表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/18

最後の仕上げ

 太腿が振動を感知する。瞬間、ポケットに手を突っこんでふたつのスマホを引っ張り出した。電話は……父のスマホのほうだった。「あるらちゃん」と表示されている。すぐに出た。


「よう」


「……どうも」


 直後Aは端的にカフェの名前、住所を言う。起き抜け暗記、咄嗟に体を起こす。聞き返すと


「仕上げ。ここの2階」


「はい? 通報しろってことですか?」


「もうしたよ」


「え?」


「仕上げだよ」


「通報って、何のために」


「じゃあな。ああ、様式美だったか?――健闘を祈る」


「待ってくださいっ、ちょっと!」


 呼びかけに応じてくれない。自分で通報したってこと? ヤケになってる? 事件化されるのを想定していなかったのか。いや、この情報化社会において誘拐事件の成功率は低い。わたしははっきり顔を見ているし覚えている。逮捕されないなんて、あまりにも楽観している。そうだ、なぜ顔を見せて声を聞かせたんだ? 人質に対するAとBの対応の違いを、殺害派か解放派かで分類したけれどそこから違った? 仮に捕まっても目的が果たせれば良いと認識していたら?


 Aはまだ通話を切っていない。雑踏の環境音が聞こえてくるだけ。場所はわからない。が、こちらから切るわけにはいかない。


 一葵のスマホ、パスコード知らない。持ってても意味ないのに、なぜ借りた? どっちに電話掛かってくるかわからなかったからだ。よし、思考が回り始めていなくもない。清水さんにカフェのことを伝えて調べてもらった。


「ここから近い。大通りに面しているから、車で向かう」


「道、わかりますか」


「カーナビがある。シートベルト締めて、やりかたわかる?」


 それはもう現代社会に感謝。きょろきょろしていると清水さんがシートベルトをどこかから引っ張り出してくれた。留め具を手渡され、それっぽいところに差しこんだ。間もなく、車は走り出す。


 スマホを耳に当てたまま、言われたカフェへ急いだ。駐車場を出てしばらく――腕時計は17時23分――いつのまにか周囲の環境音が収まった。

 話し声が聞こえ始める。Aの、舞台がかった声だ。


「さすが小説家は博識ですね。幕末の、倒幕の、新政府軍の指揮官が識別用でかぶっていた目印のひとつ……でしたか、ハグマさん?」


「失礼、どちら様?」


 女性の声だ。

 誰か。

 もしかして。

 期待がつのる。否定できる情報は無い。全力で耳を澄ませる。


「おや、聞いてませんか。ああ、携帯の電源を切れと命じたのを忘れてました」


「……飲み物は?」


 平然としたAの声とは対極に、女性の声は若干揺れている。


「ミルクティーを勧めたいところね」


「のんびりしてられないんですよ、あいにく。もう警察を呼んでしまったので。10分以内には到着するのでは?」


「そう。ならば世間話する余裕もないのね」


「はい。無粋で申し訳ない」


「こちらこそ悪いけれど、答えはあの日と変わらない――原稿は存在しない」


「いやぁ、ははは。娘さんには見抜かれてましたよ? 少なくとも草案は存在する。そうでしょう?」


「どこでそれを」


「聞くまでも無いでしょう? いや、電源を切っていたということはすでに聞いていましたよねぇ」


「……あの子はどこにいるの?」


「安全な場所に」


「どこの病院へ行ったの?」


「さあ。諏訪のどっかでは?」


「……無事なのね?」


「ええ。極力、怪我もさせていません」


 怪我らしい怪我は、拘束時の擦り傷くらいだけ。怪我は、確かに、極力させられていない。なのに、わざわざ含みを持たせたのは、なぜ? あのとき「あいしたわ」の話をしたのに、龍宮城で気づいた「イロヲタセ」の話はしていないのに、何を期待している? なぜこの人は期待できるの?


 わたしが諦めてたのに。なんで他人がそれをできるんだ?


 納得いく答えは浮かばないし、そもそもうまく考えられない。もはや知りたくないまである。いや、知りたい。そのために、そのためならわたしだって頑張れるんだと信じたい。自分が望んだことのために努力できると証明したい。


「清水さん、あとどれくらいですか」


「このあたりのはずなんだけど、駐車場が」


「次の信号待ち、降ります」


「……わかった。ドア、開けられる?」


「壊したらすみません」


「やめて」


 信号はちょうど赤。清水さんは緩やかにブレーキをかけると自分のシートベルトを外して後部座席の扉を開けてくれた。


「後ですぐ行くから。無理はしないこと。いいね?」


 彼の意図は察するまでもなく明確だった。シートベルトを引っ張って外そうとしたら、扉のついでに、外してくれた。「ありがとうございます!」いろんな意味をこめた感謝を残して車を降りた。人通りはそれなりにある。さすが土曜日、休日だね。電柱に記された住所を確認する。Aが述べた住所は近い。周囲を見渡しながら改めてスマホを耳に当てて電話先の音に注意する。ふたりの会話は続いていた。


「星の固有名に漢字を当てるとは、ずいぶん粋ですね?」


「……あの子は好いていない」その言葉に「違う!」思わず叫んだ。


 何事かと視線が集まる。が、今はそんなの関係ない。電話先からは反応無い。音声ミュートなんだろうね。ふざけんな。直後、すぐ隣、サイレンを鳴らしたパトカーが通り過ぎた。タイムリミットが近い。ここまできてRTA失敗? いや、無理。それは無い。

 通話先で「外が騒がしくなってきた」女性は言う。大丈夫、このあたりなのは間違いない。

 早く指定場所を見つけないと。


「……自分で呼んでおいて今更逃げるとでも?」


「あなたがいなくなったら、彼女たちはどうするの?」


「ははっ、そのままお返ししますよ!」


 言いたいことそのまま言ってくれた。その視線の先、カフェが視界に入った。あそこだ。人をかき分けながら走った。


「娘さんが納得すると思いますか?」


「ありえ――」


 直後、音声が消えた。電話が切られた。いや、違う。充電が切れたんだ。電源ボタン連打しても画面が反応しない。ポケットに押しこむとダブルブッキングだと2台のスマホが文句を言う。片側に重さが掛かる違和感もある。結局ふたつとも取りだして手に握った。


 指定されたカフェに駆けこむ。店員が何か言おうとしたが2階への階段を駆けあがる。ちょうど深く帽子を被った人とすれ違った。壁に向きあうようにして背を向けたからきっと女性だ。ぶつからないようにしつつ、スピードは緩めなかった。辿りついた先、見覚えのある顔を見つけ、歩み寄った。癖毛にはわずかに帽子の跡がついていた。黒いスーツ姿だと、印象は大きく変わる。メラビアンの言わんとしていることがよくわかる。隣にリュックのおかげで学生に見えなくもない。都会の夜、むしろ目立ちにくい服装にも思える。そういえば、Bの姿は無い。同じフロアには、ここにはいない。確かに、通話でも声はなかった。来てなかった? なぜ?テーブルに置かれた空のティーカップと1000円札を見てもわからない。Bだけ逃げた? ひとり置いて行かれた? ここにきてAも裏切られたってこと?


「ギリギリだったね」


 生徒手帳とスマホを差し出される。受け取って、スマホを3つ重ねたまま手に持った。息を整えてから「引きとめておいてくださいよ」何かひとつくらい文句を言ってやりたかった。


「階段で会っただろ?」


 は? 階段?

 首を傾げかけたが、爽やかな甘い香りを思い出す。 確かに、その女性とすれ違った。


「……これでイツキは本当にひとりぼっちになります。それでよかったとは思いたくありません」


  目を丸くすると、Aは自嘲するように細めて頬を緩めた……どこか不敵な笑み……寒くもないのに腕が粟立つ。強気に「何ですか」と言ってみたが、あまり意味はなかった。


「勝ったと思ってる?」


「……負けでは無いと思ってます」


「卑怯になれない君の負けだよ」


「何の話ですか」


「破滅するにしても、破滅の仕方は選べた。それ以上を望めるほど俺は天才でも有能でも無い。断言できるよ、これで良かったんだ」


「何を」


 何を言ってるんだ、この人は。


 車内で見せられた、監禁場所で見せられた、底知れない恐ろしさの正体は。あのときは、殺される可能性が捨てきれないからだと思っていたけれど、今はもう最初から彼には殺害の意図が無かったのだと知っている。じゃあ、あのとき感じた恐怖は何? 過剰に怯えていただけ? とにかく冷静にならないといけないって努めていたけれど足りなかった? それだけ?


「いいよ、まだ時間があるらしいから。自白の練習にもなるし。そうだね、ガキのときはここまでは考えてなかった。けど、妹がやると言い出して変わった。変えなきゃならなかった」


 じゃあ、この笑みは、何? なぜこの人は笑っているの? 妹に置いていかれて、弟にあんなことして……いや。そうだ……このために事件を起こして弟を被害者にして妹を逃したのなら、この人の目的はもう、75%は果たされたんだ。

 叔母夫妻の死が事故では無いと知ったから、だからわたしの母を利用しようとしたんだ。叔母の友人だったから、推理作家だったから、両親の犯罪を世間に曝せると思ったんだ。自分自身の罪を明らかにしてもらえると信じたんだ。


「まあ、結局は、ね。それなりに上手くいったんじゃねぇの?」


 得意げな笑みとともにUSBメモリをつまんで見せる。ポケットに押しこむと、おもむろにリュックを背負う。

 わたしの母を見つけるための誘拐だった。そのうえで、本来の目的も果たせた。

 そういうことか。9年前とは違って、今なら、犯行を最後まで遂行できると確信できたんだ。

 当時、意図とは反して、わたしの母は3人の子どもたちを思って真相を闇に葬ってしまった。だから、わたしの誘拐を計画した。

 なぜ今なのか。妹と弟のためだ。セナがふたつの事件を繋げて考えられるようになって自分ひとりですすめるつもりだった犯罪計画にたどり着いてしまったから。一葵がわたしと知り合って情報を集めやすくなり、なおかつ、高校生になって独り暮らしできるようになったから。本来の目的を達成しやすくなったから。成人して、未成年のときより行動が自由になったから。


 目的を果たすための計画を進められる条件がすべて揃ったから。だから決行した。


 これで、事件は解明された。解決できた。なのに。それなのに、どうして。どうしてだろう。どうしてこんな悔しいんだろう。


「これで良かったなんて思わない」


 事件を起こした時点で、すでに勝算は高かったんだ……わたしが車内で抵抗を止めたあの瞬間……この人の勝利、わたしの敗北は確定していたんだ。ふざけんな、そんなクソな話あってたまるかよ。


「これが最善だったなんて、絶対に許さないっ」


 振り向いてAの背に叫んだ。


「兄さん」


 女性がAの進む道を遮る。

 Bだ。

 Bが大きな鞄を抱えて、そこにいた。逃げたんじゃ、逃げてなかったんだ。 そのすぐそばには、一葵もいる。連れてきたの? どこから? どうやってみつけたの? Bが鞄を投げ出してAに駆け寄りだきつく。一葵も遅れて駆け寄る。


「なんで」


「できない、できないよ……! 置いていけない!」


 Bは逃げなかった。逃げられなかったんだ。

 笑いがこぼれた。何もかも思い通りに行くと思うな、バーカ。

 直後、カフェに警察が踏みこむ。清水さんも紛れこんでいて、わたしは彼の案内に従ってカフェを出た。AとB、一葵がどうなったのかは見てなかった。そんな余裕はなかった。


「改めて事情聴取を受けてもらうことになっているんだけれど、大丈夫かな。疲れていたら後日でも構わないらしいけれど」


 気遣う声色。それがわかる程度には余裕がある。事情聴取とはいえ、今朝の10時くらいに話したことと同じでもいいんでしょ? だったら別に今日でもいいや。さっさとぜんぶ終わらせたい。


「聴取って、どこでですか?」


「最寄りの署。でも、無理しなくても」


「歩いてくのはきついですけど、乗せてくれる感じですよね?」


「体力的な問題じゃなくて、疲れてるよね?」


「いえ、疲れてないです。大丈夫です」


 このやりとり、もうやった気がする。結局、清水さんの心配を「問題ありません」で押し切れた。その延長で、駐車場の自販機でココアを買ってくれた。正直、今は何にもいらない。

 不意に。

 スーツの大人たちを前に肩身を狭くしている一葵を見つけた。そういえば、病院から脱走したのかな。いや、人里に下りてきたからか。

 お叱りがひと段落ついたタイミングを見計らって声をかけた。


「なんで場所わかったの?」


「……僕のスマホ、持ってるでしょ?」


 あー。そっか。そっちは、そういうことか。うん、持ってるね。

 あのアプリ。盗聴だけじゃなくてGPSとかで場所もわかるなんでもござれタイプな感じか。そりゃ充電すぐ消え去るよね。


 とりあえず、なんていえば良いのか思いつかなくて、缶を押しつけた。

「え……ココアだよ?」戸惑いには気づいていたが、構わず「いらない」と押しつけた。あれ?

 なんで今だったんだろう? どうして5月半ばでなければならなかったんだろう?


「おねーさんって、セナさんの誕生日って6月?」


 自分でもよくわからなかった、が、そう一葵に尋ねていた。なぜBの誕生日が気になったのか、わからない。わからないけど、知らなければならない気がした。一葵は無言で、わずかに目を見開く。


「……どうして君が泣いてるの?」


 なんでそんなこと聞くんだろう。「わからないよ、そんなの」捨て台詞を残してその場から逃げた。




 *******




 逃げた先の曲がり角に車の影。そっとその先を確認すると、男性の足元だけが見えた。見たことあるチャコールグレーのスーツ……ああ、長田さんだ。さらに身を乗り出した。


「これでよろしかったんですか」


 その問いは、わたしの父に向けられていた。


「50年後、後悔させるわけにはいきませんから」


 いつもわたしにみせる柔らかな声色で、はっきりと答えた。


「パパ」


 駆け寄って、しがみついた。優しく包みこんでくれた。


 爽やかな甘い香りがした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ