22
魔王城の隠し書斎で、全ての真実を知ってから、数日が過ぎた。
王都に戻った三人は、サシャの研究室に集まっていた。しかし、そこに、かつてのような穏やかな空気はない。部屋を支配しているのは、嵐の前の静けさにも似た、張り詰めた緊張感だった。
サシャは、テーブルに広げた羊皮紙に、世界の「システム」に関する図解や数式を、神経質に書き連ねている。ゴードンは、窓辺に立ち、黙々と自分の大剣の手入れをしていた。シャリン、シャリン、と砥石が立てる、冷徹で、無機質な音だけが、部屋に響く。ハンナは、聖書を読んでいる。しかし、その表情は、かつてのような穏やかなものではなく、書かれた言葉の一つ一つを、疑い、問い直すような、苦悩に満ちたものだった。
友の死を悼む時間は、終わったのだ。彼らは今、それぞれの方法で、受け取った真実と向き合っていた。
やがて、サシャが、ペンを置いた。
「……整理ができたわ」
その声に、ゴードンとハンナが顔を上げる。サシャは、自らが描いた図を指し示した。そこには、勇者と魔王が、円環のように描かれている。
「勇者が魔王を倒す。その行為そのものが、次の魔王を『聖別』する儀式となっている……。それが、この世界の呪われたシステム。アルベルの死は、その連鎖を、彼の命と引き換えに、一度だけ、断ち切ったに過ぎない」
そして、彼女は、これから起こりうる、最悪の可能性を口にした。
「問題は、アルベルの死によって、このシステムに『勇者』という駒がなくなったこと。このまま魔王が生まれなければ、世界は平和のままかもしれない。でも……もし、システムが均衡を保とうとして、『魔王』だけを、単独で生み出してしまったら? 今度こそ、世界には、それを止められる者がいない」
その言葉に、ゴードンが、荒々しく立ち上がった。
「じゃあ、どうすりゃいいんだ! 勇者がいなきゃ魔王は倒せねえ。だが、勇者が倒しちまったら、また次の魔王が生まれちまう。完全に、手詰まりじゃねえか!」
彼の怒声が、部屋を震わせる。
その時、ずっと黙って聞いていたハンナが、震える声で、しかし、芯の通った瞳で言った。
「……もし、勇者ではない者が、魔王を倒したのなら……どうなるのでしょうか?」
その、聖職者らしからぬ、世界の法則の「抜け道」を探すかのような言葉に、サシャとゴードンは、はっとする。
サシャの目に、久しぶりに、知的な探求の光が宿った。彼女は、ハンナの言葉に飛びつく。
「その通りよ、ハンナ……! 勇者という『駒』を介さないで、この連鎖を終わらせる。……つまり、もし、次の魔王が現れたなら……。次の勇者が、この世界のどこかで選ばれる前に、私たちが、私たちの手で、魔王を倒す。そうすれば、連鎖は……断ち切れるかもしれない!」
それは、あまりにも無謀な計画だった。勇者という規格外の力なしに、魔王を討つ。常識で考えれば、不可能だ。
しかし、三人の瞳には、絶望ではなく、暗い闘志の炎が宿っていた。
「……なるほどな。理屈は分かった」
ゴードンは、不敵に笑う。
「要は、俺たちが、アルベル以上に強くなりゃあ、いいだけの話だ」
「私のこの力も、もはや、教えられた通りの主のためではありません」
ハンナは、胸の聖印を、そっと机の上に置いた。
「アルベル様と、仲間たちを、この運命から守るためのものです」
「ええ」
サシャもまた、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「世界の法則に、喧嘩を売ってやりましょう」
◇
その日から、彼らの日常は一変した。
ゴードンは、訓練場で、これまでにないほど重い、両手持ちの巨大な戦斧を振るい始めた。アルベルを守るための「盾」ではなく、魔王を屠るための「斧」を、彼は選んだのだ。
サシャは、研究室に籠もり、禁断とされた古代の魔術書を解読し、新たな術式の構築に没頭していた。もはや、彼女の知的好奇心を満たすためではない。世界の理を、破壊するために。
ハンナは、教会で、ただ人々を癒すだけではない、悪しきものを断罪し、打ち破るための、古の「戦う聖法」の探求を始めていた。その祈りは、慈愛だけでなく、苛烈な意志を宿していた。
友の死を悼む時間は、終わった。
彼らは、残された者として、ただ悲しむのではなく、戦うことを選んだ。
神か、世界か、あるいは運命か。
その、あまりにも巨大な敵に、たった三人で、反逆の狼煙を上げるために。




