騎士団の『非』日常(王弟ルート小咄)
「つかぬことを聞くが……十四、五くらいのご令嬢へ物を贈るとしたら、どのような品が喜ばれるだろうか」
「は?」
何の前触れもなく上司から発された質問に、私は無意識に眉根を寄せる。だがすぐに無礼に気が付いて、咳払いで誤魔化すことにした。
「いや、失礼致しました。思いがけないお言葉に動転してしまいまして。……しかしどうされたのです、急に」
私の言葉に上司は珍しくそわそわとしながら、目をそらす。
「ああ、いや、そうかしこまったものではない。ちょっとした礼の品なのだが」
「お礼でございますか? 一体どなたへ」
「エルゼス侯爵令嬢だ。その、少し世話になったものだから」
「ご令嬢の!? 世話に!?」
思わず驚く私に、殿下は慌てたように声を上げた。
「そっ、そう深刻な話ではない! ただ膏薬を分けてもらっただけだ!」
「膏薬? ああ、例のものですか。まさかご令嬢から贈られたものであったとは」
黙って頷く殿下を見て、私は内心そのご令嬢に対して感心していた。あの一件以来、殿下とまともに向き合う度胸のあるご令嬢が現れるなど、初めてのことだったからである。
まあ殿下はただでさえ、かなり上背が高くていらっしゃるのだ。その上無機質な仮面なぞ着けていれば、威圧感を感じるなという方が無理がある。
ゆえに例の件を除いた上でもご婦人方に恐れられても仕方がない節はあるのだが……どのみち、かの侯爵令嬢が斑点病の呪いだのという馬鹿な噂に左右されない稀有なご令嬢であることは、間違いないのだろう。
「しかしながら申し訳ございませんが、私はそういったことには疎くてですな……。セヴラン卿に聞かれてみてはいかがです?」
当騎士団の副長であるジェルヴェ伯爵セヴラン卿には、確かそのくらいの年頃の娘がいたはずだ。女性への贈り物などもう数十年はしていない私なんかより、遥かに役立つ情報を差し上げることができるだろう。
「そうだな。セヴランに聞いてみるとしよう」
殿下はひとつ頷くと、いそいそと執務室から出て行った。
*****
「……セヴラン卿、殿下に一体何と吹き込……もとい、仰ったのです?」
「いや……娘が最近どんなものを欲しがっているのかと問われたので、帰るたびに高価な宝飾品などねだられて困っている、とだけ、な……。まさか贈り物になさるものの話だとは、思わなかったものであるから」
そう言って、セヴラン卿は気まずそうな顔をする。そんな我らの視線の先では、次の任地がエルゼスに決まってからというものの妙にご機嫌な上司が、猛然と移動にかかる書類仕事をこなしていた。
殿下は書類が一部片付くたびに執務机の隅に置かれた小箱の方に目をやると、ほんの少しだけ口角を上げ、そして再び書類へと目を落とす――という一連の流れを、ここ数日ほど続けているのだ。
「親子ならともかく、そう親しくないお相手への贈り物としては、あまり適切ではないのではないかと……そう、セヴラン卿から仰って頂けましたらと思うのですが」
こんな手間も金もかかっていそうな贈り物など、まともな感覚のご令嬢であるほどに、恐縮させてしまうだろう。むしろそんなに高価な物を贈られて当然と思うご令嬢であれば、それも如何なものかと思うのだが。
「いや、フェルナン卿が直接申し上げればよかろう」
「いやいや、ここはセヴラン卿が」
「いや、フェルナン卿が」
しばらく不毛な押し付け合いを繰り広げたのち……結局、私達は諫言の機会を失ってしまった。
*****
「今日も会いに行かれずともよろしいのですか?」
「……ああ」
「だから申し上げたのです。言い訳ばかりしていると、伝わるものも伝わらぬ、と」
任務を終え、ここエルゼスに留まるのもあと僅かという日のことである。これまで毎日のように城を訪ねておられた殿下は、ある日を境にふつりとその行動をやめていた。
「だから、そのようなものでは無いと言っている。私は自ら茨の道へ進まんとする彼女が、傷つかぬよう守ってやりたい……ただ、それだけなのだ」
再びその心を仮面で覆い隠し、まだ言い訳をやめない主君に、私は少しの苛立ちを込めて言う。
「今伝えなければ、二度と伝えられぬこともあるのです。私はかつて伝えられないまま終わった言葉を、未だに忘れることができません」
「そうか、確か、そなたが家督を捨ててまで独り身を貫いているのは……」
「ご理解頂けたのであれば、今すぐオーヴェール城に向かわれては如何です?」
私は再び促した。だが、かつては栄光のただ中にあったはずのこの方は、偏見という名の呪いに囚われ……すっかりその自信を無くしてしまわれたようである。
「だがもう、断られてしまった。あまり強引なことをして、その心を失ってしまいたくは……ないのだ」
戦場ではあれほど勇猛果敢な姿を見せる我が君が、ただ一人のご令嬢を前にした途端、一体どうしたことなのか。いっそ「この臆病者め!」とでも罵ってやれれば、すっきりするのだが。
だが身分の問題ではなく、私は口を噤んだ。僅かに射し込む光を自ら塞いでしまうかもしれないという状況で、勇気を出せる人間が果たしてどれほど居るだろう。
人は誰しも、暗闇を望んではいないのだ。
「まあ、まだ諦めるのは早計でしょう。せいぜい時間をかけて外堀を埋めてゆかれては如何です? その間に横から掻っ攫われても私は知りませんがね」
「……フェルナン、そなた最近少々不敬が過ぎるのではないか?」
「ハッ、見くびられますな。所詮私には、失うものなど何も無いのです。歳の差がどうのと言い訳ばかりで踏み出すことすら出来ぬような若造になど、屈しませぬわ」
「……言ってくれるな」
「そう、所詮はどちらも若造なのです。ご令嬢も、殿下もね」
「……若造、か」
未だ二十代にして、諦観を抱くにはまだ早いというものだろう。自嘲するよう笑う殿下に、私はしてやったりと言わんばかりの不敵な笑みを返した。
先程は失うものなど何も無いと申し上げた私だが、あえて言うのなら、この場所こそが最も失うことを恐れているものだろう。だがその失う瞬間が、この迷える主が新たな道を踏み出す時ならば……ちっとも惜しくなどないと、そう、私には思えるのだ。
おしまい