表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海 ゆくとき  作者: 涼華
2/9

第1章  出   征

Y村、日本のどこにでもあるような漁村である。日本中部に位置するため気候は温暖で、集落の近くまで山が迫っているため、田畑は少なく、人々は漁で生計を立てていた。この地方の中心都市であるS市へは、山越えをするよりも舟でS港まで行くのが普通であった。


その日、一人の兵士の出征祝いが開かれていた。網元の家で、質素ながら人々が精一杯の心を込めたうたげである。


「中村五助君、万歳。」「お国のために頑張ってきて下さいよ。」


酒をつぎながら、村の女達が、五助と呼ばれた若者に声をかけた。若者は、ほおを赤く染めながら杯を受けている。日焼けした引き締まった体とは対照的に、顔にはまだ幼さの残る、気だての優しそうな青年だった。


「ついに兄ちゃんも、水兵さんかぁ。」六、七才ぐらいの子供が物珍しげに青年の軍服に手をかけようとした。


「これ、大事な服に、青っぱななんかつけるでねぇ。」五助が慌てて弟の手を払う。


「つけねぇよ。」子供が大きな音で鼻をかむと、どっと人々は笑った。


「こんな田舎者いなかもんで、つかいもんになるんじゃろか?」五助の父親が隣席の男に聞いている。


「なぁに、大丈夫だぁ。なにしろ、一平がおるからな、海軍には。」


一平、五助より十は上のその男は海軍に志願し、兵役期間を過ぎても軍に留まり、職業軍人の道を歩んでいた。


「でもよう、沢山軍艦があるんじゃろ。一平さんと同じ軍艦に乗れるかどうかわからんじゃないか。」五助が心配そうに聞いた。


「肝っ玉の小せい奴じゃ。図体ばかりでかくなりやがって、甲種合格が泣いとるぞ。これからアメリカさんとドンパチやらかさにゃあならんてえのに。」と、漁師仲間の青年が五助の背中をどやしつけた。


「満期除隊の暁にゃ、お前も村の名士様だな。いや、もしかしたら・・」酒を仰いだ村人の後をついて、別の漁師が話を続けた。


「一平みたいに、末は海軍大将様かも知れんで・・」酔いも手伝って、人々は饒舌になっている。


「んなことあるもんか。」網元が呆れたように説明した。「一平がいくら賢かったとしても所詮、特務士官じゃろ。せいぜい、大尉止まりじゃ。陸軍さんと同じでのぅ、海軍さんも江田島あがりじゃないと、大将様には慣れんのじゃ。」


「でも、特務士官様だって大したもんなんじゃろ。」五助が口をとがらせた。


「もちろんだとも、ああ、一平は大したもんじゃ。村一番の出世頭じゃ。」網元は大きくうなずいた。


「もし、会えるとすると、十年ぶりかぁ。」五助は懐かしそうにつぶやいた。


「お前、ガキの頃から一平兄ちゃん、兄ちゃんって後をくっついてたからなぁ。」仲間の青年にからかわれて、五助はほろ酔い加減の顔をいっそう赤くした。




宴の後、五助は男達に引っ張り出された。男達はにやにやしながら、話しかけた。


「五助よ。お前も明日からはお国のために命を貼る定めだ。そうだな?」


五助は不審そうに頷いた。


「そのためにゃあ。娑婆に未練があっちゃなんめえ?」


「それは、そうだけど」


「そのために、男にならなきゃなんめえ。え、五助よ。」


「男?」


「にっぶい奴だなぁ。それ、俺たちの餞別代わりだ。敵を撃沈して、立派な男になってこい。突撃一番を忘れるな。」男達は金を握らすと五助を娼館に放り込んだ。


「では、中村五助二等水兵殿、立派な戦果を期待しております。」五助を置き去りにして、仲間達は意気揚々と帰っていった。




次の日、五助の見送りが行われた。のぼりを立て、総出で万歳三唱を行う。勇ましくももの悲しい光景だ。不安げに見つめる母親に五助は大丈夫だよと言うかのように大きくうなずいた。




海軍の新兵はまず、海兵団に送られる。五助は横須賀海兵団に入隊した。ここで新兵達に4ヶ月間の訓練が施される。兵士として最低限のことができるよう、徹底的に訓練されるのだ。一五・六人の班に分けられ、朝五時の起床から午後九時の就寝まで、教班長と呼ばれる兵曹(下士官)の命令に、絶対服従の日々が始まった。まずは、水練からである。泳げなければ、海軍としては失格である。ゆえに、泳げるまで海に放り込まれ、遠泳ができるようにさせられる。次に陸戦訓練、海軍には陸戦隊という野戦部隊もあるため行軍や銃の扱い方など、陸軍と同じ訓練がなされた。手旗信号、幾つもの型を覚えるまで何回も繰り返させられる。結束、これはロープの結び方の訓練。カッター教練。さらに座学で、修身・軍事学・算術を勉強させられる。最後に甲板掃除、これが、海兵団の訓練の全てである。


海軍の伝統は、迅速・確実をモットーとしたため、新兵達は起床時のハンモックの収納から始まって全てのことを五分で終わらせることを要求された。しかし、厳しい訓練の中にも楽しみがある。特に、海兵団での三度の食事は、娑婆のそれよりも遙かに贅沢で、カレー、ハンバーグなど洋食と呼ばれるハイカラなメニューも出されるため、五助達にとっては数少ない楽しみの一つであった。



漁師の五助にとって、朝の起床や遠泳などはなんでもなかったが、カッターや甲板掃除はさすがに堪えた。中腰でぞうきんがけを何時間も行うため、腰が痛くてたまらない。しかし、不平不満を顔に出すわけにもいかない。陸軍の鉄拳制裁は有名であったが、ここ海軍でも同様で、少しでも要領の悪い兵士は教班長の制裁をうけるのだ。




海軍の制裁は、鉄拳制裁に加え、通称ケツバット、即ち、精神統一棒というバットで尻をひっぱたくものもあった。五助の班でも尻が痛くてうつぶせでなければ寝られないという新兵が続出した。また、手紙は全て検閲されるため、恋文が送られてくると、班全員の前で読ませられるという罰直(制裁)も行われた。肝心なところになると恥かしさで声が小さくなるため、教班長の「声が小さい」「もっとゆっくり読まんか」の声の元、何回でも朗読させられる。顔を真っ赤にし涙目になって朗読する当人は気の毒なのだが、五助のように付け文一つもらったことのない人間にとっては、逆にうらやましく思えるのだから不思議である。


そうこうするうち、悪夢のカッター教練が始まった。カッター(救助艇)を操るのは海軍の基本であったため、特に訓練は念入りに行われるのだった。手のマメが破れるほど櫓を漕がされただけでなく、他班のカッターと競争が行われた。負ければ当然、制裁の上、夕食抜きの罰が与えられた。




今日も、教班長は、五助達にケツバットを一発ずつ見舞わせた後、にべもなく言い放った。「夕食を抜きとする。以上。」




「畜生。」殆ど唯一の楽しみである食事を抜かれ、尻をさすりながら五助はつぶやく。激しい訓練の後の断食は、若い新兵達の胃には堪えた。翌朝には空腹で目が回りそうになる。しかし、起床時の整列で少しでも振らつこうものなら、教班長に、それこそ顔の形が変わるほど殴られた。


「そんな精神で、艦隊勤務がつとまると思っているのか!」教班長の罵声が浴びせられる。


冷静に考えると、夕食を抜けば体力が低下し、次の競争に勝てるとは到底思えないのだが、食い物の恨みというものは恐ろしいもので、皆、必死の形相でカッターを漕ぎ、次の戦いには見事、雪辱をはらすのだった。いわば、班長の作戦勝ちである。なお、負けた班の新兵達が、五助達と同じ目に遭わされたのは言うまでもない。




厳しい訓練もついに終了した。五助達二等兵は晴れて海軍一等兵となる。五助は、第一艦隊、第三戦隊の戦艦「厳島」に配属された。


聯合艦隊の主力である第一艦隊に配属され、五助の心は高揚している。とでも書けば良いのだろうが、実際の五助の心は晴れなかった。まだ、陸戦部隊の方がましだ。五助は考えている。




海兵団での制裁は厳しかったが、艦隊勤務でのそれは想像を絶するものであるという。彼らの詩に「鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門」とまで詠まれたぐらいであるから、戦艦内のケツバット制裁は陰惨さを極めた。ケツバットの傷が元で命を落としたり、制裁に耐えかねて入水した水兵は一人や二人に留まらないと言ううわさであった。


同じ戦艦なら、厳島だって、似たり寄ったりのはずだ。グラマンと差し違えるのは・・・


五助は思う。


本望というものだが・・・ケツバットで殺されるのだけは真っ平御免だ。




横須賀軍港に戦艦「厳島」は停泊している。逆光の中、黒々とそびえるその姿は、一般人には頼もしい国の守りに見えるのだろうが、五助の目には、それが鬼ヶ島のようにも、また地獄門のようにも見えるのであった。いや、それどころか、乗艦している下士官や将校の姿が、皆、角を生やした鬼のようにさえ見えてくる。


五助は慌てて首を振った。




折しも、一隻のカッターが桟橋に到着し、一人の海軍将校が短艇から降り立つのが見えた。短剣を腰に差し、白地の第二種軍装も凛々しい三〇代前半のその士官は、颯爽と五助の方に向かって歩いてくる。背筋をまっすぐに伸ばし、きびきびとした動作が美しい。肩章から、海軍特務中尉であることは明らかだ。


あの若さで、五助は感心している。特務士官という海軍特有のたたき上げ将校になるには、通常、二〇年近い年月がかかることを、五助は海兵団で教わっていた。


日焼けした士官の顔立ちが次第にはっきりとしてきた。面長で鼻筋の通った一見、穏やかそうではあるが目に光のある男である。五助は驚いてその士官の顔を見つめた。




一平さん。


何とまあ、立派になられて。五助はそう叫ぼうとした。しかし、体の反応は違った。


五助はその特務中尉にさっと敬礼をすると、こう付け加えた。


「吉崎特務中尉、お久しゅうございます。中村五助一等水兵であります。」



解説



筆下ろし


実際は、徴兵検査が終わった後に、遊郭に行って筆下ろしをする男の人も結構いたという。

「突撃一番」というのは、軍用(陸軍の)コンドーム。海軍は別の言い方があったらしいが、陸軍に取られる方が圧倒的だったので、この言葉の方が一般的かなと思った。



江田島あがり


海軍兵学校出身者のこと。江田島には、当時、海軍兵学校があり、海軍士官(少尉以上)には、この海軍兵学校卒業でなければなれなかった。一高(東大教養部)か海兵かと言うほど難しかったそうです。頭脳明晰だけでなく、身体壮健、裸眼視力1.0以上が条件。

特に、海兵の制服は丈の短い白の詰め襟、腰に短剣という非常に瀟洒なものだったため、当時の中学生や女学生の憧れの的だった。(今見てもカッコ良い制服)。学校生活もなかなか楽しいものだった。(ただし鉄拳制裁は付き物で、特に一年生は、何かというと整列させられて上級生に制裁を加えられている。)



ケツバット制裁


実際はこんな生やさしいものではなく、「バッター(多分打者)」という名前。樫の木の棒で、思い切り新兵の尻をひっぱたき、本当に死者も出たという。

「海軍めしたき物語」 著者 高橋 孟 の一節では、次のような描写がある。(戦艦・霧島 乗艦)

「・・・それもプロ野球選手のようなのが低めの球をねらい打つようなフォーム。樫で作っためししゃもじを縦にして、しかも腰を入れて思い切り撃つのだから凄い。・・・」

本当に毎日毎夜、ビンタ(平手打ち)、拳骨で殴られたり、めししゃもじでのケツ叩きなど、某相撲部屋も真っ青なほどの日常だった。しかも惨いことに連帯責任で、誰か一人へまをやると新兵総員整列で、しごかれた。(当人はもちろん一番、しごかれるが)

大型の戦艦ほど惨かったらしく、「鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門」と本当に戯れ歌に読まれたという。山城・金剛・長門は戦艦の名前である。

あまりにもケツ叩きがひどいので、一念発起して航空兵になった者も居た。

陸軍は輪をかけてひどく、水木しげるさんの「コミック 昭和史」では、南方の最前線で、碁盤のような下駄で顔を殴られている描写があり、また、対抗ビンタといってお互いに殴り合う罰もあった。

捕虜の米兵までバットで殴ったらしく(明らかにジュネーブ条約違反)、アメリカの捕虜になった海軍士官がそのことで、かなりアメリカ兵から文句を言われたという逸話もある。


戦艦・厳島


聯合艦隊の第三戦隊に厳島という戦艦は存在しない。

実在の戦艦は、「金剛」・「霧島」・「榛名」・「比叡」の四艦のみ。

架空の戦艦に乗った、架空の人々の物語である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ