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春の野に出で若菜摘む(本編四~五章の間。主人公、兄、侍女)

 兄が領主代行業務の引き継ぎを始めてから、早二ヶ月ほど。朝、いつものように私の髪を編みながら、リゼットが言った。


「もうすぐ聖エルブの祝祭日ですね。今年もエメが競技会で腕をふるうと、張り切っておりました」


「へえー、楽しみね! そういえば……リゼットはお祭りには行くの?」


「いいえ、その日は勤めがございますので」


 そう答えて微笑むリゼットに、私は思わず声を上げた。


「お休みくらい、いつでも追加して良いわよ? いつもろくに休暇もとらず働いてくれてるんだから!」


 この国の使用人たちの勤務状況は、現代日本の基準からすると恐ろしくブラックだ。休日といえば週に一度の午後半休と、月に一度の休日のみ。そんな中で、リゼットは僅かな半休すら私のドレスを仕立てるために費やしてくれてることも多いのだ。


「しかしそれでは、お嬢様のお世話を誰がして差し上げるのです」


 リゼットは口ではそう言って笑いつつも、鏡の中に映る姿はどことなく残念そうだ。何よりわざわざ話題に上げた時点で、お祭りがとても気になっている証拠だろう。


 私はわずかな時間考えて、そうして一つ頷いた。


「私が行けば、リゼットも行くわよね?」


「それはもちろんです。でも、どうやって……」


「ダメもとで、おにい様に護衛騎士を借りられないか頼んでみるわ!」



 *****



「……と、いうわけで。私もリゼットと聖エルブの祭りに参加したいのです。当家の使用人からは、エメも競技会に参加するそうですし」


 私は昼食後のお茶を飲みながら、さりげなくおにい様に切り出した。何か頼み事をするなら、相手が満腹のときがベストらしい。


「お祭、りかぁ……どんなのだったかな」


「野原で香草の新芽を摘んで、パンに練り込んで焼くのですわ」


 祭りといっても現代人が聞いて思い浮かぶような出店が出るようなものではなく、これはフィリウス教徒の年中行事のようなものだ。


 皆で春の訪れを祝ってハーブの若芽を摘み、それを練り込んだ大きなパンを焼く。それを皆で食べながら、一年間の無病息災を祈るのだ。日本で例えるなら七草粥のような行事だろうか。エメはそのパンの出来栄えを競うコンテストに、毎年出場しているのだ。


 だが暦の上では春とはいっても、北東ガリアに位置するここエルゼスはまだまだ冬の寒さである。採れる香草の種類は少ないが、しかし皆が楽しみにしている行事なのは、他地域と同じだ。


「それもあ、るけど、ええと、領主の仕事には、どんなものがあったっけ」


「そういえば、行列と演説……でしたかしら?」


 行列(パレード)とは言っても、領主一家と護衛の騎士数名がオーヴェール城を出発して、領都ピエヴェールの目抜き通りを馬で歩くだけである。そうして領主館に併設の行政府まで到着したら、バルコニーから中央広場に向かって春の訪れを祝う挨拶を述べるのが習わしだった。


 だがおじい様が滅多に山から下りなくなったここ数年は、ジャン=ルイが代行していたのだが。


「ぼくも行こうかな」


「領主代行として、ですか?」


「うん。公務の復帰に、ちょうど良い規模だと思うんだ」


「ええ、ええ! それが良いと思いますわ!」



 *****



「うーん、バッチリ!」


 いつもながら腕の良いリゼットのお勧めに身を包んで、私は口角を上げた。

 成人してから初の、城外へのお出かけである。ロシニョル家の娘として、領民への第一印象は大切だ。その点このドレスは申し分ない。古典的で豪華な見た目に反して、足捌きがとても軽いのである。

 これなら領民の皆さんに姿を見せてもがっかりさせない威厳があるし、そして本番の香草摘みでも、動きやすさという真価を発揮してくれるだろう。そんなスタイリスト顔負けのリゼットも、今日は私服姿である。


 準備を終えた私とリゼットは、兄と合流を約束した厩舎の前に移動する。するとそこには、騎士団の儀礼服に身を包んだ護衛達を従えて、出立の準備を進める兄の姿があった。


「準備できた?」


 そう言いつつ振り返った兄の今日の衣装は、騎士のものを少し豪華にしたデザインの、領主用の儀礼服である。昔父が着ていた物だが、もうサイズはぴったりだ。


「はい!」


 私は良い返事を返すと、心の中でぐっと親指を立てた。

 やはり制服は良い。


「とこ、ろで、きみは馬には乗、れたっけ?」


「もちろんですわ!」


 実は馬に乗れるというのは、フロルのスキル……ではなく、意外なことにミヤコのスキルである。乗馬クラブと聞くと一見セレブばかり集まっていそうな響きだが、ミヤコが同僚に誘われて一時期通っていたクラブは……疲れた女医やら看護師やら、女性医療者達の巣窟となっていた。


 あの黒目がちの優しい瞳に、大きくて温かい背中……馬は究極の癒し生物である。ほんとに。


「そうか、じゃあこの馬が気性も穏やかでお勧めだよ」


 そう言って兄は艶やかな茶色い馬体に黒いしっぽを持つ鹿毛(かげ)馬の、ずんぐりとした首に手を添えた。


 この国の騎士が乗る軍馬は、重装騎兵も乗せて戦える大型のデストリエ種が一番人気だ。だが奇襲戦法を得意とするロシニョル家の騎士達は、少し小柄で軽快なクーシー種を使っている。


 クーシーの体高、つまり首の付け根までの高さはサラブレッドより少し低めで、私の目線ほど。 だがその首と四肢はスピードのみを突き詰めた競走馬達よりはるかに太く、かなり頑丈そうだ。


 兄の合図で馬具を持った従者たちが進み出ると、素早く馬の背中にセットする。(はみ)手綱(たづな)に、そして(くら)に──


 あれ、(あぶみ)はどこ……?


 鐙とは、騎乗中に足をかけておく蒲鉾型のリングのことだ。乗るときの踏み台としても使うのだが──。


 そういや革で出来た鞍の形も思っているのと違うことに、ようやく私は気が付いた。この足掛け用の突起が付いている形は……婦人用の横鞍(サイドサドル)だ! 横乗りの単独騎乗なんて、ミヤコはもちろん大人と同乗した事しかないフロルにも、まだ経験がない。


「はい」


 乗せてあげると言わんばかりに手を差し伸べられて、私は再度馬具を眺めた。

 そういや今、ロングスカートだったね。


 ……うん、無理!


「おにいさまー……」


 ぎぎぎィっと硬い首をめぐらせて傍らを見上げると、兄は苦笑して頷いた。


「うん、鞍を替えようか」



 *****



 二人乗り用の鞍がつけられた馬上で兄の膝の間に収まりながら、私達を含む一行は城を出発した。そこそこ長く揺れる山道になんとか耐えると、ようやくピエヴェールの街を囲むようにそそり立つ、石造りの外壁が見えてくる。


 珍しく全開にされた小さな裏門をくぐると、わあっという歓声に包まれた。沿道に領民たちが詰めかけて、手を振っている。私達は軽く手をあげて微笑むと、人々の歓声に応えた。


 街中でも変わらず揺れる馬の背に座り、片手は必死に鞍の持ち手を握りしめている。だが表情は努めて穏やかに、もう片手は優雅に振り続けなければならない。『貴族』をやるのも、なかなか大変だ。


 目抜通りをゆっくり馬を進めて、一行はようやく終点の領主館に到着した。演説を行うべく、急ぎバルコニーへと向かう。だが外に姿を見せる直前というタイミングで、先に現場で準備を担当していた前任者が言った。


「本当に大丈夫か!? 備忘紙は持ったか!?」


「大丈夫だよ!」


 ジャン=ルイ、久しぶりに会ったけど……オロオロしながら兄の世話を焼くその姿は、まるで心配性のオカンのようだ。


 カーテンをくぐって兄がバルコニーへと姿を現すと、途端にわあっと歓声が沸き起こった。この状況は出にくいなあと思いつつ私も笑顔でカーテンをくぐると、兄の半歩後ろに立つ。


 各地の郷士の家の出である役人達の話では、政務に復帰する若様の姿をひと目見ようと、遠くの村からまで家臣達が集まってきているらしい。思いの外大規模になってしまったけれど、おにい様は大丈夫だろうか?


 今日話す予定の挨拶文は、おにい様とおじい様が二人で作成した力作だ。まだ少しある発音しにくい言い回しを絶妙に避け、だが新しい領主代行として伝えたいことも、しっかりと盛り込まれている。


 大丈夫だとは思うけど……声援に応えるばかりでなかなか話し始めない兄に、少し不安を覚えたその時。兄はようやく、口を開いた。


 発音に気を付けながら、ゆっくりと。だが噛み締めるようなその言葉は逆に重みを持って、まだ二十歳(はたち)にも満たないとは思えない威厳を(たた)えている。


 兄が言葉を終えると、再び広場は歓声に包まれた。私は歓声に手を振って応えながら、そっと兄を見上げる。その横顔は穏やかだが自信に満ちたもので、私は自分のことのように安堵したのだった。



 *****



「はい、あげる!」


 草原にしゃがんで香草の新芽を摘むリゼットに、私は背後からそーっと近付くと……その頭にぽんっと花冠を乗せた。


「えっ、なにっ……!?」


 想像以上に驚き慌てるリゼットにちょっぴり申し訳なくなって、私は再び花冠を手に取りなおす。


「急に驚かせてごめんね。これ、お花の冠作ったんだけど……リゼットにあげたかったの」


 子供の頃の記憶を思い出しながら作ったのは、小さな花を環状に編み込んだ冠である。まだ冬の気配の残る丘陵地帯では、あまり華やかに咲く花を見つけることはできなかった。けれど可憐な見た目ながら寒さを耐え抜く早春の花達は、リゼットにぴったりだろう。


「そんな……ありがとうございます、お嬢様」


 私が再び冠を差し出すと、リゼットはその場にひざまずいた。


「私、リゼット・ルロワは、主に一生の忠誠を捧げます」


 まるで騎士の誓いのようなその姿に、私は思わず破顔する。


「まあ、大げさね! でも……」


 私はコホンとひとつ咳払いすると、教会で行われた兄の騎士叙任式を思い出しながら、彼女の肩に花冠を置いた。


「今、まさに騎士とならんとする者よ、神の真理を守るべし。魔の暴虐に逆らいて、祈れる人民全ての守護者たらしむべし」


 そうしてポンポンポンと三度肩を叩くと、私は花冠を彼女の頭に乗せた。


「ふふふ、リゼット卿の誕生ね!」


 そう言ってしゃがむと、まだひざまずいたままのリゼットの顔を覗き込む。すると彼女はぽろぽろと涙をこぼしていて、私はうろたえた。


「私……今日のことを一生忘れません。一生をかけて、お嬢様にお仕え致します」


「だから、大げさだってば!」


 私がリゼットの背中をさすって落ち着かせていると、用事を終えた兄が慌てて駆け寄って来た。


「どっ、どうしたの!?」


「あ、おにい様! 心配かけてごめんなさい。ちょっとリゼットを驚かせてしまったの」


「もうしわけございません……」


 リゼットは慌てて涙を拭うと、小さな声で謝り頭を下げる。


「そっか、な、らいいんだけど……首尾はどう?」


 私ははっとして、傍らに置いた自分のカゴを見た。緑色はほんの少しで、茶色い底はほとんどの部分がむき出しのままである。しまった、つい遊びすぎちゃったかも。


「すみません、まだ全然……です」


 私が申し訳なさそうに答えると、兄は苦笑しながら訳知り顔で頷いた。


「そんなことだ、ろうと思ったよ。なんだか雲が出てきたし、手伝ってあげ、るから、早めに……」


 そう兄が言い終わらないうちに。高い空からちらちらと……季節外れの白雪が、軽く舞い降り始めた。


「わっ、雪だ!」


 思わず声をあげて手をのばすと……雪は私の手のひらにあたった瞬間、すうっと解けて消えてしまった。


「さあ、ここは寒いし、早く摘んで帰、ろう」


「はぁい」


 私は渋々といった体で兄とリゼットの方に向き直ると、二人に笑いかけた。


 ああ、この幸せな時がずっと続けば良いのに──。この世界の神と呼ばれる存在が、もしも実在するのなら。どうぞ私の家族を御守り下さい。


 そう私は心の中で祈りを捧げると、見付けた新芽をぷちりと摘まみ採ったのだった。






おしまい


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