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豪商立志伝(商人)

 僻地の安宿で目を覚ますと、モーリス・ヴァランタンは隣室の秘書を呼んだ。裸一貫から豪商と呼ばれるまで瞬く間に成長した彼の目の前には、適温の湯が湛えられた手桶が置かれている。彼は湯をすくって顔を洗うと、秘書から渡された布で顔を拭った。


 もはや下級貴族ぐらいは顎で使えるほどの富豪に仲間入りしている彼だったが、その生活はきわめて質素である。簡素な宿に、最低限の従者。だがケチなわけではない。今日の予定である「移動」に、必要十分であるからだ。


 もちろん、商人をやっていると羽振りの良さが信用に繋がる場面も多くある。そんな場合は、必要に応じて財力を示すことも厭わない。馬鹿らしい話だが、全てはパフォーマンスなのであった。



 *****



 モーリスは一階の食堂で朝食を済ませると、その足で宿の出口へと向かった。まだ初冬とはいえ、北東ガリアの朝は凍えるような寒さである。出待ちをしていた下男(げなん)が差し出した毛織の外套(がいとう)に袖を通して、彼はぐっと眉をひそめた。


「おい、(ぬく)いぞ! さてはお前、わしの外套で暖を取っておったな!」


 彼の鬼の一喝を受けたなら、普通の下男なら縮こまってしまうところだろう。だが下町で拾われまだ三ヶ月にも満たない少年は、涼しい顔をして答えた。


「めっそうもありません。今朝は冷え込みますゆえ、懐に抱いて温めていたのでございます。もしご不快でしたら明日よりひかえましょう」


 そう言って頭を下げた下男を見て、モーリスは腹を抱えて笑った。


「はっはっは、気に入ったぞ! お前は確かいずれ商いを覚えたいと言っておったな。王都に戻ったら下男から商会の奉公人に格上げしてやろう」


「ありがとうございます。誠心誠意勤めさせて頂きます」


 少年は顔を上げ、年恰好にそぐわぬどこか大人びた笑顔を浮かべると……再び深く頭を下げた。



 *****



 ──翌朝。


 昨日と同じように出発準備を進めていた下男の少年は、不意に横っ面を殴り飛ばされ地面に転がった。


「てめぇよお! 新入りのくせにうまく旦那さまに取り入りやがって!」


 あまり驚いていない様子で彼が見上げた視線の先には、歳かさの下男が憤怒の形相で立っている。


「お前なんかが奉公人だと!? 調子に乗るんじゃねぇぞ!」


 胸ぐらを掴まれ唾を吐きかけられながら、彼はじっと我慢した。ここで殴り返すのは簡単だ。だが簡単に暴力に訴えるような人間は、果たして商いに相応しいと思われるだろうか。


 彼が黙っていると、先輩下男は面白くなさそうに歯噛みしてもう一発殴り付けた。


「今日はオレが旦那さまに外套をお届けするからな!」


 丸めた外套を懐に抱え去っていく先輩下男の後ろ姿を見送って、彼は血の滲む口の端を微かに上げた。



 *****



「旦那さまぁ! これ、温めときやした!」


 そう嬉々として外套を差し出したのは、昨日とは違う下男である。それを冷たくあしらって馬車に乗り込むと、モーリスはため息をついた。


「あいつは駄目だな。もう六年になるというのに、何も分かっとらん」


「はい。昨日の今日で単純に模倣するなど浅はかにもほどがありますな」


 秘書が訳知り顔で頷くと、モーリスはいっそう深くため息をついた。


「お前もわかっとらん。昨日の下男が本当に懐で外套を温めたとでも思っとるのか」


「違うのでございますか?」


「馬鹿正直に温めるだけなら、できる者も多いだろう。だがあいつは、本当はわしの外套を羽織って暖をとっておったのだ。それを指摘されても顔色ひとつ変えず、咄嗟の機転で難を逃れたのよ」


「な、なるほど……」


「クックック、久しぶりに育てがいのありそうな奴が出てきたぞ。お前もうかうかして追い落とされんようにな」


「き、胆に銘じます……」


 かつては商いの亡者とまで恐れられたモーリスは、薄く笑うと外を見る。子に恵まれぬまま早くに妻を亡くした彼は、このごろ後進を育てることに生き甲斐を感じるようになっていた。


「あ奴め、ギィと言ったか。面白くなりそうだ」


 遠くにそびえるオーヴェール城を見上げながら、彼は眩しそうに目を細めた──。






 おしまい


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