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ザルガス討伐の功績が王都に伝わり、パーティーの名声は、確固たるものとなっていた。王都へ報告に戻る道中の街で、彼らの元に王家の使者が訪れた。彼らが持ってきたのは、王からの感謝状と褒賞金、そして、サシャ個人に宛てられた、彼女の母校「王立魔導院」の印が押された一通の召喚状だった。
内容は、「妖将ザルガスが用いた未知の呪術体系について、魔導院で報告会を開き、見解を述べよ」という、いかにも彼女のかつての同僚たちが好みそうな、高圧的な響きを持つものだった。
サシャは、召喚状を読み終えると、あからさまに顔をしかめて、それをテーブルに放る。
「……相変わらずね、あの老人たちは」
「行きたくねえなら、断ればいいじゃねえか。俺たちがいるんだ、誰にも文句は言わせねえよ」
ゴードンが、彼女の表情を察して言う。だが、アルベルは静かに首を振った。
「だが、ザルガスの呪いのことを、一番理解しているのはサシャだ。君の知識が、これから多くの人を救うかもしれない。……俺は、君を信じてる」
その真っ直ぐな信頼の言葉に、サシャはため息をついた。
「……分かったわ。私の過去に、ケリをつけに行くだけよ」
仲間たちの後押しを受け、彼女は、憂鬱な気分を隠したまま、魔導院へ向かうことを決意した。
◇
王立魔導院は、壮麗だが、どこか冷たい空気をまとって、王都の一角に鎮座していた。
一行が中へ入ると、一人のエリート然とした魔術師が、彼らを待っていた。サシャのかつてのライバル、エーリッヒ。彼は、アルベルたちを値踏みするような目で見ると、サシャに嫌味を言った。
「これはこれは、サシャ。まさか本当に、泥臭い冒険者たちと現れるとは。その格好、すっかり野生に還ったようだな。実践も、たまには研究の役に立つかね?」
「ええ、そうね。あなたのように、書物の中だけで生きている人には、一生理解できないでしょうけど」
サシャは、冷たく言い返す。二人の間の、知性とプライドがぶつかり合う、険悪な空気が流れた。
報告会は、大講堂で執り行われた。
サシャは壇上で、ザルガスの使った「魂を捕縛する呪い」の術式について、詳細な分析を発表する。しかし、居並ぶ老教授たちの反応は冷ややかだった。
「ふむ……だが、そのような術式の記録は、本院の書物のどこにもない。君の見間違いではないかね?」
「あるいは、古代の亜流魔法の一つだろう。我々が、わざわざ研究するほどの価値は低い」
彼らは、自分たちの知識の範疇にないものを認めようとせず、サシャの報告を「推論に過ぎない」と一蹴する。サシャは、真理の探求よりも、自らの権威を守ることを優先する彼らの姿に、改めて失望と、静かな怒りを覚えた。
◇
報告会に意味がないと悟ったサシャは、独自の調査のため、かつての権限を使って、魔導院の地下にある「禁書庫」へと一人で入った。そこは、危険な知識や、異端とされた研究記録が、封印されている場所だ。
彼女は、古代の呪術に関する書物を探すが、ザルガスの術式に繋がるものは見つからない。諦めかけた、その時だった。
全く別の分野、「世界構造論」に関する棚で、一冊だけ、不自然に逆さまに差し込まれた本が、彼女の目に留まった。
気になって手に取ると、それは数百年前に「異端」として学会から追放された、一人の大魔術師が残した論文だった。
(……馬鹿げている)
読み進めるうちに、サシャは思わず呟いていた。
そこに書かれていたのは、個別の呪術ではなく、この世界の「魔力循環の法則」に関する、あまりにも恐ろしい仮説だった。
「――この世界は、常に均衡を保とうとする。光の力が極端に強まれば、世界はバランスを取るために、それと同等の闇の力を自動的に生み出す。逆もまた然り。勇者と魔王とは、その法則が生み出す、ただの『現象』に過ぎないのではないか」
(世界の法則そのものが、勇者と魔王を生み出すですって? 荒唐無稽な、異端の説だわ……)
彼女は、その論文を「ありえない」と一蹴した。しかし、その常識外れの仮説は、彼女の記憶の片隅に、消えない棘のように、深く突き刺さった。
◇
禁書庫から戻り、一人、頭を抱えているサシャを、アルベルたちが見つけた。
ゴードンが、彼女の難しい顔を見て、屈託なく笑う。
「よお、先生。難しい話は終わったか? 腹が減って死にそうだぜ!」
その、何の裏もない、単純な言葉に、サシャは救われたような気持ちになった。ハンナが、黙って温かいお茶を差し出してくれる。アルベルが、静かに頷いている。
エリート魔術師たちの、プライドと権威に満ちた世界よりも、この温かい仲間たちのいる場所こそが、自分の「本当の居場所」だと、彼女は確信した。
「……ええ、終わったわ。行きましょう、夕食に」
サシャは、数日ぶりに、心からの本物の笑みを浮かべた。
◇
「……あの時の、あの論文。『世界の均衡を保つための“現象”』。そして、勇者カインの不可解な失踪……」
現在のサシャの研究室。回想を終えた彼女は、ハンナが持ち帰った「勇者カイン」の資料を手に取り、静かに呟いた。
「まさか、あのありえないはずの異端の学説が、真実だったというの……? いや、そんなわけ……」
点と点が、今、一つの恐ろしい線を結ぼうとしていた。




