#16 現代勇者の自律神経
体の表面がじんわりと痺れ‥‥呼吸が上手くできない‥‥手足から熱がぬけて‥‥脳みそが動き続けているのにも関わらず‥‥思考の歯車が空回りして‥‥集中力が続かない。
【現代的な勇者】リュカは自分のものとは思えなくなってしまった、体‥‥個性を‥‥パーソナリティーを入れるための器を‥‥もう、信用できない。
「闇系ッ!‥‥お前を殺すッ!」
【初まりの世界】の個性‥‥いや、仕組みそのものを変えてしまうバグを殺して、消し去ることが【現代的な勇者】の使命だから‥‥。リュカがアースドラゴンを一撃で屠った大きな大剣をインベントリから取り出し、そのまま闇系に叩き付けるッ!
【素直な良い子】で髪を二つ編みにしたシンシアと、【嘘が嫌い】で髪をポニーテールにしたオーフェリアが、YouTubeに投稿した動画に全然、反応がなく、闇系にリベンジを申し立て、とりあえず髪型を変えてみることを試している最中に‥‥未来の伴侶であるリュカが虚空から突如として‥‥出現した‥‥幼女を伴って。
【負けず嫌い】のリュカが‥‥あの無個性で、この学園なら100人はいるようなリュカが‥‥鋭い鷹のような目つきに、隆々とした筋肉に、傷だらけの姿に‥‥変わり果てていた。
二人はリュカの突然の出現に、混乱し身を固めてしまう。
その時、リュカが大きな大剣を取り出し、闇系に斬りかかった。
【素直な良い子】シンシアと【嘘が嫌い】オーフェリアは‥‥。
シンシアは素直な気持ちで闇系を死なせたくないと思い、オーフェリアは嘘のない気持ちで闇系を守りたいと思った‥‥だから、固まった身が勝手に‥‥反射神経で‥‥動いたッ!
‥‥YouTuberは横の繋がりを大切にするんだッ!
闇系が撮影中に何度か口にした言葉だった。
‥‥だから、俺は【異世界姉妹チャンネル】に協力するッ!
闇系は二人に対してではなく、自分に言い聞かせるように口にした言葉だった。
シンシアもオーフェリアもその言葉の意味を理解できずにいたが‥‥体が反応した‥‥反射神経で‥‥咄嗟の動作でッ!
琴吹彩夏【アヤカ0602】は当事者になりたくないと思っていた。
生まれてずっと‥‥見ているだけで良いと思っていた。目立たず、自己主張もせず、ひっそりと‥‥息を殺して生きたいと思っていた。生まれてから‥‥ずっと‥‥教室の片隅で‥‥読書して過ごすような‥‥背景でありたいと思っていた。
そしたら、中学生になって‥‥イジメられた。意味が分からなかった‥‥あぁ、なんて理不尽なんだろうって思った。せめて、特別になれたら良かったのに‥‥WEB小説で連載されるような‥‥イジメを受けても物語が進むような‥‥特別になれたら良かったのに。
Yahoo!ニュースを見たら、どうやらこの世界には私のような子供がたくさんいるようだった。
異世界に行って、強くなっても‥‥生徒会に入って変わろうとしても‥‥私は当事者にはなれず‥‥特別でもなかった。
【闇系チャンネル】を初めて見た時、アヤカは「あ、この少年は戦っているんだ」と思った。
‥‥理不尽とか、当たり前とか、なんかそうゆう敵と‥‥私が負けてしまった敵と戦うつもりなんだ、と‥‥思った。だから、チャンネル登録をした。
その状況‥‥その言葉を‥‥必死にスマホに差したイヤホンから‥‥聞いた。
そしたら‥‥私は『共犯者』になった‥‥いや、『共犯者』にしてくれた‥‥当事者でもない‥‥『共犯者』
‥‥私はいわゆる【闇系チャンネル】の熱狂的な信者なんだ。だから‥‥だから‥‥。
目立たないようにYouTube撮影を眺めていたアヤカは、リュカの大剣が振り上げられるのと同時に‥‥闇系の手を握るため駆け出したッ!
幾何学的な幼女バックアップはワープした先に闇系がいるとは思っていなかった。
しかし、【現代的な勇者】リュカが即座に‥‥現代的な冒険で教え込んだ動きで、大剣を手にして飛び込んだ。バックアップは‥‥冷酷に確実な方法をとる。
光の玉がバックアップの周囲に浮かび上がり‥‥リュカの一閃の後に追い討ちをかけるため闇系を1万回は殺せるであろう魔力を込める。
女神が代理人バックアップの思考を読み取ると、自分の愚痴がバックアップを暴走させて【勇者】リュカを魔改造してしまったと気付く‥‥そして、目的は『怪獣を倒すための保険の育成』から『バグである闇系を殺す』に書き換えられてしまっていたと知る。
即座に、力を無くした自分ではバックアップを止める手段がないと判断し、女神は叫ぶ。
「アリスッ!止めてッ!」
──闇系はリュカの苦しそうな顔を見逃さなかった。
まるで停止していたかのように長かった時間が‥‥動き始める。
リュカが大剣を振り落とそうとした瞬間、シンシアとオーフェリアが前に立ち、その身を挺して闇系を守った。
リュカは思わず、斬撃の軌道を逸らせた。
その生まれた隙間に、アヤカが闇系の手を握り‥‥【目立つのが苦手】なユニークスキルを発動して、気配を消し逃げ出した。
しかし、バックアップの光の玉は闇系をロックオンしており‥‥魔力の光線を発射させる。
それを、女神に促されて動き出していた感の鋭いアリスがバックアップに体当たりして、光線が飛び出す光の球を天井に向けた。
ここは、学園寮のサロンだった。
パーソナリティー学園の学園寮を‥‥中世ヨーロッパのバロック調の建築様式、石造のひんやりとした廊下を駆け抜けている。アヤカは闇系を背中に背負いながら、気配を殺して音速の速さで遠くへ‥‥とにかく遠くへ走る。
追跡者は【現代的な勇者】リュカ‥‥現代的な冒険で‥‥ブラック企業のように休む暇もない‥‥あの過酷な冒険で‥‥半年かかる冒険を三日に凝縮した‥‥あの拷問のような冒険で‥‥世界の理をはるかに超えて強くなっていた。
アヤカのユニークスキル【目立つのが嫌い】の気配を消す能力も、機動力に長けたその速さも‥‥限界突破したリュカには無意味に等しかった。
アヤカが音速なら、リュカは光速。
圧倒的な速さの違いで、アヤカの目の前に、‥‥先ほどまで後ろにいたはずのリュカが‥‥鷹のような目つき、傷だらけの姿をしたリュカが‥‥何故か、“目の前の行くて”を防いでいた。
「‥‥追いかけっこはやめようッ!‥‥時間がもったいないッ!‥‥俺は闇系を殺して、早く冒険の続きをしなくちゃいけないんだッ!」
アヤカがリュカの強烈な殺気に当てられて、フラりと気を失ってしまう。
背負われていた闇系は学園寮の廊下‥‥石造りのひんやりとした廊下に放り出される。
学園寮のサロン室の天井は半壊し、大きな瓦礫が床に散らばっていた。
アリスの拘束魔法で動きを封じられた幾何学的な幼女バックアップと、白いローブを纏った絶世の美女【女神】は対峙していた。
少し離れた場所から、シンシアとオーフェリアは成り行きを見守っている。
「‥‥代理人バックアップ‥‥わたしの可愛い分身‥‥力の弱ったわたしの代わりに加護者を異世界の冒険に導く‥‥女神代理人」
「はい、マスター‥‥わたしは緊急項目に従い、【初まりの世界】に無数存在する個性から、適任者を探し出し、『バグである闇系を殺す』ために、冒険へ導きました‥‥しかし、設定期間が五日しかなく‥‥冒険は【現代的な冒険】にアレンジし、【勇者】から【現代的な勇者】に個性を‥‥パーソナリティーを書き換えました‥‥あの‥‥何か問題でも?」
バックアップは表情のない顔でキョトンと口にした。
女神は「ふぅ」と、肩で息をする。
「‥‥ないわ」
バックアップを拘束しているアリスが慌てて口にする。
「ちょっとッ!女神様‥‥このままだと、闇系君が殺されちゃいますってッ!」
女神が再び「ふぅ」と、首を項垂れる。
「そうね‥‥人を殺してはいけないのよ、可愛いバックアップ」
「いいえ、マスター‥‥闇系と呼ばれる現実世界の子供を殺すように‥‥憎しみの限りをデータとしてわたしに送信し続けたのは‥‥マスターですよ?」
「そうね‥‥殺したいぐらい憎いって何度もバックアップに愚痴を送ったわ」
「はい、マスター‥‥わたしは分身体‥‥マスターの憎しみや怒り‥‥悲しみは共有されているはずです」
女神は拘束されたバックアップに近づき、小さな頬を撫でる。
「そうね‥‥バックアップは‥‥わたしの分身は‥‥わたし自身は‥‥裏切らないものね‥‥」
「はい、マスター‥‥わたしはマスターを裏切りません‥‥一緒に『闇系を殺すため』最善を尽くしましょう」
女神はふと、笑みをこぼす。その笑みは、モナリザの微笑みよりも印象的な微笑みだった。
「フフフッ‥‥わたしは‥‥わたし自身を裏切らない‥‥まるで、あの子みたいな言い回しねッ!‥‥わたしはどうかしてしまった?」
「いいえ、マスター‥‥精神干渉は受けていません」
「じゃあ、変えられたのは心?‥‥心とでもゆうの?」
「いいえ、マスター‥‥あの‥‥その‥‥」
バックアップがデータにない女神の言動に戸惑い‥‥のような思考停止を起こす。
女神がバックアップの頬からゆっくりと手を離すと、悲しいのか嬉しいのか、どちらにもとれる表情でこう口にした。
「わたしの可愛いバックアップ‥‥賭けをしましょう。【現代的な勇者】リュカがあの子を殺し、わたしが消滅したら【時空剣】を持って怪獣を止めなさい‥‥逆に、【現代的な勇者】リュカがあの子を殺せずに戻ってきたら‥‥わたしにバックアップの魔力を譲渡しなさい‥‥【時空剣】を一振りするぐらいの魔力は戻るでしょう」
バックアップは女神の提案の意図が分からなかった‥‥自分はマスターの分身‥‥この賭けは、要は自分同士で勝負するような陳腐なゲームにしかならない。
「‥‥はい、マスター」
しかし、バックアップにはそう答えるしかできなかった。
学園寮の石床に放り投げ出された闇系は、不健康そうで細く小柄な体を重力に預けていた。
闇系は状況を今ひとつ理解していなかった。
サロンで【異世界姉妹チャンネル】の2本目の動画の企画会議をしていて、女神とその連れの女が帰ってきた瞬間、目つきの悪い男が突然、現れて‥‥剣を‥‥どでかい大剣を向けられた‥‥と、思ったら‥‥前髪の長い女に背負われていた。
猛スピードで流れるハリーポッターのホグワーツみたいな場所を横目に、ゲボを吐きそうになると、今度は床に‥‥ひんやりと冷たい石床に放り投げられた。
闇系を背負っていた前髪の長い女は、どうやら気を失っているようだった。
自分を殺そうとした男は‥‥大きな剣を持った男は‥‥闇系を見下ろしている。
「ヒュー‥‥ヒュー‥‥殺す‥‥闇系を殺して‥‥ヒュー‥‥冒険を‥‥ヒュー‥‥続ける」
男は唇を真っ青にして、おかしな呼吸をしていた。闇系は上半身を起こして、その場であぐら座りをする。男は大剣の先を闇系の喉元に突きつける。
「ヒュ、ヒュ、ヒュ‥‥殺す‥‥ヒュ、ヒュ、ヒュ‥‥」
おかしな呼吸‥‥おかしな顔色‥‥おかしな挙動‥‥。
突然、サロンに現れてからずっと‥‥闇系は男の‥‥【現代的な勇者】リュカの顔をしっかりと見ていた‥‥そして、診断していたッ!
「とにかく落ち着けッ!‥‥まず、俺の問いに答えろッ!」
命を奪う剣先に臆することなく、闇系が叫ぶ。
「黙れッ!‥‥ヒュ、ヒュ、俺は闇系を殺して‥‥ヒュ、ヒュ」
「手足が冷たく感じるッ?」
「‥‥ヒュ‥‥だからどうした?」
「耳が聞こえづらいッ?」
「‥‥ヒュ‥‥そうかもな」
「顔が熱く感じる?」
「‥‥ヒュ‥‥ゆわれてみれば‥‥」
「胸がモヤモヤして不安に感じるかッ?」
「‥‥ヒュ‥‥あぁ‥‥そうだ」
闇系が「やれやれ」と首を大きく横に振る。
「やっぱりッ!自律神経失調症だッ!お前の自律神経は‥‥このままだと‥‥死ぬッ!」
リュカが自覚もなかった症状を言い当てられて、剣よりも先に口が動く‥‥人間は‥‥健康には敏感だッ!
「‥‥ヒュ‥‥そんなデバフ‥‥聞いたことないぞッ!‥‥ヒュー‥‥」
「デバフじゃねえッ!‥‥病気だッ!‥‥この世界で一番凶悪で‥‥凶悪な上、理解を得られない死神みたいな‥‥病だッ!」
リュカが大剣をガタコンッ!と石床に落として、目を見開く。
「な、なに?‥‥ヒュ‥‥俺は‥‥病気なのか?」
「そうだ‥‥その呼吸も‥‥自律神経が安定しないせいだ‥‥まずは俺みたいに座れ‥‥そして、落ち着いて深呼吸をしろ」
【現代的な勇者】リュカが促さられるまま、その場に座り「スゥー‥‥ハァー‥‥」と何度か深呼吸をする。すると、おかしな呼吸は落ち着き、不思議と視界がクリアになってきた。
「いいか、男ッ!‥‥引きこもりにとって自律神経失調症は‥‥親の死と同じぐらい‥‥ヤバいっ!」
リュカが改めて目の前の少年を見ると‥‥そこには細く小さい子供がいるだけだった。
自分は‥‥こんな子を殺そうとしていたのかッ!
「ヒュ、ヒュ、ヒュ‥‥」
また、過呼吸になるリュカに闇系が怒鳴りつける。
「落ち着けッ!‥‥まだ‥‥まだ、大丈夫だッ!‥‥何も考えなくていい‥‥殆どの物事は‥‥自分とは関係ないッ!‥‥いや、関係ないと思えッ!‥‥お前は何も背負っていない‥‥背負っていると思い込んでいるだけだッ!‥‥だから、とにかく‥‥安心して呼吸をしろッ!」
「‥‥あ‥‥あぁ」
リュカがゆっくりと、丁寧な呼吸をする。
「いいか?‥‥俺みたいな引きこもりは、生活のリズムが夜型になって日光を浴びなくなると‥‥自律神経がいかれる‥‥すると、お前みたいに‥‥不安定になってしまう‥‥だから、俺たち引きこもりは‥‥自律神経に詳しくなるッ!」
「俺は‥‥僕は‥‥冒険していた‥‥引きこもっていない‥‥」
「じゃあ、あれだなッ!‥‥お前は働き過ぎたんだ‥‥自分の許容量を超えて‥‥働いて‥‥働いて‥‥ストレスを溜めて‥‥それでも、自律神経は‥‥乱れるッ!」
「僕は【現代的な勇者】だッ!‥‥働いてないッ!」
「やめろッ!‥‥自律神経失調症になると、最初は皆、そうゆうッ!」
リュカは「っつ」と歯を噛んだ。
「なあ‥‥呼吸もままならないぐらい‥‥働くなよ」
「‥‥でも、僕は‥‥君を殺すとゆう役割が‥‥個性が決めた役割を果たさないと‥‥」
「個性とか役割とか‥‥背負うなって‥‥そんなことより、深呼吸しろって」
「背負わなければ僕は何者でもなくなってしまうッ!」
「お前は、負けず嫌いで‥‥真面目だな‥‥だから、流される‥‥無茶を振られてもやってしまうッ!持ち前の負けず嫌いでッ!‥‥しんどくても辞められないッ!‥‥真面目だからッ!」
「違うッ!‥‥僕は【負けず嫌い】なんかじゃないッ!‥‥【現代的な勇者】だッ!」
「違わないッ!‥‥お前は真面目で負けず嫌いで‥‥少し背負い過ぎてしまった‥‥ただの人間だッ!」
「【人間】とゆう個性なんてないッ!」
「個性なんてなくていいじゃねえかッ!‥‥適当に一日暮らして、YouTube眺めて、ゲームして、漫画読んで‥‥人間なんてそれで十分だッ!‥‥サブスク最高ッ!」
「僕は無個性に戻りたくないッ!」
「個性に執着するなッ!‥‥自由とゆう不自由に縛られるみたいに、無個性とゆう個性に縛られるなッ!‥‥そんなもんに人は‥‥人間は‥‥俺たちは‥‥縛られないだろッ!」
「‥‥闇系‥‥じゃあ、僕は‥‥個性を捨ててしまったら‥‥何をすればいいんだ?」
闇系が不健康そうに微笑む。
「とりあえず休め‥‥ぼーっと横になってるとさ‥‥あぁ、なんかしないとヤバいなって思うもんだろ」
「そりゃあそうさ‥‥だから、役割を与えられて‥‥何かに動かされる」
「違う違う‥‥ヤバいなって思ってるとさ‥‥でも、面倒だなってなるんだよ‥‥それで一日が終わり‥‥よくね?」
「そんなのッ!‥‥死んでるのと同じじゃないかッ!」
「死んでない‥‥生きてるんだよなぁ、これがさ‥‥そんで、意外にも楽しいんだよ‥‥そんな、クソッタレな毎日がさ‥‥そうやって過ごしてるとさ‥‥急に‥‥本当に何気ない瞬間に‥‥あ、何かやろうって思う時が来るんだよ」
闇系が優しく手を振る‥‥バイバイって感じに‥‥。
「‥‥だから、その時まではゆっくりと‥‥おやすみ‥‥【負けず嫌い】」
しばらく言葉の意味を考えていたリュカが「フゥー‥‥」と大きな息を吐き捨てた。
「そっか‥‥なら、もう眠ってもいいんだ‥‥おやすみなさい‥‥」
そのまま、後ろに倒れてリュカは眠りについた。
リュカが目を覚ますと学園寮の自分の部屋だった。部屋に一つしかない窓の外はすっかりと夜になっていた。永遠のような時間だったかも知れないし、僅かな時間だったかも知れないが‥‥リュカは起き上がり、部屋を見渡した。
そこには、白のローブを纏った美しい女性と、不健康そうで細身の小柄な少年がいた。
「‥‥僕はどれぐらい眠っていたのですか?」
筋骨隆々な体とその傷は残っているが、目つきの悪さはすっかりとなくなり、リュカは学園の多くの生徒のような個性のない表情に戻っていた。
「【勇者】リュカ‥‥保険としてバックアップに導かれし者‥‥眠っていたのは、半日ほどですよ」
答えてくれた女性の慈愛に満ちた微笑みが、自然と【女神】だと悟らせた。
「そうですか‥‥胸のモヤモヤも‥‥手足の冷たさも‥‥すっかり良くなったよ‥‥ありがとう、闇系さん」
木製の丸いすに座り、スマホをいじっていた闇系が「フンッ」と鼻を鳴らす。
「あ、そうか‥‥ここは、今は闇系さんの部屋だったかな?」
「知らねえよ」
闇系がいつも通り不機嫌に答える。
「‥‥そっか‥‥僕はこんな狭い部屋から冒険に出かけたのか‥‥」
リュカが不意に気付く。
「女神様‥‥その‥‥バックアップ様はどこに‥‥?」
女神が全人類を安心させるような微笑みを浮かべて自分の胸を指さす。
「ここにいます‥‥わたしの可愛いバックアップの魔力を‥‥頂きました‥‥心配しなくてもいいですよ‥‥一つの個性である【バックアップ】は‥‥時がくれば、また‥‥【初まりの世界】に現れるでしょう」
「‥‥そうですか」
表情を曇らせるリュカに、女神が神秘的な剣‥‥【時空剣】を取り出し、差し出す。
ベッドの上でリュカはその宇宙を秘めていそうな刀身に瞳を奪われる。
「【勇者】リュカ‥‥【時空剣】を手にしなさい‥‥わたしの可愛いバックアップが最後に残してくれた‥‥世界の希望‥‥加護者でもないのにレベルの限界を突破し‥‥【時空剣】の権利を獲得した唯一の者‥‥」
リュカが吸い寄せられるように【時空剣】に触れると‥‥。
超高密度の情報が突風となって頭に‥‥脳みその‥‥どこか深くに‥‥流れこんだ。
リュカが思い出したのは、過去7回の世界の終わり‥‥加護者に選ばれ、【勇者】として冒険をし、【時空剣】で怪獣に立ち向かおうとして‥‥失敗した‥‥そんな記憶。
「ぁ‥‥あ‥‥僕は選べなかった‥‥どちらかなんて‥‥そんな‥‥」
リュカが頭を抱えてベッドのシーツを噛む。
「【勇者】リュカ‥‥反省し後悔しなさい‥‥そして、同じ過ちを犯さないための‥‥努力をしなさい‥‥さあ、最後の選択をするため‥‥クロノスタシスへ行きましょうッ!‥‥その【時空剣】を振るってッ!」
頭を抱えて‥‥シーツを噛んでいるリュカが‥‥どこか観念したように‥‥肩を落として、歯の力を抜いた。
「‥‥世界は終わるのですね‥‥怪獣によって」
「‥‥そうなるわ」
淡々と答える女神と悟りを開いたように冷静なリュカ。
「女神様‥‥僕はまた‥‥選択を‥‥放棄するかも知れません‥‥」
「えぇ‥‥わたしは最善を尽くすために導くだけよ‥‥ずっと‥‥何回も」
「そうですね‥‥そうでしたね‥‥女神様はずっと‥‥寄り添い、微笑みかけてくれた‥‥冒険も僕のペースを考えて‥‥しっかりと予定を組んでくれました」
「それが最善だからよ‥‥世界を終わらせないための‥‥」
リュカは目を閉じて、一度、大きく呼吸をする。そして、ゆっくりと瞼を開けた。
「女神様‥‥クロノスタシスへ行きます‥‥しかし、一つだけ良いですか?」
「何かしら?」
「‥‥僕は【勇者】としてじゃなく‥‥【負けず嫌い】のリュカとして‥‥【時空剣】を振おうと思います‥‥何故か、そう思い付きました」
「問題ないわ‥‥レベルが下がるわけでもないし‥‥最後に選択をするのは【勇者】‥‥いいえ‥‥【負けず嫌い】のリュカ次第よ‥‥わたしは最善のために導くわ」
「ありがとうございます‥‥【勇者】リュカは‥‥過去7回の僕は‥‥失敗をしました‥‥だから、今度は【負けず嫌い】のリュカとして‥‥怪獣に立ち向かおうと思います」
「どんな心境の変化か知らないけど、承知したわ。さあ、【時空剣】を振るいクロノスタシスへ」
リュカがベッドから降りて、手にした【時空剣】を振りかざす。
空気を撫でるように剣を振ると時空が裂けて、その向こうにはクロノスタシスが見えていた。
「さあ、【負けず嫌い】リュカ‥‥最後の選択に向かいましょう」
「‥‥はい」
リュカが時空の裂け目に飛び込む。
女神は、我関せずの姿勢でスマホをいじっていた闇系の細い腕を掴み、裂け目に引っ張った。
「さあ、あなたも行きますよッ!‥‥わたしは加護者がいない世界では存在を保てませんッ!」
腕を掴まれ、簡単に引っ張られる闇系が吠えるッ!
「ちょっと待てッ!上手くまとまった流れだっただろッ!俺は蚊帳の外だったじゃないかッ!」
「神様権限ッ!‥‥神様権限であなたを連行しますッ!」
「ふざけるなッ!‥‥俺は‥‥俺は‥‥部外者だろッ!」
「わたしが選んだ‥‥加!護!者!‥‥ですッ!‥‥さあ、冒険を拒否したあなたも‥‥世界の行く末を確かめにいくわよ」
「興味がないッ!」
「知りませんッ!」
女神が闇系の腕を引っ張って、時空の裂け目に飛び込んだ。
同じくして‥‥。
私立特別支援高校の夜のグランドで、大掛かりな魔法陣の真ん中に和泉光平【救世主イズミ】は立っていた‥‥禍々しい‥‥見るだけで人を殺してしまうような漆黒の装束を纏って‥‥。
魔法陣の書き手、中性的な小柄の鷲津たら子【天才たら子】が異世界の言語を唱える。
すると、和泉の目の前の時空から裂け目が生まれた。
「さあ、【救世主イズミ】‥‥怪獣なんて忘れて‥‥エルザさんを助けに行きましょう」
「あぁッ!僕にとって世界は‥‥エルザだッ!」
「その通りですッ!‥‥エルザさんを救うのが我らが【救世主イズミ】ですッ!」
「待っていろ‥‥エルザ‥‥僕の剣‥‥絶対に取り返して見せる」
「では、【救世主イズミ】裂け目に飛び込めば、時計の針が止まって見える世界にたどり着きます‥‥その場所が【初まりの世界】に繋がっていますからッ!」
「分かった‥‥じゃあ、行ってくるッ!」
和泉が飛び込むと、時空の裂け目は音もなく消えた。
「‥‥ククッ‥‥アハハッ!‥‥何だい、あの‥‥ヒーロー口調はッ!‥‥まるで、アメリカンコミックだッ!」
「ドテチンッ!」
いつものように後ろに控えていたドテチンが声を出す。
「いやぁ‥‥イズミ君は単純で助かるなぁ‥‥異世界帰りの子供達の中で圧倒的な魔力を持つ‥‥魔王にとどめを刺した【救世主】がこうも簡単に‥‥手駒になってくれるなんてッ!‥‥こんなことなら、会計エルザは私が殺しても良かったなッ!」
「ドテチンッ!」
「さてさて‥‥とはゆえ‥‥世界が滅びてしまったら、元も子もありません‥‥私たちもやれる範囲で動き始めましょう‥‥新・生徒会メンバーに召集をかけましょうッ!」
【初まりの世界】の裂け目からリュカと女神と闇系が‥‥。
【現実世界】の裂け目から和泉が‥‥。
クロスタシスに足を踏み入れる。
【法則性】が働く‥‥。
特異点が大きくなり‥‥世界の終わりに向けて収束と帰結する【法則性】が‥‥リュカと和泉と云う最大特異点の邂逅に‥‥人格のない意識で‥‥世界に作用する。
【法則性】が作用して‥‥怪獣が‥‥覚醒まであと二日かかるはずの怪獣が‥‥覚醒する。
世界の終わりに向けて‥‥収束と帰結するために。




