、決意を秘めた瞳で言った。


「……思い出してみませんか? 私たちの旅を。最初から、もう一度」


 サシャとゴードンが、彼女の顔を見る。


「もしかしたら、私たちの旅の中に、何か……何か、この謎に繋がるヒントが、あったのかもしれません。魔王ガヴェルの言葉、アルベル様の時折見せた、あの寂しそうな顔……。今なら、違う意味に聞こえるかもしれないから」


 その言葉に、二人は頷いた。それこそが今、自分たちにできる、唯一のことだった。アルベルの死の本当の意味を、知るために。

 ゴードンが、遠い目をして、記憶の扉を開いた。


「……そうだな。全ての始まりは、アルベルが、あの霧深い街の、古びた酒場に現れた日だった……」


 彼らは、友の死に隠された真実と、歴史の闇に葬られた英雄の謎を解き明かすため、記憶への、長い旅路を始めるのだった。

 

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