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お願いと道具獲得

 無理に抵抗したり宥めすかしたりするよりもおとなしくしているほうがやはり得策だった。最初の言葉どおり必要以上に危害を加えてこようとはしていない。代わりに、動機がわからないままだけどね。

 そう、AとBは、それぞれ担当は違った。わたしへの対応も異なる。


 顔を隠そうとしていないのも、居心地が悪い。まるで見られても問題ないと言外に伝えられている感覚。Bは、帽子とマスクで隠してくれているけれど、Aは違う。ここまで手のこんだことをしているのだから、ただ殺すのは目的ではないらしい。しかし、殺害も選択肢のひとつにできるだろう。

 仲間割れは誘発できるだろうか? Bの反応に因るとしか言えないな。ワンチャンわたしに味方してくれるなら、選択肢が広がる。が、保証は無い。物静かな人ほど怒ると怖いって聞いたことあるし、調子に乗らないほうが良いんだろうね。翼沙や一葵にも。

 まあ、仲間割れの成否に関わらず、道具は欲しい。どのように脱出するにしても、道具がなければ作戦すら立てられない。秘密組織に所属する諜報員では無いから、この身ひとつではさすがに難しい。


 まあ、現状、無理だ。

 次に向こうから接触があるまで他のことを考えているしかない。他のこと、あと何考えたら良いんだっけ? 何かあったかな。


 


「あるらになら解けるよ」


 


 不意に。

 脳内で母の声が響いた。

 妄想にしては鮮明だ。

 いつだ? いつ言われたんだろう。


 母を見上げた先には傘が見えた。雨が降っていたんだ。匂い、身にまとわりつくようなペトリコール。視界の端の黄色は何? 黄色い帽子だ、小学1年生が被るやつ。入学から母の失踪まで、夏休みを除くと6カ月間くらい……この期間の……記憶範囲を絞ると、見つけられた。

 5月の終わり。梅雨入り前で、傘を持ち歩いてなかった。

 走り去っていく少年の背を眺めていると、母は腕にひとつ傘をひっかけたまま「帰ろう」と左手をつないでくれた。幼かったわたしは歩きながら母を見上げた。


「あのおにーさん、ママの友達?」


「そう、お友達。よくわかったねぇ」


「走ってく前、ママに小さくお辞儀してたもん」


「よく見てたのね」


「うん!」


「きっと何でもわかるようになれちゃうね。なんでも解けるようになる」


「……できないよ」


「あるらになら」


「……?」


「とっておきの謎、あるらになら解き明かせるようにしておくから。大きくなって、必要だと思ったら解いてね」


「解けるかなぁ」


「大丈夫、あるらになら解けるよ。おばあちゃんになったとき、あなたは後悔せずにいられる」


「ほんと? ママは? ママは解ける?」


「ママには出来ないな。パパにも解けない。だから、あるらへのお願い」


「わかった、わたしがんばるね!」


 その3か月間のうちにわたしの誕生日と東京への引っ越しがあって、さらに2か月後に母は失踪した。すぐ父が必死に探し始めて、そのうち『青写真と六腑と龍の声を乙姫に』が書店に並んだ。依然として行方を追っても母は見つからなくて。わたしは母からの「あいしたわ」を見つけて、やがて父の捜索熱も冷めていった。

 引っ越した先の新しい小学校でもうまく人間関係は築けないまま、狭い世界の中で生きて。中学受験を経て、今の学校に進学したら、朱寿や駿太朗と話すようになれた。ほんの少しは世界が広がって、翼沙と一葵とも関わるようになった。

 少しは母が想定していた娘に……やめた。感傷的なのは性に合わない。


 それよりも気になるのは、母が言ってくれた「あるらになら解ける」は、どのような意図だったんだろう?


 ひとり分の足音が聞こえてきて、思考を緩めた。


 擦れるような金属音の後、扉が開けられた。ラジオの音がわずかに音量を上げたように聞こえた。たぶん、遮蔽物がひとつなくなっただけ。1843秒――およそ30分。

 だぼだぼパーカーのBだ。数秒、その場に留まると再び扉を閉めようとする。


「あのっ」


 足音はひとり、Aの姿は無い。Bだけに何か言うなら今しかない。膝を進めようとしたが、その場に留められた。

 焦るな。

 お願いを聞いてもらえるかどうか、小さい要求からコツコツと。勉強と同じ。


「すみません、あの……おてあらい…………」


 言いづらそうに伝えるのが正解だと思って、そうした。

 しかし、Bは無慈悲にも扉を閉めて駆け足で立ち去ってしまった。……あれ。行っちゃった……嘘でしょ?

 待って、Bさーん?

 駆け引きだってバレた?

 あまりにも鋭すぎませんかねぇ。

 えー、取りつく島もない感じですか。NHKで朝にやってる放送で「取りつく暇もない」は誤謬だと歌っている映像を思い出しながら真っ黒な天井を仰いだ。


 状況に則しているし応えるにも困らない、ちょうどいい要求だと思ったんだけど。早計でしたか?……駆け足が戻ってきて、直後、扉が開けられた。Bだった。わたしの背に回ると何かを切る音……そうか、ハサミを取りに戻ったんだ。確かにこのままじゃトイレまで行けないよね。なーるほど。盲点だ、盲点。


 刃物があれば問題なく切れるだろうにハサミを取りに1階へ戻ったということは、Bは刃物を携帯していなかったわけだ。

 あと、Bにはわたしの要求を飲んでくれる意思があるのもわかった。


 両足の結束バンドが切断され、立ち上がろうとした。が、肩を抑えられたので上げた腰を下ろした。直後、視界が真っ暗になった。この感覚、目隠しだ。車内のときと同じやつ。

 これで歩けと? 右腕を引かれながら、Bに合わせて移動した。歩けってことか。

 慎重に9歩進んで左に曲がった。廊下だ、あの狭いやつ。そこから17歩、今度は右。


「階段、気をつけて」


 ああ、目隠しを外すって選択肢は無いのね。マジか。お? Bの声、はじめて聞いた。やっぱり女性だ。高くて繊細な、朱寿の声から騒がしさを取り除いたような声。

 重心を左側に乗せてゆっくり右足を前に滑らせる。段差を探る……と、見つけた。

 高さ、どれくらいだっけ。そこまで急じゃなかったはず……1段、右足がたどりつく。右足に体重を戻して左足で次の段差を探った。


 人間は階段をリズムで昇降する。


 どこかの推理小説で探偵役が言ってた。読んでいるときは、ふーん、としか思わなかったけれど今わかった。Bのサポートもあって、何も見えなくても順調に17段を降りきれた。


 どなたか知らないけれど、男性のラジオパーソナリティが楽しくおしゃべりしている雰囲気だ。正直、今、それどころじゃない。できれば世間話じゃなくて応援してほしい。本当に。複数人の馬鹿笑いをお供に90度くらい右回転、平面を進みだした。方向的に、ピタゴラスの気分かな。


 合わせてくれているのか、Bはすこし歩みを遅らせてくれた。15歩進み、一度立ち止まる。金属音がして、今度は左腕を引かれる。まっすぐ6歩進む。何か硬くてそれなりの重量のものが床に落ちる音が響いた。


「今のは」


 何の音ですか――尋ねきる前に強く腕を引かれて背を押された。目隠しが外される。眩しさに目を慣らすために瞬きをする。明順応が完了する前に右手首の結束バンドが切断された。

 振り向くのと同時に扉が閉められる。

 室内を見渡した。ホテルみたいな、お風呂とトイレと洗面台がセットになっている部屋だった。朝に髪の毛セットしてからかなり時間が経過した。洗髪の誘惑はあるが、時間がかかる。風邪ひきたくないし。そもそもRTAなんだから、時短しないと。


 首を回してみるとすごい音が鳴った。やば。試験期間でもこんな音しないのに。肩も回すと同じくらいの音が鳴る。

 屈伸しながら、脱出直前もストレッチは必要不可欠だと確信した。関節が変な感じするとか足つったとか、絶対そんなの言ってらんないもん。


 あ、そうだ。もうひとつくらいBに要求してみようかな。ダメだったらまあ仕方ないけど、やっぱり道具は欲しい。

 扉をノックして「あの……」と、悪い女だなぁと自覚するくらいの弱弱しい声を出した。


 朱寿がたまに兄の面倒な友人相手に試してると聞いたけど、女性相手に効果あるのか知らないんだよな。どうなんだろう、いけるかな。


「すみません。生理、きちゃってて……ポーチ取ってもらえませんか。学校の鞄に入っているんですけど……」


 数秒ほど逡巡したらしいが、やがて足音が離れていく。


「……」


 鍵かけた? かけずに行ったよね? そもそも、この扉が閂型だから内側からしか鍵が掛けられないんだ。

 そっと握りを回すと、やはり抵抗が無かった。押してみると、音を立てて何かに引っかかった。椅子を倒して外開きの扉を押さえているらしい。廊下の幅には若干足りないが、人が出られないようにするには十分だ。


 Bを甘く見過ぎた。さすがにそこまで考え無しではありませんよね、ごめんなさい。犯罪実行中である自覚はあるんだ。ということは、わたしに逃げられたら困るのはAもBも認識しているらしいね。

 わたしへの対応の差はそれぞれの性格的なものであって、犯罪計画への猜疑とかそういうものとは別なのかな。じゃあ、仲間割れ誘発は難しい。


 口は災いの元、余計なこと言って面倒なことになるくらいなら潔く諦めたほうがメリットは大きいだろう。こういうときこそナッシュ均衡。数学者が出てくるミステリドラマも役立つね。

 そっと扉を閉めた。


 数分ほどで、外側から扉が開けられた。椅子から許可が下りたその隙間からポーチが滑りこんできた。礼を言って受け取ると、再びBによって扉は閉められた。

 ポーチをさかさまにして空っぽにする。ごちゃごちゃとした中から腕時計を選ぶ――23時58分――いつもなら寝ているか、朱寿の夜更かし電話につき合っている時間だ。

 しかしながら、眠くないどころか、冴えている。メラトニンよりもアドレナリンのほうが暴れまわってる脳内だからね。

 Aもそれほど適当に時間を言ったわけではなかったらしい。誤認させる意図はなかったんだ。23時過ぎに、あの会話をしたんだ。内容を軽く反芻しながら認識を固めた。


 さて。前髪用のパウダー、携帯ビューラー、櫛、目薬、リップクリーム、ナプキン、メモ帳、ペン、5000円札、イヤホン、ロールオンオイル。

 あとは、ポーチに着けてる缶バッチ……中学の修学旅行で駿太朗がくれたやつだ。いらないなら買うなよと思ったけれど、まあ、修学旅行に浮かれるのはしかたない。わたしも朱寿とおそろいのよくわかんないストラップ買ったし。これ、翼沙にあげようかな。いや、おさがりじゃなくて、駿太朗がちゃんと翼沙にあげたいと思ったやつが良いよね。いやぁ、余計な老婆心。若いって良いね、青春だ。アオハルアオハル。

 あー、爽やかになりたい。眠くはないけどさっぱりしたくなって顔を洗った。


 ハンカチ……女子力ぅ……いや、持ち歩いているよ。通学鞄の中にあるよ、本当だよ。


 なるべく両手で水気を取って残りはワイシャツで拭いてみた。うわ、最悪。濡れたわ。寒っ。皮膚にシャツが張りつく感覚が気持ち悪い。最悪。そのうち乾いてくれるんだろうけどさ。

 もういいや、一応すっきりしたから。前髪と額に軽くパウダーしながら受け入れた。うん、さらさら。

 目も変な感じするから、目薬をさした。打率2割。わたしにしては上出来である。瞬きしながらメモ帳、ペン、5000円札をスカートのポケットに押しこんだ。

 あとは、何が必要だろう? あー、そっか。あまり出さないほうがいいか。使ったのはナプキンだけって設定になるんだから。


 右手首の、ワイシャツの袖ボタンを外した。ブレザーごと袖まくりをして腕時計を装着して、少し肘側に引いて固定した。そのベルト部分と腕の間に、携帯ビューラーを押しこんだ。これで勝手に落下することは無いだろう。ワイシャツの袖ボタンを留めなおした。軽く腕を振って、問題ないと安心する。Bにバレたらまずいからね。


 残りをすべてポーチ内に戻して、使ってもないけどトイレの水を流した。手も洗っておこうと思って洗面台に向き合った。視界の端にペーパータオルが入っていた。マジかよ、これ使えば良かった。最悪。


 ペーパータオルの吸収力に感動、足元のごみ箱に捨てた。ワイシャツの水分もとれるかと思って押しつけると、若干湿った。感覚はそれほど変わらないけれど、もう諦めはついている。

 ポーチ片手に扉をノックする。


「ありがとうございます、助かりました」


「扉に背を向けて」


「はい、向けてます」


 言われたとおりにすると、のんびりと金属音が聞こえる、扉は開けられた。

 目を閉じてゆっくり息を吐いた。頭部に圧迫感を感じる。どうせ何も見えないなら、他の感覚に注意を費やしたほうが良い。聴覚と触覚に託そう。

 右手が掴まれた。

 素手ではない、布越しの手だ。布手袋か。いつ装着したんだ? 車内ではつけてなかった。だから目隠しされたままでも女性の手だとわかった。建物に到着してから装着したってこと? わたしの通学鞄探ってるときもつけてなかったのに、どうして今?

 考えているうちに手首の拘束が完了してポーチを取られた。

 右腕を引かれて復路を進む。ラジオはおしゃべりではなく最近の人気曲を流している……聞き覚えのある歌詞と旋律……4月に朱寿とカラオケ行ったときに歌ってた。


 23歩、そして立ち止まる。Bは「階段、気をつけて」と言いながら左回転した。


「はい、わかりました。15段くらいですよね?」


「…………17」


 わざわざ数えてくれたのかな。お優しいことで。

 先導に従い17段上りきる。念のため、そのまま右足を前方へ滑らせる。何もつっかえなかった。段差が無いと確信して、左足も階段を上りきった。さらに28歩。


「椅子、座って」


 Bは後方へわたしの腕を引く。Aのような雑さは無い。ゆっくり、重力を水増しする感覚。座面がわかり、体重を乗せた。何も見えない状態で歩き回るのは気が張り詰める。そっと肩を下ろした。Bが背後に回るのは足音でわかる。やはり、やりかたはAと同じらしい。手首の拘束をと椅子の背、両足首と椅子の脚とをそれぞれジジジと固定した。

 立ち去る足音の合間に金属音が聞こえて、階下のわずかなラジオだけが残った。


 次、様子を見に来るとしたら最短で30分くらいだろう。これがBの担当なのか、交互にくるのか、どちらかわからない。犯人がふたりで一緒に行動しないなら、ひとりずつ対応して脱出するのが最もあり得る可能性になるだろう。

 Aとの近接戦は避けたい。たぶん無理だから。Bなら、わたしとほとんど体格が変わらないか、わたしのほうが少し背が高いか、どちらかだと思う。Aのように上へ引かれるよりも横に引かれる感覚のほうが強いから。正確な数字はわからなくても、脱出の際に近接戦をしなければならないなら、そのときの相手はBでなければ、わたしに勝ち目は無い。


 およそ30分。


 次に確認に来るのはAかもしれない。ならば、拘束の切断に掛けられるのは30分以上ある。けれど50分は掛けたくない。ストレッチはラジオ体操以上に念入りにやりたい。AのあとにくるのはB、あるいは、Bだけが繰り返し確認に来ると仮定して、Bのときにここから脱出するのが直近の目標だ。

 そのためにも、まずは拘束を外さねばならない。

 左手で右手首のブレザーとワイシャツを探る。ボタンの位置がわかり、袖口の切れ目を見つけた。指先を伸ばして腕時計のベルトに触れた。ベルトに指先をひっかけて手首に近づけた。携帯用ビューラーを指先でつつくと手首へ落ちてきた。幸い、袖口に引っかかってくれた。これを落としたら終わる。

 おとなしくしていないことが知られるかもしれないし、せっかく掴めるチャンスをふいにするかもしれない。幸運の女神だって掴んだくせに離されたら激オコ事案まちがいなし。

 危ない危ない。


 まあ、これでちゃんと切れる保証は無いんだよな。

 ダイヤモンドはダイヤモンドで切断や加工をする。ならばプラスチックもプラスチックで削れると考えても的外れとは言い切れない……はずだよね? モース硬度を信じるよ、信じるからなモース氏。覚悟しろ。


 携帯用ビューラーの動作確認をして、右手首の拘束に引っ掛けた。挟んだまま、左手の摘まみに力を籠める。なんだか、柔らかい感触だった。プラスチックじゃなかったっけ? ビューラーの作用点付近に右手人差し指を滑らせた。

 柔らかい。ああ、ゴムだ。取り換え可能の、黒いやつ。

 爪先をひっかけると簡単に外せた。もう一度拘束を挟んで力を籠めると、ダイヤモンドの研磨機の疑似体験っぽい感覚な気がした。一気に削れない代わりに、必ず傷はつけられると信じられた。左の親指と人差し指は、諦める。慣れない右手でやって途中で落とすわけにはいかない。南無阿弥陀仏なら唱えられるから、少なくとも骨は拾う。

 単調作業の代わりに、思考はフリーだ。母との思い出を記憶の中から探した。

 両親の交友関係は知らないけれど、父のは学生時代の友人のほかは会社の関係者や一緒に仕事をした作家くらいだろう。母のは……本当に知らない。手掛かりを探さないと。母が失踪する直前に絞って思い出そう。できるだけ細かいところまで。

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