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現在のサシャの研究室。ゴードンが、記憶の旅をさらに先へと進める前に言った。
「なあ、サシャ。前から思ってたんだが、なんでダンジョンにはご丁寧に宝箱が置いてあんだ? 魔物がご丁寧に鍵までかけてよ」
突然の、あまりに素朴な疑問に、ハンナはきょとんとしている。サシャは、呆れたようにこめかみを押さえた。
「それに、俺たちの冒険って、なんだか都合よく、弱い魔物から順番に出てきてる気がしねえか? ミストホルムでも、バークレイでもそうだ。まるで、俺たちのレベルに合わせてくれてるみたいで、気味が悪いぜ」
「……ゴードン。あなた、たまに驚くほど子供みたいなことを言うわね」
サシャは、ため息交じりに説明を始めた。
「宝箱は、盗賊や先行した冒険者の隠匿品か、知性ある魔物が、自分の戦利品を保管しているだけ。弱い魔物が外縁にいるのは、生態系の自然な摂理。強い魔物を恐れて、安全な場所に追いやられているだけよ。私たちが弱い場所から旅を始めたから、そう感じるだけの『生存者バイアス』。それだけのことだわ」
「そう言われるとそうだが……なんだか、俺たちのために誰かがお膳立てしてくれてるみたいで、薄気味悪ィんだよな」
ゴードンは、まだ納得しきれないという顔で、頭を掻いた。
ハンナは、そんな彼の言葉を笑って聞き流していた。
◇
バークレイでの一件により、アルベルたちの名声と実力は、王宮にも正式に認められた。
彼らは王に召喚され、新たな勅命を受ける。それは、「北方の複数の村で、原因不明の『眠り病』が流行している。罹った者は、ただ眠り続け、やがて衰弱死するという。これは、魔王軍の新たな攻撃に違いない。直ちに現地へ向かい、原因を調査・解決せよ」という、これまで以上に重要で、困難な任務だった。
北方の村に到着した一行が目にしたのは、全ての住民が、まるで眠っているかのように、静かに死を待つ、ゴーストタウンのような光景だった。
ハンナが、必死に治癒の祈りを捧げるが、人々は全く目覚める気配がない。彼女は、自分の「聖女の力」が通用しない事実に、初めての大きな無力感を覚えた。
サシャが、その「眠り病」が、極めて高度な呪術による「魂だけを捕縛する」呪いであることを見抜いた時、彼女たちの顔には、これまでにない緊張が走っていた。
サシャの分析により、呪いの発生源が、近くにある古い城塞だと判明した。
城塞に乗り込んだ彼らを待っていたのは、玉座に座る一人の魔族だった。貴族のような優雅な装束を身にまとい、その顔には、人間を観察するような、冷たい笑みが浮かんでいる。
「ようこそ、勇者御一行。我が名はザルガス。主、魔王ガヴェル様に仕える、四天王が一角……『妖将』ザルガスと、お見知りおきを」
「貴様が、この村の人々を!」
アルベルが聖剣を構える。だが、ザルガスは全く動じない。
「いかにも。あれは、私の新しい呪いの実験台ですよ。おかげで、素晴らしいデータが取れました。……あなた方は、私を殺しに来た、次の生贄ですかな? せいぜい、私を楽しませていただきたい」
その嘲笑を合図に、戦闘が始まった。
ザルガスは、強力な幻術で、パーティーメンバーの心の弱さを、的確に、そして残忍に突いてきた。
ゴードンには、かつて守れなかった故郷の村が、再び炎に包まれる幻を見せる。
サシャには、彼女が決して解読できない、世界の真理が書かれた禁断の魔導書を見せ、「お前の知識など、所詮はその程度だ」と知的好奇心を揺さぶる。
ハンナには、彼女の祈りが誰にも届かず、人々が次々と死んでいく絶望の幻を見せた。
「やめろ……やめてください!」
仲間たちが、精神的に追い詰められていく。しかし、アルベルだけが、聖剣から放たれる清浄な力と、揺るぎない意志で、その幻術に耐えていた。
「俺の仲間を、侮辱するな!」
アルベルの叫びと共に、聖剣の光が幻術を打ち破る。
舌打ちしたザルガスは、その遊びを終わりにすることにしたようだった。
「まあ、良いでしょう。幻は、ここまで。ここからは、本物の絶望を味わっていただきましょう」
彼が奥の手として、パーティー全員を葬るための、最大級の呪詛を詠唱し始める。部屋中の空気が、死の気配で満たされていく。絶体絶命のピンチ。
呪詛が完成する、まさにその瞬間。
ザルガスの魔力の流れが、ほんの一瞬、コンマ数秒だけ、不可解に乱れた。編み上げられていた術式が、僅かに綻ぶ。
「なっ……!?」
ザルガス自身も、その予期せぬ魔力の乱れに、驚愕の声を上げた。
その一瞬の隙を、アルベルは見逃さなかった。仲間たちの援護を受け、彼は最後の力を振り絞り、ザルガスの心臓を、聖剣で貫いた。
「馬鹿な……私が……この、ような……」
倒れゆくザルガスは、アルベルを見上げ、謎の言葉を残して消滅した。
「愚かな勇者よ……お前も、いずれ我らと同じ、主の掌で踊る人形に過ぎぬことを知るだろう……」
ザルガスの死と共に、村人たちを苦しめていた呪いは、霧のように解けていった。
◇
「ザルガスの最後の言葉……『主の掌で踊る人形』。そして、ゴードンが感じた、旅の『都合の良さ』……」
現在のサシャの研究室。回想を終えたサシャが、ポツリと呟く。
「あの時は、負け犬の遠吠えだとしか思わなかったけれど、今なら分かる。彼もまた、『システム』の犠牲者の一人だったのかもしれないわ……」
彼女は、テーブルの上に広げられた「勇者カイン」の資料に、再び目を落とした。
彼らはまだ知らない。自分たちの旅路そのものが、もう一人の悲劇の英雄によって、巧みに演出された舞台であったことを。
そして、その舞台の終幕が、すぐそこまで迫っていることを。




