不可解な不快
そのうち長田さんたちの視線から生暖かさの波動を感じて、父を引き離して隣の椅子に座らせた。
「少々お話よろしいですか。東京でも聞かれたかもしれませんが」
「ええ、もちろんです」
仕事モード? 父がしっかりしてる。順当に、受け答えていく。異変を知ったのは金曜日の帰宅途中、豊永先生から電話がかかってきたときらしい。「塾から電話ですか」長田さんが質問を重ねた。
「はい。塾の安全管理の一環ですね。この子の担任の先生から電話がありました。まだ娘が到着していない旨を確認しました。今まで一度もかかってきたことはありませんでしたから」
思わず「知ってるの?」と父に問う。
「ん? あるらちゃんの塾、金曜日の18時半からでしょう? 遅刻したら授業開始10分以内に電話掛かってくるって。塾長先生、教えてくれたの覚えてない?」
10分以内なんだ……父をナメ過ぎてました、ごめんなさい。「良い子だからね。覚える必要なかったかな?」反応に困って、「それ何時?」質問を重ねた。スマホかしてと頼めば何の疑問も持たず父は「うん、いいよー」とスマホを渡してくれた。画面上部の表示によると充電は半分を切っていた。再び父は長田さんの質問に答えていく。脅迫電話にて、車内で拘束された娘の動画を見せられたこと、他者への連絡を制限されたこと。淀み無い返答を聞きながら電話アプリを開いて履歴を確認した。
← あるらちゃん 06:24
→ 吉村さん 06:18
→ 吉村さん 06:16
← あるらちゃん 金曜日
← 青葉さん 金曜日
← あるらちゃん 金曜日
→ 非通知 金曜日
← あるらちゃん 金曜日
← あるらちゃん 金曜日
← あるらちゃん 金曜日
← あるらちゃん 金曜日
← あるらちゃん 金曜日
→ あるらの塾 金曜日
→ 平野さん 金曜日
← 小島さん 金曜日
あー、吉村さんは知ってる。父の友人だ。小さいころ、何度か会ったことある。
わたしが病院で検査を受けていた時間と重なるから、この6時18分というのは、長田さんが「父と連絡がついた」と清水さんに伝えに来た直前だろう。これだけ電話かけたなら、LINEも相当な量だね。ひときわ目立つ「非通知」は、件の脅迫電話かな。ああ、本当に誘拐事件は存在していたんだ。ほかの名字だけのは作家さんとのやり取り………………いや、いい。今は聞かない。返答によって認識を変えざるを得なくなる。今は知りたくない。連絡について聞きたいことは一旦これでいいや。
あとは、ほかの情報。ネット検索するかぎり、母が残した3件に関してほとんどノートのとおりの情報が見つかる。最中、昨晩未明に発生した個人山荘火事に関して放火の疑いがあると題がついた記事を見かけた。諏訪湖から徒歩で数時間の範囲。脱出RTAに成功したのが24時50分過ぎ、コンビニが3時25分くらい。場所と時期。あの建物とともに証拠も燃えたよね。本当、計画的でいらっしゃる。
「羽熊麗さん、でしたな」
唐突に、長田さんの口から母の名が出た。父は訝しむように「え、ええ。はい」と肯定する。
「覚えてはいらっしゃいませんか。当時、しばらくわたしが失踪事件の専従を務めていたのですが」
「そ、れは……失礼いたしました。あのときは大変お世話ました」
「無理もありません、もう10年近くなりますからね。その後は」
「今もあの家で、彼女の帰りを待ち続けていますよ」
「そうでしたか……」長田さんはため息交じりにそう言う。 わたしも同じ感覚だった。自分で聞くまでもなかった。警察相手に隠すならわたしが聞いても無駄でしかない。わたしには知られたくないってこと? じゃあ、わたしが席を外せばすべて白状するの?
「パパって、干支、何?」
「未だよ」
「じゃあ、1979年生まれ?」
「うん、そうだよー」
「ママは1980年生まれ?」
「うん、申年だね」
じゃあもういいや。邪魔者はさっさと消えて差し上げよう。休憩はもういらない。コンビニの袋を抱える。扉へ向かいながら、歩くのも問題ないとわかった。背後から「どこいくの」と尋ねられる。
「お花摘み」
「場所わかる?」
答えられなかった。どこでも関係ないのに。もうどうだって良いのに。
結局、長田さんに目配せされた清水さんがついてくることになった。これもきっと誘拐被害者への気遣いのひとつ。感謝すべきなんだろうけど、邪魔にしか思えない。案内に従わず、勝手に廊下を進む。後ろから「そっちじゃないよ?」と聞こえた。それを無視して階段へ向かう。
「待って、どこ行くの?」
「ついてくるなら静かにしてください、知らせるなら置いていきます」
「何を」
「父は何か隠してます。これじゃ、間に合わなくなってしまいます」
「待って、何の話か」
「わからないならそれで、信じてもらえなくて構いません」言い残して背を向けた。ポケットのお金に触れながら、どうすれば東京まで……腕を掴まれて「来たんですか?」清水さんを見上げた。
「ひとりにはできない」
嗜めるような表情だった。主張には納得できる。が、今の気分的に謝罪するのは癪に障るから礼を告げた。直後、階上から「清水」と聞こえた。腕を離され、下ろす。長田さんは視界に私を捉えたまま構わず階段を下る。目を逸らしたら負け。上直筋、下直筋、内側直筋、外側直筋、上斜筋、下斜筋すべて微動だにさせない。瞬きすらしないよう眼輪筋に命じた。「君は何がしたい?」と問われる。
「自分の目的を果たしたいだけです」
「今でなければならないのか? お父さんは心配するだろう」
今でなければならない。少なくとも父には頼れない。取りだしたスマホを長田さんに見せつける。
「BYOD端末なので、私用も仕事も、電話は一緒です。これが直近の履歴です」
「何がおかしい?」
「なんで青葉さんへ掛ける必要があると思いますか? 娘が誘拐されて犯人から連絡を制限されたのに、仕事関連の電話を優先する親がいると思いますか? カレンダーどおりの勤務で、わたしの塾から電話が来たときには金曜日の帰宅途中だったのに?」
正確なタイムリミットはわからない。無駄な時間を過ごしているわけにはいかない。急がないと
「他のことは話してるのに、この電話のことだけは話していません。隠してます、絶対。この事件に関して言えないことがある。悪意に晒された不運だけじゃあない、ただの被害者なんかじゃない!」
声が反響する。大声出していい場所じゃなかった。それは反省する。ただ、内容を訂正する気はなかった。わたしが抱える、言語化はまだできていない、この漠然とした嫌な想像が事実に近いなら?
長田さんはついに同じ段まで降りてきた。ゆっくり膝を曲げて視線を合わせられても、わたしは睨み続けた。反対に、目の前では表情が緩める。いや、ただの笑みではない。違うのも混ざってる。
「すまなかった。君の前でする確認では無かったね。そこまで気づいているとは思わなんだ。本当にすまなかった」
「……」
「ただ、お父さんが君を心配しているのは事実だろう。いや、だからこそ……かな?」
かなり強気に出たのに、バツが悪くなってきた。きっと長田さんも事件の構図が見えている。目を知らした。その隣で「ちゃんと見ててやれ」清水さんに何かを握らせて、階段を上って行き、姿は見えなくなった。
清水さんが受け取ったのは車の鍵だった。東京に着いたら起こすと提案されて、乗った。そうでもしなければ戦いきれないとわかっていた。警察署を出るとき、腕時計は10時32分だった。




