カーネーションと失踪
塾の最寄り駅で電車を降りれた。今日は乗り過ごさなかった。わたし、偉い。鞄を肩に掛けなおしながら見上げると電光掲示板が16時58分だと教えてくれた。
授業までだいぶ時間があるけれど、早く到着して自習するには小学生がうるさい。したがって、近くの図書館で時間をつぶす1択。借りた本の返却期限は明後日だし、忘れるよりは早めに対応しても損はしない。新たにもう1冊くらい良縁に出会えたら益そのものである。
父は職業柄からか生来の気質ゆえか、読書家だ。しかし、書斎にある本を例外なく貸してくれるかというと、そう単純な話ではない。厳格というよりも、むしろ人情家でのんびりとした性質。父は父なりのルールに則っているだけだろう。きっといつもどおり発売から数か月も経てば、かしてくれるようになるはず。
だからこそ自分で買う気にはなれないのだ。儚きかな、それが高校生の財布事情なりけり。
翼沙のルービックキューブ挑戦中にも読んでいた、青葉玲『神葬』は物理的に相応の厚みがある。きっと単行本になっても5センチ近くになるだろう。まだ塾まで1時間近くあるし3読目だから、もう1回くらい通読できるのではなかろうか。あるいは、期限を延長してもらうのも、あり。決めるのは18時を回ってからでも遅くない。とりあえず、再読だ。
信号待ちの間、遅刻しないようにスマホの時計アプリで、アラーム再生停止、バイブレーション・オンにして、リミットは18時10分設定にした。
スマホをポケットに滑りこませて、顔を上げたその先。駅から図書館までの道中にある、花屋が視界に入った。例年どおり飽きもせず母の日を全面に押し出している。今年の母の日まであと2日、最後の最後まで準備が疎かな不届き者にも手を差し伸べているらしい。 わたしが最後にカーネーションを買ったのは小学3年生だったと記憶している。
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母が失踪したのは、わたしが小学1年生の秋。
推理作家・藤うらら名義の最後の著作『青写真と六腑と龍の声を乙姫に』を担当編集に渡したその日、家に帰らず姿を消した。当該著作は母が消えた1か月後に上梓された。その前後数か月、父は警察に協力を仰いだり引っ越し前の街に出向いたりして母の捜索に必死だった。母が帰ってくると信じていたのだ。同じく母が帰ってくると信じていたわたしも母の日には、おやつを我慢して溜めたお小遣いを握りしめてカーネーションを買っていた。
しかし、リビングに飾ったその花は、2年連続5月の半ば、下校すると花瓶から消えていた。
座敷童が住み着くには家が新しいし、その他の霊のみなさんについてもわたしが料理するとき塩がまかれているので居心地が悪いはず。また、屋根裏に誰もいないのを確認したから、家を自由に出入りできるのは鍵を持つ者、つまり、家族に限られる。ひとりっ子、なおかつ、飾った本人には心当たりがない。ゴミ箱には捨てられていなかったけれど、父の仕業であることは疑いようがなかった。
気づいてからは買うのを止めた。
理由を直接訪ねる勇気はなかった。聞いても、子ども相手に答えられるとは限らなかっただろうし。ちょうどそのころ、父の書斎「あいしたわ」と記された付箋を見つけて諦めがついたのも大きな要因だ。糊の粘着が弱まって、どこかから剥がれ落ちたのだろう。それに綴られた文字は、母の筆跡だった。殊に「あ」は、幼稚園や入学前にさんざん名前を書いてもらったから見間違えようがなかった。
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話せるときがきたら話してくれるかもしれないと期待していた。が、3日後には9回目の母の日、今年の秋の暮れで10年が経過する。嫌でも諦め時を心得ざるを得ない。
とにかく、依然として母は失踪者である。