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最強冒険者とメティスの塔

作者: 冬空さんぽ



「はぁ……」


 エリックは何度目かも分からぬ溜息を零す。

 周囲に広がるのは石壁、大した光源が無いにも関わらず仄かに薄暗い。


 迷宮の特徴だ。

 エリックは今迷宮を一人で歩んでいた。


 本来、迷宮にひとりで挑むなど自殺行為。

 どれだけ腕に自信があるにしても集団で臨むのが常識だった。

 何故ならば、思わぬ奇襲、卑劣なトラップ、魔物の麻痺毒にでも掛かったならば即座に死に直結してしまうからだ。


 それならば、迷宮で得る取り分が多少減るにしても徒党を組む。

 迷宮で得られる富も重要だが、死んでしまっては何の意味も無いのだから。


 エリックも当然仲間を募った。

 だがひとりも手を上げようとはしなかった。

 それはエリックの出自が理由だった。



◆◆◆◆◆◆



 エリックはこの国の人間ではない。

 この国──エリス聖王国の仮想敵国であるフェリア王国で生まれ育った。


 エリック自身も本来ならばこんな国で仕事などしたくなかった。

 今でこそ直接矛を交えていないとはいえ両国の関係は険悪と言わざるを得ない。

 差別を受けるのは必然と言えた。


 だが、とある事情でフェリア王国から逃げてきたエリックには金が無かった。

 資産を持ち出す暇すら無く、着の身着のまま逃げ出してきた。

 当然国ひとつを跨いで逃げるほどの路銀は無い。

 逃げた先で仕事をし、旅費を稼がなければ食事すらままならない。


 幸い、エリックには戦う力があった。

 いや、むしろ戦う力があったからこそ目を付けられ、追い立てられたのだから不幸なのかもしれないが。


 ともあれ、エリックには金が必要だった。

 エリックは元々冒険者をしていた。

 仕事さえあれば何でもこなせる自信と実績もあった。


 だが、冒険者ギルドに訪れた彼を待っていたのは猛烈な差別だった。


 護衛依頼?信用出来ない外国人には任せられない。

 採取依頼?そんなものはない(掲示板には明らかに依頼が貼られている)

 討伐依頼?受けるのは構わないがフェリア王国の者に魔物の情報は渡せない。


 結果、依頼で路銀を稼ぐのは非現実的だと判断せざるを得なかった。

 差別があるとは思っていたが、ここまで苛烈なものだとは想像もつかなかった。


 愚痴を言っていても仕方が無い。

 エリックは思考を切り替え迷宮に希望の光を見た。


 迷宮に潜れば財宝やマジックアイテムが手にはいる。

 価値のある魔物の素材も獲れるかもしれない。

 当然、買い叩かれるだろうが……それなりの金額になる筈だ。


 最悪、この国を出るまでの資金になれば良い。

 エリス聖王国はそこまで広大な国ではない。

 ある程度の資金があれば問題なく国を抜けられる筈だった。 


 エリックはエリス聖王国に詳しくは無い。

 だが、冒険者という仕事柄、隣国の中でも有名な迷宮の名前ぐらいは知っていた。


 国境付近の街から一週間ほどかけて移動した。

 食事は捕らえた野生動物。時には雑草に手を伸ばす事すらあった。

 人里が近いにもかかわらず無駄に過酷な旅だった。


 頼る者も無く金も無い、どうしようもない生活。

 日に日に表情が険しくなり、余裕がなくなっていくのを感じながらも歩を進めた。


 この国を抜ければきっとまともな生活が出来る。 

 人間的な暮らしに戻れる筈だ。

 エリックは自分を勇気付けながら必死に目的地を目指した。


 目指していた街の外壁が見えた時、不覚にもエリックは泣いてしまった。

 たった一週間、だけど地獄のような一週間を越えた、その達成感が涙腺を緩めたのだ。

 エリックは疲労困憊、先程まで石塊でも背負っているかのように重かった歩みが嘘だったかのように街に向けて全力で駆けて行った。




 ──メティスの迷宮

 エリス聖王国南東部にそびえる石造りの巨塔。

 智の女神メティスは人々に知恵と試練を授ける為にこの迷宮を作られた。

 もしこの迷宮を踏破する者が居れば、その者にはメティスの加護と神さえ羨む至宝を手にする事が出来るという。

 今日も、数多の冒険者が高みを目指して迷宮に挑む。

 名声、力、宝物。

 数多の欲望に駆られ塔の頂へ手を伸ばす。

 智の女神の作った迷宮には、皮肉にも愚者ばかりが集っていた。

 この結果を見て智の女神メティスは何を思うのだろうか?

 ……その真意はかの女神にしか分からない事だろう。




「帰れ、豆頭。殺されたくなかったらな」

「愚劣なフェリア人が塔に登ろうなんて千年早いのよ。死んで罪を清算してからまた来なさい」


 街の中央にメティスの迷宮を擁する迷宮都市メティス。

 その冒険者ギルドのロビーでエリックは共に迷宮に挑む仲間を募っていた。


 周囲からは絶えず罵倒の声が聞こえる。

 何なら石や魔法まで飛んできた、あまりの非常識っぷりに怒りが沸いて来る。


 豆頭とは、フェリア人の多くが浅緑色の頭髪をしている事に由来する悪口だ。

 ……フェリア王国内でこんな事を言おうものなら切り捨てられても仕方が無いレベルの罵倒。


 頭に血が上り手足は怒りに震え出すが、それでも諦めず声を張り上げた。

 エリックにも後が無いからだ。ここで暴力沙汰を起こしたらそれこそ相手の思う壺。

 エリックは必死に仲間を募った、殴られそうになっても避けつつ周囲に訴えた。


 自分は腕のある冒険者で、迷宮に挑む同志を探している。

 必ず迷宮を踏破するから一緒に潜ろう。


 エリックに悪気は無かった。

 しかし、それらの訴えは周囲の神経を逆撫でした。


 メティスの冒険者が何十年、何百年と攻略出来なかった迷宮。

 それを「自分なら攻略出来る」と豪語したのだ。

 これにはフェリア人に隔意の無い冒険者までも怒りを覚えてしまった。


 結果、エリックは日が暮れても仲間を得る事が出来なかった。

 エリックは打ちひしがれながらもギルドを出た。

 そしてメティスの迷宮へ歩き出す。


「エリスの糞共と肩を並べようなんてのが間違いだった、俺はひとりで頂上を目指す」


 エリックはギラついた目をしながら塔の頂上を見上げる。

 この国が生まれるより以前から攻略されていない塔の頂。

 そこを見据え、エリックは改めて塔の攻略を決意した。



◆◆◆◆◆◆



「まっずい……早く人間になりてぇなあ」


 エリックはドブドブの実という絶望的な味の実を食べながらぼやく。

 ドブドブの実とは「乞食も食べない絶望の味」と言われるほど不味い実だ。

 簡単に見つかり、栄養価も高い、最近は健康にも良いと一部の健康志向の貴族が食べることもある食材だ──無論、それは適切な処理をして美味しく食べられるよう調理したものだが。エリックはドブのように臭く不味いその実を直接かじっている。食べ物が他に無いから。先の「人間になりたい」とは「こんな人が食べるべきではないゴミではなく、まともな食事を取れる生活へ至りたい」という意味である。


  

 エリックはメティスの迷宮に侵入してから二日で第十二階層に至っていた。

 普通ではありえないハイペースだ。

 これにはそれなりの理由がある。


 メティスの迷宮は知恵を試す迷宮。

 迷宮内にはクセの強い強力な魔物はもちろん、無数の罠が待ち受けている。

 本来はその罠が曲者で、冒険者達は罠への対応に時間を取られ進行が遅れがちになってしまう。


 その点、エリックはその無数の罠を的確に回避し続けていた。

 これにはエリックのとある力が関係している。

 エリックも何も無策でこの迷宮に単身侵入した訳ではない。


 自分と相性の良い迷宮。

 それを知っていたからこそ、この迷宮を目指し、踏破を周囲に宣言していたのだ。


 罠をひょいひょい避けながらエリックはどんどん迷宮を歩んでいく。


 メティスの迷宮の通路は狭い。

 これは恐らく罠が効果的にその力を発揮させる為だろう。

 剣を振るうのに問題があるほどではないが圧迫感を感じる程度の広さだ。


 広間では大体大型の魔物が待ち構えている。

 凶悪な火を纏うサラマンダー、巨躯を誇る三つ角(さい)、剣と魔法を巧みに使う名も知れぬスケルトン。それらを鎧袖一触とばかりに切り捨て、価値のありそうな部位を最低限拾って先へ進む。


 エリックの愛剣【不朽の剣】は名剣だ。

 食う物に困っても死にそうになっても、決して手放す気が起きないほどの名剣。

 効果は単純にして強力、決して折れる事も曲がる事もなく鋭さを失わない。

 最強の冒険者として名を残した祖父から託された命より大事な家宝だ。


 その鋭さは暴力的。

 今も見上げるほどの巨躯を誇るサラマンダーが真っ二つに引き裂かれた。

 当然、それを活かすエリックの技巧も合わせての結果だが。


「サラマンダーの火炎舌はフェリアだと金貨十枚はしたが、さてさて、どこまで買い叩かれるかね」


 エリックは迷宮内での事は何も心配していなかった。

 それよりも帰った後の事に思いを馳せていた。


 あの差別意識全開のギルドと冒険者だ。 

 最悪雑草レベルの買取金額しかつかない事も考えられた。


 悪い妄想が頭の中をぐるぐると駆け回りエリックの気を滅入らせた。

 自分を追い出した国であるにも拘らず、フェリアが恋しく感じるレベルである。


「ん……? なんだこの音は?」


 激しく剣と剣を交える音。

 そして大規模な魔法でも行使されたかのような破砕音。

 それが絶えず聞こえてくる。


 メティスの迷宮は狭い通路と大きな広間で構成される割とベーシックな造りだ。

 広間と広間にはそれなりの間隔が置かれている。

 にも拘らず隣の広間にまで戦闘音が聞こえてくるというのは妙に思えた。


(すこし様子を窺ってみるか……)


 エリックはそう決断した。

 本来、迷宮内では他の冒険者と距離を置くのがセオリーだ。

 迷宮に潜る以上互いに武装している。

 無闇に近付かないのは自衛の観点から見て当然だった。


 だが、エリックは「見に行った方が良い」と感じていた。

 いつだってエリックはこの感覚を信じて冒険者をしてきた。

 今回もそうだ。エリックは衝動に突き動かされるままに音のする方へ向かった。



 そこはさながら小さな戦場と化していた。

 迷宮の石床は血に染まり、血だるまの騎士が幾人も息絶えている。


 広間の中には身なりの整った金髪の青年がひとり。

 そして、それを囲むように五人の騎士が剣を向けている。

 

 五対一。

 圧倒的不利にも関わらず青年は善戦していた。


(ふむ、地力の差と天使の加護で戦えている感じか)


 青年の剣技は巧みだ。

 まるで五人全員を視界に入れているかのように的確に戦う。

 それでも、時折騎士に斬られそうになるがその際には必ず光の壁が生じて騎士の剣を弾いた。

 よくよく見ればそれが天使の翼のような形をした防御壁だと気付く事が出来るはずだ。

 天使の加護、対象者の帰還を希う乙女の祈りによってもたらされる強力な力だ。

 とはいえ、それも無敵ではない。

 実際、青年の身体には無数の切り傷や火傷の跡がある。

 加護を貫くほどの強力な一撃を何度も貰ったのだろう。


 エリックは迷う。

 手を出すべきか出さないべきか。

 手を貸すにしろどちらに手を貸すべきか?

 何しろ状況が全く分からない。


 迷宮に潜った貴族を暗殺しようとしているのか?

 凶悪な犯罪を犯した青年を騎士達が追い詰めているのか?

 何もかもが分からなかった。


「?!! 冒険者様!! どうか!! どうか王子をたすけてください!!」 


 そんな時、通路から広間の様子を窺っているエリックを目敏く見つけた者が居た。


 メイド服を着た黒髪の女性だ。

 肩に触れる程度で切り揃えた清潔感のある艶やかな黒髪。

 少し気が強そうな印象を受けるも整った顔は男女隔てなく魅了しそうなほど美しい。

 容姿端麗な美人メイドがそこに居た。斬られたのか血に塗れたその姿すら、絵画の中から飛び出してきたかのように華がある。

 

 彼女はエリックのすぐ近くに転がっていたが、死角に居た為エリックは気付かなかった。

 メイドの魂の叫びが広間に響いた。

 騎士も青年も思わぬ闖入者に注目する。


 エリックの意志は決まった。

 騎士を殺す。

 どう見てもあの囲まれている身なりの良い青年こそが王子だろう。


 王子を迷宮内で事故に見せかけて殺す。

 ようやくエリックにも絵が見えた。

 知ってしまえば本当に単純な状況だったのだ。


「な?!」


 騎士とエリックとの間には数メートルの距離があった。

 だがエリックは一呼吸つく間も無く彼我の距離を詰めた。

 騎士が驚愕し目を見開くのと、ふたりの騎士の首が飛ぶのはほぼ同時だった。


 残る三人が迎え撃とうとエリックに迫るも、剣を振り下ろす間もなく鎧ごと身体を両断された。


 広間はむせ返るような血臭と静寂に包まれた。


「大丈夫か?」


 エリックが王子に問い掛ける。

 王子は唐突な殺戮にしばらく呆けていたが、ハッと正気に戻り顔を引き締めた。


「だ、大丈夫だ。助力感謝する。私はエリス聖王国第一王子のアルベルトだ」


 アルベルトは若干目線を逸らせつつもエリックに感謝を述べる。

 単純に怖かったのだ。

 目の前の冒険者が。


 だが、第一王子として怯んだところを見せるわけにもいかない。

 出来る限りの意志力を注いで目線をエリックの瞳に向けた。


「……そうか。それはともかくあのメイドの手当てをすべきだな」

「そうだ!! ジェシカ!!」


 メイド──ジェシカの元にふたりで向かう。

 ジェシカは声を出せなかった。最後の力を振り絞ってエリックに声を届けていたのだ。

 今は震えながら焦点の合わない瞳で宙に目線を彷徨わせている。


「ジェシカ!! 大丈夫か!! ジェシカ!!」


 アルベルトが即座に駆け寄りジェシカの身体を揺すりながら問い掛ける。

 だが、ジェシカは何も言えなかった。


 もう目も見えないし、耳も聞こえていなかった。

 ただ、自分の身体を抱き寄せる温かさだけは伝わっていた。

 それでアルベルトが助かった事が分かったのだ。


 ジェシカは心の底から安心した。

 絶望に救いの手がもたらされたのだ。

 もう思い残す事は無い。

 ジェシカは意識を手放した。


「ジェシ……カ……? ジェシカ? おい。 ジェシカ!! 嘘だろ……? 俺を置いていくな!! ジェシカ!! これは命令だぞ!! ジェシカ!! ジェシカ!! ジェシカアアアアアアアア!!」


 アルベルトは泣き叫んだ。

 それはもう国中に響き渡るのではないかと思われるほどの大絶叫。

 アルベルトにとってジェシカとは、それほど大きな存在だったのだ。

 アルベルトには家族が居る。仲の良い親友も許婚だっている。

 だが、アルベルトは周囲の向ける自分への感情にどこか作り物めいたモノを感じていた。

 いつだっていちばん近くにいる、世話係のジェシカから伝わる愛情が深く心地良いものだったからこそいっそうアルベルトにはそう感じられていた。


 アルベルトにとってジェシカは特別だった。

 自分に妻が出来ても、子が出来ても、優先順位が多少遷移したとしてもきっと特別だった。

 そのジェシカが、今この瞬間にも死に絶えようとしている。

 その事が認められなくて、頭の中が真っ白になって、自分が王子であることも忘れて思いっきり抱き締めた。


「うう、う……うああああああああああああ」


 アルベルトは胸に押し寄せる苦しみが止まらない。

 ジェシカを切り捨てた騎士が。

 騎士に叛意を促した何者かが。

 憎くて憎くて仕方が無い。

 一体誰が? 家族か? それとも高位貴族?

 答えの見えない問いと拳を振り下ろす先が分からぬ空しさで怒りが無限に燃え上がる。


 が、そこに冷や水を浴びせる者が居た。


「……盛り上がってるところ悪いが、そろそろ本当に治療が間に合わなくなるから。 退いてくれ」


 エリックは迷惑そうな顔でアルベルトを押し退けるとジェシカの治療を開始した。



◆◆◆◆◆◆



 ジェシカの救助は何とか間に合った。

 とはいえ、エリックの未熟な腕では体力までは戻らず、一度目を覚ました後にジェシカはぐったりと眠りについている。


 アルベルトからは死ぬほど感謝された。

 ジェシカが目覚めるまで時間が掛かりそうだったのでその間に今回のいきさつを軽く説明された。


 エリス聖王国の世継ぎには試練が課される。

 その名も「王の試練」。

 そのまんまだな。


 歴代の王族は少数を率いてメティスの迷宮を進んでいく。

 そして第二十階層の儀式の間と呼ばれる場所で女神メティスに聖王国の繁栄を祈願するのだそうだ。


 エリックは王太子を未攻略の迷宮に登らせるなんてクレイジーだなと思ったが、どうやら第二十階層までの攻略法は大昔から確立しており、よほど腕が未熟でなければ儀式の間に辿り着くのは難しくないのだそうだ。


 もっとも、第二十階層以降は王家にも資料が無い。

 たまに血気盛んな王族が「頂上を目指す」と言って護衛の制止を振り切って登ろうとする事があるが、ひとりの例外も無く帰還することは無かったそうだ。


 たまに継承権の低い者がより継承権の高い者より優れている事を示す為にその「冒険」に挑む事があるが、いまだにそれを成した者は居ない。なので「よほど悪辣な罠が待っているのだろう」という事だけは伝わっているらしい。


 で、今回はアルベルトが世継ぎとしてこの塔へ赴いた。

 彼らは十日にも及ぶ長期間この迷宮に挑んでいるらしい。


 そして、この広間に入った時に事件は起こった。

 騎士のひとりがアルベルトを背後から強襲したのだ。

 何故騎士がアルベルトを襲ったのかは分からないと言っていた。

 アルベルトの護衛としてついてきた騎士は近衛騎士、それもアルベルトを長年護って来た信頼の置ける騎士達だった。


 当然アルベルトは彼らが自分に襲い掛かるなど夢にも思わない。

 とっさの事に反応出来ずに居たアルベルトを救ったのは世話係として探索行に付き添ったジェシカだった。


 アルベルトを突き飛ばし腹から剣を生やしたジェシカ。

 それが目に入ったときのアルベルトの絶望感は筆舌に尽くしがたいものだった。


 アルベルトは剣と魔法を駆使して騎士達と戦い始めた。

 彼は第一王子だ。

 当然幼少期から剣と魔法を国でいちばんの師から学んでいる。

 実際囲まれながらも四人の騎士を返り討ちにするほど、その技術は研ぎ澄まされていた。


 だが、アルベルトが学んだのはあくまで護身を中心とした技術。

 王族を警護する為に厳しい訓練を受けた騎士を一方的に殺すほどの力は無かった。


 その点についてアルベルトを責めるのは酷と言うものだ。

 彼は王族であって冒険者でもなければ(いくさ)働きを求められる騎士でも傭兵でもない。


 エリックが来るまで持ち堪えられたのは天使の加護と天性の才能。

 そして厳しい修練の果てに身につけた技術によるもの。

 これまでの過剰とも思える教育の成果が実を結んだ結果だった。


 エリックは大体の事情を把握した。

 ジェシカはまだ起きる様子が無い。

 安らかな寝顔を見せつつ熟睡している。


 暇をもてあましたので今度はエリックが自分の話をした。

 エリス聖王国に来てからの仕打ちに対して話が及ぶとアルベルトは申し訳無さそうな顔をした。


「そうか、それは大変申し訳ないことをした。実はエリスがフェリアを痛烈に批判するのには理由があるのだ」


 アルベルトが説明した内容はなんともはた迷惑な話だった。

 曰く、現聖王の代になってからエリスでは経済や国交に関して多くの失敗があったそうだ。

 その失態の責任が王室に向かわないよう──国民の不満をフェリア王国に押し付ける。


 高圧的な隣国への不満感情で国政への不満を誤魔化そうとしているのだ。

 そしてその扇動戦略は成功していて、エリックのような旅人が煽りを受けている。




 エリス聖王国は昔から国境線は大して変わっていない。

 だが、以前の聖王国は周辺国が無視できない大きな影響力を有していた。


 その理由が聖女の輩出。

 エリス聖王国では不思議と強力な治癒の力──<奇跡>の力を持つ者が現れた。

 何処に現れるかは分からない。だが、国内の何処かには必ず現れる。


 それは智の女神、メティスの恩寵だと考えられていた。

 神から選ばれた証──聖痕(スティグマ)が身体に刻まれた聖女の恩恵は計り知れない。

 並みの治癒師が百人揃っても治せないような大病、瀕死から人を救えるのだ。


 周辺各国はエリス聖王国に明確な敵意を向けにくい。

 国の要人が危機に瀕した際に最後の手段として聖女を招けなくなる。

 それはあまりにも大きなデメリットで、聖王国の顔色を窺う時代が長く続いた。

 

 だが、現王に代わってからその常識が変わってしまった。

 まだ三十代も半ばだった聖女は突然死し、その後聖女は現れていない。


 エリス聖王国はその影響力の肝心要であった聖女を失ったのだ。


 そこから、聖王国が今までの態度を改めればまだ未来はあった。

 しかし、そんな簡単に国のあり方など変えられるものではない。


 聖女の恩恵を傘に着た高圧的な外交。

 それが通用しなくなると国は簡単に崩れた。


 国家間の通商に関する交渉、国際問題に対する協力、国境を面した国々との利権の切り分け。

 聖女という切り札を失った聖王国はそれらの交渉で何度も失態を繰り返した。

 エリス聖王国で人材が育ち、立ち直るまで待ってくれるような優しい隣国など無かった。


 聖王国はあまりにも長い期間、強者として胡坐を掻きすぎていたのだ。

 エリス聖王国の役人達は、この窮地の中どのような塩梅で交渉をまとめれば良いのか分からない。

 先人に知恵を求めようと本を開いても年長者に頭を下げても答えなど無い。

 聖女不在の状況はエリス聖王国にとって完全に未知の状況。

 手探りで、多くの傷を負いながら各国の猛者と知恵比べをするしかない。


 役人の受けた傷は国民の生活を蝕んだ。

 いつも通りに働いているにも拘らず、税金は今まで以上に多く徴収される。

 生活の余裕が徐々に失われていって、民から笑顔と余裕は失われていった。

 村人は村を捨て盗賊に堕ち、都市でも少なくない人々が路上生活を強いられる。


 必然、国中の治安が一気に悪化する。

 そうなると治安を維持する為に兵を街道や街に配する必要が出てくる。


 その費用が巡り巡って国庫を圧迫する。

 因果応報、エリス聖王国はどんどんと泥沼に嵌っていった。


「で、その不満の捌け口として最適だったのがフェリア王国だったってことか」

「うむ……」


 エリックはようやくエリス聖王国に来てからの数々の仕打ちの要因を理解した。


 腹が立たないと言えば嘘になる。 

 しかし、エリス聖王国の最上に居る王太子の視点で語られた国の窮状を見るに仕方なしと思う側面もある。彼ら聖王国上層部から見れば国の安定こそが最大の課題なのだ。後々に禍根を残す可能性があったとしても、今の苦しい状況を少しでも改善する為に苦肉の策として不満を逃す必要があった。


 子の為ならば親は隣人を殺す。

 自分の大切なものの為ならば、人は他人を傷つけられる。

 エリス聖王国からすれば、たとえ隣国から反感を買おうとも自国の民との関係を優先させた。

 大切なものの優先順位を決め、片方を切り捨てた。


 それはきっと間違っていない。

 エリス聖王国の上層部も現状を良しとはしていない筈だ。

 人が育つまで、知識や経験を集積するまでの時間稼ぎ。

 それがこの他国を痛烈に批判し失政から目線を逸らせる一手の目的だろう。


(まあ、それにしたってやりすぎだとは思ったけど。国が想定していた以上に扇動が上手く行って国民が暴走しちゃってるんだろうなあ)


 人は一方的に殴れる存在に対しては本当に容赦しないものだ。


 相手が悪いから。

 外国人たちのせいで自分たちは苦しんでいるから。

 そんな彼らをやっつけるのは正しい事。


 感情を都合の良い理屈で補強し、彼らの頭の中では正義になっている。

 自分が正しいと信じたものだ。

 以前なら歯止めとなった善良な思考も困憊した日々の中で生じ辛くなっていく。


 結果、隣国であるフェリア人に対して超攻撃的な思想が国民に蔓延してしまう。

 扇動を始める以前は普通に接していた隣人は、今では明確な仇敵と化していた。 



◆◆◆◆◆◆



「ふわぁ……とても綺麗なところですねぇ」



 ジェシカが大きく目を見開いて景色に見入る。


 メティスの迷宮、第二十階層。

 アルベルトが目指していた階層に俺達は至っていた。


 ジェシカが目覚めた後、彼女の体調を見つつも探索を再開していた。

 そして大した山場も無くこの階層まで辿り着いてしまった。


 第二十階層は今までのベーシックな石壁造りの迷宮から一転。

 空には仮想の空が、そして地面には空を映し出す湖水が見渡す限り広がっている。


(異世界型の階層か、見渡す限り魔物がいないのは王族が儀式をする為の特別な階層だからか?)


 エリックはその絶景に圧倒されつつも警戒していた。

 迷宮において階層の雰囲気が変わるのは吉兆ではなく凶兆の場合が多い。

 頭の中でいくつかのシチュエーションを転がしながら慎重に先へ進んでいく。


「エリック様、そんなに警戒されなくても大丈夫ですよ! この階層は安全ならしいです!」


 ジェシカが小さな本を見つつこちらに微笑む。

 どうやらあの小さな本が王家に伝わる迷宮の情報を纏めたものらしい。

 確かに、冒険中に何かを書き込むのに適したサイズだとは思えた。


 大丈夫だ、とジェシカはもちろんアルベルトも笑っている。

 だが、彼らは分かっているのだろうか?

 彼らにとっての常識、既知が覆り、今まさに国が窮しているという話をしたばかりだ。


 特に迷宮では常識なんて通用しない。

 常識知らずの魔物の巣窟、人とは違う神々の被造物、それが迷宮だ。

 過去の冒険者の経験談は参考にはなっても答えにはならない。


 迷宮探索は農作でも漁業でもない。

 失敗=死だ。

 冒険者は常にいつ踏み抜くか分からない薄氷の上を歩んでいる。

 

 とはいえ、彼らはエリックと違い冒険者ではない。

 今後も迷宮に潜り続けることなどありえないだろう。

 だから、プロの冒険者としてエリックがふたりの分も警戒し状況を注視する必要があった。




 幸いにもエリックの心配は杞憂に終わった。

 目的とする儀式の間、白い大理石で作られた祭壇のような場所に至るまで何の障害も無かった。


「それでは、儀式を始める」


 アルベルトは湖水で身を清めると儀式用の服に着替える。

 そして祝詞(のりと)を唱えながら剣を片手に祭壇の上で舞い始めた。


 静粛な空気の中アルベルトが手馴れた様子で儀式を進めている。

 恐らく、今回の本番に向けて過酷な修練をしていたのだろう。

 その動きに淀みはなく、粛々と儀式は進んで行く。


 ジェシカもその様子を真剣な眼差しで見つめていた。

 自分が世話をし続けていた王太子、それが本当にこの国を背負う存在になる。

 そんな歴史的瞬間に感極まったのだろうか?

 ジェシカの目じりには薄っすらと涙が溜まっていた。


 いよいよ舞踊も終盤かと思われる頃。

 アルベルトが高く跳んだ。

 まるでそのまま空へ飛翔するのではと思えるほど高く高く跳んだ。


 するとどうだろう?

 アルベルトの身体が空中で制止した。

 アルベルトは目を閉じている、まるで何かを待っているかのように。


 突然、祭壇が白い光を放ち始める。

 そしてアルベルト自身も光を放ち始めた。


 エリックは困惑した。  

 意味が分からな過ぎてただただその様子を見守るしかなかった。


「え……?」


 そしてアルベルトまで戸惑った様子の声をあげた。

 ただ、彼は天を見上げている。

 まるでその偽りの空の果てに答えがあるとでも言うかのように。 



◆◆◆◆◆◆




 神託を受けた。

 アルベルトは祭壇に下り立つとエリック達にそう告げた。


 神託……つまり智の女神メティスから何らかの言を預かったという事。

 ジェシカも口に両手を当て驚いている。


 エリックは知らない事だったが、智の女神メティスは基本的に神託を下さないのだ。

 他の神々の場合、特定の巫女や聖女に対して神託を下すことは歴史上無くは無い。


 だが、メティスは下さない。

 智とは経験や推測を集積して得る物。

 神から無闇に与えてしまえば人々は愚物と化す。

 メティスは迷宮という形で地上に学びを得る機会は与えたが、直接的に何かを教える事を避けてきた。

 その今まで貫いてきた在り方を、ここに来て覆してきた。


 しかも、アルベルトは男性だ。

 アルベルト達の常識では神託とは信心深い女性が受け取るものと考えていた。


 もっとも、長い歴史を紐解けば男性が神託を受けた事は幾度もある。

 それらの役割を担う者を人は聖人と呼ぶ。


 ただ、聖女という存在が大き過ぎるエリス聖王国で生まれ育ったふたりはそれを知らなかった。

 なので、この神託はとてつもない大事件だと必要以上に捉えてしまっていた。


「それで、女神メティスは何と?」

「……『このままではエリスは滅ぶ。滅びに抗う意志があるのなら、過酷な旅路の果てに(いただき)へ至れ』とおっしゃっていた」

「そんな……」


 ジェシカが思わず声を失う。

 今まで仕えてきた国が亡国の危機に瀕している事。


 生還率0%。

 第二十一階層以降をまともに探索して帰ってきた者はいない。

 そんな未だ果ての見えない塔の頂へ、世継ぎであるアルベルトが向かわないといけないという事。


 そして、間違いなくジェシカの知っているアルベルトなら、命を投げ打ってでも塔の頂を目指すという事が分かってしまったからこそ、彼女は絶望していた。




 一方、アルベルトは落ち着きを取り戻しつつあった。

 メティスは智の女神。

 彼女が希望を指し示す時、そこにはきっと活路があるのだと確信していた。


 きっとその道は細く険しいだろう。

 けれど、それでも確かに道は存在する。

 救国の英雄になるか、それとも亡国を受け入れ負け犬と化すか。

 アルベルトは岐路に立たされていると感じていた。


 アルベルトは周囲を見渡す。

 ジェシカは静かに涙を流しアルベルトの眼差しを受け止めている。

 塔の頂、そこを目指す無謀さを理解しているのだろう。

 そして、神託を無下にする意味も承知している。

 理不尽な運命、その悪辣さに主人であるアルベルトの変わりに静かに怒ってくれている。


 アルベルトはそんなジェシカへの想いが溢れそうになりつつも視線をエリックに向ける。


 エリックは静かに腕を組みアルベルトを見つめている。

 絶望もしていないし、楽観もしていない。

 ただただ視線で問い掛けてくる。


 ──お前はどうしたい?


 その眼差しがアルベルトの背を押した。

 アルベルトはゆっくりと頷いた。

 それだけで、短い間とはいえ迷宮で時間を共有し続けたふたりには充分だった。


 迷宮の最奥。

 この塔の果てへ。

 運命のいたずらで手を組んだ三人は智の女神の課した迷宮へ挑む事を決意した。



◆◆◆◆◆◆




 メティスの迷宮が第二十一階層以降攻略されない理由。

 それはかなり単純な理由だった。


「まさか、帰り道が消えるとはな」


 第二十階層の果て、そこには螺旋状に天へと伸びる階段があった。

 それを登り切ると同時に階段は夢幻の様に消えてしまった。


 退路を断つ。

 それは単純にして悪辣。

 階層の情報収集と帰還を繰り返す慎重派の冒険者を殺すタイプの罠だ。


 迷宮とは試練。

 未知に挑まず既知の範囲で魔物を狩るのは冒険ではない。

 まるでそう言いたげな底意地の悪い罠だなとエリックは感じた。


 ──もっとも、エリック達にここで帰る気など全く無かった。

 エリックはともかくアルベルトとジェシカには元より退路などない。

 前を進んで救いを得るか、道半ばで力尽き朽ちるか。


 その二択。

 元より無駄な問い掛けだった。

 エリック達は振り返ることも無く、そのまま迷宮の奥へと進んで行った。




 迷宮探索は予想に反して順調だった。

 何故ならば、エリックが罠も魔物も対応してしまうからだ。

 誰よりも早く罠に気付き、時に解除し時に別の道へ進んだ。


 魔物も、二十階層以下より凶悪になって来ている。

 多くの死霊を引き連れたリッチ、不気味な魔術を駆使するラミア、紫電を纏う竜種が現れたときには流石のアルベルトも死を覚悟した。


 だが、その全てをエリックは打ち倒した。

 しかもまだ力を温存している気配すらある。

 アルベルトはその背中に頼もしいものを感じつつも強い劣等感も抱いていた。


 そして、そんなアルベルト以上に劣等感を感じていたのがジェシカだった。

 ジェシカは元々世話係。

 迷宮での戦闘や探索行で彼女に役割を求めるのはあまりにも酷だろう。


 そんな事は彼女も分かっていた。 

 ジェシカはどこまで行っても世話係なのだ。


 エリックやアルベルトと、戦闘という領域で肩を並べようとする事自体が間違っている。

 

 それでも、ジェシカは役に立ちたくて。

 何か出来る事は無いかと探索中ずっと考えていた。

 そして、迷宮はそんな彼女を牙を剥くことになる。


「ジェシカ!!」


 アルベルトの叫び。

 考え事から現実に意識が戻ったのと、巨大な蛇に奇襲されたジェシカを庇ってアルベルトの腕が吹き飛ぶのはほぼ同時だった。


「え、あ、アルベルトさまああああああああああ!!!」


 迷宮にジェシカの悲鳴が響き渡る。

 アルベルトの腕が、ぐちゃりと着地する様が現実離れしていて。

 ジェシカの頭は真っ白になった。


「ちっ」


 エリックが慌てて駆け寄り巨大な蛇を屠る。

 蛇の巨体が地に落ち、迷宮全体が震えた。

 蛇は広間の天井からジェシカを襲ったのだ。

 エリックは自身を襲う脅威には強いが自分以外の味方に対する脅威には対応しきれない場合がある。これはエリックの持つ力が気配を察知する類のモノではない故の欠陥だった。


「くっ……」


 アルベルトの額から脂汗が滝の様に流れ落ちる。

 間違いなく、生涯で一番の痛苦がアルベルトを襲っていた。

 天使の加護などものともしない理不尽な暴威。

 それに晒され必死に痛みを噛み殺す。


「じっとしていろ、すぐに治す」


 エリックはアルベルトの腕を拾い、傷口と合わせる。

 そしてアルベルトの肩に軽く触れると静かに呟いた。


「<ヒール>」


 エリックの手から柔らかな光が放たれた。

 その光はアルベルトの傷口に触れるとそのまま定着していく。

 すると、大蛇に引き裂かれた腕と肩が見事にくっついた。

 その光景にジェシカは大きく目を見開く。


「えっ、<治癒>……?」

「ああ、俺は<治癒>が使える。俺には才がなかったが、教師が凄かったからな……並の治癒師には負けんよ」

「瀕死のジェシカもエリックが治したんだ。もっともあの状況じゃ記憶は無かっただろうけど」

「痛みはどうだ?」

「流石に痛む。すまないが休息する時間を貰えないか?」

「そうか、やはりな……分かった、休憩にしよう」


 アルベルトは大の字になって寝転んだ。

 それに合わせて空気が弛緩する。


 アルベルトの腕を柔らかな光が包み込み、肩と繋がる。

 部位欠損の治癒。その光景が目に焼きついたまま離れない。

 迷いは一瞬、ジェシカの葛藤に光が差した。


「エリックさん、私に、<治癒>の使い方を教えてください!!」


 ジェシカは頭を下げてエリックに(こいねが)った。

 ジェシカが出来る事。この迷宮で少しでもアルベルトに対して尽くせる方法。

 その答えが目の前にある。ジェシカにはもう、そうとしか考えられなくなっていた。


 エリックは少し迷う素振りを見せたが、結局ジェシカの勢いに押され了承した。

 

 

◆◆◆◆◆◆



「そうだ、その調子でやってみろ」

「はい」


 エリックがジェシカに<治癒>を教えている。

 その様子をアルベルトは興味深げに眺めていた。


 アルベルトも<治癒>についてはある程度知っている。

 実際、最高の教師を招いて才能があるかどうか判別してもらった事もあった。

 もっとも、予想通りと言うべきか?アルベルトにはその才能が無かったようだが。


 <治癒>とは神に希い、傷や病魔を払う力を行使する力。

 一流の治癒師ともなれば致命傷と思えるような状況からの蘇生すらも可能だ。


 アルベルトの認識では目の前の冒険者もその領域に手をかけている人間のひとり。

 実際、瀕死のジェシカを救済したし、アルベルトの吹き飛ばされた腕を瞬く間に治して見せた。


 そんな一流(?)の治癒師が何故冒険者などをしているのか?

 疑問には思うが、アルベルトからすれば非常に都合が良く、このような機会に恵まれたのは大いなる智の女神の恩寵か何かだと思っていた。





 ただ、アルベルトにはひとつ気になることがあった。

 それは、その冒険者の教える内容が自分が見聞きしてきた内容とあまりに違ったものであったからだった。






「ジェシカ、お前は<治癒>とはどのような力だと考えている?」

「はい、<治癒>とは神に祈りを捧げその御力を貸し与えて頂き傷や病を払う力です」

「そう、世間ではそう言われている。だが──実際はまったく違う」

「「え?」」


 ジェシカと、ついでに聞き耳を立てていたアルベルトも思わず声を上げてしまった。

 <治癒>の力=神から与えられた力という図式は世界の常識だと考えていた。

 実際、信仰心に篤い教会の人間にその力が発現する者が多く、その関係性を疑う者など皆無だったからだ。


「お前の言った理屈では世界中のあらゆる神々を信仰している教会関係者に<治癒>の力が発現している理由付けとして厳しいものがある。だって、そうだろう?神にはそれぞれ司っている事物や事象がある。この塔を築き、お前達エリス聖王国の人々が信仰する神メティスは智の女神であって──決して治癒や奇跡を司っている神ではない。その神の御力を貸し与えられて治癒の力を発現するというのは道理に合わない」

「「……」」


 エリックが捲し立てるようにそう語った。

 一方、今まで常識だと考えていた理を真正面から打ち砕かれたふたりはその言葉を噛み締めていた。


 たしかに、神メティスは智の神だと言われている。

 そして、「智」以外を司っていると言う話はこれっぽっちも聞いた事が無い。

 ジェシカは当然そうだし、王太子として高度な勉学を学んできたアルベルトにも覚えが無かった。


 アルベルトはしっかり間を置いた後、エリックに問い返す。


「…………では、<治癒>とは如何なる力なのだ?」

「否定の力だ」

「否定?」

「そうだ」


 エリックの発言には迷いが無かった。

 推測ではなく、彼の中では明確な答えとしてそれが存在している。

 アルベルトにはそう感じられた。


「<治癒>とは現実を直視せず(・・・・・・・)偽りの現実を妄信する事によって生じる力だ。魔物に噛み砕かれもう一生歩けないという現実を否定し、致命的な傷を受けその肉体がただの肉塊と化しているという現実すらも全否定する。『その者は実際には傷ついておらず、健常な肉体を保持している』という偽りの現実で本来の現実を上塗りする。一種の現実改変魔法だな」


「この<治癒>の魔法(・・)と神を信仰する教会との関連が深いのは必然と言える。だって、そうだろう?信仰に生きる人間は現実を直視しない(・・・・・・・・)大旱魃(だいかんばつ)や不作、差別や虐殺だって彼らからすれば「神から与えられた試練」だし、豊作や思わぬ幸運に巡り合えば「神が我らに救いを与えられた!!」と全力で歓喜するだろう?……実際には神がまったく関与しておらず、そのような幸運に浴していたとしてもだ。信仰に生きる彼らには土壌があるんだ、現実を否定する(・・・・・・・)力を手に入れやすい土壌が。それが長い時の間に育まれた作為的なモノなのか?それとも偶然の産物なのか?そこまでは俺にも分からんが。信仰と<治癒>は必ずしも結びつくものではない。むしろ、曖昧な発現方法で使っている教会の奴らはこの力を使いこなせていないと言える」



 頭の中で今まで抱いていた常識が、一瞬で打ち砕かれる音が響いた。

 目の前の冒険者の話はあまりにも奇抜で、信じ難いものであった。

 だが、不思議と納得出来る部分もあった、聖女という存在と深い関わりを持ってきたエリス聖王国の王族であるからこそ抱き続けていた疑問──何故、聖女は教会関係者からではなく、困窮した少女から見出されることが多いのか?その疑問に対する一種の答えを見た気がしたのだ。


 教会に所属する神の信仰者からは<治癒>の力を発現する者が多く生まれる。

 しかし、肝心要の聖女は不思議と教会からは生まれなかった。


 ……おそらく、足りなかったのだ。

 現実を否定する力が。

 聖痕を授かり、超上の治癒の力<奇跡>を発現するに至るほどの欲求。

 それを手に出来るほどの器は、本当に死と隣り合わせの飢えや苦しみからの逃避が必要なのかもしれない。


 だが、そうなるとアルベルトの脳裏に疑問が生まれた。

 目の前の男が答えを持っているかは定かではないが、エリス聖王国の王太子として、どうしても問い掛けねば気がすまない問題があった。


「では、聖痕(スティグマ)はどう説明する?あれにも神が関与していないのか?」


 アルベルトが問い掛けると、エリックは迷う素振りを見せた。


 言うべきか、言わざるべきか。

 真相(・・)を語るのは正直難しい。


 エリス聖王国の……それも王族に対して言うなんて、エリックには無理だった。

 なので、少し湾曲的で、言葉を濁す方向でエリックは話す事にした。



「そうだな、俺はこの国にも聖女にも詳しくない。だから、明確な答えを有していないが……聖痕と聖女に関しては神の力や事情が働いているのかもしれないな」


 エリックの答えに、アルベルトはある程度満足した。

 彼は外国の冒険者であり、<治癒>という技能についてはともかくエリス聖王国特有の事象に明確な答えをもっていないのは道理だと考えた為だ。それに、王族である自分はもちろん父である聖王ですら答えにいきついていない神秘的な分野について答えを持っていたとしたら彼は強い嫉妬と対抗心を抱いてしまっただろう。「そうか」と短く返答した後、彼は再びエリックから語られた様々な話について頭の中で転がし始めた。


 一方、ジェシカはじっとエリックを見つめていた。

 この国の誰も気付いていないかもしれない<治癒>という技能の深奥。

 その知識を対価も要求せず快く授けてくれる師匠の一挙手一投足に眼差しを向けていた。

 彼女が求めた「智」は塔の頂に至るまでも無く、目の前の冒険者が授けてくれる。

 そう確信したが故にジェシカはエリックを深く信仰し<治癒>の技能を磨くべく僅かな時間を有効に使い修練に明け暮れた。



◆◆◆◆◆◆




「……光が見えるな」

「遂に頂上……ということですか」



 第四十九階層を越えた先。

 階段を登る三人の前に光が指した。

 それと共に轟々と風の鳴る音と激しく地を打つ雨音が聞こえてくる。

 外は生憎の天気らしい。


「とうとう頂へ辿り着いたか、一度休息を取った後に挑むべきだろう」

「……そうだな」


 アルベルトはどっしりと腰を落とし、床に座り込んだ。

 ジェシカも無言でそれに続いた。


 ……アルベルトは本当に頑張っていた。

 とはいえ、彼は相応の鍛錬をしてきたといえど王族。

 四十九もの階層を踏破して相応の疲労が彼の身体を蝕んでいるようだった。


 ジェシカなどはもうついて来るのがやっとという有様だった。

 彼女などはもう半ば意地とかそういう力を行使してなんとかついてきている状態だろう。

 王太子の世話役というのも本来ハードワークなのだろうが、日夜魔物と殺し合う連日の冒険はそれを大きく凌駕する困難の連続だった。頬や首筋を大量の汗が伝い、エリックはその艶やかな姿に思わず目線をそっと逸らした。




 四十階層を越えた辺りから、この迷宮は本気を出してきた。

 この迷宮の本気とは、つまるところ謎解きだ。

 築いたのが智の女神であるのだから、踏破するのに「知恵」を要求するのは道理だ。


 無数の本棚と謎を解いて開く扉が存在し、本棚にある無数の本から知識を得て謎を解く。

 概要だけ説明すれば単純で簡単に先に進めそうだが、ここは迷宮なわけで。


 本を読んでいる最中に魔物が襲ってくるし、重要な書籍を護るガーディアンなどもいた。

 謎解きにも一見正解の様に思えるひっかけが複数存在して、三人で頭を悩ませ解く必要があった。


 ここで活躍したのがアルベルトだった。

 彼の今までの人生で培ってきた知識が多くの謎から正答を導き出していた。

 何度かそのような事が続いて、彼の表情が幾分か明るくなってきた気がした。






 アルベルトは今までの人生でも感じた事のない程の充実感と心地良い疲労感の中にいた。


 自分が今まで何気なく受けてきた教育。

 それが「智の女神」の課した試練に通用したという事実。

 まだ最後の試練が待ち受けている筈であったが、もう既に達成感を感じてしまっていたほどだ。


(楽しかったな、いや、国の命運を賭けた旅路ではあるのだが)


 アルベルトは自分の中に浮かんだ想いに苦笑する。

 そう、アルベルト達は遊びでこの巨塔に挑んでいる訳ではなかった。

 神メティスに「この塔を踏破出来ねば国が滅びる」と託宣を受けてここにいるのだ。


(今まで国を背負うという事実に現実感を抱けていなかった。でも、今は……)


 アルベルトは自分の掌を見つめる。

 長時間剣を握り締め続けた、戦士の掌だ。

 そして、この塔を降りた後には、国を背負うべき為政者の掌でもあった。


 今まで、アルベルトも様々な行事や仕事に参加する事があった。

 それは会食であったり、外国の要人に対する案内であったり、自分の代わりなどなく、自分にしかこなせない大事な仕事の数々。しかし、この国の政治に大きな影響力を行使するような、本格的な王としての仕事へは深く関与して来れなかった。


 そんな自分が、歴代の王族も成し遂げられなかった偉業を果たしつつある。

 その双肩に、父である聖王と同等以上の責任が圧し掛かっている。

 国の存亡、それを左右する存在になった。

 その事実を改めて直視し、また向き合うようになっていた。




「遂にこの塔も終わりだな」


 一晩寝て過ごした後、エリックが休息の終わりを告げるかのように話し出した。

 アルベルトとジェシカも目線を彼に向け静聴する構えを取る。


「迷宮のお約束として、最後の階層には迷宮主がいるだろう。基本的には俺が前に出る事になる」


 アルベルトは無言で首肯した。

 目の前の冒険者の実力は圧倒的で、自分ではとても敵わない。

 助けようと手を差し出すのは逆に彼の邪魔になってしまうほどだ。


 だが、心情的には彼を前面に押し出して攻略する事に抵抗感を感じていた。

 この迷宮を攻略しなければ国の存亡に関わると言うのはアルベルトたちエリス聖王国の事情だ。

 それを外国人──しかも、国民が散々いやがらせをし、不快な気持ちで旅をさせてしまった大恩人に任せてしまうというのは、王太子として、いや、人として承諾しかねる事だった。


「これは神が私に課した試練、やはり私が前に出るべきでは」


 だから、つい口を出してしまった。

 自分では実力が足りないかもしれない。

 それでも、何もせず後ろから見ているだけと言うのはつらいものがあったから。


 アルベルトの問い掛けに、エリックは首を縦に振ることは無かった。


「アルベルト、その苦しさから逃げるな」

「え?」


 エリックの返答の意味が分からず、アルベルトは思わずまぬけな声を出す。

 エリックは、深みを感じさせる声でゆっくりとアルベルトにその真意を伝える。


「アルベルト、お前は王だ。次世代の王。このエリス聖王国を豊かな国へと導いていくのがその仕事だ。決して迷宮の主を打倒するのが仕事ではない。これからお前はたくさんの人間を使っていく。それは商人かもしれないし役人かもしれないし騎士かもしれない、もしかしたら俺のような冒険者を使うこともあるかもしれない」


「つまるところ、お前は国の運行を司り、お前を旗印にエリス聖王国は動いていく。その最中、お前はこれから数々の人間に仕事を命じる立場になるはずだ。──中には、今回の様に本来なら自分が動くべきではないのか?本当にこいつに命じても良いものだろうか?と迷うものや、任せた相手に怪我や死を招くのを分かっていても送り出さなければいけない……そういった痛みを伴なう命令を下さなければならないこともあるだろう」





「だが、お前は王だ!! 望むも望まないも関係ない!! 血と運命がそう定めた!! この塔がお前の王としての資質を問うのならば、お前は今剣を取るのではなく命じなければならない──そうだろう?次世代の聖王よ……」


 

 

 アルベルトはエリックをじっと見つめた。

 そして、思わず苦笑した。

 何故、自分ですら気付かない自分の真意に気付いてしまうのか。

 彼は冒険者ではなく賢者か何かなのでは?と冗談めかして笑いたくなってしまう気分だった。


 そう、言われて気付いた。

 自分は覚悟を決めているようで、実際には逃げていたのだ。

 恩人を死地へ送り出す勇気、その決断を下しじっと成果を待ち続ける覚悟。

 それを正視する事が出来ず、建前を行使して楽な結論に飛びついていただけだったのだ。


 言われてしまえば単純な事実。

 この迷宮が真に智を測る迷宮だとするならば。

 この迷宮が真に王としての資質を自分に問い掛けているのならば。

 自分が下すべく命令は子供でも分かるほど単純なものだった。



「エリック、お前に迷宮主の討伐を命じる。国の命運を賭けた戦いだ。敗北は許されん」


 アルベルトは一言一言噛み締めるように命じた。

 それがどれほど非道で、利己的で、自分の命の恩人に課すにはあんまりな命令だと認識しつつも最後まで言葉を紡いだ。その苦しみはジェシカが死に瀕した時にも迫るほどの苦しみだった、目の前の冒険者は、未来の聖王にとってそれほど大きな存在となっていたのだ。



 エリックはゆっくりと剣を抜いた。

 彼の相棒【不朽の剣】は彼の覚悟を示すかのように研ぎ澄まされた銀光を放っている。


「その依頼、確かに引き受けた」


 エリックがゆっくりと歩みだした。

 最早三人に会話は不要。

 ジェシカとアルベルトはその頼もし過ぎる背中へ眼差しを向けつつ、彼に続いた。






 ──メティスの塔最上部。

 四十九もの階層を越えた先、そこには整然とした石畳が敷き詰められた広大な領域が広がっていた。


 天候は雷雨。

 吹き荒ぶ風が髪を揺らし横殴りの雨が頬を打つ。

 そんな最中、自他共に認めるフェリア王国最強の冒険者は泰然とした態度で歩を進めた。


 一歩、二歩、三歩、四歩。

 油断無く周囲に気を配りながら歩んでいく。

 そして、階層に足を踏み入れることなく彼の行方を見守っているふたりが豆粒ほどの大きさに見えてくるほど歩を進めた頃合に、それは現れた。


 階層全てに響き渡るほどの破砕音。

 唐突に瞬いた雷光が迷宮の床を打ち砕いた。

 砕け散った床石は煙と化してエリックの視界を一瞬閉ざす。

 だが、それは本当に一瞬の出来事だった。

 吹き荒ぶ風がその埃を瞬時に消し飛ばし、そこに現れた王の出現を演出する。


 雷音と共に現れた玉座、そこには頬に手を当てニヤリと獰猛に笑う化生が一匹。

 見上げるほどの巨躯の怪物、雄雄しい(たてがみ)は獅子の証、頭上には王冠があり稲光を受けて青く輝き周囲を照らしている。足を組みこちらを見下ろす様は正に獣の王と言った風情を醸し出していた。


「知恵比べは終わりか?神メティスよ」


 エリックはやれやれといった雰囲気でぼそりと呟いた。

 どう見てもこれは、知恵比べといった雰囲気では無い。

 圧倒的な暴力、そして死の気配が鼻をつく。


「来いよ猫野郎(・・・)! そのたてがみ、全部毟りとってコートのファーにしてやる!!」


 エリックが挑発するのと、獅子の王が指を鳴らすのはほぼ同時だった。

 指鳴りの音と共に、無数の獣人の騎士が現れエリックへ剣を向ける。


 獣人騎士の首が、雷光が瞬くよりも早く吹き飛んでいく。

 メティスの塔の頂上は、あっと言う間に獣の血で真っ赤に染まっていった。


 擦れ違い様に、首を刈る。

 やる事は単純、ただしその速度は人外だった。

 踏み込み、切り捨てる。

 数多の修羅場を越え熟達された剣技はまるで魔法の様。


 剣が鋭いからこそ出来る技?

 もちろん、それもある。

 数多の血や肉、そして骨を切り裂いても鋭さを失わない。

 その剣の弱点を克服した至高の剣を持っているからこそ出来る殺戮。


 エリックは、剣の力も自分の技量も全て把握した上で踏み込んでいる。

 それが出来る者は、意外にも少ない。

 どれだけ自身に自信があっても、群れる敵に挑むのに躊躇するのが人間というもの。


 エリックは狂っていた。


 それは人間の社会で生きていくには余分で足枷にしかならない代物だったが、迷宮という暴力が支配する世界では得難い武器であった。




 心地良い緊張感、迷宮以外では味わえない血と暴力の味。

 その味を堪能し、舌舐めずりしながら剣を払う。

 剣速と雨風に洗浄され、剣から血が払われた。


 見渡してみれば死屍累々。

 階層を埋め尽くしていた獣の騎士は全員地に伏していた。


 獅子の王は自分の部下の不甲斐なさに嘆息するように玉座から立ち上がり、剣を抜いた。

 黄金の剣、趣味の悪い……成金趣味としか思えない派手な大剣だ。

 それを手に一気にこちらへ躍り掛かってきた。

 王のマントが揺れる音だけが、今更の様にバササッと耳に届く。


 それは本当に瞬く間の出来事だった。

 獅子の王の剣が直上から凄まじい速さで振るわれる。

 エリックがそれを避け獅子の王の胸を一息に貫いた。

 それを受けて尚、獅子の王は意に介さず獰猛な爪をギラつかせてエリックの首を刈ろうとした。

 死神の鎌だってもうちょっと常識的な速さで首を刈るだろうと思えるほどの必中の爪撃。


 獅子の王は笑った、我の勝ちだと。

  

 その笑顔を嘲笑うかのように爪が空を掻いた。

 獅子の王の顔が驚愕に歪む。


 次の瞬間、景色が瞬く間に変わる。

 天地が逆さまになったかのような錯覚。

 獅子の王が死の眠りに落ちるのと、自分の首が刎ね飛ばされたと気付いたのはほぼ同時だった。




「雑魚が……」



 エリックは獅子の王の胸から剣を抜きつつ、そう呟いた。

 その顔は戦闘による気分の昂ぶりによって攻撃的になっていて、とても人様にお見せ出来る表情ではない。


「おっと、まずいな」


 エリックはゆっくりと気分を沈め、意識して冷静な表情を取り戻す。

 ──こんな顔をアルベルト達に見せては怖がらせてしまう。

 せっかく良好な関係を築いた、異邦の国の友人たち。

 彼らの為にも、自分の為にも、胸に手を当て心を取り戻した。


 冷静になって周囲を改めて見渡すと、空の雲がゆっくりと晴れ、天の(きざはし)が曇天を貫く。

 そして、獅子の王が座していた玉座を照らすと同時に玉座にヒビが入りそこから光が洩れ出ていた。


 おそらく、あそこを探れば報酬が手に入るのだろう。

  

 分かりやすく示された宝の在り処を背に、エリックは歩みだした。

 報酬は、苦労を共にした仲間と分かち合わなければならない。

 今もこちらを見つめているであろう友人たちの下へ、エリックはゆっくりと凱旋した。






「エリック!!」


 アルベルトは彼の声を叫び思いっきり走り寄った。

 そして苦笑してこちらに手を挙げる彼の胸に飛び込み、思いっきり抱き締めた。


「おいおい、俺はそういう趣味(・・・・・・)はないんだがな」


 エリックはそんな彼の様子に一瞬面食らったが、呆れつつも抱擁を返した。

 彼は彼なりに「命令した後、報告を待つ苦しみ」に耐え抜いて感極まったのだと理解したからだ。

 一瞬、本当に一瞬だけ「お前は乙女か」とつっこみかけたのは内緒だ。


「エリック様……お怪我はなさりませんでしたか?」

「大丈夫、無傷だ」

「そうですか、よかった……本当に……」


 ジェシカは目に涙を浮かべつつ、エリックの帰還を喜んだ。

 エリックからすれば慣れた死闘だったが、彼らからすれば未知の恐怖だ。

 彼らからの深い愛情と喜びに浴してエリックは照れ臭くなり思わず頬を掻いた。




「ふたりとも、よくここまで頑張ったな。さあ、胸を張って報酬を受け取りにいこう」


 アルベルトが落ち着いたところで、エリックがそう切り出した。

 ふたりも嬉しそうに首肯する。

 それを確認して三人は先程までとは打って変わって晴れやかに澄んだ青空と白雲に包まれたメティスの塔の頂を歩んでいった。




「本当に私で良いのか……?」

「ああ」

「さあ、アルベルト様、どうぞ」

「うむ、そ、そうか……では開けるぞ?」


 アルベルトが緊張した手つきで宝箱に手を伸ばす。

 先程の玉座が割れた中にあった、赤と金で彩られた見事な宝箱だ。


 陶器の様に磨き上げられた綺麗な指がそっと腫れ物に触れるかのように宝箱に触れる。

 見ているこちらが緊張してしまうほどの繊細な指使いだった。


 思えば、無理も無いのかもしれない。

 この国が興るより前から存在し、それでいてなお一度も踏破されなかった迷宮。

 数多の王が目指し、挫折し、心が折れ、二十階層の儀式の間より先は王家にすら資料が残っていない……エリス聖王国の王族からすればこの塔の踏破は正に偉業、歴代の王族の誰も成し遂げる事が出来なかった歴史に残る瞬間。それを誰よりも強く教えられ、認識しているアルベルトの指が震えてしまうのは仕方の無いことなのかもしれない。隣国の冒険者であるエリックだからこそ「早く開けろよ」とか感慨の欠片も感じさせない感想を抱いてしまうが。


 ゆっくりと、上蓋が持ち上げられていく。

 すると、中から光が零れ、ゆっくりと丸い光がみっつ三人の前に浮かんだ。


「な、なんだ?!!」


 驚愕する三人。

 そんな様子を知ってか知らずか丸い光は三人の手の甲に吸い込まれ、不思議な印を刻んだ。


「これは……」


 アルベルトは手の甲の印を注意深く観察する。

 描かれているのは長髪の女性の側面像(プロフィール)……。

 それは怜悧さと優しさを併せ持ったような神々しい表情をしていた。


「ふむ、これが噂の『女神の加護を与える』って奴なのかね?」


 エリックが呟くとアルベルトも無言でこくこくと頷く。

 アルベルトもジェシカも、その答えに行き着いていた。

 しかし、言葉にする事は中々難しかった。

 智の神メティスの加護など、少なくともアルベルトの知る限り「誰一人として授かった事が無い」のだから。


「わ、私も貰っちゃいましたよ?!」


 ジェシカが慌てふためきながらあわわと恐縮する。

 彼女の手の甲にも、確かに女神の側面像が描かれていたからだ。

 王太子の世話係、それは確かに大変名誉な役割ではある。

 ただ、宗教国家の仰いでいる神から直接加護を賜るには、確かにちょびっと役不足にも思えた。


「そりゃそうだろ、まあ、ここまで一緒に登ってきたんだから当然だな」


 エリックは「何を今更」と言った様子で呆れ、アルベルトも同様に頷き答える。


「ジェシカは私の命を救っただろう?そんなジェシカに加護が与えられないのなら、私にだって加護を受け取る権利が発生しなくなってしまうではないか」

「アルベルト様……」


 ジェシカは感極まってぐすぐす泣き出した。

 それを横目にエリックはアルベルトに確認をする。


「そういえば、宝箱の中身はきちんと確認したか?噂によると加護とは別に宝物もあるはずだろ?」

「あっ、そういえばそうであったな!」


 アルベルトは慌てて再び宝箱を開け中を確認する。

 エリックは「大丈夫かよ……」と頬を掻きつつ嘆息。

 ジェシカはそんな二人のやり取りを見て、静かに微笑んでいた。




◆◆◆◆◆◆◆





 翌日、エリック達三人は迷宮都市メティスの街門に居た。

 メティスの迷宮の最上階、宝箱の中身を全て手に持った瞬間に宝箱が消失。

 それと同時に目の前に現れた帰還用の魔法陣に乗って昨日の夕方に街へと帰還していたのだった。


 アルベルトとジェシカは空間を転移するその魔法に驚き、あんぐりと口を開けたが、エリックからすれば塔型の迷宮にはよく搭載されている仕掛けであり、ふたりを冷静に宥めた。


 ちなみに余談だが塔型の迷宮では稀に地面に叩き落す帰還ギミックが存在する。

 空中に投げ飛ばされ、無重力感と共に血の気が引く。

 びゅおおおおっと風鳴り音が耳に響き、微かに仲間の悲鳴も同時に聞こえてくる。

 高所恐怖症の冒険者を絶対殺すギミックとして知られている。

 もっとも、着地寸前に減速し結果的には無事で済むのだが、それを嫌って塔型の迷宮を嫌う冒険者が少なからず存在する。


「世話になったな」

「何を言う、それは私のセリフだ」

「……エリック様、本当にもう行かれるのですか?」

「ああ、それに今の時勢だと俺がお前らと一緒に居るのは外聞が悪いだろう」

「本当にすまない、この借りは必ず返す」

「ここまでしてもらったんだ、十分さ。それじゃあふたりとも達者でな?……アルベルト、暗殺されかけたという事実、それを忘れずに帰れよ」 

「分かった、心に刻んでおこう」

「エリック様、あなたの旅路に智の女神の加護があらんことを」

「おう、じゃあな」




 エリックは後ろ手に挨拶し颯爽と去っていく。


 エリス聖王国。

 迷宮都市メティス。


 そのどちらにもエリックは良い感情を抱けずに居たが、得難い友人はふたり出来た。

 この国に来た当初はこんな国さっさと出て行ってやると息巻いていたが、アルベルトが治めてすこしはマシな国になったなら、また訪れてやるのも吝かではない。そう、何故か上から目線でエリックは考えるのだった。





「エリック様、行ってしまいましたね」

「ああ……だが、我々も呆けてばかりでは居られないぞ」


 アルベルトは強い眼差しでそう言った。

 メティスの迷宮は隣国の冒険者エリックの手を借りて攻略する事が出来た。

 しかし、アルベルトの戦いはむしろここからだ。

 彼はその事実をきちんと認識し、静かに闘志を燃やしていた。


「……ジェシカ、信頼出来る冒険者をすぐに集めてくれ。ギルドマスターに話をして秘密裏にだ。私は死んだ事になっている方が都合が良い。それと馬車をひとつ貸し切れ。買うと余計な注目を買うだろう」

「承知しました」


 ジェシカは外套を目深(まぶか)に被り喧騒に消えていった。

 アルベルトは元々貸りていた高級宿ではなく、個室があるものの王族どころか商人も泊まらないような薄汚い宿へと帰り静かにベッドへ腰掛けた。


「『王の試練』を終えて最初の仕事が裏切り者の炙り出しとはな。まったく、前途多難だな」


 アルベルトは誰も居ない個室で静かに嘆息する。

 しかし、彼の表情は絶望どころか少し楽しげですらあった。


「命を助けられ、ジェシカを蘇生して貰い、メティスの迷宮の攻略と同時に加護と数多の神器(・・)の取得……至れり尽くせりだな。ここまでお膳立てされて国を立て直せなかったら愚王として歴史に名を刻まれてしまうだろう」


 塔の最上階、宝箱の中には尋常ではない宝物の数々が存在した。

 アルベルトはそのほとんどをエリックに渡そうとしたが、彼はそれを固辞した。

 何でも、彼の逃避行に手荷物は邪魔にしかならないんだとか。


「代わりに金をくれ。あと、出国の許可証や一定の身分を保証する証明書が貰えると助かるんだが……」


 アルベルトはその提案に即座に飛び付き証書を書いた。

 金銭は迷宮に入る際につけていた宝物を売って工面したもので、潤沢とは言い難がったが……

 エリックは「こんだけあれば十分だ、ありがたい」と受け取っていたがアルベルトもジェシカも正直申し訳ない気分でいっぱいだった。アルベルトは財布など持ってはいなかった。買いたい物があれば護衛を務める近衛騎士隊長が国から預かっていた予算で物を購入する。若しくは王家の名を出して後ほど予算から払う手法で買い物を行っていたが今の状況でそんな事をしたらまずいのは明白だ。


 結果、未知の迷宮を踏破した報酬としてはあまりにしょっぱい報酬しか渡せなかった。

 アルベルトは「王家の者としてあまりにも情けない……」と食いっぱぐれた野良猫のようなしょぼしょぼした顔で財布を持ち歩く習慣の無い自分を心底恨んだ。


 そして、そのしょっぱい報酬の対価として(もたら)された宝物の数々は歴代の王族が挑んでは散っていった迷宮の報酬に相応しい価値のあるものばかりだった。どれも人智を超えた宝物だったが、中でもアルベルトが着目したのは以下の三つの神器だった。


 無限の水を生み出す【水精の涙】という宝石。


 一年に一度という制限はあるものの触れたモノを神話でのみ語られる伝説の希少鉱物、【オリハルコン】へと変化させる【恩恵の杖】という漆黒の木杖。


 そして極めつけが【賢者の杯】

 この杯に注がれた水を摂取するとあらゆる魔法の適性を得る事が出来るという今までの常識を覆す馬鹿げた品だ。魔法を学ぶ上で一番の課題である「適性」の問題を杯を一度煽るだけで解決出来てしまうのだから、これがどれだけふざけた品だか分かると言うものだ。あくまで「適性」を与えるだけで、その後魔法使いとして大成するかどうかは本人の熱意と努力次第という「智の女神メティスの授ける神器」に相応しいオチもついているが。それでも破格だ。


 ちなみに、アルベルト達はこれらの宝物の持っている効果や使用方法を見ただけで全て把握出来た。

 本来はこういった宝物の効果や使用方法を調べる為の専門家の下へ品物を預け「鑑定」して貰う必要があるのだが……これが「智の女神の加護」の能力なのだろうか?それとも他にも何か力がある?謎は深まるばかりであった。






 ともあれ、エリックは西方へ旅立つ目処が立ち、アルベルトはジェシカと共に信頼出来る護衛と共に密かに聖都エリスへの帰還を目論む。三人ともそれぞれの思惑を胸にそれぞれの道を行くのだった。







 一方その頃、エリックが立ち去ったフェリア王国ではひとりの女性がイラだった様子で腕を組んでいた。


「それで?エリックは見つかったの?」

「いえ、それが……未だ消息が掴めずにいます」


 フェリア王国の第三王女アン・フェリアはこめかみに指を当て、この無能な女(・・・・)をどうしてくれようか?と一瞬思案したが、冷静に考えて消すには不味い人材であり、そんな女が自分の従者の中では「まともな方」であることを全力で嘆きつつも今自分が取るべき態度、与えるべき言葉について思考する。


「そう、それは残念(・・)だわ。引き続き探して、必ず連れ戻して」

「は、はい……!!必ずやお連れいたします!!」


 従者の女は威勢だけは良く、それがアンの神経を逆撫でした。

 礼儀を欠かない程度にそそくさと退散した無能を見送り静かになった私室でアンは溜息を漏らした。


「はあ~~~っ……エリック、あなたは何で行ってしまったの?」


 アンはエリックのことが好きだった。

 好きで好きで大好きで、彼との結婚を熱望していた。


 エリックはフェリア王国でも名のある家の子であり、建国時から王家を擁立し続けてきた……この国にとって欠かすことの出来ない大貴族の息子だ。王家の血を引くアンと婚約しても本来は(・・・)問題ない筈でありそのまま結ばれてもおかしくなかった。


 しかし、()の家には悪癖とも呼ぶべき不思議な習性があり、それが度々フェリア王国の貴族を騒がせてきた。それが「冒険者病」と呼ばれる彼の家だけに伝わる……アンと一部の貴族にとって忌むべき習性である。


 その家の子は必ず冒険者に憧れる。

 大貴族にも関わらず、だ。

 それが貴族の道楽で終わるなら良かったのだが……

 人外とも言える実力で成果を出し続けるから性質(タチ)が悪い。


 そもそも、国が興る際にも迷宮産の宝物を惜しみなく王家に捧げ、その立国に貢献しているのだ。

 そんな家に「貴族らしく振舞え、冒険をやめろ」などと何処の貴族も、そして王家すら言えない。


 今の世代は比較的(・・・)貴族的な生活をしている者が多かった。

 エリックの弟や妹は常識的な振る舞いをしている……たまにふらっと現れて致死的な病や怪我を負った病人を救ったり、凶悪な巨獣を槍一本で叩きのめして名を挙げたりするが社交界にきちんと顔を出し貴族としての顔を売っているし、様々な事業に出資して非常にまともな貴族(・・・・・・)らしく振舞えていた。




 そう。

 よりにもよって。

 長男であるエリック、ただひとりを除いて。



「やっぱり……呪ったのがまずかったのかしら」


 アンは自分のやり方は少し間違っていたわと反省していた。

 彼女は「身体が動けなくなったら冒険者をやめてくださるわよね?」と自ら呪具を用いてエリックを呪ったのだった。もしかしたら、彼が普通の冒険者であるなら、それで彼女の願いが叶ったかもしれない。




 だが、彼女が愛した男は普通ではなかった。



 

 呪いを破り、呪いを放った相手を即座に特定した。

 アンにはそれをどのような手法を用いて行ったのかまるで予想がつかなかった。

 ただ、呪いが破られた「反動」が身体を襲ったことで「呪いが破られた」ことだけは身を持って分からされたが。


 呪い返しに苦しみつつも、アンは何とか彼を手中に収めようと従者に捕縛を命じたものの、その時にはエリックは雲や霞みの様に所在が分からなくなってしまっていた。


「エリック……なんで貴方は私を見てくださらないの……? 私はこんなにも……こんなにも貴方を想っているというのに!!」


 アンは空を照らす銀の月を眺めながら窓辺に手をつき思いの丈を月へぶつけた。

 夜空に浮かぶ銀の月は「知るかよ……」とぼやきながらヤンデレ王女に想われている憐れな冒険者へ黙祷を捧げた。



Q:エリックは剣を獅子の王に刺した後どうやって首を刈ったの?

A:魔爪という爪に魔力を宿し刃物のように強化する魔法を使っています。ただ、ココでしか出番が無かったので本編に書くと取ってつけたような印象になってしまい、描写を省略しました。


Q:結局スティグマってなんだったの?

A:あえて謎を残すような書き方にしています。でも、検索したらほぼほぼ察しがつくかも?


Q:エリックの能力ってなんだったの?

A:予想してみてください。

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