非日常の襲来と考察
幸運にも『神葬』は、次に予約している人はいなかった。2週間延長してもらい、おもしろそうな翻訳小説とともに借りた。GW課題テストが終わって浮かれているのかもしれない。いや、焼肉が楽しみだからか? 人の金で食べる肉がおいしいのは不変の真理。異論は認めない。
スマホのロック画面を確認する――18時14分――ゆっくり歩いても授業には間に合う。
図書館を出ると、日はすっかり傾いていた。10分以内には街灯が役割を果たそうとやる気をみなぎらせはじめるだろう。
風が吹き抜ける。
自然と肩が首筋を守ろうとした……おいおい、薫風さんよぉ。端午節が過ぎたくせに冷たいじゃあないか。ベストを着てこなかったのはわたしのミスだけどさ。塾に入るまでの、なけなしの寒さ対策としてブレザーのボタンをふたつ留めて靴下を引き上げる。
そのときだった。
身をかがめながら左足を曲げて靴下を指先に引っ掛けた、そのとき。
背後から体を抱えられた。
咄嗟に声を上げようとしたが、直前、口を塞がれる。相手の腕を引きはがそうと抵抗する。しかし、ほぼ両足が地面から浮いてしまっていることもあり、帰宅部の腕力でそれ以上は不可だった。
すぐ近くに停車していた白い車に連れこまれた。
目の前で扉が勢いよく閉められると、途端、車内は薄暗さを増した。代わりに、腹部に巻きつけられていた腕が外されてわずかながら動きやすくなった。
不意をつかれた想定外の行動には誰もが対応に後れを取るものだ。さきほどまで引き下げて外そうとしていた首元に引っ掛けられた腕を押し上げた。生じた腕と体の隙間に、肩ごと自分の頭部をねじこむ。
前方へ急発進されてバランスを崩しかけたが、座席を蹴って窓の目の前にたどり着く。
車にはあまり乗ったこと無い。朱寿の家に遊びに行ったときの送迎以外なら修学旅行とかのバスくらい。それでも窓付近のボタンを押せば開けられるのは知っている。
が、黒い粘着テープが貼られていて押せない。
知識が通用しないなら物理だ。
窓ガラスを叩こうと、拳を握って振りかぶった。同時に、襟を掴まれて背後に引き倒される。座面に背中が打ちつけられた。起き上がろうとする前に、胸倉を抑えつけられ、首筋に冷たい何かが触れた。
「騒ぐな」
切迫した事態。低い声の端的な要求。首筋のひんやりとした鋭さ。
身が竦み、声が出なかった。仮面の穴の奥にある、よく見えもしない、そこにあるだろう目。直感的に、無闇な抵抗は無意味だと悟った。
車体の揺れが体に伝わっているのか、自分の鼓動が座面から跳ね返されているのかわからなくなってくる。
目の前の、パーティーグッズのような白い仮面が場違いだ。
「おとなしくしていれば危害は加えない」
その言葉を、信じるしかなかった。
視界の端がぼやける。強く目を閉じてそれをごまかした。慎重にうなずくと、首の冷たさが消える。鈍い光沢を見せた刃が腰の鞘に収まった。その光景にわずかな安堵を覚えたが抵抗する気力は消え失せていた。
次の瞬間。
左ポケットが振動した。
相手もわたしも、動きが止まった。
5回目の振動。ようやくスマホだと思い至った。電話か、停止しそびれてスヌーズが騒いでいるか。
ゆっくりポケットからスマホを取りだして、画面を相手に見せた。おとなしくしていれば云々なら、協力姿勢を見せて従順なふりをしているほうが良いだろう。
わたしの手からスマホを抜き取ると、自らのズボンの右ポケットに押しこんだ。
推理もののアニメやドラマでよく見る、白い手袋。
皮革よりも手袋痕が残りにくくほかの素材よりも静電気が起きにくい。
いつ使うかわからない知識が思考に浮かんで、沈む。
そのまま左手を掴まれて、手首に2連の輪になった結束バンドが落ちてきた。端が引かれて、ジジジと輪が手首に沿う。肩を押され、上半身だけ背を向ける。座面に額を預けた。柔らかくも硬くもない。右手も同様に結束バンドが通されて、ギロの凹凸に軽く棒を滑らせたような音がする。布手袋の感覚が離れ、手首の圧迫感とともに背に取り残される。握りしめた右手を左手で包む。自分の震えか、車の振動か……もはやどちらでも良かった。
今考えるべきは、そう、どうすれば良い?
どうするべきなのか。ひとまず、冷静にならないと。
ずっと自分の鼓動がうるさい。頭がさらに熱を帯びて真っ白になろうとする。不意に視界が暗くなり、後頭部に圧迫を感じた。目隠しだと思い至り、拘束が完了してしまったのを理解した。
おとなしくしているように見えるだろう範囲で手足を動かそうとしてみた。無事に解放される保証とは限らない。逃げられるなら逃げたほうが良い。可能ならば。
無理っぽいなら、無理なりにできることをしていたい。でなければこの行先不明のドライブでは平静を保てそうにない。
朱寿もいじわるのつもりで行先を教えてくれないときはあるけど、どうせ目的地は彼女の家だ。ああ、友人が隣に座ってくれるだけでも安心は大きいんだ。いつものくそみたいな可能性に賭けたイケメンと恋愛したい願望は許すよ、この際。おかげで少しは思考できそうになったから。
さて。考えるためには外部情報が必要だ。
そのための五感。視覚、聴覚、嗅覚、触覚……あと何だ。味覚か。
現状、視覚と味覚には期待できない。嗅覚については最初から無理だとわかっている。一部が焦げていた服を洗濯機に入れそうになったときに諦めた。料理中に焦げたんだろう。料理は炭化していなかったのにね。本当、一家にひとり翼沙だよ。これの改善のためには鼻腔に犬飼うしかないと思う。あるいは、火災報知器とともに生きる道を選択するか。いまのところどっちもやっていない。やったほうが良いのかな。いや、いらないな。邪魔。視覚については、周囲の若干の明暗はわかるが何か見えるわけではない。使えるときに使う。味覚も同様。
残るは、聴覚と触覚。
聴覚、耳だ。音は聞こえているけど、車の走行音やらわたしの鼓動やら、役立たずの5歩手前かな。三半規管は正常らしく、車の進行方向や方角変更はわかる。しかし、この地域の地理に昏いためどこに向かっているのかまではわからない。
いや、どこに向かっているのかくらいはわかる。この犯罪における拠点だろう。その拠点の場所がわからないって話。わかったところで結局どうしようもないだろうけど。
とはいえ、大切な情報源。創作物のキャラクターのようにうまくはいかないだろうけれど、できるだけ正確だと思えるリズムで秒数をカウントしておこう。アドレナリン大放出祭り真最中ってのを考慮すれば、それなりの品質保証が適う気がする。無理だったら無理だったとして。状況がレア過ぎるから努力不足だと責めるつもりはない。
ひとまず、この秒数と、車の進行方向を組み合わせれば覚えていられるだろう。頑張れ、聴覚、いや内耳。方角にいたっては三半規管か。まあ、とにかく頑張ってくれたまえ。
触角は……どうしようか。座面、触っとく? たぶん普通の車の普通の触り心地じゃあないかな。それ以上でもそれ以下でもない。おわり……おわり? 嗅覚より情報なくない? 嘘だぁ、何かしらあるでしょ。
待って、触角って何。
節足動物じゃあないんだな、わたしは。脊椎動物でありますからして触覚なんだよな。……じゃあ、考えかたが違うんだ。視覚は目。聴覚は耳。嗅覚は鼻。味覚は舌。他方、触覚を感知するための触覚受容器は皮膚全体にはびこっている。外界の情報を検出するのではなく、周囲の変化から情報を得られる。現状、最も使いやすい両手は背中のほうにあり、自由には動かせない。新しく情報を収集するのに向いているとは言えない。だから、触覚については、いままでの情報を踏まえて考察するほうが有意義だろう。現在進行で情報を集めるのは三半規管に任せればいい。
たとえば、なんだ。ほら、あれ。
手袋越しの手は、男性じゃあないかな。状況が状況だったから判断に自信はないけど、手が離されてしばらくした今も掴まれた感触がはっきりわかるくらい熱を持っている。
少なくとも、駿太朗とのアイス奢りを賭けた腕相撲よりも強い力が掛けられただろう……中3の夏、野生の駿太朗が勝負をしかけてきた。明らかにナメてたし体格差も男女差もわからないほどバカじゃない。だから、不意をついて全力だしてみると半分以上も傾けられた。しかし、それに対して向こうも急に本気で応戦して、机に手の甲を打ちつけられた。結局、サッカー部のくせに握力45㎏超のゴリラは、アイスを奢ってくれた。試合には負けたが相手の良心につけこむとはまさにこのこと。痛かったのは事実だけど。世渡り上手の朱寿さんもちゃっかり「私ストロベリーにする」と乗っかってきたが、駿太朗は文句すら言わず彼女にも買ってあげていた……まあ、それ以前に、女子高校生ひとりを容易に車へ押しこめること自体、体力的に男性だろうな。あとは、抱えこまれたときほぼ足が浮いたのを考慮して、おそらくわたしより少なくとも10㎝は背が高いってことくらいか。
ここまで考えたら疑問が浮かんでくる……なぜ標的にされたんだろう?
わたしは、甚だ残念ながら希代の美少女ではないし、誠に遺憾ながらNiceなBodyではないし、折悪しく箱入りタイプの御令嬢ではない。標的にされるような固有ベクトルに心当たりが無い。あるいは、可能性は低いが、奇特な名前ゆえか……SNSアカウントの文字列はほぼ本名だから目に留まった場合も無いとは言い切れない。本名については、由来を聞かされたことはあるが、あくまでもわたしは名付けられただけだ……うん、キラキラネームについて意見を聞きたいなら親を誘拐してほしかった。
あとは、そう。弱冠16年におよぶ半生において、殺したいほど恨まれた自覚は無いし犯罪に巻きこまれなければならなくなるような事柄に関わった覚えもない。
他者との関係が希薄だからトラブルにまきこまれるとしても宿題忘れたとか学級委員が決まらないとか、いずれも朱寿か駿太朗に協力してもらうか、あるいは、生贄に捧げればどうにかなる程度のもの。犯罪の動機になり得るほどの内容ではない。こんなのが動機になり得るなら、推理ものやサスペンスものの世界観もびっくり、日本は世界屈指の切迫した犯罪大国である。
そうだ。
相手の短慮にしろ不可避な受動的理由にしろ、動機として、営利も政治も怨恨も当てはまりそうにない。なおさら、わたしでなければいけない理由がわからない。
朱寿みたいなチビでもないし翼沙ほど華奢でもない。この前の健康診断では160くらいだった。わたしは同年代女子の中では高身長の末席くらいの体格だし、帰宅部とはいえ相応に抵抗した。そもそも合意の上でなければ抵抗されるのは織りこんでいるだろう。
滅多に得られない機会の王道として挙げられる裁判員選び、選ばれる確率はおよそ0.1%だったと記憶している。国がランダムだって言っているんだから、ランダムなんだろう。ランダムである必要性も理解できる。他方、この状況については、ランダムに起こり得るとは思えないし思いたくない。
何らかの恣意は働いている。そのためにこれを反例にするのは不謹慎だけれど、現場は図書館や塾があるから小学生だって多い。体格や腕力を考慮すれば年少者のほうが制圧しやすい。誘拐するなら…………あれ?
そっか、これ、誘拐と仮定しても問題ないのか。言葉の意味に忠実なら、誘拐よりも拉致だね。お菓子もらってないし。けれど、事件として扱われるならきっと「誘拐」が用いられるだろう。
だったら、仮定というか、そのものでは?
そっか、わたし誘拐されてるのか。現在進行で。be動詞+being+過去分詞形じゃん。英語で習ったよ、最近。
わぉ。なるほど、これは誘拐事件だ。
そうとわかれば、だいぶ善後策がたてやすくなる。古今東西の誘拐事件において緊急性の高い要因は、時間。現実の話であればなおさら。
どこかの何かの統計だった……誘拐被害者の死亡率は36時間以内におよそ90%であり、未成年被害者の死亡率は24時間以内におよそ99%だと目にしたことがある……統計って格好つけたけど、たぶん、ドラマのセリフだ。グラフとかは見てないし。ああ、しかも、日本ではなくアメリカのデータだった気がする。
ともあれ、意図して事件を起こすのはいつだって人間だ。ならば遺伝情報の差異なんか些末なもの。日本もアメリカも大差ないでしょ。だったら、誘拐事件と時間の相関だってそう変わらない。 10年後の進研ゼミでやるだろうから要チェック。あいにく先行学習キャンペーン実施中。有難迷惑極まるね。
未成年としては悲観すべきか憤慨すべきか。
どちらも、否。今は利用するのが正解。
データはデータに過ぎない。それをもとにして客観的に試行して、ただ結果を確かめる必要がある。大丈夫、落ち着け。まだ終わりじゃない。
わたしが今できることは限られている。ならば、できることを疎かにしてはいけない。数学の証明問題と方法は同じ。前提を確認して結論を導くんだ。
まずは、わたしはどうするべきか。
あらゆる事件において、それが起きるなら機会、方法、動機が揃っている。誘拐事件も例外ではない。
現状では機会、方法について、御覧のとおり、って感じ。とはいえ、結局のところ動機もなければ事件は起きようが無い。 これは現実でも創作でも同じことが言える。
犯罪という一線を越えるためには、相応の動機が存在する。でなければリアリティが無い。理由が無ければ犯人だって現場に戻ろうとしない。
犯人の言動の根幹を成す動機がわかれば、わたしがすべきこと、してはならないことを把握しやすくなるはず。
凄腕捜査官でも敏腕諜報員でもない一般女子高校生には、犯人を怒らせて返り討ちにしたり誰もが想定外の手段を用いてお暇したり、なんて規格外の方法は御法度。もちろんできたらカッコ良過ぎるけど、仮に試してみたとして、犯人の逆鱗にでも触れたり人質としての価値が失われたりすれば文字どおり此の世とはおさらばせねばならん。大前提として、死にたいわけがないんだな。残念ながら。いいのいいの、勉強と一緒、なんでも丁寧にコツコツと。これなら得意だし。
現状としては、戯れにゴーギャン作『我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』の題名を借りると……わたしは図書館近くの路地から来て、わたしは誘拐被害者で、おそらく犯人の用意した拠点に向かっている……と、表現できる。
名作に怒られそう。その前に美術評論家が怒るね。
よし。余計なことも考えられるようになってきたし、丁寧に考えてみよう。あと、真面目に。
まずは計画性の度合いかな。
犯罪に巻きこまれた側から申し上げれば、どのような計画であろうと迷惑この上ないのは共通している。おかげでしっかり客観的にとらえられる気がする。
わたしが誘拐された場所。あの図書館から大通りに出るまでの、川に沿った舗装路。あの時間、たいてい人通りはない。今日も無かった。いつも人がいないわけではなく、午前中や午後の早い時間であれば親子連れが読み聞かせ会や運動教室に参加したり年配の方々がのんびり散歩していたりしている。が、わたしがあの図書館へ行くとすれば今日と同じように塾の授業前が多く、専ら人目は少ない。これは計画性の高低によって左右されない事実。
しかし、計画に組みこむことはできる。それこそ、待ち伏せの機会としては絶好だ。特定の期日がなければ、目撃者が完全にいないことを確認してから実行することも可能。
犯人からすれば目的を果たせなかったり逮捕されたりすれば失敗だから、露見しなければ誘拐の成功率が上がって安全ってわけでもないだろうけど、どのような万全も期すためにある。しかし、万全過ぎたら払うコストがどんどん上がっていく。
それに、ふたりだから。
ほら。
あの。
ね?
抱えこまれてから車内に押しこまれるまでの時間がどれくらいだったか数えていなかったし冷静ではなかったから、正直わからない。わからないけど、でも、いわゆる「おそろしく速い手刀 オレでなきゃ見逃しちゃうね」案件だったんだよ。そう、あのとき扉が閉められてすぐに車は走り出した。つまり、車内にはもうひとり以上いた。実行役と運転役。役割がはっきりと分かれていたなら、人数分のコストが生じる。んで、標的がわたし。
つまり、割に合わないのは明白。計画性を上げれば上げるほど、実行しないほうが良いと悟るものでしょ。それとも、バカなのかな。
ひとまずこれらをもとに考えた可能性としては、そこまで考えていなかったか、考えすぎて頭悪くなったか、実行しなければならない理由があったからか……この3択? だったら、もはや3つ目であって欲しいんだが。
待って、主観になってる。
柿食べよう、柿。客になろう。
よし。
迷惑トリオこと機会・方法・動機の皆様は後ほど考えるとして。
犯罪遂行とくに誘拐実行においてどのような道具が必要だろう?
人質を一定時間捕縛しておける環境を用意するには、まず拠点が必要だ。移動があるならその足として、車。わたしみたいにおとなしくする人質ばかりでは無いから、拘束の道具も。人質に容姿を覚えられたくないなら、そういう服装や顔を隠す仮面とか。あとは……目的を達成するための連絡手段とか……思いつくのはこれくらいかな。
とりあえず、車はあるね。乗ってる。入手方法まではわからないけど、変なにおいとか私の鼻腔は感知していないから手入れはそれなりにされている車両だと思う。ガス欠とかあれば鼻で笑ってやりたいところだけどね。
拠点も、おそらく存在する。犯罪実行中なんだから可能なかぎり早く人目から離れたい心理が働くだろう。しかし事故を起こすわけにはいかないし、警察に車を止められるわけにはいかない。
逮捕コースを回避するためにも、目的地までの最短ルートを最速で安全運転する。ならば時短のために少なくともルートを間違えるわけにはいかない。だからこそ、運転役と実行役の役割が明確に分かれているとしても、わたしの他にふたり以上は乗っているのに会話がひとつも無いのは引っかかる。そういうもんだって言われたら、そりゃ誘拐されるの初めてだから納得するしかないけどさ。
非言語の意思疎通にも限界はあるし、会話で情報交換したほうが楽じゃん。それをしないのは、明確に特定の場所を正確に認識した上で向かってるってことだろう。どこ行きたいのかまったくわかんないけど。
拘束の道具も、まあ、変だよね。結束バンドで2連の輪をわざわざ作るのは面倒だ。それなら粘着テープや手錠を用いるほうが簡単だろうし、普通に結束バンド1本でも問題ないでしょ。
それぞれの道具を用意する難度はそれほど変わらないだろうし、なにより拘束に過不足ない。 また、道具がなくても暴力で黙らせる方法は選べる。騒いでいないのにタオルで口も塞いでいるのを考慮すると、総合的には粘着テープに軍配が上がる。わざわざ面倒なほうを選んだ意味がわからん。
仮面は、うん、つけてたね。服装は黒っぽいことはわかった。連絡手段については、わたしのスマホ使えばいいんでねーかい?……これくらいかな。
一般的な誘拐犯がどれくらい計画して準備するのか知らないけど、短慮ってほど短慮でもないらしいのを評価して、そうだね、上の下かな。
さてさて。誘拐犯として優等生らしい方々の動機は何だろう。
専ら挙げられるのは、営利、政治、怨恨かな。殊に営利のイメージが強いけれど、可能性も考えるだけ考えてみよう。さっきより真面目に。
そもそも動機はあるのかって話から。言いかえると、犯罪の原因や契機かな。
はーい、みんな大好き背理法。
この犯人に良心が欠如していると仮定する。すると、2点の反証が挙げられる。
第1に、動機が不明瞭であること。
犯罪行為において、動機は犯人の悪意ある目的とも言いかえられる。目的の根幹を成す悪意は、大抵、言動に現れる。希に善意の面の皮を被っているが、それを見分けられないほどガキではないし、耄碌もしていない。
いまのところ拘束時を除けば暴力行為は受けていない。暴言についても、使われた言葉は「騒ぐな」「おとなしくしていれば危害は加えない」このふたつだけ。反芻してみると、口調や言葉選びは脅迫より宣言の色が濃い。標的の生命を左右する権利を手にしても必要以上に脅かそうとはしていない。創作では抵抗できない人間がモノと同等に扱われる場面があるが、それは現実とて大差ない。相手を生物だと認識していれば、傷つけることに躊躇するのは良心の呵責があっては成し得ない。
わたしがこうして思考していられるのは放置されるだけで相応の悪意には晒されていないから。おかげで、何に対して悪意が抱かれているのか少しも見えない。明確に犯罪実行の渦中にいるのに、犯人の動機がわからない。
第2に、言葉どおり、おとなしくしているわたしに危害を加えていないこと。
推理小説を嗜んでいれば、子どもでも犯罪に関する知識は相応に身につく。女性という性別、高校生という職業で、どのような悪意が生じる可能性があるのか思い至らないほど無知ではない。
もとより動機がひとつでなければならないという決まりはない。本来の動機が別のところにあるとしても、それまでの過程は問われない。結局、犯罪成否とは目的の達成または未達のこと。
人間の三大欲求のひとつにも数えられる要素は無視できない。が、いまのところその予兆は無い。ときおり信号待ちらしい小休止はあるが順調に車は目的地へ走っているし、わたしは座面に寝かされているだけだ。
もちろん、刃物を突きつけられたときは恐怖した。しかしそれは刃物が用いられたことよりも、仮面の奥の、その瞳に何かを見たからだ。加えて、身体が竦んで瞳が潤むと、すぐに刃物を首筋から外してくれた。実情は異なるが、泣きそうになるほど怖がったらその原因となり得る行為をやめようとしてくれた、と受け取れる行動だろう。相手に罪悪感や良心の呵責を覚えていなければそのような行動をとる蓋然性は低い。
以上の2点から、この犯人に良心が欠如しているという仮定には矛盾が生じる。
したがって、この犯人に良心はある。事件を起こしている時点で、良心に満ちているとは言わないが。
良心があるにもかかわらず犯罪を実行するに至ったならば、それを超越する悪意と結びついた動機が存在する。計画の度合いも相応だろう。
また、計画されたうえで実行した犯罪行為なら、標的を調べる段階で適任を選べる。そのほうが動機もとい目的を達成しやすい。思考が至っていないだけで、わたしを標的にしなければならなかった動機は存在するのかもしれない。
よし、動機は存在するし、標的はわたしでなければならなかったと仮定しよう!
動機をそれぞれ言いかえると、営利はお金、政治は権力、怨恨は……怨恨だな。
父は出版社に勤めるしがない編集者、母は失踪した推理小説家。親戚の話も含めて、ただの一般家庭だ。
奪取できる金額には上限があるし、編集者を脅迫して得られる権力なんて無いよ。
それに、これは編集者というより父に限った話になるけど、恨める要素あるか? 本かしてくれなかった翌日にケーキ買ってくる人間だよ? まあ、家族に見せる顔と仕事で見せる顔が違うのはあり得るか。それにしたって限度はあるでしょ。仮に、冷血な暗殺者を兼任でもしていた暁には世界が信じられなくなる。
また、母に原因があるとして、なぜ失踪から9年も経過した今なのか。姿を消して5年以内であればわたしは小学生。幼く、背が急に伸びたのは中学生のころで当時はまだ小柄の部類だった。誘拐するにしても、今より多少は人質として扱いやすかったはずだ。あるいは、犯人側に、5年以内では犯行に踏み切れない事情があったのか? 踏み切れないままで良かったのに。
お金と権力はもう羽熊家にはどうにもできないね。じゃあ、怨恨路線でも深めるか。
わたし自身あるいは身近な人間が恨まれていると仮定したら、犯人の言動として過剰な暴力を選んでいないのは疑問。
怨恨が動機であれば、深い恨みゆえの犯行ならば、それは当人あるいは関係者へ仕返ししたい感情を少なからず燻ぶらせた結果。最初から容易に制圧できたなら暴言も暴力も必要最低限なのは、理解できる。しかし、わたしは可能なかぎり抵抗した。そのとき、もっと乱暴な言動をぶつけたり怖がらせたりすることはできた。
刃物を用いて抵抗力を削いだとはいえ、それはたった一度のみ……わたしが抵抗をやめたのは仮面の奥の、その目が怖かったからだ。すぐに殺されることは無いとしても、必要に応じて殺人を厭わない。そう気づかされたから……仮に、その目の恐ろしさに気づかなかったら、わたしがなおも抵抗をしていたら暴力は用いられたのか。わたしが冷静ではなかったし得られた情報が圧倒的に少ないから断言はしない。が、怨恨の線が薄いのを補強する材料になり得る気がする。
もー、動機があるってわかっているのに内容はわからない。不明瞭なままだ。
他にどのような可能性があるだろう。
複数の人間が、ある目的のために、誰でも良いから誘拐した? いや、それはさすがに事件を題材とするにはコンセプトとストーリーが嚙み合っていない出来の悪さが露見している。相乗効果を図れる重要な要素なのに、もったいない。創作物であればたまに見かける乖離だが、創作と現実の相違として、人間の良心が挙げられる。
道徳的な善悪を区別して正しく行動しようという心理こそ、本来、犯罪を実行する誘惑を引きとめ得る。それが法治国家の根幹を成す共通認――電子音と重い金属音に思考が遮られた――車の扉が開けられる音かだろうか。まあいいや、わかんないし。とりあえず、誰かが何かをしたんだ。ってことで保留。
一旦、ここまでの思考をゆっくり振り返った。




