24
死とは、温かく、穏やかなものだった。
アルベルの意識は、光とも闇ともつかない、柔らかな無の中に漂っていた。戦いの苦痛も、呪いの痛みも、仲間との別れの悲しみもない、完全な安らぎ。ようやく、全てを終え、故郷へ、父と母の元へ、還ることができる。
彼が、その永遠の眠りにつこうとした、その瞬間だった。
彼の魂に、直接、声ではない、拒否権のない、絶対的な、そして、あまりにも冷徹な「意志」が、流れ込んできた。
『勇者アルベル。汝の死により、世界の均衡は崩れた。故に、汝を新たなる理として再定義する』
(やめろ……)
アルベルの魂が、声なくして抵抗する。
(俺は、役目を果たしたはずだ。俺の戦いは、もう、終わったんだ……!)
だが、その意志は、彼の魂の叫びなど、まるで意に介さない。彼の意識は、安らかな無の空間から、無理やり、冷たい「器」へと、凄まじい力で引きずり込まれていく。魂が、万力で締め付けられるような、冒涜的な感覚。
凄まじい苦痛の後、彼は、目を開けた。
そこは、見覚えのある、しかし、より禍々しく再構築された、魔王城の玉座の間だった。
◇
アルベルは、立ち上がろうとした。しかし、彼の意志に反して、体は、王者の風格を漂わせ、ゆっくりと、そして、あまりにも優雅に立ち上がる。自分の手を見る。それは、紛れもなく自分の手のはずなのに、どこか他人のもののように、冷たく、白い。
彼は、自分の口が、自分の意志とは無関係に、玉座の間に集まっていた魔物たちに、威厳のある声で、新たな名を告げるのを聞いた。
「我が名は、魔王アルグベルム」
ああ、そうか。
彼は、全てを悟った。
かつて、カインという勇者が、魔王ガヴェルになったように。
今度は、自分が、魔王に「された」のだ。
彼は、この肉体の「囚人」に過ぎない。
その絶望的な事実を噛みしめていると、肉体を支配する「アルグベルム」の人格が、自らの新たな力を試すかのように、城の外の「嘆きの山脈」に向かって、強大な闇のエネルギーを放った。山脈の一部が、轟音と共に消し飛ぶ。
その時、アルベルの魂は、戦慄した。
この肉体を支配する「アルグベルム」が、その破壊行為に、純粋な、そして恍惚とした「快楽」を覚えているのを、感じ取ってしまったのだ。
◇
アルグベルムは、より強い刺激を求め、近隣にある人間の街へと、視線を向けた。
(やめろ! やめてくれ!)
アルベルの魂が絶叫する。しかし、肉体は、彼の意志など、まるでないかのように、街に向かって、ゆっくりと歩き出す。
街の上空に到達すると、アルグベルムは、たった一発の、凝縮された闇の魔法を放った。
アルベルは、自分の視点から、見覚えのある、かつて自分が守ったかもしれない、平和な街が、一瞬にして、人々の悲鳴と共に、塵と化していく光景を、ただ見ていることしかできなかった。
そして、その光景に、肉体が、歓喜に打ち震えているのを感じ、彼は吐き気を催すほどの自己嫌悪に苛まれる。俺は、怪物になってしまった。いや、怪物にさせられてしまったのだ。
◇
破壊行為に満足したアルグベルムは、玉座に戻る。
そこへ、強力な侵入者の気配を察知した。
玉座の間の扉が開かれ、現れたのは――サシャ、ゴードン、そして、ハンナだった。
その姿を認識した瞬間、アルベルの魂は、歓喜ではなく、これまでで最大の絶望に包まれた。
(なぜ……)
(なぜ、来てしまったんだ……!)
(来るな! 逃げろ、頼むから、逃げてくれ……!)
(お前たちだけは、俺の、こんな姿を……見ないでくれ……!)
彼は、自分の顔を見て、希望を打ち砕かれ、膝から崩れ落ちる仲間たちの姿を、ただ、見ていることしかできない。
そして、自分の唇が、あの冷たい声で、宣告を下すのを聞いた。
「世界の理に仇なす者どもよ。ここで、消えよ」
その言葉が、引き金だった。
ゴードンの、魂からの絶叫が響き渡る。
「……てめぇ……! アルベルの顔と、アルベルの声で……そんなこと、言うんじゃねええええええっ!」
親友の、悲痛な叫び。アルベルの魂もまた、叫んでいた。
(そうだ、ゴードン! こいつは、俺じゃない!)
だが、ゴードンが突進してくるのに対し、アルグベルムの体は、喜びさえ感じているかのように、軽々と、そして、あまりにも正確に、彼の渾身の剣を受け流した。
(やめてくれ……!)
(ゴードン、来るな……!)
(俺に、お前を、斬らせるな……!)




