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いつもどおりの今日

 立方体のそれぞれの面に、同じ大きさの正方形。計54マスのうち、それぞれ9マスずつ、赤、白、黄、青、緑、橙の配色。これを縦横に回転させて面ごとに色を揃える立体パズル。誕生してから久しいけど、おもしろいものは何年経とうが名作として受け継がれる。現代社会に万歳。ハンガリー生まれのルービックキューブ……いや、日本製だから日本生まれ? そもそも君は日本製かい? どこでもいっか。今それどころじゃあないし。

 ここ数日の訓練が実を結び、どのように動かせば思いどおりの位置に各色が来てくれるのか考えられるようになってきた。回転の作法もそれなりに身についてきた。今、最も思いどおりにキューブが移動している。

 最後。右列の縦を最後に手前に90度回転させる。黄色が9つ並んだ。


「揃った? 揃った!」


 立方体を指先で回転させて6面とも色が揃っていることを確認したら、熱いものに触れたときみたいに手から離れた。机に転がったそれを、翼沙が手に取って眺める。その隣、すかさず一葵がスマホのタイマーを止めてくれた。「ははっ、37秒だって」と苦笑する。見せてくれた画面には「00:37.46」と記録されている。


「最高記録だね」


 目標は45秒、達成だ。「んぁ? 最短記録かな?」集中して縮こまった体を伸ばしながら言ってみた。「どっちでもいいんじゃない? もうこれ髙橋くんも星科さんも超えられないよ」一葵が肩をすくめると「でしたら、最終的に羽熊さんの勝ちですね」翼沙が微笑むようにはにかむ。


 要注意人物は戦意喪失状態だし、もう勝負はしばらくやらなくていいや。うん、満足だな。翼沙のほうに傾きながら「次、やる?」と尋ねてみた。


「そうですね、私は記録とか関係なく6面揃えるの頑張りたいです」


「お?」


「えっと、後でまたやります。ちょっと疲れたので」


 確かに、30分間も挑戦を続けたら相当疲れただろう。見られると恥ずかしいと言うから一葵とわたしは積極的に読書したり宿題したりしていたけれど、その間、キューブを回転させる音は断続していたし盗み見れば集中して立方体と向き合っていた。翼沙の、自分で固有目標を作って努力できるところ、見習いたい。

 正直なところ、ルービックキューブは攻略法を理解すれば6面を揃えるのは難しくない。しかしそれを第三者が教えてしまうのは推理小説のネタバレをするのと同義、マナー違反だ。


 一葵に視線を向けると、彼はかぶりを振った。


「60秒切ったときは自信あったんだけどな」


「おかげさまで、負けず嫌いに火がついた」


「それは何より。ご所望は?」


 10秒チャージ片手に「んー、自販機ココアかなー」そう答えると「それだけ?」一葵に眉を顰められて「スズ、ツバサ、イツキ、シュンタロ。たった4本だよ」指折り数えてみせた。翼沙は「ひとつ280㎖ですから1ℓ超えてます」眉をハの字にする。なぜだ、幸せの極致じゃん?


「本望だね」


「いや、1日で飲む量じゃあないよね?」


 一葵が指摘して、翼沙は納得したように声を漏らした。ココアは酒と違って規制されてないのに。それとも血糖値の話かな。血管年齢には年季が入ってる自信がある。それを言われたら控えないといけない気もするけど、それ以前にココアがおいしいのが悪いんだから仕方ないでしょ。

 ふと翼沙の目の前に広がっている裁縫道具や布が気になった。その手には、針と球体の何か。


「何作ってるの?」


「え? ああ、コサージュです。妹が母の日にエプロン作っているらしいので、私は飾り担当です」


 翼沙はそれを手のひらで転がした。カーネーションを模しているのかな、何層にも重なる花弁にはプリント生地のカラフルが映えている。小学生のころ流行っていた毛糸のポンポンみたい。


「妹さんいるんだ?」一葵が尋ねると翼沙は笑みとともに首肯する。


「今年14歳です。香坂くんは?」


「僕は上にいるけど、下にはいないよ」


「え、そうなんですか。意外です」


「確かに。妹いそう」


 翼沙の意見に同調すると、一葵は「なにそれ」と朗らかに笑った。そういうところだよ。駿太朗のウザ絡みとかもそういう感じで捌いてるのかな。


「エプロン、花だらけにするの?」


「いえ。練習してみて、1番うまく作れたのを使ってもらおうかなって」


「普通にうまいと思うけど」


「そうですかね? 嬉しいですけど……ここ、見てください。余分に出てしまっているの、わかりますか?」


 確かに真球とは言えないかもしれないけれど、コスタリカの石球より丸い。説明してもらっても、わたしには違和感に値しないほどの瑕疵だ。さすがリアル長女。末っ子の朱寿、ひとりっ子のわたしとでは比べものにならないほど長女として別格でいらっしゃる。

 感心していると、それぞれの用事を終えた朱寿と駿太朗が教室に入って来た。朱寿が「いまのところ誰?」と問う。「羽熊さん」一葵が言ってくれたので、わたしはふたりに「37」とドヤ顔を見せつけた。「マジ?」朱寿が目を丸くする隣では駿太朗が半笑いしていた。


「昨日の54秒で心折れかけてたのに。もう無理じゃん」


「じゃあ、ツバサの手伝いだね。さっき3面まで揃ってたから」


「ほんと? いいじゃん、成長期だ!」


 さすがトランポリン精神。駿太朗は恥じらいの笑みを見せる翼沙の近くへ椅子を引いて座った。


「ヒント、いる?」


「えー……んー、今日の帰りに4面までいけてなかったら、そのときに」


「わかった!」


 駿太朗のハイテンションの反面、朱寿は不機嫌を隠さずわたしの隣の机に浅く腰かけた。


「なんでハグも1分切るのかなぁ?」


 切りたかったからだよ。つきあい長いんだから、聞くまでもないくせに。


 引っ掴んだルービックキューブを差し出して「ほれ。記録更新かココア、二律背反だよー」と煽ってみる。朱寿は「使いかた合ってる?」と苦笑する。「違うかも」とだけ返すと、受け取ってくれた。両手で立方体をもてあそびながら視線を翼沙に向けて「何作ってるの?」と問う。


「母の日の準備です」


「わー、偉いねー」


 この時期の風物詩、星科朱寿による上手な棒読みである。両親とふたりの兄にかわいがられる姫には、姫なりの苦労があるという。


「母君のご所望は?」


「娘と温泉旅行がいいそうですーぅ」


「お兄さんたちは?」


「リア充だから爆破する」


「予告に留めとけ」


「もう済ませた」


 親指を立てた朱寿は鞄を椅子に乗せると、上体を反らしながら「もー、旦那と行けっての」文句を宣う。「そう言うなよ」駿太朗が苦笑しながら返すが「どうせお土産狙いだろ?」瞬く間に看破した。

 よろしく。ダル過ぎ。

 いつもの気安いやり取りに続けられて。


「羽熊さんは?」


 翼沙の無邪気な瞳が向けられた。駿太朗、朱寿を続けて聞いたから飛び火したんだね。素直かよ。


「まあ、いろいろと。イツキは?」


 ほら。スマホいじっているなら答え給へ。


「花は買うかな、頼まれているし」


 すると、あっと声を零した。駿太朗が「どした?」と尋ねる。


「充電なくなった」


「スマホ使いすぎ」


「そんなに使ってないつもりなんだけどな」


「依存症じゃん」


「ほんとね」


「モバイルバッテリあるよ。使う?」朱寿が鞄を探りながら告げた。一葵は礼を言いながら桃色の円柱を受けとる。それを契機として、椅子を引いた。


「帰るの?」


「塾」


「ははあ、優等生は違いますねぇ」


「今度の中間、高入組に負けるの嫌じゃん? 50年後に後悔したくないし」


「ういー、宣戦布告されてるぞ」駿太朗に肩を組まれて一葵は苦笑。「ツバサにも」放置していた本を鞄に入れながら告げる。そんな焦らなくて良いのに。笑ってみせたとき、朱寿が「先週も読んでなかった?」立方体を眺めまわしながら指摘された。この本のことだよね? お前の目はどこにある?


「そ。もう期限だから返さないと」


「あいかわらず好きだねー、青葉玲作品」


 嫌いではないから「かもね」と返しておいた。朱寿は気にせず「じゃあ」と続ける。


「今年も誕プレ、図書カード?」


「いいの?」


「こっちとしては楽だからね。むしろ、それでいいの?」


「じゃあ、何か食べたい。おいしいもの希望」


「焼肉とか?」


 思わず駿太朗の案に指を鳴らした。それなら、まあ、朱寿と駿太朗はいいとして。 翼沙と一葵に体を向けたまま後ろ歩きで尋ねた。


「ツバサとイツキは? 肉、嫌い?」


 ふたりは顔を見合わせると、一葵は「いや、別に」と答えた。


「苦手? アレルギー?」


「あ。いや、好き」


 よし、一葵はクリア。


「翼沙は?」


「わ、私も、同じく」


「本当?」


「えっと、焼肉、行ったこと無くて……」


 翼沙は視線を伏せて泳がせた。


「それなら、みんなで行こうよ。わたしの生誕を祝わせて差し上げよう!」


 これで翼沙もクリアだよね?

 扉近くのゴミ箱にぺったんこの10秒チャージを放り入れてから、朱寿と駿太朗に視線を向けて敬礼してみた。


「ツバサもイツキもOKってことで。スズ、シュンタロ、いろいろ任せた!」


 後ろ歩きしながら、ご機嫌のまま教室を出た。返事は聞かない。肯定以外受けつけていない。皇帝気分でも許されてしかるべき案件だからね。素晴らしきかな、Birthday Girl☆

 右手首の腕時計を確認する――16時34分――トイレで軽くメイク直ししてからでいいかな。どうせ時間あるし。階段を通り過ぎて廊下を進んだ。




 *******




 休み時間はそれなりに混むけれど、この時間帯はもはや貸し切り状態。トイレの花子さんも居心地良いだろうね。

 鞄を肩にかけたまま、ポーチを取りだした。

 意識高い系のメイク専用ではなく、なんでもポーチ。メイク用品も入っているし、筆記用具や紙幣も入れている。そこから、携帯用ビューラー、リップクリーム、ロールオンオイルを引き抜いた。

 なおすとは言っても、リップクリームを塗って下がりかけのまつ毛を携帯用ビューラーで軽くあげなおすだけ。朱寿にはもう少しやれよと言われているけど、正直そこまでの熱量は無い。瞼を挟んだ日にはまつ毛すら上げない。


 そもそも国立大付属の、それなりに名門と謳われる高校だ。化粧禁止は生徒手帳に明記されている。この条文によって、隠れスクールメイクに命かける派、そもそも興味ないから何もしない派に分かれる。どちらに属するにしろ、退学にならない程度に規則や教員に従っていれば問題ない。


 今回は両まぶたともに無事だ。おかげで両目ともまつ毛が復活した。感覚的に視界が明るくなる。実際、虹彩がわずかながら半径を小さくした気がする。指先でつついてまつ毛の位置を良い感じに……ならないね。もういいや。

 仕上げに、こめかみのところにロールオンのオイルをくるくるした。数秒もすれば清涼感が目を開けさせてくれる。深く息を吸うと、ハーブの香りがかすかに鼻腔にたどりつく。心なしか、いや、錯覚だとは思うけれど体温も下がったような感覚がする。


 春眠だろうと暁を覚えたら、夕方は辛い。4時起床なら19時くらいにはメラトニンが頑張ってくれてしまう丁寧なスケジュール管理。


 塾は18時30分からの80分間。このタイミングで眠くなるのは困る。エネルギー補給しておけばそれなりに誤魔化せるため、金曜日はいつも教室で30秒かけて10秒チャージする。今日の体調であれば、おそらく、授業前にふたたび補給すれば80分間は乗り切れるだろう。


 ボトルを軽く揺らしながら残り少ない蜂蜜色のオイルを眺めつつ、誕プレこっちにしてもらえば良かったか、と逡巡。いや、図書カードも焼肉も捨てがたい。自分の判断を信じよう。


 不意に右手首が気になった。ワイシャツの袖口のボタンを外して見ると、腕時計が手首の範囲から出ていこうとしていた。ベルト部分に指先をひっかけてシーソーのように動かしながら橈骨の上まで移動させた。これで君は正真正銘の腕時計だ。

 もとの位置の皮膚が赤く跡になっているが、数時間くらい放っておけば治るだろう。ただ、ワイシャツの袖口と腕時計が橈骨付近でダブルブッキングしているのはなんだか気に入らない。悩んだ末に外して、リップクリームたちとともになんでもポーチに入れてチャックを閉めた。


 ポーチを鞄に押しこんだ代わりに、引き抜いた定期をポケットに滑りこませて歩き出した。

 トイレを後にしたとき、教室のほうから数人の笑い声が廊下に響いていた。

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