お巡りさんと刑事さん
しばらくぼんやり歩いていると、四角の建物が気になった。交番だ。派出所のほうが正しいのかな。どっちだろう。出入り口から建物の中を伺ってみると、濃紺の制服を着た若い男性と目があう。お巡りさんらしき彼はわたしにきづくと大股で歩み寄ってきた。らしきというか、そのものか。
「どうした?」
「……あの」
「こんな時間に、何してるの」
何って、何だろ。確かに、わたし何してるんだ? 威圧ではないのに、うまく考えられない。
「おぅい、イシカワ。何してるんだ?」
「タノウチさん、えーっと」
奥からもうひとり顔を見せた。こちらは年配気味だった。
「……ここ、交番ですか?」
ダメだ、何言えば良いかわからない。正直、もう疲れて脳が回ってくれない。龍宮城でエネルギーとか糖分とか使い切った。あ、まって、カフェオレそのまま置いてきちゃった。取りに帰ったほうが
「とりあえず、中おいで。寒いだろう? お茶、飲むか?」
年配のお巡りさんはそう言った。迷ったが、記憶の中で駅まではまだ距離がある。休憩の誘惑には抗えなかった。間もなく温かいお茶が渡された。すこし苦い。でも、ほっとする感覚。膝から滑り落ちそうになったコンビニの袋を引き上げてあくびをかみ殺した。
「奥なら寝るスペースくらいあるけど、どうする?」
この提案にはかぶりを振って固辞。まだ寝たくなかった。座った時点でもう負けてるかもしれないけど。足の裏がじんわり熱を主張して「もう歩かないよね?」と圧を発してる。ごめん、まだ歩く。
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胃の底のほうも温かくなって、細く長いため息が零れる。お茶の威力すごい。休ませてもらっていると、交番の前に車が止まった。お茶を机に置いてコンビニの袋を抱きしめた。
年嵩のお巡りさんが出迎えに行った。彼が呼んだのかな。少し身を傾けてみると、青い車からふたり、スーツの男性が下りてきたのが見えた。年嵩のお巡りさんと同年代の人はチャコールグレー。30代くらいの、若いお巡りさんより年上に見える人は車より明るいネイビー。ふたりとも交番内へ入ってくると、警察手帳を掲げる。ネイビーが清水菊資巡査部長、グレーが長田直樹警部。
お巡りさんたちと刑事さんたちが、少し離れたところで話し合っている……とくに気を張っているわけではなかったが「家出」という単語が聞こえた。
何があったのか。言っても信じてもらえないかもしれない。それなら言わないほうが良い。もう疲れた。弁明できる気力は無いし、家に帰れるなら、もうそれで良いかな。もしかしたら車で送ってくれるかも。いや、電車が良いな。送ってもらうのは駅までで構わない。とにかく帰りたい。
足音が近づいてきた。足元が見える。チャコールグレーのスーツ、長田さんか。何を言われるんだろう。視線を上げる気にすらなれなかった。すると、彼は片膝をついてわたしの左腕にそっと触れて持ち上げた。誰かの、何かに気がついた声が聞こえてきた。それにつられて視線を上げた。左手首、ワイシャツで見えにくくなっているが、結束バンドが輪になって巻きついたままだった。
「足首のも、同じだろう?」
そうだった。右手首のは切断できたけれど他のはそのままだ。他のは、切っている時間が無かったから。余裕がなかったから。脱出RTAだったから、逃げられたらそれで良かった。「何か、あったんだね?」あまりにも優しい声だった。少し離れたところから年嵩のお巡りさんの「怖かったよなぁ、よく頑張った」と労わる言葉、とっさにうつむいて顔を隠した。
「まずは病院へ行こう。ご両親にも連絡を入れるから。な?」
首肯しかできなかった。何か言えば、声が裏返ったり震えたりするのを隠せる気がしなかった。電話番号を教えて欲しいと言われて、ポケットのメモ帳に書き、それを見せた。市外局番から推定したらしく「東京か」と長田さんはつぶやいた。何かを懸念するようで、期待するような声色だった。




