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ゴードンの絶叫を合図に、死闘の幕が切って落とされた。
だが、それは、戦いと呼ぶには、あまりにも一方的な蹂躙だった。
ゴードンの、大地を割るほどの渾身の一撃を、魔王アルグベルムは、まるで子供の攻撃をあしらうかのように、片手で、しかし、アルベルが使っていたのと全く同じ剣技で、軽々と受け流す。
「その程度か、剣士」
その、冷たく、侮蔑に満ちた声は、紛れもなくアルベルのものだった。
アルグベルムは、ゴードンの体勢が崩れた一瞬の隙を突き、闇の力をまとった剣を振るう。ゴードンの分厚い鎧が、紙のように切り裂かれ、その肩から胸にかけて、深い傷が刻まれた。
「ゴードン!」
ハンナの悲痛な叫びが響き、彼女の治癒の光がゴードンを包む。しかし、その傷には、禍々しい闇の魔力がまとわりつき、聖なる力の回復を、執拗に阻害していた。
「無駄だ、聖女。その祈りは、もはや、何者にも届かぬ」
アルグベルムは、今度はサシャへと視線を向ける。彼女が放った、最大級の攻撃魔法である雷の槍も、アルグベルムが指先一つで展開した、闇の渦にいともたやすくかき消された。
三人は、心身ともに、少しずつ、しかし確実に、追い詰められていく。その光景を、アルグベルムは、心底楽しむように、ただ見下ろしていた。
◇
(やめてくれ……!)
アルグベルムの内側で、囚われたアルベルの魂が、絶叫していた。
自分の体が、親友であるゴードンを斬りつけ、仲間たちを傷つけていく様を、なすすべもなく見ている。
(俺の手だぞ! ゴードンを斬るな! サシャの魔法を消すな! ハンナを、そんな目で見るな……!)
彼の魂が悲鳴を上げるたびに、この肉体を支配する「魔王」の人格は、その戦闘行為に、恍惚とした快楽を感じている。
仲間を傷つける「耐えがたい苦痛」と、肉体が感じる「冒涜的な快楽」。
その、相反する二つの感覚の奔流に、アルベルの精神は、引き裂かれ、擦り切れていった。
(ああ……気持ち、いい……? 違う、違う、違う! 俺は、こんなことを、望んでなんか……!)
◇
アルグベルムは、ついにハンナを追い詰め、とどめを刺すべく、その手に闇のエネルギーを収束させる。彼は、勝利を確信し、その口元に、冷たい、傲慢な笑みを浮かべた。
しかし、その時、奇妙なことが起こった。
笑っているはずの、そのアルベルの顔から、一筋、涙がこぼれ落ちたのだ。そして、また一筋、と。
肉体を支配するアルグベルム自身も、その生理現象が理解できず、「……何だ、これは……?」と、一瞬だけ動きを止める。
その涙を、ゴードンは見逃さなかった。
彼の、怒りに燃えていた瞳が、驚愕に見開かれる。
違う。こいつは、楽しんでなどいない。笑ってなんか、いない。
あの涙は、アルベルのものだ。
親友は、まだ、その中にいる。そして、苦しんでいる。
ゴードンは、理解した。今、本当に戦うべき「敵」の正体を。それは、目の前のアルベルの姿をした何かではない。彼を、あんな風にして、苦しめている、この世界の理不尽な「運命」そのものだ。
彼は、ボロボロの体を、無理やり奮い立たせる。その瞳には、もはや憎悪ではなく、友を救うという、ただ一つの、純粋な決意が宿っていた。
「……てめぇ……」
ゴードンは、血を吐きながら、絞り出した。
「やっぱりつらいんじゃねえか。アルベル……てめぇ、そこにまだいるんだろう!?」
その言葉に、アルグベルムの動きが、僅かに、本当に僅かに、止まったように見えた。
「お前は、いっつも自分が一番つらいくせに、なんともねえみてえな顔しやがって。そういうところがむかつくんだよ! 昔っからなぁ!」
ゴードンは、残された生命力の全てを、その手に持つ大剣へと注ぎ込んでいく。剣が、彼の覚悟に応えるように、眩い光を放ち始める。
「今、俺が終わらせてやる!」
ゴードンの魂の絶叫と共に、彼は、最後の一撃を放つべく、魔王アルグベルムへと、再び突進していった。
友の魂を、その永い苦しみから、解放するために。




